「ものの捨てどき、別れどき」福田和代(画・河田ゆうこ)

(PDFバージョン:mononosutedoki_fukudakazuyo
 長年、大事に使っている物があるとする。さすがに飽きがきて、そろそろ別の新しい物を使ってみたい――と浮気心を起こしたとたんに、今までまったく不具合が起きなかった物が故障したり、使えない状態になったりする。そんな経験はないだろうか。
 私にはある。はっきり言って、たくさんある。

 十五年近く愛用したコマ二つのスーツケース。丈夫で外見もきれいだし使用に差し支えないのだが、そろそろ最近流行りのコマ四つのスーツケースを使ってみたい。そう考えた矢先、旅先から宅配便で送り返したスーツケースは、コマが二つとも取れた状態で届いた。(念のため申し添えておくが、使用年数と使用頻度から考えて配送会社の落ち度ではない)
 長年お世話になったウォークマン。使用上、特に問題はないのだが、画面が白黒だし近頃流行りのカラー画面のiPodも使ってみたい。そう考えたとたん、画面が映らなくなった。
 つい最近では、二年ほど使った晴雨兼用の折り畳み傘の例がある。折り目の部分から生地が傷んできたので、そろそろ予備を用意しておこうと新しいものを購入したとたん、畳んだ傘の柄が伸びなくなった!

 私には、古くなったスーツケースや、ウォークマンや、折り畳み傘の怨嗟の声が聞こえる気がするのである。
「アタシが自分の身体が傷むほど苦労して、あんたの肌を紫外線から守ってやったというのに、あんたはそんな銀ピカした安物に乗り換えようっていうんだね! 失礼しちゃうよ」
「オレは十五年もお前の荷物をこの頑丈な躯体で守り続けてきた。そりゃもちろん、オレの足にはコマが二つしかないかもしれない。身体の横に引きつけて、軽く押すだけで移動できるコマ四つの新しいスーツケースに惹かれるお前の気持ちもわからないではない。しかし、たったそれだけのことで、お前は長年尽くしたオレを捨てるというのか?」
「あんた、音楽はS○NYでなきゃって言ってたよね! なんだい、いつの間に○ップル信者に乗り換えたんだい?」(ううむ、伏字にする意味がないな。特にS○NY……)
 かくして、長年連れ添った持ち主の浮気心を察知するやいなや、彼ら/彼女らは、いっきにこれまでの忠誠心とともに燃え尽きてしまうのである。持ち主=私は、「ごめん、ごめんよう!」と叫んで彼ら/彼女らを見つめ、長らくの献身に報いることのできなかった自分を恥じて泣き崩れるのである。

 お断りしておくが、私はオカルトめいた話をしようというのではない。非科学的な、と言われるかもしれない。単なる偶然でしょ、とひとことで切り捨てられるかもしれない。もちろん偶然には違いない。これは「マーフィーの法則」と同様に、人生のあらゆる局面に思いがけず顔を覗かせる、皮肉という名のスパイスのようなものなのだろう。
 これらの現象が偶然であることの証明は、他の事例によって示すことが可能である。

 たとえば、愛用のマグカップ。朝な夕な、インスタント・コーヒーを薄めに入れて飲むのにぴったりの、大きめサイズである。実はこれ、十一年前に某ワーキング・ウーマン向けのセミナー参加者全員に配られたノベルティである。頑丈で、十一年もほぼ毎日使っているというのに、縁が欠ける気配もない。デザインはシンプルな白で、ワンポイントでセミナーのロゴマークがついているだけ。実用一点張りのカップである。正直、これだけ長年同じマグカップを使っていると、華やかなデザインのカップを店先で見かけるたび、「買い換えようか」と浮気心も起こすのだが、そのたびに「まだあのカップが健在だからなあ」と控えるのである。先に上げた例とは、まったくの逆なのだ。
 こんな時には、頑丈すぎるマグカップが、持ち主の気持ちをいっこうに忖度しないKYな奴にも見えてくる。たいへん健気に頑張ってくれているのではあるが、「たまには私だって、明るい花柄のカップでコーヒーを飲みたいんだよ!」と、頑健なだけが取り柄で身なりにかまわない古女房を足蹴にするダメ夫の気分で、呟きたくもなるのである。
 ――この複雑な胸の内、ご理解いただけますか。

 そもそも、まだ使えるものを捨てられない、買い換えられないと感じるのは、例の「モッタイナイ」精神が根強く生きているからである。部屋が片付かないのも、箪笥がはちきれそうになっているのも、古くなったがまだ壊れてはいなかったり着られたりするものを、「モッタイナ」くて捨てられないからだ。日本の消費が上向かないのも、「モッタイナイ」のせいだ。収納スペースの容量には、ごく当たり前の家庭に育った人間であれば、一定の限度がある。消費とはモノを購入することであり、買ったモノはどこかに収納せねばならぬので、一定限度の容量を超えてしまうと、新たなモノを購入するためには以前のモノを捨てて収納スペースを確保しなければならない。しかし、「モッタイナイ」から、捨てられない……。

 そうつらつらと考えてくると、持ち主の浮気心を敏感に察知して、潔く故障したり、使えなくなったりしていくモノたちの心根が、いと哀れではあるがなんともあっぱれな奴、と賞賛したくもなるのであった。

追記: こんなことを書いている私のテーブルには、例のマグカップが載っている。私は今、ここまではっきりKYぶりを暴かれた彼/彼女が、自暴自棄を起こして自死を試みはすまいかとひそかに恐れている。頼むからパソコンの上には倒れてこないように。



福田和代プロフィール
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福田和代既刊
『スクウェア Ⅱ』