「怪奇植物ツツジの侵略」―豆腐洗い猫その8―間瀬純子


(PDFバージョン:kaikishokubutu_masejyunnko
『読めば読むほどむなしくなる! かわいい猫の妖怪、豆腐洗い猫の悲惨な冒険』


 前回までのあらすじ/豆腐洗い猫は、背中にツツジの枝を六十本挿し木され、生い繁ったツツジになかば体を乗っ取られている。


一、調布ツツジ『サイコパス調布』の誕生


 人類や豆腐洗い猫は、徹底的に植物のご機嫌を取り、媚びへつらわなければならなくなった。
 豆腐洗い猫の背中に生えた六十本の久留米ツツジが言う。「人類よ、猫よ、君らはいったい誰のおかげで呼吸できとうと思うとんや!」
 それはまったくもっともであるのだが、かつて植物がそのような主張をしたであろうか? 何故そうなったか、今後二回にわたって、その悲劇的な経緯を追っていってみよう。

 前回、『ホテル豆腐洗い猫』の経営に失敗した豆腐洗い猫は、背中に六〇本のツツジを生やしたまま、東京都調布市つつじヶ丘、京王線『つつじヶ丘』駅前にある『ツツジ猫廟』に戻ってきた。
 ツツジ猫を祭る祠である。親切な、多摩川沿い在住の神様・大調布比古命(オオテヅクリノヒコノミコト)様が作ってくださったものだ。

 つつじヶ丘駅前ロータリーにはツツジの植え込みがあり、その植え込みの中央に、『ツツジ猫廟』はひっそり建っていた。
 高さ一メートルあまりの、おわんを伏せた形の祠である。
 葉っぱの細かいツツジを刈り込み、猫の頭をかたどったトピアリーにしてある。内部は空洞で、猫が住めるようになっていた。
 空洞の中には、エドワード・ホッパー描く『久留米藩士・坂本元蔵(久留米ツツジの生みの親)の肖像』が掛けられ、その下でお線香が焚かれ、色とりどりのろうそくが燃やされ、まるでこのツツジ猫廟のご神体のようだった。紙粘土で手作りした坂本元蔵フィギュアが飾られ、注連縄(しめなわ)がツツジ猫廟を取りかこんでいた。

 豆腐洗い猫はあまり御利益はないが、いちおう元・神だったから、いっしょうけんめいおみくじを販売したりして、みんなの楽しみや幸せに役立とうとした。おみくじは豆腐洗い猫が、つたない和歌を詠み、へたくそな字で一枚一枚書くのだった。
 時々、参拝客がお賽銭をくれた。

 そうやって猫は背中に生えた六十本のツツジに栄養を吸い取られながら、ツツジ猫廟で暮らしていた。いちおう祠の入口に『とうふあらいます』という看板が掛けられていたが、もちろん、誰もツツジの植え込みなんかに豆腐は持ってこない。
 背中のツツジたちは、びっしり咲いたツツジの薄い花びらを開いたり閉じたりして、しきりにおしゃべりをした。

 ツツジには視覚を司る器官はないので、ツツジたちは豆腐洗い猫の目と視神経を使い、植え込みに捨てられ、雨水を吸ってページがふくれあがった雑誌や新聞を熟読した。だからツツジは物知りで、政治・経済・文化・社会問題などについて、さかんにツツジどうしで議論する。

 真っ赤な花を咲かせる『今猩々』(いましょうじょう)が言う。
「ナショナルジオグラフィックに砂漠化進行問題でとったでえ」
 白や桃色に咲き分ける『常夏』が答えた。
「砂漠化! あかんなあ」
 花の端が鮮やかなピンクに染まる、覆輪咲きの『泉の舞』が言う。「ところで、今月号の『まんがグリム童話』(ぶんか社)の大人気連載『金瓶梅』の続きが気になってなあ」
 『麒麟』が言う。「サカタのタネのカタログ、またバラがぎょうさんページ取っとう。バラのやつら、賄賂でも送っとんちゃうか?」
 『窓の月』が言う。「今日の天声人語はベニカナメモチの生垣問題やわ。葉っぱが真っ赤で下品でみんなの迷惑やて。条例で禁止するべきやわ。いやー、憲法に盛り込んだほうがええ」

 おしゃべりはずっと続き、ツツジたちに栄養を吸い取られ弱った豆腐洗い猫にはとてもこたえた。が、猫の神経は大部分、ツツジの細い根に牛耳られているので、ただぺったり豆腐ベッドにうつぶせに寝ているしかなかった。

 そんな日々であっても、植物はちゃくちゃくと活動を続ける。調布市つつじヶ丘にも新緑の季節がやってくる。ツツジが六十本も生えていれば、知らないうちに実が出来るのだ。そして種が。ああ。新しい芽が柔らかく芽生える。
 調布ツツジ『サイコパス調布』の誕生だった。

 調布ツツジ『サイコパス調布』の特徴。
 常緑低木、赤と白と紫の絞り咲き、四季咲き、花の直径は五〇センチである。これくらい大きいと肥料もたくさんいる。
 豆腐洗い猫がお賽銭やおみくじでいっしょうけんめい貯めたお金ではとても足りないのだった。
 花には蜜が二リットルくらい溜まっている。

「うわあ、パラシュートみたい!」と、ツツジ猫廟に顔を出した、頭陀袋真華(ずだぶくろ・まか)ちゃんが言った。
 真華ちゃんは小学校二年生、ツツジと猫が好きな、利発な女の子である。学校が終わると、いつもツツジ猫廟に遊びに来るのだ。

『♪とうふ、とうふー。おいしい手作り豆腐はいかがですかー♪』
 楽しい音楽を流しながら、豆腐販売カーが駅前ロータリーをぐるりと一周し、ツツジ猫廟の前で停まった。真華ちゃんのお母さんの頭陀袋留美子(るみこ)さんが、豆腐販売カーから降りてきた。 
 白衣に白い長靴という姿で、髪をきりりと結び、三角巾でおおっている。真華ちゃんはお母さんに飛びついていった。

 頭陀袋留美子さんは、自宅でこだわりの豆腐を限定製造し、こうやってスバルのライトバンで街を巡回して販売しているのだ。
 まだ留美子さんの豆腐製造のキャリアは浅い。しかし猛勉強中であるし意志は固い。留美子さんの目標はいつか、お金を貯めて、もっと良い大豆を仕入れ、自分の豆腐屋を開くことである。

「見て見て、お母さん、ツツジ猫ちゃんに新しいお花が咲いたの」
「うわー、すごいきれい、大きいツツジねえ」
 ツツジの花は枝先にいくつか固まって咲く。
 今はサイコパス調布の大きな花がふたつ、猫の背中で絢爛たる絞り咲きをひるがえしていた。その下で、まるで晩年の谷崎文学みたいにエロティックな深い桃色の『老いの寝覚め』や真っ白なペンキを塗ったようなダブル咲きの『暮の雪』がびっしりと小さな花をつけているのだった。

 留美子さんが豆腐洗い猫に言った。「ツツジ猫ちゃん、いつも娘と遊んでくれて、ありがとうね」留美子さんは新米とはいえ、れっきとした豆腐屋さんである。そんな留美子さんにも区別がつかないほど完全に、もう豆腐洗い猫は、ツツジ猫にしか見えなかった。

「お仕事お疲れさまですにゃー♪」ツツジが猫の体を動かし、おもしろおかしく歌ったり踊ったりした。
「♪赤いツツジはきれいだにゃー、白いツツジもきれいだにゃー♪ 真華ちゃんやお母さんみたいにきれいだにゃー♪」
 ツツジは人間に、ろこつに阿諛追従(あゆついしょう)するのだった。

「本当に可愛いツツジ猫ちゃんね!」頭陀袋留美子さんは、いいことを思いついた。「ねえ、ツツジ猫ちゃん、お母さんがお豆腐を売りに行ったり大豆を仕入れたりする間、真華やお友達と遊んでくれないかな?」
「もちろんですにゃー!」とツツジ猫は、はきはきと答えた。


二、ツツジ、砂漠化進行を止める


 留美子さんが言った。「じゃあ、国分寺崖線(こくぶんじがいせん)沿いの公園に行こうか。帰りはちゃんと送ってあげるからね」
 豆腐販売カーの、後部座席のスライドドアを真華ちゃんが力いっぱい横に引いて開けた。
 後部座席には、クーラーボックスがいくつも積まれている。真華ちゃんは、クーラーボックスを持ちあげ、猫の背中に生えたツツジの枝々や、巨大なサイコパス調布の花がひっからないように、座席に隙間を空けてくれる。猫もせっせとお手伝いした。
 クーラーボックスの隙間に猫がちょこんと収まると、留美子さんが車を出発させた。

 留美子さんは途中で保育園に車を停めた。
 真華ちゃんの弟の朔生(さくお)くんが保育園で待っているのだ。真華ちゃんと留美子さんは、車に豆腐洗い猫を残して、朔生くんを迎えに出ていった。保育園の保育士さんたちと、留美子さんは楽しげにお喋りしている。

 ライトバンの車内では、FM放送が心地よい音楽を流している。
 そして積みあげられたクーラーボックスの中には、留美子さん特製の豆腐がぎっしり入っている。
 にゃーーー。弱りながらも、猫はクーラーボックスを開け、豆腐を洗おうとした。これは豆腐洗い猫の習性であり、宿命だから仕方がない。だが豆腐洗い用のタライはない。

 豆腐洗い猫はみずからの体から、ツツジの根っこが絡みついてぼろぼろになった肋骨を取りだし、タライを組み立てた。きれいな水をぴゅーっと吐き、タライを満たす。猫は夢中で豆腐を洗いだした。久々に洗う豆腐である。
 留美子さんの作った豆腐は木綿ばかりだ。固く質実剛健な感じであり、あたかも新品の柔道着のようなストイックさに満ちていた。それを磨きあげるのはなんという喜びであろうか!

 タライにかがみこんだ豆腐洗い猫の背中で、ツツジ・サイコパス調布の大きな花が、パラボラアンテナのようにゆっくり動きはじめた。空を向いていたのが、運転席のほうへ向き直る。

 調布ツツジ・サイコパス調布は、花粉がびっしりついた、途轍もなく長い十七本の雄しべを器用に動かしはじめた。
 雄しべは、留美子さんがいた運転席に這っていく。ツツジの花粉が運転席と、運転席に置いたままになったハンドバッグの上に散らばる。

 豆腐洗い猫は豆腐一丁一丁をタライにひたし、心ゆくまで洗った。しかし、生活に疲れて栄養が足りない猫の爪は留美子さん作の固い豆腐にひっかかり、ぽろぽろ剥がれ、かけらが豆腐にもぐりこんでしまう。これでは、食べる人の口に猫の爪が入ってしまう。猫はあわてて、豆腐から爪をほじくり出そうとする。爪が根本から抜け、真っ赤な血がだらっと豆腐に垂れた。

 その時、FMの快い音楽のかわりに、唐突に、背後から声が聞こえた。ツツジの中でもこの太い大声は、サイコパス調布のものだ。「サカタのタネ通販事業部はんかいな? 一番えらい人を出してくれへんか? 君では話がようわからへんやろ」

 ツツジが、留美子さんが運転席に残していったハンドバッグから、携帯電話を取りだし、勝手に雄しべでプッシュボタンを押し、『サカタのタネ』の通販に電話しているのだ。サイコパス調布は、花粉を受け入れるため柱頭から粘液がべったりにじみ出た雌しべで、携帯を支えている。携帯電話の豆腐ストラップがぶらぶら揺れた。
 サイコパス調布が言う。「地球のあちこちで、砂漠化が進行しとうそうやなあ。えらいこっちゃなあ」

「勝手に人のものを使っちゃ駄目にゃー」
 にゃー! と叫ぼうとした豆腐洗い猫の口を、当然、ツツジの根がふさいだ。
「ちょう、携帯電話を借りるだけや。大騒ぎするほどやないやろ」
 車の窓の外を見ると、頭陀袋留美子さんは保育園のママ友とおしゃべりに夢中になっている。

 ツツジは、『サカタのタネ』通販事業部さん相手に熱弁をふるっている。
「地球の未来のためや。サハラ砂漠や破壊されたアマゾン熱帯雨林の緑化をせなあかん。地球の未来のためや、坂本さんもそう望んではる」
 電話の向こうで、相手が何か言った。
「ああ? 龍馬やない、坂本さんといえば久留米藩士の坂本元蔵さんにきまっとうやろアホ! 久留米ツツジを作りはったお方や。坂本元蔵さんはなあ、来年の大河ドラマになるんや(嘘です)、ドラマのクライマックスはなあ、やはり、幻のツツジ原種を求めて鹿児島の山中をさまよう場面やろなあ……」ツツジたちはうっとり言った。

「それでなあ、わしは思うんやけど、緑化のために身を投げだすのにふさわしい植物は……ああ? 生態系を再現する? そんな呑気なこと言うとったら手遅れになるで! ……砂漠化を止めるのにふさわしい勇敢な植物は、我が国のいたるところでメイン街路樹として頑張っとうツツジや! ツツジはなあ、毎日毎日、排気ガスから身を挺して人間や猫を守っとるんやで。そないな健気なツツジ以外、いったいどの植物がサハラ砂漠を緑化するんや」
 
 ツツジたちのイマジネーションが、豆腐洗い猫の背中にびっしり張った細い根を通って、豆腐洗い猫の脳裏で像を結んだ。

 おお、北アフリカの夜、尖った爪のように輝く三日月の下、サハラ砂漠を覆い尽くす久留米ツツジ『窓の月』『麒麟』『老いの寝覚め』よ。オアシスにつどうラクダのかたわらに咲く、絞り咲きのツツジたちよ。世界中からやってきた観光客たちはツツジの美しさにつぎつぎと失神する。
 今やここが砂漠であったなどとは嘘のようである。サハラ砂漠の名前はサハラ・久留米ツツジランドに改名される。

「サハラ砂漠や、破壊された熱帯雨林に久留米ツツジを導入するんや。そうや、サハラ砂漠一帯を鹿沼土でおおってツツジの株をがんがん植えるんや。未来の子供たちの笑顔のためや。蜜は食料になる。
 具体的な商品はなあ、鹿沼土七割の腐葉土三割を五〇〇〇〇ヘクタールぶんに久留米ツツジの苗木ありったけ、それに、悪いツツジグンバイをやっつけるスミチオン乳剤もたっぷりいるなあ」

「え? 大量だから返品不可? 構へん、構わへん。植物を助けることはすなわち人助け。まわりまわって自分のためになる。情けは人のためならず、や」
 にゃー……と猫は思った。

 ツツジが電話に言った。「ほなクレジットカード番号言うからな。……名義人は”RUMIKO ZUDABUKURO”」

 ぎゃーーー! にゃーーーーー!!!!

 サイコパス調布の雄しべは、留美子さんのハンドバッグから携帯電話のみならず、クレジットカードまで取りだしていたのだった。
 豆腐洗い猫はびびって、ツツジの雌しべから携帯電話を取りあげようとした。ツツジは花弁に溜めておいたオルトランとかスミチオンとかの殺虫剤成分を根を使って豆腐洗い猫の身体に送り込んだ。

 猫が車の中で携帯電話を持ってもだえ苦しんでいると、『まあかわいい、猫が電話しているわ』と通りがかりの皆さんが言った。

「にゃー! お母さんがいっしょうけんめい働いたお金を勝手に使うのは泥棒にゃー!」
「人聞きが悪いことを言うたらあかん」と久留米ツツジ『常夏』が言った。
「ナショナルジオグラフィック読んだやろ! わしらはなあ、砂漠化進行防止という尊い目的のために、サハラ砂漠に、決死の覚悟の我が同胞・久留米ツツジを送り込むんやで。待ち受けるのは困難のみや」

 『老いの寝覚め』や『今猩々』も言う。「地球の危機と植物の危機と、豆腐屋ワナビーの頭陀袋留美子のささいな夢のまた夢の夢とどっちが大切や思うとんや? 植物の危機は人間をはじめ動物全体に破滅をもたらすんやでええ」
「そうしたら頭陀袋留美子の豆腐製造販売業の目標もパーや」
「豆腐洗い猫くんよ! 君は大局的な視点がなさすぎる、せやから神から妖怪に落ちぶれるんや!」
 にゃー……と猫は思った。

 頭陀袋留美子さんと真華ちゃんが、弟の朔生くん、それに朔生くんの友達の楢山理一郎(ならやま・りいちろう)くんを連れて車に戻ってきた。
「ツツジ猫ちゃん、お留守番ありがとうね」
 ぐしゃぐしゃになった豆腐や、花粉が散らばった運転席を見た留美子さんは、「あら、閉じ込めておいて可哀相なことをしたわ」と言った。「ツツジ猫ちゃん、もうすぐ公園に着くから、我慢してね。国分寺崖線の公園に行くからね」


三、ツツジパラシュート


 国分寺崖線とは、武蔵野台地の河岸段丘である。東京の国分寺から、大田区まで続く長い崖で、東京とは思えないほど自然がたくさん残っている。つつじヶ丘近辺では、野川という小さな川が、崖の下を、崖から数十メートルはなれて、崖に並行して流れている。

 留美子さんは車を停め、崖線と野川のあいまに広がった公園に、三人の子供とツツジ猫を降ろした。「じゃあ二時間たったら迎えに来るよ。ツツジ猫ちゃん、子供たちをよろしくね」
 豆腐洗い猫は留美子さんに言おうとした。「おかあさん、留美子さん、あの、クレジッ……」サイコパス調布の長い雄しべが伸び、留美子さんの豆腐販売カーのスライドドアをバタン! と閉めた。
「すごーい!」と子供たちは大はしゃぎだ。

 留美子さんは、また車を発車させて、豆腐を売りに出かけた。
「パラシュート遊びをするにゃー」とツツジ猫が言った。子供たちは目を輝かせながら「する! する!」と答える。

 ツツジ猫は真華ちゃんや朔生くん、理一郎くんたちと息せききって、クヌギやイヌシデにからんだ葛をかきわけ、新緑の国分寺崖線に登った。
 最初はいちばん歳上の真華ちゃんの番だ。真華ちゃんはツツジ猫を肩車し、猫の後ろ脚を両手で掴んだ。ツツジ猫が言う。「さあ大空の旅にゃー♪」
 真華ちゃんが国分寺崖線の上から勢いよく駆けおりると、サイコパス調布の直径五〇センチの花がぱっと広がり、真華ちゃんはふわりと空中に浮かんだ。よく晴れた春の日である。

 野川のきれいな流れには、鷺やカルガモの親子が楽しげに浮かんでいる。岸辺が良い感じに残されており草が生い茂っている。ゆるやかな堤防は遊歩道になっており、ジョギングする人や犬と散歩する幸福な人々が行き交う。堤防でも岸辺でも八重桜の花が満開だし、菜の花が気が狂いそうな黄色に咲いている。

 真華ちゃんはツツジ猫のツツジパラシュートで、ゆっくり空を滑っていく。
「まあかわいい、ツツジ猫のツツジパラシュートだわ」
 みんながほほえみながら真華ちゃんと猫を見あげた。
 豆腐洗い猫には、自分はツツジ猫じゃなくて豆腐洗い猫だにゃーと思う気力も、もうなかった。

 猫の後ろ脚は真華ちゃんに掴まれてゴムのように伸び、ついでに当然、胃や腸も伸び、背骨がちぎれそうだった。自律神経が切れるぶつっぶつっという音が聞こえる。さながら異端審問の拷問である。何故こんな状態になっても猫が裂けないのかというとそれは猫が元・神の妖怪だからだ。

 赤と白と紫の絞り咲きの直径五〇センチの調布ツツジ『サイコパス調布』の花びらが風を受けて、春の青空に輝いた。パラシュートはやっと野川の岸辺に着地した。猫は地面に崩れ落ちた。抜けた猫毛が、真華ちゃんの手にべったりくっついている。
 子供たちがツツジ猫を取り囲んだ。「わーい猫ちゃんもっと乗るー」「次は僕だよー」

 ツツジ猫は子供たちの要求に全部応えて、国分寺崖線から野川の岸辺への滑空を繰り返した。真華ちゃんが言った。「ツツジ猫ちゃんありがとう。お礼にこれあげる」真華ちゃんは猫缶を差し出した。
「じゃあ僕これ」朔生くんは猫にどんぐりをあげた。

「僕ね、僕、何にもおみやげ持ってこなかった」理一郎くんがしょんぼりしながら言った。
 理一郎くんはポケットを探し、猫のツツジパラシュートに何か入れた。ちゃりんという小さな金属の音がした。
 猫は必死でかわいい前足を背中にやり、渾身の力をこめて、ツツジの薄い花弁を引き裂いた。二リットルの蜜が一気にあふれ、ツツジの呪いの声がした。

『おまえほんまにわしをてきにまわすつもりやな』

 にゃーー!!!! 猫は五〇円玉をみつけた! 
 真華ちゃんが理一郎くんに言った。「猫ちゃんはね、お金なんかいらないのよ。それより猫缶とか猫食べ物とかのほうが良いのよ」
「ありがとうにゃー!」
 猫はそう叫び、銀行に向かった。

「お金にゃー! お金にゃー!」蜜でべとべとになりながら豆腐洗い猫はもよりの都市銀行……△△銀行つつじヶ丘支店に走っていった。ツツジの根が猫の体を制御しようとするが、使命感に燃えあがった猫には効かない。

 豆腐洗い猫はATMの台に飛び乗った。ツツジの雌しべが猫の首に巻きついた。
 にゃー! 猫はそれでも頑張って、五〇円をATMのお金入れ口に入れた。留美子さんにお金を返すにゃー。立派な豆腐屋さんになってもらうにゃー。

 ツツジの雄しべが花粉攻撃を仕掛け、猫はくしゃみをがんがんした。
 ××信用金庫の頭陀袋留美子さんの口座に五〇円送金した! これで留美子さんも助かるにゃー!
 △△銀行から××信用金庫に五〇円送金するのに、四二〇円手数料がかかった。ツツジが言う。「頭陀袋留美子なんてちんけな豆腐屋ワナビーに送金して何になるんや。君は騙されとう」

 ツツジが言う。「金はなあ、ちゃんと世のため人のためになるよう考えて使わなあかんでえ。正しい使い方はなあ、サカタのタネに投資や。植物に投資や。そうせんとこの地球の生きとし生けるすべての動物が呼吸でけへんようになるで。わしらは宇宙船地球号の乗組員なんや!」
 ツツジが言う。「頭陀袋留美子がそこまで考えとうか? ただ大豆をいじくりまわして腐らせとんだけやないか。腐った大豆は光合成もできへん。それは既に悪や。地球のことも世のことも考えとらん。自分さえ良ければええ、いう精神やな」

 豆腐洗い猫は叫んだ。「うるさいにゃー!」

 ツツジの蜜攻撃が来た! ツツジの蜜が猫の背中に、そして、ATMの機械に、五〇〇リットルくらいあふれた。
 ATMの機械が壊れた。駆けつける銀行員さんたち。そして数日後、ツツジ猫ATMが誕生した。


 つづく

次回は、ツツジ猫ATMのたどる数奇な運命と、植物が人類に対して為した破壊工作についてお送りいたします。

※この話はフィクションであり、実在の企業・団体・人物などにはいっさい関係ありません。



間瀬純子プロフィール


間瀬純子既刊
『物語のルミナリエ
異形コレクション』