「中二UMAは実在した! 2年C組放課後の教室に謎の少女を追え!」吉川良太郎

(PDFバージョン:chuu2UMAhajituzaisita_yosikawaryoutarou

「巨大怪蛇ナーク! タイ秘境底なし沼に恐怖の魔人は実在した!」
「謎の猿人バーゴンは実在した! パラワン島奥地絶壁洞窟に黒い野人を追え!」
「ワニか怪魚か!? 原始恐竜魚ガーギラスをメキシコ南部ユカタン半島奥地に追え!」


「声に出して読みたい日本語」と言えばまず筆頭に挙げるべきは
「『水曜スペシャル』川口浩探検隊のサブタイトル。全部」
 といえば同年代の男子諸君は今モニターの前で深くうなずいてくれていることだろう。うなずくよね。少なくともぼくはうなずくから続けるが。
 この闇雲なテンション。ワールドワイドなインチキ臭さ。「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」とスポンサー日本ハムのCMコピーと見事なマリアージュを果たした冒険のロマンチシズム。今にして思えば子供だましな企画なんだが、こっちは本当に子供だったのでコロっと騙されたものだった。
 しかし時は過ぎていく。
 半ズボンを脱ぎ、詰襟の学ランを着るころには、もう底なし沼にはまる探検隊員にハラハラしたり猿人バーゴンにワクワクしたりすることもなくなった。インチキに熱狂するほど子供でもなかったし、インチキだと知った上で楽しめるほど大人でもなかった。川口浩探検隊を茶化した嘉門達夫のコミックソングが流行り、ほんの数年前までの自分を「子供のころはさあ」とか半笑いで思い出したりしていた。
 そんな大人と子供の端境期――じつはその時期こそ、現実にUMAが現れる人生の逢魔が時なのだということを、当時のぼくらは知るよしもなかったのだった。

「中二UMA」と、ぼくが勝手に呼んでいる存在がある。
 妖精は純真な心を持つ子供にだけ見えるという話があるが、これは「中二」という人生でもっともダサい季節にだけ見えるという未確認生物である。
 一口に中二といっても各自各様というか悲喜こもごもというかまあ人生いろいろなわけだが。クラスにはジョッグス(スポーツできたり頭良かったり。クラスのエリート層ですな)もいればオタク(言わずもがなのクラスの最底辺。オタクが人間扱いされなかった時代を今の子供は知るまい)もいる。筆者は後者のような、友人たちと教室で当時大流行の『ロードス島戦記』なんか読んでディードリットがどうしたこうしたと盛り上がり女子から「男子って子供よねー」と蔑んだ目で見られる――といった連中からもさらに離れたところで、かびくさい古本で文庫の『ラヴクラフト全集』など読みながらニャルラトホテプがどうしたこうしたと盛り上がっているような、クラスという大海の最果てに浮かぶガラパゴス諸島のウミイグアナのような生物(クラスの不可触賎民)だったわけだが。
 ともかくそんな、誰と奪い合う必要もないコンブかワカメでも食べながら日向ぼっこして孤独に生きているアウトカーストにも、この時期にはそうしたUMAの目撃例が多発するのである。
 たとえば。

 放課後の教室。一人ぽつねんと本を読んでいると、教室の戸がカラカラと開いてクラスメートのちょっとヤンキー気味のキツい女子が現れる。こまった。苦手な相手だ。しかし彼女は目が合うと、照れくさいような、すねたような顔で入ってくる。
「なに。いたら悪い?」
「あ……いや、いいです」
 思わず敬語。気まずい沈黙。やがて机に座って女の子がポツリとつぶやく。
「いつも、本読んでるよね……放課後」
 うん、まあ、そうだね、とか言いながら、なにか引っかかる。
 あれ? なんでぼくが放課後の教室で、いつも本読んでるって知ってるんだろう……

 どうだろう。どこかで聞いたことがある、ないし一度くらい経験がある話ではないだろうか。もちろん事例によって異同があるのはよくある話で、他に登下校中、文化祭、体育祭の準備期間中など様々な場所・状況での遭遇例が多数報告されているあたりはイエティ・ビッグフット・ヒバゴンなどの差異にも似ている。
 これらUMAを目撃したら十分に気をつけてほしい。まずは接触についてだ。むろんいくらキツイ女子でも牙に毒があったり首筋に管状の長い舌を刺して血を吸ったりというチュパカブラみたいな報告はまだないが、うかつに接触を試みると思わぬ防衛行動をとられる場合がある。死亡例はないが、死にたくなるような目にあった探究者は少なくない。
 そしてもっとも重要なのは慎重な確認である。モスマンやツチノコなどの多くの目撃例がそうであるように、残念ながらこれらは「UMAを目撃したい」という無意識的な願望による誤認や思い込みであることがほとんどだからだ。女の子の目は恋する少女ではなく珍獣を見る目だったしな。ていうかこっちがUMAだったのか!
 書いててなんだか二〇世紀初頭に人間に発見されたゴリラのような気分になりました。でも地球が猿の惑星になった暁にはきっと「二○世紀初頭にゴリラが人間を発見した」ことになってるに違いない。まあそれはいいんだ。閑話休題。

 ……ここまで書いて面倒くさくなってきたのではっきり言うが。
 要するに恋愛の勘違い。思春期にありがちな。オタクの場合そこんとこどうなのか。
 これをUMAに見立ててつらつら語るのがこのコラムの趣旨である。最初からそう言えよ。言えないのがオタクの恥じらい。あるいは屈折。それはともかく。
 中二といえば十四歳。ねえやが十五で嫁に行ったのははるか昔の話で、人並みに異性に興味はあれどまだ度胸もなければさほどの切迫感もない年頃。しかし、大人になればまあフツーにいい人に出会えるんじゃないのとか言われたりもするが、オタクはそろそろ自分がフツーじゃないことに気づき始める年頃でもあったりする(たいていは後に自分が呆れるほどフツーであることに気づかされ、それはそれでガッカリしたりするのだが。それはまた別の話だ)さらに田舎の中学だとフライング気味に大人の階段のぼるシンデレラもちょくちょくいたりするのだが、自分がうかつに階段を上ろうとすると額を割られて池田屋の階段を落ちていくのが関の山と十分に想像できる、奥ゆかしくもイマジネーション豊かな連中にはそんな度胸などついぞないのだった。
 そして、ちょっと焦り始める。大丈夫かぼくは。このまま一生ガラパゴス島でワカメ食ってさびしく死んでいくんじゃないのか。
 しかしこれはジョッグス連中にもある感情で、オタクに限らないことらしかった。ある秋の放課後、なぜかそこそこ仲が良かったバスケ部員でやや不良のTくんがプール脇の物陰で煙草(赤ラーク)をふかしながら呟いた、
「ていうかさあ……ヤってんだよな。何割かは」
 なにをヤってるというのだ。盗んだバイクで走りだすとか夜の校舎窓ガラス壊してまわるとかじゃないことは確かだった。しかし互いにそれ以上なにも言わなかったのはあのダサい季節の少年たちの奇妙な矜持だったのだろう。そんな無知で無邪気な中二男子の会話に、一瞬漂った気まずい沈黙の中、ぼくはただ黙って紙パックのコーヒー牛乳をすすっていたのだった。
 まあともかく、そんなうっすらとした、しかし確実に忍び寄る影のような思春期の焦り。それが流木をネッシーに、ヒグマをイエティに、ただなんとなく自分に興味を示してくれた女子を恋する少女に誤認させてしまったりするのだった。

 かつて幸福な島があった。イグアナがイグアナとして生きられた平和な時代があった。
 だがやがてイグアナは悩み始めた。自分はいつまでイグアナでいられるのか。このままこの孤島に安住していていいのか。自分はどこから来てどこへ行くのか。彼は悩んだ。でもイグアナだからわかんなかった。
 そして、しかしまあわからんなりになんとかせねばと思い立つ、ある春の日がやってきた。

 ……なんだか早く人間になりたい『妖怪人間ベム』(間違っても主演はジャニーズではない)のようだが、むしろその後『ガンバの冒険』エンディングテーマ(死にたさ120パーセントの名曲。知らない人はサントラを探して聞いてみよう。さあ早く!)を耳にタコができるほど聞く羽目になろうとは、このときイグアナの小さな脳ミソには予想だにできなかったし、Tくんにまつわる意外な真実もまだ知るよしもなかったのだが、それはまた別の話である。

 続く。



 (読者の御指摘により加筆修正しました。ありがとうございました。2013年6月18日)



吉川良太郎プロフィール


吉川良太郎既刊
『解剖医ハンター 2』