【小松左京氏追悼エッセイ】「小松さんの思い出」(抄)横田順彌

(PDFバージョン:komatusannnoomoide_yokotajyunnya
 初めて、小松さんに声をかけていただいたのは、どこかのお寺で開かれたSFコンベンションの休憩時間。ぼくが賽銭箱の脇に座っていると、うしろから誰かが肩を叩いた。
「おい、横ちゃん」
「えっ、あっ、小松さん!」
「知ってたか」
「知ってますよ。小松さんといったら……」「そんなことは、ともかくだ。横ちゃん、きみの『日本SFこてん古典』は、おもしろいぞ」
 こんなファーストコンタクトは、生まれてはじめてだった。「おい、横ちゃん」だもんね。
 小松さんは上京すると、SF作家の卵たちを、ホテルニューオータニに呼び寄せることが、しばしばだった。電話が鳴る。
「おい。みんなに連絡して連れてこい」
「なんの用事ですか?」
「用事なんかない。飯を一緒に食うんだ。必ずくるんだぞ」
 某氏いわく。
「小松さんは、いい人なんだけど、東京にくると飯を食わせてくれるのが問題だな」
 ちなみに、某氏はぼくではない。

 ぼくが結婚する直前。挨拶に行くと、小松さんがいった。
「横ちゃん、おれに初夜権を渡せ」
 渡せば、よかった。初夜権だけじゃなく全部。結局、離婚しちゃったんだから。

 小松さんの一日秘書を勤めたことがある。「なにをすれば、いいんですか?」
「ただ、ついてくればいい」
 そしてハイヤーであちらこちら、大きな会社に連れて行かれた。東宝映画に行ったら、田中友幸さんが現れた。小松作品の映画化の話をしている。小松さんがトイレに立ったら、田中さんが、ぼくに頭をペコペコと下げていった。
「横田さんからも、ぜひ口添えをしてください」
 ぼくは、どうしていいかわからない。
「は、はあ」
 帰り道、小松さんがいった。
「田中さんは、なにかいったか?」
「口添えをしてくれと」
「うんといえばよかったんだ。ただし、金はたくさん出せとだぞ」

『さよならジュピター』の原案を練る会に、呼ばれた。
「横ちゃん、なにか、いいアイデアはないか?」
「木星の大赤班を、大赤飯に変えるというのはどうでしょう」
「もう、次からこなくていいっ」
 それ以降、会には呼ばれなくなった。

「小松さん、ぼくを公認の弟子にしてください」
 食事中、どさくさまぎれに、お願いした。「うん。いい。どうでも。このギョウザはうまいぞ」
 とにかく、ぼくは小松左京公認のただひとりの弟子になった。

 ぼくが鬱病になった。
「小松さん、ウツになっちゃいました」
「そうか。横ちゃんも男になってきたな」
「はあ?」
「飲む、鬱、買うというだろう」

「横ちゃん、おれも鬱病になった」
「唯一、ぼくの勝ちですね」
「よーし。もっと酷いウツになってやろう」
 仕事でハンググライダーに乗ったことがある。
「大分県に行ってハンググライダーで、空を飛びました」
「ほう。そいつはすごい。東京から飛んで行ったのか?」
「いいえ。向こうで十分間飛んだんです」
「なーんだ。つまらんなあ」

 SF大会の時。
「横ちゃん。おもしろいものを見に行こう」「どこに行くんですか?」
「風呂だ」
 風呂場に行くと、ベレー帽なしの手塚治虫さんが、先に入っていた。
「な、おもしろいだろ?」
「は、はい」

「おい。マージャンをやろう」
「三人しかいませんが」
「いいよ。三人マージャンで。ルールは二ヌケだぞ」

               (終り)



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