【小松左京氏追悼エッセイ】「SF界のブルドーザー 小松左京さんを悼む」梶尾真治

(PDFバージョン:SFkainobulldozer_kajiosinnji
(編集部註:この原稿は2011年7月31日の熊本日日新聞に掲載されたものです。今回、著作者様と熊本日日新聞様のご厚意により、転載させて頂きました)

 小松左京さんの訃報を聞いて、私は無意識のうちに書庫へ行き、一冊の本を取りだした。
 小松さんの処女出版となるハヤカワ・SF・シリーズ「地には平和を」だ。この表題作を、私は高校生時代に同人誌「宇宙塵」誌上で初めて読んだ。それが同時に私にとって初小松SFでもあった。
 昭和20年8月15日に無条件降伏をせず本土抗戦を日本が選んだという平行世界を描いた、もしも…の世界。
 それまで、英米SFの奇想にばかり触れていたが、初めて日本人として読んでこそ最大の感動がもたらされるSF群に出会えた気がしたものだ。
 SFファンは、他のジャンルの読者よりもお祭り好きかどうかはわからないが、年に一度、持ち回りで日本SF大会なるイベントを開く。1962年に第1回のSF大会が東京で開かれ、今年の静岡開催が第50回となる。参加者も千人を超える規模になった。
 実は、熊本でも日本SF大会が開催されたことがある。1969年8月23、24日。杖立温泉のたしろ屋旅館でのこと。参加者全員合宿というアットホームな運営だが、参加者は93人。大会名は「KYUCON」。
 SFに関する作品論やSFクイズ、スライド上映、オークションなどがプログラムにあったが、東京からのプロ作家の参加がなかったことで、今一つ盛り上がりに欠けていたのだ。
 しかし、突然、ひょうたんから駒のような驚くべき情報がもたらされたのだ。その頃、小松左京さんは70年大阪万博のプロデュースもやっておられ、そちらの関連でたまたま講演に熊本に来ているという。仕事を終えたので、これから杖立の会場へタクシーで向かう、と。私たちスタッフ、そして参加者たちは興奮し、タクシーが到着する時間には皆が杖立川沿いの温泉街に飛び出して小松さんを待ちかまえたことを思い出す。
 小松さんはパワフルだった。サスペンダーが印象的で、のべつタバコを吸い続ける方だった。そして、宴会場の壇の上で「今書いている、日本が沈んじまう話」について熱く語られたのは忘れられない。それでも参加者たちは飢えた子のようにくだらない質問まで発して小松さんを逃がそうとはしなかった。──寝るときは、何を着ているんですか?「シャネルの五番だよ」──南北問題を、どう考えますか?「そんなのは鶴屋南北にでも訊いてくれよ」。どんな質問にも機知に富んだ答を返してくれた。
 貴重な時間を費やして山間の温泉宿までSFファンのために、足を伸ばしてくれた小松さんには本当に頭が下がる。SF界のブルドーザーとよく喩えられるが、同期の作家の方からも同様の話を聞く。
 あのときの小松さんの後ろ姿を見てSF作家になった人々がどれほど多いことか。SNSでの速報に呟く人々の多さを見てもわかる。私にとっても、あの夏のSF大会の小松さんのことは一生忘れられない。おかげでKYUCONは大成功でした。小松さん、どうぞ安らかにお休み下さい。小松さんの一ファンとして。合掌。



梶尾真治プロフィール