「手品師の憂鬱」太田忠司

(PDFバージョン:tejinasinoyuutu_ootatadasi
 拍手が聞こえた。
 さして多いとは言えない観客の、あまり熱心とは思えない拍手だ。それでも私はシルクハットを脱ぎ、丁寧に頭を下げた。
 そして手にしたハットを天井目掛けて放り投げた。
 ハットは宙を飛び、高さ三メートルほどのところで停止した。私は取り出した懐中時計で時間を計る仕種をし、二十秒ほど経ってから片手を差し出した。ハットは木の葉のようにひらひらと舞いながら私の手に収まる。
 また拍手。
 続けて銀色のボールを取り出すと両手で挾み、胸の前に固定する。そのまま両手を広げると、ボールは空中に留まった。
 手を上に差し上げると、ボールも頭上に移動する。右に向ければ右、左に向ければ左。そして前方に手を差し出せば、ボールも勢いよく前に飛び出す。
 舞台ぎりぎりのところでボールを引き戻した。客席にまで飛ばしてはいけない。かえって怪しまれる。
 ボールの次は更に大きなもの――椅子、テーブルを宙に浮かせる。観客はそのたびに拍手をくれる。しかしそれは次第にまばらなものになっていった。当然だろう、物が違いこそすれ、ただ宙に浮かせているばかりなのだから。このあたりはもっと演出を考えるべきなのかもしれない。より客を驚かせ、喜ばせるような演出を。しかし私には、その能力はなかった。そもそも作り笑いさえ巧くできない不器用者な男だ。できるのはせいぜい、このくらい。
 最後に私自身の体を宙に浮かせた。それなりの拍手。
 ステージが終わり幕が下りる。楽屋に戻ると劇場の支配人が渋い顔をしてやってきた。
「いいんだよ。いいんだけどね」
 その続きは聞かなくてもわかる。
「もっとこう、レパートリーを広げることはできないものかね。何でもかんでも浮かせるだけじゃなくて、空中から兎を取り出すとか、絵に描いた犬が本物になるとか、あるいは壁抜けとか」
「すみません。そういうものは……」
 恐縮して俯く。
「観客というのは飽きやすいものなんだ。手品の幅を広げないと受けないよ。君との契約を継続するかどうかも、考えなきゃならん」
「すみません……」
 私はただ頭を下げた。どうやらこの劇場も潮時のようだ。また別の場所を探さなければならない。
 支配人が仏頂面で去っていくと、入れ代わりに若い男がにこやかな笑顔で近付いてきた。
「いや、今日も見事なステージでした。さすが親子二代の手品師ですね」
 つい最近この劇場に雇われた男だった。本名は知らないがステージネームは「ミスター・ミステリウム」という。私と違って派手な演出の手品を得意としていた。技術は正直なところまだ発展途上というところだが、見せかたは充分にプロの領域と言えた。
「それは、どうも……」
 適当に礼を言ってその場から離れようとしたが、ミステリウムは私を離さなかった。
「後学のために、是非とも手品の技術についてお教え願いたいのです。あなたの浮遊術は驚異の一言だ。私もああいう手品をやってみたいのですよ」
「それは、まあ、いずれ……申しわけない、これから予定があるもので」
 私はミステリウムの手を振りほどき、楽屋を飛び出した。
 そのままどこにも寄らず、定宿としている安ホテルに戻る。ドアを閉め鍵を掛けると、ほっと溜息が出た。
 テーブルにウイスキーのボトルが置いてある。手を伸ばすとボトルが宙に浮き、傍らのグラスにきっちりツーフィンガー注いで元に戻った。次にグラスが浮かび上がり、私の手許に寄ってくる。それを捕まえると、口に運んだ。熱い液体が舌と喉を焼く。
 ドアがノックされた。
 グラスを自分の手でテーブルに置き、ドアを開ける。
 立っていたのは、あの男――ミスター・ミステリウム。
「お邪魔でしたかね」
「あ、いや……」
「少々大切なお話をしに来ました。中に入らせてください」
 ミステリウムは私の許可も聞かずに部屋に入ってきた。
「なるほど、小ぎれいにまとまったいいお部屋だ」
「話というのは?」
 警戒していることを気取られないようにと心がけながら、私は訊いた。
「前置き抜きがお好きですか。では単刀直入に話しましょう。私はあなたの秘密を知っています」
「俺の秘密? どんな?」
「あなたの手品が、じつは手品でも何でもないということです。おそらくあなたは基本的なトランプ手品さえ知らないでしょう。知っていたら舞台で見せているはずですから」
「ほう、妙なことを言うね。では、俺が毎日ステージで演じているのは、あれは何だ?」
「簡単なことですよ。あなたの能力です」
「能力?」
「念動力、テレキネシス、いろいろ呼び名はあります。簡単に言えば意志の力で物体を動かす能力です」
「馬鹿な。俺にそんな能力があるとでも?」
「ええ、私はそう信じています。証拠? お見せしましょう」
 男はポケットから小さな液晶モニタを取り出した。スイッチを入れるとディスプレイに部屋を俯瞰した画像が表示される。
 背筋が寒くなった。まさか。
 ドアが開き、ひとりの人物が部屋の中に入ってきた。男が手を差し伸ばすと、テーブルのボトルが宙に浮き、酒をグラスに注ぎはじめる。
 私は思わず天井を見上げた。気付かなかった。部屋の片隅に小型のカメラが仕掛けられている。
「いつ、こんなことを……」
「一週間ほど前です。ホテルの従業員に鼻薬を嗅がせました。正直なところ私も驚きましたよ。あなたの手品のタネを知りたくて仕掛けたんですが、まさかこんな衝撃的な場面が見られるとはね」
 ミステリウムは悪魔のような笑みを浮かべる。
「超能力者というのは二種類いると聞いています。自分の能力をひけらかしたがる者と、隠したがる者。あなたは後者のようだ。絶対に誰にも知られたくないと思っていますね?」
「何が言いたい?」
「私はビジネスの話をしたいんです。あなたの秘密を公にしようとは思いません。あなたが私に協力してくれさえすればね」
「協力?」
「私のステージの補佐をお願いしたいんです。あなたの能力と私の演出力が合わされば、最高の手品を見せることができる。ただ椅子やらテーブルやらを宙に浮かせるなんて芸のないことはしません。もっと大がかりで見映えのすることをしましょう。私とあなたが手を組めば、この業界のトップに立てますよ」
「つまり、俺は裏方にまわり、おまえがスポットライトを浴びるということか」
「現代の手品は総合芸術ですよ。優秀なスタッフに支えられてこそ素晴らしいものができる。私と一緒に頂点を目指しませんか」
 私はグラスを再び手に取り、残っていたウイスキーを飲み干した。そして言う。
「おまえは勘違いをしている。俺は別に超能力者なんかじゃない」
「まだ白を切るつもりですか。あなたがこの部屋でどれだけ能力を発揮していたか、一週間分の画像を一緒に検討してもいいんですよ」
「だから違うんだ。俺にはそんな能力はない。これは」
 と、グラスから手を離す。グラスは床に落ちる寸前、宙に留まった。
「これは、俺がやっていることではないんだ」
「どういうことですか」
「おまえも知っているだろう。俺の親父は偉大な手品師だった。この国で最高の存在だった。俺は親父に憧れ、同じような手品師になりたいと思った。だから一生懸命修行した。しかし自分で言うのも何だが、俺は絶望的なほどに不器用だった。簡単な手品さえ満足に演じることはできなかった。
 親父は、そんな俺が不憫だったのかもしれない。病に倒れ死の床にあっても、俺のことを心配してくれた。そして言った。『息子よ、おまえのことは儂が守る』と。
 その言葉は嘘ではなかった。親父が死んだ翌日から、これが起こるようになったんだ」
 グラスは私の眼の高さに浮いている。私は話を続けた。
「親父は察しのいい人間だった。俺が何を望んでいるか、言わなくてもわかった。だから手を伸ばしただけで、俺の欲することをしてくれた」
「何を言ってるんですか」
 ミステリウムは嗤った。
「これがあなたの能力ではなく、死んだ父上の力だとでも?」
「俺は超能力なんぞ信じない。しかし霊の存在は信じている。今、俺の身近にあるものだからな」
 グラスが飛んだ。ミステリウムの頬を掠って壁に衝突し、粉微塵に砕ける。彼の顔から嗤いが消えた。
「ポルターガイストというんだったか。名前なんかどうでもいい。親父は今でも俺を助けてくれている。俺が息子だからだ。他人の手助けなどしない。おまえのために働くわけがない。それどころか、おまえは俺を危うくする敵だ」
 テーブルが揺れはじめた。ウイスキーのボトルを載せたまま宙に浮く。
「親父は、怒っているようだな」
 天井の照明が揺れ、壁に掛かった版画が落ちる。そしてベッドが震え、素早く横滑りした。
「うっ!?」
 ベッドはミステリウムの向こう脛にぶつかり、そのまま壁に押しつけた。
「や、やめてくれ!」
 彼の顔が引き攣っていた。自分がどんな立場に置かれたのか、身動きが取れなくなってやっと理解したようだった。
「俺に仇なす者を、親父は許さない」
「頼む! 父上に取りなしてくれ。私は、別にあなたを傷つけようとは――」
「まず親父に謝れ。自分の力を超能力だ何だのといい加減なことを言われて怒っているぞ」
「謝ります。悪かった。すみません!」
「次に俺に謝れ。下衆な取引など持ちかけやがって」
「ああ、悪かったです。申しわけありませんでした!」
 ベッドが動いた。自由になったミステリウムは、しかし向こう脛を押さえて蹲る。
「さっきの取引はなかったことにしてやる。ここで見たことは誰にも言うな。もし口外したら、どこにいようと親父がおまえを呪い殺す」
「わ、わかりました。決して誰にも……!」
「じゃあ、出ていけ」
 ドアが開く。ミステリウムはこけつまろびつ逃げ去った。
「莫迦が」
 ドアを閉じると、私はベッドに座り込んだ。
「超能力者は怖くないのに、幽霊には怯えるか。愚かな奴だ」
 粉々に砕けたグラスに手を翳す。破片はひとつにまとまり、元の形を取り戻した。
「この能力も、手品に応用できないかな」
 呟きながら、グラスにウイスキーを注ぐ。
 一口飲んでから、すでにいなくなってしまったミステリウムに言った。
「俺の親父はな、息子に手を貸してくれるような人間じゃなかった。生きてるときも、もちろん死んだ後もな。俺は何もかも、自分ひとりの力でやってきたんだ。何もかも」
 ベッドに横になり、残った酒を飲み干す。疲れていた。今日は少々、力を使いすぎたようだ。
 グラスをテーブルに置いてから、私は眼を閉じた。



太田忠司プロフィール


太田忠司既刊
『奇談蒐集家』