「ザイオン・イン・アン・オクトモーフ Part 1」伊野隆之

(紹介文PDFバージョン:zaionshoukai_okawadaakira
 『エクリプス・フェイズ』の世界では、動物の知性が人間並みに引き上げられている。この設定はコードウェイナー・スミスの「人類補完機構」シリーズやデヴィッド・ブリンの『知性化戦争』などに登場する「知性化された動物が二級市民として社会に参加する」という設定に近い、いわば一種の思考実験だ。
 知性化される動物は、チンパンジーやゴリラなどの類人猿、クジラやイルカなどの鯨類、あるいはカラスやオウムなどの鳥類が一般的だが、『エクリプス・フェイズ』では、これらに加え、なんと「タコ」が知性化されている(現実でも、タコは非常に知性が高く、瓶の蓋を開けるなど多数の触腕で器用に物体を操作することで知られている)。
 実際、『エクリプス・フェイズ』の体験会では、いつもタコの人気に驚かされる。言ってしまえばタコは『エクリプス・フェイズ』のマスコットなのだ。

 そして本作「ザイオン・イン・アン・オクトモーフ」は、このタコにスポットを当てた小説である。……とは言っても、出落ちには終わらない。片理誠の「黄泉の縁を巡る」に引き続き、本作も連載という形で公開していく。もちろん大活躍するタコは、『エクリプス・フェイズ』のルールを使ってデザインされたもの。著者の伊野隆之は実際にこのキャラクターを使って『エクリプス・フェイズ』のゲーム・プレイに参加している。そう、伊野隆之は本気なのだ!

 伊野隆之は『樹環惑星 ―ダイビング・オパリア―』(徳間書店)で第11回日本SF新人賞を受賞した俊英。同作はアーシュラ・K・ル=グィンの『世界の合言葉は森』と眉村卓の「司政官」シリーズをブレンドさせたような読み応えある作品だが、なんといっても舞台となる惑星の重厚なシミュレーションが魅力的だ。長篇に見られる精緻な設定と、短篇「SF/サイエンフィクション」や「ヒア・アイ・アム」で垣間見えるユーモア感覚がブレンドされた本作は、伊野隆之の新境地を拓く作品とみなしても過言ではないだろう。なお、金星の設定には著者が独自に想像を膨らませた部分がある。(岡和田晃)



(PDFバージョン:zaion01_inotakayuki
 バルーンハウスのアラームがけたたましく鳴り、下の鉱区から送られてきた自走式金属製錬装置のパラメータ修正に没頭していたタージは、あわててカレンダーを表示させる。
 二十五日。視野の隅に表示された日付をみて、タージは目をむく。
 ……なんてぇことだ。
 日付の感覚がおかしいのはいつものことだが、それにしても、つい昨日も二十五日だったような気がする。
 タージのバルーンハウスは、金星の北極近傍を漂っている。動力を太陽光に依存しているから、座標は常に昼の側で、同じような方向に太陽を見ていたし、黄金色の雲を低い位置で照らす太陽は、いつだって目を刺すように明るい。



 一日という時間単位は、もはや立ち入ることすら許されない地球の自転周期を基準にしたもので、自転周期の違う金星に適用するには無理があるし、生理的にもタージの身体には必要のないものだった。
 疲れたら休み、疲れがとれたら働くけれど、奴隷労働のために作られた頑丈な体は、働きづめに働いても、ほとんど疲労を感じない。食事も、一度食べればかなり長い間空腹を感じずにいることができるから、日にちの感覚はなくなっていくし、そもそも必要ですらなかった。
 毎月の二十五日をのぞいては。
 アラームの原因が外部モニターに映っている。太陽の光を反射して輝く雲の上を、漆黒の機体が滑るように飛翔してくる。見覚えがあるどころか、目に焼き付いて離れない機体だ。ズームアップされた鋭角的な機体を見て、条件反射のように、タージは首をすくめた。機首のあたりにソラリスのエンブレムが光っている。
 気がつくとタージは、第二触腕の吸盤をかじっている。腕の吸盤は、すぐに再生するから問題はないのだが、あまりほめられた癖ではない。青い血液の味は、恐怖と屈辱のカクテルだった。
 タージはアップリストだ……と思っている。知性化されたマダコ(Octopus vulgaris)。八本足のタコである。高度な知性と、強靱な筋肉、何度でも再生可能かつ器用な腕をもつ知性化種。タコの身体をベースとするオクトモーフ(Octomorph)は、過酷な環境での作業に適している。金星の分厚い大気の底で生まれた……と信じている……タージは、その才覚と惜しみない努力で、やっとここまで、大気の上層にまではい上がってきた……という記憶がある。
 バルーンハウスのセキュリティシステムに強制解除コードが送りつけられてくる。追加融資の条件その一だった。訪問をはねつけることはできない。
 厳重なセキュリティを誇るはずのバルーンハウスも、解除コードの前にはあっさりと両手をあけて降伏する。侵入者の身元確認も何もあったものではなく、タージは上部のポートが開く振動を感じる。
 ……あと、六十秒。
 取り立てに来た訪問者のことを思うと、タージの背に怖気が走る。これもまた取り立て側に有利な条件だったが、恐怖の感覚は先天的なもので、書き込まれたものではないはずだ。
 タージは、とりあえず、鏡の前で自分の姿を点検し、少しだけ安心する。そこにいるのは、二本の触腕を絡み合わせた二本の足で直立し、左右二本ずつの触腕がよじりあわせた両腕を組んだ姿。細胞誘導剤で生やした多くの触腕でできたひげを蓄えた姿は、そこそこの威厳を持って見えている。知性化タコの鉱山主タージ。頭をターバンのようなもので巻いてあるのは柔らかな胴体を守るため。洗いさらしの着衣に身を包み、高価に見えるものは、一切身につけていない。
 ……四十秒。
 振動。フライヤーが着地した振動だ。バルーンハウスの一定した浮力に、追加の荷重が加わり、金星の大気に浮いた構造体がわずかに沈む。
 部屋を見回す。殺風景な部屋に、床に固定したすり切れたソファー。雑然としたコンソールに、新品にはとても見えない自走式金属精製装置の遠隔モニターが組み込まれている。採掘した鉱石から、商品としての金属を精製する自走式の装置は、タージの鉱区が利益を上げるためには不可欠の投資で、追加融資を受けた時に説明してあったはずだ。資産台帳に計上した購入額は水増し……されておらず、毎月の減価償却の負担が重くタージにのしかかっている。



 ……三十秒。
 バルーンハウスの上部のポートにフライヤーが収納され、シーリングが閉じる。ドッキングエリアに流入した硫酸を含んだ大気を、フィルターした二酸化炭素でパージする。ここでちょっとした事故でも起きないかとも思うが、中古とはいえ、ヴィーナスハビタット社が製造したバルーンハウスは堅牢で、信頼性が高い。つまらない事故を起こすはずもなく、強引に侵入してきた、ありがたくないお客のフライヤーに、呼吸可能な空気で満たされたフレキシブルハッチがとりつく。
 ……二十秒。
 ハッチを抜け、内部エントランスに向かう硬質の足音と振動。バルーンハウスが来客を特定するまでもなく、誰が来たかははっきりと判る。
 諦念がタージを襲う。今までの利益がどれだけあったのか、正確な数字をタージは知らない。マーケットの状況を判断し、最適のタイミングで売りさばくのは、サポートAIであるミューズ任せで、口座の状態を確認する暇もなく、取り立ての時間がきてしまった。死んだ子の年を数えると言うが、タージの場合は、これから死ぬ子だ。賽の河原で積み上げた石は、いつも崩されることに決まっている。ならばここは地獄かと問えば、少なくともバルーンハウスの外は、酸の風が吹き荒れる地獄のような場所だ。
 ……十秒。
 自分を必死に落ち着かせようとするタージ。大きく深呼吸する。
 ……五秒。
 高まる鼓動。皮膚の下の色胞が収縮し、全身が白っぽく変わる。もはやなすすべもない。
 ……三、二、一。
「こらァッ! さっさとドアを開けろッ!」
 ドアを蹴る音。耳に刺さる声に、体中の筋肉が緊張する。ドアに向かおうとするけれど、こわばった身体はまともに動かない。
「ああああぁ、今、開けまああぁ……」
 大きく開かれるドア。完全なアクセス権があるゲストを排除するように、このバルーンハウスのセキュリティシステムはできていないのだ。
 追加融資の条件その二。バルーンハウス内の自由な移動。何も隠すことはできないし、タージ自身が隠れることもできない。訪問者には、タージと同じレベルのセキュリティアクセス権がある。
「わざわざ手間をかけさせるなッ!」
 腰を曲げ、ざらに身を縮めるタージ。もともとの身長の三分の二ほどになってもまだ、来客よりは背が高い。そのタージの半分くらいの身長しかない漆黒の身体。黄色い目でタージを睨み付けているのはカラス型の義体、ネオ・エイヴィアン(Neo-avian)のアップリフトだった。
「めめめ滅相もございません。今ちょうど開けるところでして」
 さらにへり下り、低く低く頭を下げる。
「だったら、わざわざ俺にドアを操作させるなッ!」
「すいませんすいません」
 平身低頭するタージ。
「わざわざ取り立てに来てやってるんだ。今月分もちゃんと払ってもらえるんだろうなァ?」
 カラスは首を傾げ、タージを見上げる。独占金融資本ソラリスの、特定顧客担当エージェント、インドラルだ。
「すすすすいません。ここのところ金属市況がよくなく……」
 口座の残高がどれくらいか、タージは知らなかった。もっとも借金取りがくるということは、自動引き落としできるだけの残高がないということで……。
「つまらん言い訳を考えてるんじゃないだろうな?」
 追加融資条件その三。タージのミューズへのアクセス権をカラスが行使する。バルーンハウスのメッシュを通じて解読コードが強制注入され、ミューズが蓄えた会計情報が流出する。
「ちゃっかりため込んであるじゃないカァ?」
 タージの口座のパーティション情報が晒され、プライバシー領域がオープンにされる。
「ちゃんと払ってもらうからなッ」
 視覚化された口座残高が減っていく。
「それは作業員への支払いと、金属精製装置を修繕するための積み立て分です。そこまで持って行かれると、従業員に逃げられます。そうなれば、会社はおしまいです!」
 泣きそうな声でタージが言った。タージはインドラルに嘘をつけない。ミューズはタージのインプラントに直結し、タージの感情の揺れをだだ漏れにする。嘘発見器をつけられているようなものだった。
「ちゃんと考えてあるよ。作業員には三日の遅延だ。積み立ては半額にまで圧縮できるだろッ。それに、おまえの生活費はこんなもんで十分だッ」
 口座残高が一気に底をつき、タージは膝から、いや、膝に相当する部分から崩れ落ちる。タコには膝はないのだ。
「お願いです。積み立て分の圧縮はかまいませんが、作業員への支払い分は残しておいて下さい」
 床に頭をこすりつけるようにして懇願するタージ。
「まだ利子分にも足りてないんだぞッ」
 ……それは利率が高いからで……。もちろん、タージにも口に出さないだけの知恵はある。
「そこを曲げて何とか」
「こっちも慈善事業じゃないからなッ。作業員の支払い遅延は一日ですむようにしておいてやるが、延滞分の利率は、契約通りに上げさせてもらうぞッ!」
 勝ち誇ったように胸を張るインドラル。
 タージには新しい融資条件を受けるしかない。そうしなければ、タージは破産し、抵当になっているこのバルーンハウスを取られてしまう。そうなれば、もう一度、大気の底からのやり直しになる。
「……わかりました。それで結構です」
 消え入りそうな声で答えたタージ。
「ありがとうございますじゃないのカァ?」
「あ、ありがとうございます……」
「声が小さイッ!」
「あるがそうございまつっ!」
 インドラルが目の上をひくひくさせる。もしかすると、笑っているのかもしれないと思うが、タコにカラスの表情はわからない。
「よーし、これからもちゃんと働けよ。次回は利子分以上に払ってもらうからな。さもなければこの立派なバルーンハウスを競売にかける。わかったなァ!」
「……」
「ハイと言え、ハイと!」
「ハイィィッ!」
 悲鳴のようなタージの返事。
「よろしい。ちゃんと返済すれば、融資枠も大きくできるし、そっちの事業も拡大だッ。贅沢をせずにがんばるんだなッ!」
 タージに背中を向け、大股で部屋から出て行くカラス。全身から力が抜けたタージは、バルーンハウスの床にへたり込んでしまった。
 ぐったりと疲れていた。精神的疲労は、何よりもタージを消耗させる。
 ポートのハッチが開き、インドラルのフライヤーが離床する。荷重の減ったバルーンハウスがわずかに浮き上がる。
 ため息をつくタージ。
 その時、モニターに映るフライヤーを見送る表情が、急に変わった。
「……ちゃんと報告するんだぞインドラル。タージはかつかつでやってる。まだ搾り取れるってな」

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Ecllipse Phase は、Posthuman Studios LLC の登録商標です。
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『表示 – 非営利 – 継承 3.0 Unported』
ライセンスのもとに作成されています。
ライセンスの詳細については、以下をご覧下さい。
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/




伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』