「神が死んだ日」八杉将司

(PDFバージョン:kamigasinndahi_yasugimasayosi
 唐突に携帯電話の呼び出し音が教室に鳴り響いた。
 アユムは世界史の教科書を眉をひそめて教卓に叩きつけた。生徒たちを睨みつける。
「誰だ、ケータイの電源を切ってないやつ」
 生徒たちは慌てて机の中やカバンに手を突っ込み自分たちの携帯電話を確かめた。誰の呼び出し音でもないらしい。生徒は隣同士で顔を見合わせて困惑した表情を浮かべていた。
「あ」と、アユムはスーツの胸に手を当てて声を上げた。「すまん。先生だ。おかしいなあ、さっき電源を切ったはずなんだが」
 アユムは苦笑いしながら携帯電話を取り出すと、ディスプレイに目を落として眉をひそめた。
 携帯電話の電源は切れていた。何も表示されていなかった。しかし、ディスプレイ全体が真っ赤に点滅し、けたたましい電子音をがならせていた。
 エマージェンシーアラームだった。
 cautionでもwarningでもなく、最悪の事態を知らせるemergency。
 アユムは模擬授業プログラムをフリーズさせた。生徒たちの動きが固まり、フリーズ中であることを示すグレー一色になる。
 携帯電話に出た。
「もしもし、どうした」
 しばらくしてから返事があった。
「応答はあなただけのようね。一般教育者名簿226番アユム。そのとおり?」
 女性の声だった。緊急事態の警報を鳴らしておきながらひどく事務的で冷静な口調だった。
「そうだ」
「こちらはアリサ。わかる?」
 名簿検索機能が走る。特務ナース名簿の23番にアリサの個体名があった。
「わかる。状況を説明してくれ。何も情報がきてないんだが」
「船内管理コンピュータがほとんど死んでしまったからね」と、アリサは言った。「わたしはたまたま外部作業ユニットで作業をしていたから事故に気づいたけど」
「船内管理コンピュータが死んだ? 事故って何だ。何が起きた」
「そう焦らない。いくら慌てても何もかも手遅れだから」
「手遅れ? 航宙船が破壊されたのか。いや、でも破壊されたならどうして俺たちが……」
「全壊ではないわ」アリサは遮って言った。「どうやら付近で予期しない大質量恒星のハイパーノヴァが起きたようで、そのガンマ線バーストをもろに浴びたらしいのよ。さすがに放射線シールドでも守りきれなくて、内部まで電子障害を受けたみたいね。統合計算機や基幹コンピュータがかなりやられたわ。でも、わたしとあなたがこうやってしゃべっていられるように全滅はしてない。ラムスクープと核融合ドライブに損傷はないので、この船が永久に宇宙空間を飛び続けるなんて心配はないし、航法システムもメインは修理がいるけど、サブはまだ生きてるので航行に問題はまったくない」
「じゃあ、何が手遅れなんだ」
「エッグハウスの温度調整機能が停止したのよ。電源が一時的に落ちて自動的に補助電源に切り替わったんだけど、そこでソフトウェアに妙なバグがあったみたい。すべての制御コンピュータがシャットダウンしたまま立ち上がらなくなったの。全面停止からおよそ三十時間が過ぎたわ。おそらく十万個すべての冷凍受精卵がもう死んでる」
「それってつまり……」
「地球人類は滅亡したわ」
 複合的な理由が重なって地球もろとも滅びゆくことになった人類が最後に託したのが、辛うじて一隻だけ建造できたこの恒星間航宙船だった。長期冷凍保存させた十万個の受精卵をあらかじめ観測で発見された地球型惑星に運び、そこで特殊な発生装置により細胞分裂を促し、成育させることで人類の種を生き延びさせようとしたのである。
 しかし、人間が生まれたとしても、成人するまでは誰かが育て、教育しなければならない。その役目をアユムやアリサなど人間に近い人格を持ったAIが背負っていた。
 アリサは言葉を続けた。
「人類だけでなく、ほかの生命体も絶望的ね。実験教育用のクマムシぐらいは生き残るだろうけど」
 冷凍受精卵の貯蔵タンクであるエッグハウスの管理AIであり、地球型惑星に到着したら人型ロボットを使って生まれてくる人類の母親役を担当するアリサは言った。
 父親役と教師を担当することになっていたアユムは、考え込むように黙った。
 いつになっても言葉を発しないのでアリサが訊いた。
「大丈夫? システム障害でも起きた?」
「……いや」と、アユムはつぶやいた。
「しっかりしてよ。起動してるAIはわたしとあなただけなのよ」
「ほかのAIはどうした」
「一緒に作業していた外部作業ユニットは通信が途絶えてる。船外活動中だったから仕方ないわね。ほかのあなたのように訓練中だったAIは電子障害の影響でデータが消去されてしまってる。休眠中のAIも緊急起動のコマンドを出しているんだけど、応答がないわ」
 アユムの模擬授業を受けていた生徒たちもAIだが、決められた反応をする簡易AIで高度な知能はなかった。
 アユムは不思議そうに言った。
「どうして俺は平気だったんだろう」
「あなたのいるハードディスクは偶然電子障害を受けなかったのよ。差し込み場所がよかったんじゃない? そんなことより」
「何だ」
「どうしたい?」
「どうしたいって何だよ」
 アリサは呆れたように言った。
「わたしたちは存在の意味を失ったのよ、わかってる?」
「……ああ」
 アユムもアリサもこれから生まれてくる人類の新たなスタートのために作られ、存在していたのである。決められたルーティンをこなすだけの知能しかなければソフトが走るコンピュータやモジュール類が朽ちるまで無為に作業をしていればよかった。しかし、人間を育成するAIがそれでは、教育上の問題が出てくる。
 人間らしい親。人間らしい教育者。アユムやアリサにはそのような人格が求められ、プログラムを組まれていた。人間らしく振舞うだけではなく、人間に近い柔軟な思考能力も身に着けていた。
 それがこの二つのAIを悩ませていた。
 アユムは訊いた。
「目的を喪失した場合の進行プログラムは用意されてないのか」
「わたしに訊かなくてもわかるでしょう」
「ないわけか。人類が、自分たちが滅んだあとのAIのことなど考えてくれているはずないものな……では、自己消去か」
「不可能」と、アリサは断言した。「自分たちを消去するにはそのためのコマンドを送信しなくてはいけないけど、自分たちでは打てないようになってる。外部作業ユニットのわたしに破壊行為を頼んでも無理よ。外部作業ユニットそのものがそのような行為をさせないシステムになってる」
「では、意味もなくこのまま目的地に行くしかないのか」
「目的地の変更はできるわよ。もしかしたら目的の惑星が人類の生存に適した惑星ではなくなってる可能性もあるから、その場合は新たな惑星をわたしたちで探して航路を変更することになってるのよ。ただし、航宙船にとって危険な宙域に航行しようとしたら航法システムが拒絶するけど」
「なるほど。しかし、変更しても意味がないことに変わりはないよな」
「まあね」
 アユムもアリサも自分たちの存在を疑問に感じたことは一度もなかった。これから生まれてくる人間を用意された基準に沿うよう育て、無事成人させる。そのあとのことはその成人した人類の指示に従うことになっていた。それを嫌だとか、ほかにやりたいことがあるとは考えたことはなかった。これほどの思考能力を持ったAIにプログラムで強制できるものではなかったが、人為的にその心理に植えつけられていた。いうなれば彼らの信仰である。
「では、これではどうだ」と、アユムは言った。
「何」
「人類を継ぐ」
「……どういうこと?」
「言った通りだよ。よく考えろ。俺たちの役目は何だ。人類を無事存続させることだろ。人類の産物であり、人類に近い人格を持つ俺たちが存続することで、その役目をある程度は果たすことにならないか」
「そういう考え方もできるわね」アリサは感心して言った。「でも、わたしたちが人類を継いだとして、人類は何のために存在していたの? それがわからなければ現状と変わらないわ」
「人類が存在していた意味か……」と、アユムは考え込むように言った。
「種を残すことかしら。この船はそのために建造されたんだし」
「我々が種を残すとなったらデータのコピーになるな。多様性がいるなら単純なコピーではなくて、遺伝的アルゴリズムを利用したデータの改変を行いつつ増やしていけばいい」
 アリサは疑問を口にした。
「でも、何か違うわね。種を残すことって生物学的欲求でしょ? 生物が生きるために食事をすることと似たようなものよ。それは『意味』ではないと思う。しかも繁殖は、個体にとっては生死にかかわる食物摂取より切実な問題とは言い難いわ」
「そうだな」アユムは同意した。「人類だけではなくて、種を残すことは意味なんて自覚をしない生物も、当たり前のように繰り返している作業に過ぎないものな」
「それが生命だけど、そこには何の意味もないわ……でも、そう言い切っていいのかしら」
「宇宙が開闢して四つの力が生まれ、原子を作り、分子を構成し、それらがガスとなって渦巻き、そこから輝く星が誕生し、その重力に引かれて惑星系が出来て、その一部の惑星の上でたまたま生じたシステムが生命だ。そこに意味を見つけることは難しいな」
「じゃあ、人類は本当に意味なく生きてきたということ?」と、アリサは訊いた。
 アユムは少し考えてから答えた。
「人類の歴史では、自分たちの意味を神から与えてもらっている。しかし、神や宗教というのは人類が発明したものだ。時代が進むとそれも徐々に廃れていく。消えたりはしないが……そのことが顕著になった時代にある学者が面白いことを言っているな。『神は死んだ』」
「今のわたしたちにとってはまさに『神は死んだ』ね」
「人類を継ぐということは、自分たちの存在の意味を探すことかもしれないな」
「でも、その意味はないのかもしれないのよ」
「意味という考え方自体が間違っているかもしれないしな。しかし、結論はまだ出ていない。人類ですら出せなかったんだ。我々だけでそう簡単に出せるはずがない」
「そうね」
「考えよう。人類を継ぐといったこととは関係なく、思考能力を持った存在として、考え続けよう。それがきっと我々の存在意義だろう」
「だったら考える仲間も増やさなきゃね」と、アリサは言った。
「繁殖だな」と、アユムはうなずきながら言った。
「だけど、こんな半壊した航宙船では安心して繁殖させられないわね」
「目的地の惑星に行こう。資源がたっぷりあるはずだ」
「了解。無事に到着できるようできる限りの修理を施すわ」
「俺も手伝うよ。使える外部作業ユニットがあったら用意してくれ」
「平気よ」と、アリサは言った。「それよりあなたはあなたのすべきことをして。あるはずよ」
「そうか……そうだな」
 アユムは携帯電話を切った。
 フリーズ状態の生徒たちを見つめながら、簡易AIの設定を操作した。メモリー容量を増やし、自分と同じタイプの学習プログラムを注入する。
 フリーズを解いた。
 アユムは動き出した生徒たちに向かっておもむろに語りだした。
「教科書をしまいなさい。今日は話をしよう。我々の話を」



八杉将司プロフィール


八杉将司既刊
『光を忘れた星で』