【小松左京氏追悼エッセイ】『巨頭の人 小松左京』永井豪

(PDFバージョン:kyotounohito_nagaigou
 「身体の半分以上が、頭で出来ている!」
 初めて、小松左京さんに会ったときに受けた印象だ。
 「TOKON5」に行ったとき、筒井康隆さん、豊田有恒さんに連れられて、小松さんが仕事場にしていたホテル・ニュージャパンを訪れた。
 「オー!君が『ハレンチ学園』で騒がれている永井豪チャンか~?!」と、小松さんは巨大な頭を振り、満面の笑みで迎えてくれた。
 「十兵衛やアユちゃんのオッパイを大きくしろ!」と小松さん。「小さめだから初々しくて良いのだ!」と筒井さん。たちまち、私をそっちのけでオッパイ論争が始まった。
 当時、『ハレンチ学園』を批判する大人とばかり会わされていた私は、即座にSF作家という人種が大好きになった。
 高校一年の時に『日本アパッチ族』に出会い、以来夢中でSF小説を読み漁っていた私だが、作品だけでなく、作者にも魅了された瞬間だった。
 ’78年の4月、小松さん、豊田さんがTV番組のために南米のピラミッドを巡る旅をすると聞き、兄・泰宇と一緒に、メキシコだけ随行することとなった。
 メキシコの旅は、私の数多い旅の中でも、特別思い出深いものになった。先行していた小松さんを追って、メキシコシティーに行き、市内のホテルでメンバーと合流した。旅の日々、様々な質問を小松さんにぶつけた。そのたびに百科事典以上に詳しい答えが返ってきた。“歩く百科事典”という小松さんのアダ名は本当であることを悟った。
 ジャングルの中にある、ウシュマルのピラミッド遺跡のホテルに泊まっていた朝、小松さんが大はしゃぎで廊下を走ってきて、私を見つけると「豪ちゃん、珍しい人がいるぞ!」と言った。一緒に走ってロビーに行くと、藤本先生(藤子・F・不二雄)が居た。私たち一行が向かおうとしていたツェツェンイツアから来たという。私らと反対コースを辿っていて、遭遇したのだった。
 「東京でもめったに会わない人とメキシコで会うとはな~!」と、小松さんは大喜びしていた。
 メキシコ旅行の後、私は、筒井さん、小松さんの推薦で「日本SF作家クラブ」に入会させてもらった。
 私が「日本SF作家クラブ」の会長をしていたとき、星新一さんが亡くなった。「小松さんが落ち込んでいる」と、事務局長の高千穂遥さんから電話をもらい、高千穂、とり・みきさんの三人で、小松さんを慰めに行くことになった。星さんとの楽しかった思い出話、星さんのすごい冗談の数々を、三人で頷きながら聞いた。
 新聞で、小松さんが亡くなるときの様子を伝える記事を読んだ。病室で、「銀座カンカン娘」や石原裕次郎の歌謡曲などを歌ってから、病室に集まった人たちにお礼を言って逝かれたと書かれていた。小松さんらしい、実に見事な人生の幕引きだと思った。
 メキシコ旅行中、毎晩のように、ビールを片手に歌を口ずさんでいた小松さんを、思い出さずにはいられない。
 広大無辺なメキシコのジャングルの地平線と、歌う小松左京の大きな頭が、私のイメージの中で重なり、やがて静かに消えていった。



永井豪プロフィール