「ザイオン・イン・アン・オクトモーフ Part 2」伊野隆之

(PDFバージョン:zaion02_inotakayuki
 金星の北極にある複合ハビタットの一室で、マデラ・ルメルシェは落ち着かなげにうろうろと歩き回っていた。分厚い絨毯が敷き詰められ、壁面にはアマゾンの森林が投影されている。別の壁面では巨大な瀑布が水しぶきを上げ、もうひとつの壁面では、巨大なサメが我が物顔に泳いでいる。部屋の一角にある執務机の天板は地球産のマホガニーが使われ、その背後の壁面は、巨大なソラリスのエンブレム。燃えるような金色のフレアは、太陽系最大の金融企業複合体であるソラリスコーポレーションの威光を表しているかのようだった。
 マデラは、豊富な金属資源に恵まれた金星の十八分の一を営業ゾーンとしている。ティターンズ戦争からの復興需要に金星は潤い、金星にいる十八人のソラリス正社員のうち、八人までが上級パートナーに昇格していたが、開発の進んでいない北極域を担当するマデラは、太陽系に百人以上いる中級パートナーの地位に甘んじていた。
「まだ、あいつの行方はつかめないのか?」
 マデラが怒鳴りつけたのは、マデラに雇われた保安担当エージェントのカザロフだった。執務室に投影された姿は厳つい金属の義体で、表情もない。
「北極鉱区内を端からしらみつぶしに探していますが、まだ何の手がかりもありません。他の鉱区との間の行き来は完全にコントロールしていますから、見つかるのは時間の問題かと思われます」
「あと、どれくらいかかるんだ?」
「北極鉱区には、全体で四百七十六の鉱区があります。鉱区全域にいる知性化されたタコは、登録、非登録を合わせて一万三千体以上、全力で探していますが、ここのところの予算削減もあり、今の保安部の陣容では、人手が全然足りていません」
 もともと、間接部門である保安部の人員配置は厚くない。稼がない部門に資金をかけるほど馬鹿げたことはないからだ。マデラは自分の予算査定を思い出す。
「言い訳をするな。そもそもあいつを保安施設から逃がすからだ。セキュリティは万全のはずじゃなかったのか?」
「すいません。ですが、今回の事態の原因は、囚人の義体に関する情報を、事前に開示していただけなかった事にもあると思いますが」
 痛いところを突かれて、マデラは怒りの表情を露わにする。
「どんな囚人であろうとも、万全を期すのが保安部門の仕事だろうが。今回のことは、おまえの勤務記録にも残るんだぞ」
 カザロフの金属の義体には表情がない。保安担当者が最下級の義体であるケースを使っているのは、感情を読まれない方が有利だからだろうとだろうと思うが、扱いにくいことこの上ない。



「私としては大変、不本意ではありますが、記録には残ってしまうでしょうね。なぜそんなことになったのかを含めて」
 強調するように言ったカザロフ。その言い方がマデラの神経を逆なでする。
「じゃあ、さっさとあいつを捜し出せ。必要なら保安要員を雇うために予算配分を上乗せしてもいい。だが、あいつを見つけられなければ、降格も覚悟しておいた方がいいぞ」
 北極鉱区開発公社は独立した企業体だったが、鉱区拡大のために、ソラリスからの出資を受け入れている。実質的に開発公社の実権を握っているのはマデラで、必要なら、カザロフを解雇できる権限もある。
「私は最善を尽くしております。必要でしたら、推薦できる後任者候補のリストをお送りしますが?」
 カザロフの言葉に、マデラはイラつく。保安主任に足元を見られているのだ。中級パートナーではあっても、マデラは定期的に本部の監査を受けなければならない立場だ。その際に、今回のことを明らかにされては、マデラ自身の不利益になる。不自然な点を見つけられたら、マデラが何をやろうとしたのかを、ソラリスの上層部から追求されることにもなりかねなかった。
「つまらないことを言わないで、さっさと捜索に戻れ」
「では、そのように」
 マデラが執務室にしている部屋から、無骨な金属の姿が消える。実際には金星大気の上層を浮遊するこのハビタットから、分厚い大気を隔てて一万メートル以上も下の地表にある北極鉱区に、保安主任は詰めている。
 マデラは天を仰いだ。この投資が上手くいけば、上級パートナーどころか、一気に共同オーナーの地位にまで上り詰めることができるかも知れないと思っていた。けれど、投資額は予定していた以上に膨らんでいるし、確実に思えた投資回収の可能性も、危うくなってきているようだ。
「イラついておられますね。精神安定剤を処方しましょうか?」
 執務室に投影されたブルーの髪の少女は、自動的に立ち上がったセクレタリーだった。ミューズに組み込まれたセクレタリーは、マデラのバイオシグナルをモニターし、必要な時に必要なサポートを提供する機能も持っている。



「強くないヤツにしてくれ。ちゃんと考えないといけない」
「判りました。シャイニーモーニングでよろしいですか?」
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「それでいい。ダウンロードしてくれ」
 マデラの公用アカウントから引き落とされる。費目は福利厚生費で、あまり強くて高額のものを高頻度で使うと、定期監査に引っかかるけれど、この程度なら許容範囲の内だろう。
 シャイニーモーニングをインストールすると、マデラの気分は、唐突に、さわやかになる。今期の利益は過去最高で、新規の顧客開拓も順調。融資額は増え続けていて、不良債権化率は一桁にとどまっている。この調子なら、上級パートナーへの昇格も夢ではない。それに、例の囚人のこともある。
 今はマデラの手を逃れているけれど、捕まえさえすれば、膨大な隠し資産が手に入るはずだった。
 マデラは夢想する。囚人を捕らえ、拷問する。丈夫で、いくらでも再生可能な囚人の身体には、いつまでも苦痛を与え続けることができる。オクトモーフの身体は、法的にはマデラの所有物であり、一切の基本的人権を持たない存在は、それこそ触腕の先から一寸刻みにしたって問題ない。筋肉の束であっても骨のない腕は、気持ちいいほどよく切れる。マデラの妄想の中で、白っぽい体液がしたたり、床に落ちた触腕は、まだ生命があるかのようにのたうつのだった。
「興奮しておられますね。鎮静剤を処方しましょうか?」
「強くないヤツにしてくれ。ちゃんと考えなければいけない」
 機械的に答えるマデラだった。
「判りました。オーシャンブリーズでよろしいですか?」
 ……海辺の穏やかな風があなたの心をリラックスさせてくれるでしょう。オーシャンブリーズは、ビジネスシーンの最前線で戦うあなたに、心安らぐひとときを提供します。今なら一回のダウンロードで三回使用できるスペシャルパッケージを提供しています。
「それで……。いや、さっき処方したのはどうなる?」
「まだ有効です。それに、まぁ、なんてことでしょう。もう落ち着かれたようですので、鎮静剤の利用は推奨されません」
 セクレタリーの言葉に、マデラは深いため息をつく。結局のところ、今使っているセクレタリーは、ミューズの一部に割り当てた低レベルの機能要素に過ぎす、気が利くとはとても言えないものだった。標準的な機能しかないセクレタリーは、今回の投資が成功したら、まず最初にアップグレードしようと思っているものだった。
「しばらくおとなしくしていてくれ。これからどうするかを、俺は、ちゃんと考えないといけないんだ」
「それでは、これから一時間の間、自動起動を停止します」
「それでいい」
 投影されたセクレタリーの姿が消え、マデラはマホガニーのデスクに向かう。
 あれを見つけた時はチャンスだと思った。地球から救出された魂(ego)の多くは、未だに解凍されることなくストックされている。タグ付け作業は遅々として進まず、再生しようにも義体の提供が十分じゃない。放置された精神は、誰かが目覚めさせると決めない限り、確率の低いランダム再生の機会しか与えられていない。そんな中で、マデラは伝説の企業家の精神を見つけたのだ。
 マデラは優秀なアップリフトの部下が欲しかった。今のところはカラスのインドラルを使っているだけで、オクトモーフの部下はいない。金星政府が、政治的なポーズだけにしろ、アップリフトの地位向上政策を進めている以上、オクトモーフの部下がいた方が何かと都合がいい。そのオクトモーフに入れるための精神を、凍結状態でアーカイブされていた精神の中から探していた過程で、マデラは凍結されたザイオンの精神を見つけたのだった。
 現在のソラリスにもつながるプライベートバンクの創始者で、膨大な個人資産を持っていたザイオン・バフェット。太陽系に分散され、巧妙に秘匿された個人資産は、タイタンの国家予算にも匹敵するとも言われている。その個人資産へのアクセスの鍵を、ザイオン・バフェットの意識は記憶しているはずだった。
 ザイオンの精神であることが確認できた時点で、ヒトとして認められる義体に蘇らせるという選択肢もあったろう。そうしていたら、マデラには相当額の謝礼が手に入ったかも知れない。けれど、謝礼の額はザイオン・バフェットが決めることになるし、ザイオン・バフェットは気前がいいという評判とは無縁の男だった。ちょっとしたお礼の言葉と、ザイオンの資産からすればほんのわずかなはした金で、マデラは太陽系有数の資産家になるチャンスをフイにするつもりはなかった。
 ザイオン・バフェットの全資産を手に入れるチャンスが目の前に転がっているのを、見逃すという選択肢はない。だからマデラは、法的にはマデラ自身の所有物であり、基本的な人権を認められていないオクトモーフの義体に、ザイオン・バフェットを目覚めさせたのだ。
 オクトモーフは安くない。地球産のタコそっくりの外見をしているものの、義体としては優秀だった。金星では手に入りやすいから、手配には手間がかからなかったものの、それなりの金額を、マデラの個人資産から支払うことになった。隠された資産を手に入れるために必要な投資だった。
 マデラは膨大な資産を手に入れた自分自身を夢想していた。ミューズをアップグレードして、新しいセクレタリーに変えるのは当然として、ありふれたスプライサーの義体から、遺伝子レベルでの改良措置を受けたエグゾルトへのアップグレード、いや、外見も強化したシルフへのアップグレードを選んでもいいだろう。金星を離れて、火星のオービットに完璧な環境を備えた新しいオフィスを作り、そこで太陽系の資本の流れを牛耳るのだ。
 マデラの思い描いていた計画は、ザイオンの逃走によって最初の段階でつまづき、ガラガラと音を立てて崩れてしまいそうになっていた。
 ソラリスが出資する鉱山会社が所有する北極鉱区の保安施設に、蘇ったザイオンを幽閉し、秘匿された個人資産を使うための鍵を手に入れる。簡単確実な計画で、手堅い投資のはずだったのだが、今にして思えば、ヤツを拷問するために使ったボットの容量が小さすぎ、それに加えて人格エンハンサーのできが悪かったのだとマデラは思う。本来の思考能力や注意力が制限され、保安措置に十分に気が回らなかったから、ザイオンの脱走を許す羽目になったのだ。
 タコの身体を持ったザイオン・バフェットは、まだ金星に、北極鉱区の中にいるはずだった。ザイオンの義体に対し、マデラは一定の法的権利を有しており、勝手に脱出されることはないはずだった。
 まだ、投資を回収できる可能性はある。けれど、その可能性は、時を追うごとに低くなっているような気がしていた。いちいち言われるまでもなく、地表で働いているオクトモーフの数は多いし、事故にあう可能性も高いだろう。金星の地表は、この太陽系の中で、もっとも過酷な場所の一つだからだ。

 大型の削岩機を操作しながら、ザイオンは、混乱した覚醒の記憶を思い出していた。
 ティターンズに襲われ、ニューデリーは壊滅した。上空を封鎖された地球から、生身での脱出の可能性は無く、やむなく精神だけで脱出するオプションを選んだのだったが、覚醒は期待したとおりには訪れなかったようだ。
 最初に感じたのは圧倒的な違和感だった。強烈な光を浴びせられ、目をかばおうとした時の左手の反応がおかしかった。同じ側に腕が二本あり、一方は動いているのに、もう一方が固定されているような感じだった。手のひらで顔を隠そうとしても、五本の指が広がるのではなく中指と薬指の間が開くような感覚だけが感じられた。そして目に入ったのが吸盤のある触手の先端部。
「気がついたようだな」
 金属のがこすれるような声。知らない声だ。
「金星にようこそ。ここは金星の大気の底だ。そしておまえはタコなんだよ」
 クククと含み笑い。光の中に、特徴のない金属のボディが見える。これは、ボットだろうか。
「まな板の上のタコなんだよ。一本の腕は動かせるようにしてあるが、残り七本はしっかりと固定してある。逃げようなんて思わないことだな」
 逆光の中のボットが言う。
「待ってくれ。私は人間だ。アップリフトなんかじゃない。その私が、なぜタコなんだ?」
 喉から絞り出した声は、まるで自分の声に聞こえない。
「おまえは私の所有物で、私はおまえを自由にできる。例えば、こんなことだ」
 右腕に激痛が走る。いや、右腕のうちの一方だけだ。先端がちぎれて床に落ちた。視界の隅で、吸盤の着いた触腕が、のたうっているのが見えている。
「その身体は丈夫にできている。しなやかで弾力があり、切ってもすぐに再生する。でも、ちゃんと苦痛はある。どういう事か判るか?」
 左腕に激痛。奥歯を噛みしめようにも奥歯がないことに気付く。ボットが手にしたナイフのようなものがゆっくりと動き、引き裂かれた腕から、タコの体液があふれる。
「おまえがザイオン・バフェットだということは判っている。凍結されたアーカイブから出してやったんだ。感謝して欲しいな」
 そう、ザイオン・バフェットだ。一代で巨大な金融帝国を築き、いくつもの国の財政を破綻させるほどの財力を有する。それがなぜこんなところにいるのか。
「わかった。クレジットを百万用意させよう。だからこれを外してくれ」
 ティターンズ戦争の間に、地球外に分散した資産にアクセスすれば、それくらいの金額は簡単に用意できる。
「随分と安く見てくれるじゃないか。たったその程度のクレジットで、自由を買おうというのか?」
 一般的に言えば、百万は大金だった。けれど、バフェットの総資産からすれば、爪の先ほどの、ほんのわずかな額でしかない。目の前のボットに投影された精神は、そのことを知っている。
「じゃあ、二百、いや一千万出そう。」
 今度は腹部、いや、腹部の位置に相当する場所に、金属の拳がめり込み、ぴったりと並んで互いに張り付いた四本の触腕に、突き刺すような激痛が襲う。
「はした金で何とかしようとは思わない方がいいぞ。いいことを教えてやろう。おまえの身体は頑丈なオクトモーフだ。だから、ちょっとやそっとの事じゃ重大なダメージにはならない。けれど、痛みはちゃんと感じるんだよ」
 何かが顔の側面に当たり、顔が歪む。口の中に広がる液体は、血なのだろうけれど、記憶している血の味とは大きな乖離があった。
「これから毎日、俺が苦痛を感じさせてやろう。そうしたらおまえは俺に命乞いをするようになる。それとも、あまりの苦痛に殺してくれと頼むようになるかな。いいな、ザイオン。おまえのせいで俺が生まれた国は破綻した。両親は仕事を失い、国を離れる事になった。自殺者が何人出たんだろうな。判ってるのか?」
 下らない議論だった。放漫財政は国の責任だし、国債を大量に買い集め、紙切れにならないうちに売り払ったところで恨まれる理由はない。国債の安定した買い手の存在が、放漫財政を促したのだとしても、責任は愚かな政府にある。
「おまえには責任がないとでも思っているんだろう。できの悪い政府を選んだのは、確かに国民だ。だからといって、一国の経済をおもちゃにしていい理由はない」
 もう一度、顔に衝撃。目の位置は避けてくれているらしいが、それでもザイオンの視野はぼやけた。
「まあ、それは今ではどうでもいいことだ。俺は恐慌と戦争を生き延びたし、今のおまえは俺の所有物だ。だが、一つだけ教えてやろう。おまえにも苦痛を逃れ、生き延びるチャンスはある。おまえの個人資産へのアクセスだ。俺をこの世界有数の金持ちにしろ、そうすれば、俺の気分が良くなる。気分が良くなれば、おまえを自由にしてやる気になるかも知れないな。そうしたら、おまえはやり直せるんだ。人の身体の時の悪行を、悔い改める機会が手に入るんだぞ」
 もう一度、顔の横に激痛。奥歯が折れたりしないのは、奥歯がないからだ。
「さあ、その賢い頭でよく考えるんだ。次に俺が来た時にアクセスコードを教えれば、この金星の最下層の労働者タコとして、人生をやり直す機会を与えてやってもいい。自分にとって何が必要か、そこを良く考えるんだぞ」
 右腕の付け根に衝撃と激痛。そして、床に何か重いものが落ちる音。その時、自由だった唯一の触腕がなくなった。



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伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』