「under construction」樺山三英

(PDFバージョン:underconstruction_kabayamamituhide
 九月から六本木の森美術館でメタボリズムをテーマにした展示が行われている。メタボと言えば、樺山も最近はお腹周りが気になるお年頃である。そういうわけで、さっそく見に行くことにした。とはいえ実はこちらの展示、肥満とかダイエットとかとはまったく関係がない。正式なタイトルは「メタボリズムの未来都市展」、副題が「戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」。つまりは建築にまつわるお話である。メタボリズムとは元来、新陳代謝を意味する生物学の用語。それを転用して、一九六〇年代に提唱された建築理論および運動が、この展示のテーマである。これだけ聞くと、やや地味な印象かもしれない。ところがところが、さにあらずで。ここに体現されているのは戦後日本が夢見た未来史、オルタナティヴなビジョンそのものだ。現実の建設プラン・都市計画が時にSFの域に達する。そんな「ありえたかもしれない」日本を垣間見せてくれる、稀有な企画なのである。

 だがそもそも、新陳代謝=メタボリズムの建築とは何か? 簡単に言えばそれは、生物のような建築のことだ。生物が細胞を入れ替えるように、空間や設備を取り替え、機能・形態を変化させることで有機的に成長していく建物。それは機械的・固定的な近代都市建築に対して、柔軟で拡張性のあるプランを志向する。有名なのは、塔を中軸にしてそこにいくつもの居住カプセルをくっ付けていく工法である。大阪万博の「エキスポタワー」、銀座の「中銀カプセルタワービル」など、斬新な建造物をじっさいに生み出している。しかしこれ以上に衝撃的なのは、この理論が都市計画のレベルに拡張されたとき出現する、メガストラクチャーのイメージだろう。人工大地をベースにした農村都市、東京湾を横断する海上都市、新宿上空の空中都市など、荒唐無稽すれすれの強烈なビジョンが展開されている。
 ちょっと驚いてしまったのが、当時のパンフレットに寄せられたアピール文だ。「放射能の雨によって全人類が滅亡したとしても」と、時節柄ぎょっとする文言がある。「いずれの日にか、例えば他の天体からこの地球を訪れた宇宙人は、地球人が遺した数々の物体によって、地球上に高度な文明が存在したことを知る。……地球人の意志や感情を彼等に伝えることの出来る唯一の言葉は、人間が、すなわち建築家やデザイナーが、物に与えた形だけなのだ。人類の滅亡の後も、物のみは残るだろう。かくして建築家およびデザイナーは、人類の危機に際しても、偉大な楽天家たりうる」――建築家とは、かくも偉大な人種だろうか。こんな強烈な自負を見せつけられると、物書きの端くれとしては複雑な心境になってしまう。たしかに宇宙人は、わざわざ小説を読み解いたりはしないだろうな……。

 しかし身も蓋もない言い方になるが、こういうのを見ていて感じるのは、昔の日本は景気が良かったんだなあということである。じっさいこのメタボリズムのビジョンは、高度経済成長下、右肩上がりの成長期にあった日本の現実と切り離しては考えられない。止まることのない成長神話こそが、不可能なユートピア計画を支えていたのだ――そう指摘して、批判的にとらえる向きもあるらしい。たしかに、いわゆるメタボリストたちの活動が最盛期を迎えたのは六〇年代から七〇代初めにかけてだった。そして一九七三年の第一次オイルショック以降、社会の中で楽観的な未来信仰が薄れていくと共に、統一した運動の熱を失っていった。だがこのことを以て、メタボリズムを単なる時代のあだ花と決めつけるのは早計だろう。事態はもっとより広く深く、日本の戦後史にかかわっている。自分にとって、もっとも興味深かったのもその点だった。
 展示の冒頭、メタボリズムの思想的起源として提示されているのは広島平和記念公園である。戦後日本の復興の歩みが、まさにここから始まっている。戦争によって荒廃した国土、それを建て直すには、すべてをゼロから始めなければならない。さらに急ピッチで進む復興に合わせ、めまぐるしく変化する状況の中、十年二十年先を見越してプランを立てなければならない。もちろんこうしたプロセスは、諸外国でも同様だったろう。だが日本の戦後はすべてが高濃度に圧縮され、極端な時間軸に沿って進んでいた。戦後復興から高度経済成長までが、ほとんど継ぎ目なく繋がっている。メタボリストたちに活躍の場を与え、その運動を条件づけたのは他でもない、こうした特異な状況だったのではないか。新陳代謝を繰り返し、絶えず変転の中にある建築――それは戦後日本社会の姿そのものだったのかもしれない。
 壮大な建築への意志は、その背景に戦後の焼け野原を持っている。そう考えると、さきほどのアピール文もちょっと違って見えてくる。普通に読めば、尊大な自己主張とでも取れる内容だろう。だがここには同時に、建てた途端に人の手を離れ、荒廃していく建物のイメージがある。どんな建物も、完成と同時に廃墟となるべく運命づけられている。すべてはやがて無に帰すという虚無感。そこでは、建てることの意味と無意味が、ぎりぎりの地点でせめぎ合っている。華々しいメタボリズムの活動は、たぶんこうした負の衝動と無関係ではなかった。敗戦という重い現実が、長くて暗い影を落としていた。建築家たちの矛盾はもちろん、我々の社会全体が抱え込む矛盾でもある。

 メタボリズム・グループの活動の頂点は、やはり一九七〇年の大阪万博だっただろう。その会場設計には、多くのメンバーが携わっていた。特に中心に位置するお祭り広場には、それまでに蓄積された工法・技術の粋が尽くされた。情報によって制御される、未来都市をモデル化したものだ。情報という究極の流動性を束ねる、容器としての建築あるいは反建築。それはたしかにメタボリズムがたどり着いた一つの結論だったと言える。だがそうした理論が、どれほど理解されていたのかは疑わしい。人々の印象に残ったのはむしろ、その建築を下から貫き、穿ち、喰い破る《太陽の塔》の方だっただろう。抽象的でどこまでも透明を志向する建築と、生命を謳歌するキッチュなモニュメント。両者の取り合わせはどこか、《その後》の日本の予兆のようにも見えてくる。
 万博の年の十一月に、三島由紀夫が割腹自殺をする。七二年に、浅間山荘の立てこもり事件。七三年が先述のオイルショックで、七四年に田中角栄が首相を辞任。大まかに見ていくだけでも、時代の節目という感じがある。祭りが終わって《その後》が始まる。グランド・セオリー無き社会には、メタボリズムのような《前衛》思想は必要とされなくなっていたのかもしれない。八〇年代、バブル景気に沸く都市からは、有機的成長云々というより、生命のカオスそのものが露出したような印象を受ける。ウィリアム・ギブスンが描いた日本は、その絶妙な戯画たりえていた。退廃とハイテク犯罪のチバ・シティー、ナノテクにより自己増殖を続ける震災後のトウキョウ。果てしない分裂と肥大、その代謝不全。メタボリックシンドロームという今日的用法の方が、うまくあてはまりそうな感じがする。もっともほんとうの今現在から振り返るなら、バブル期でさえ遠い過去の時代なのだけども。

 ところで一九七七年生まれの筆者は、上述の出来事のどれもリアルタイムでは知らない。現代史はどうも、一九七〇年代を境に大きく分断されているのではないか。そんな感想をよく持つのだけど、良くも悪くも自分の記憶はごくごく限られたものに過ぎない。だからメタボリズムを担った人々が、どれだけシビアでシリアスだったかも、よくわからないというのがほんとうのところだ。また展示では当然、戦後の復興と東日本大震災後の復興とが重ねわせているわけだけど、そうした大がかりな視点自体が、ややもすると時代がかったものに感じられたのも事実だ。とはいえこうした違和感を含め、学ぶことの多い展示だと思う。書き出すときりがないからやめておいたが、大阪万博の問題については、検討すべき点がいっぱいあることも思い知らされた。岡本太郎の《その後》の転向、梅棹忠夫と京大人文研、そしてもちろん亡くなったばかりの小松左京と現代SF――多種多様なトピックが、そこには含まれている。こうした文脈をどう引き継いでいくかが、現今の我々の課題なのだろう。要するに「継ぐのは誰か」ということだ。あんまりのんびりしてもいられない。

*展示については以下のURを参照
http://www.roppongihills.com/feature/metabolism/metabolism.html



樺山三英プロフィール


樺山三英既刊
『ハムレット・シンドローム』