「ザイオン・イン・アン・オクトモーフ Part 3」伊野隆之

(PDFバージョン:zaion03_inotakayuki
 そう、復活して最初の記憶はできの悪いアクションドラマのようで、ザイオンは洗練とはほど遠い拷問を受けた。何回となく殴られ、最後は触腕を一つ失うことになった。
 けれど、オクトモーフはダメージに強い。殴られた痛みはすぐに消え、傷口もすぐにふさがった。切り落とされた右の第一触腕の付け根は、いまはこんもりとした肉の盛り上がりになっており、中心部から触手の先端が見えている。もう再生が始まっているのだ。
 ザイオンの身体は地球産のマダコをベースにした義体、オクトモーフだった。水から上がった筋肉の塊で、浮力に支えられることなく、重力にあらがって直立できる。左右の第一触腕と第二触腕が腕として機能し、第三触腕と第四触腕が足として機能する。もちろん、ヒトと同じような動きを要求される場合は、という限定付きで、いざとなれば水中のタコのように八本の腕を自在に使う事もできる。
 ザイオンを幽閉しようとした愚か者は、七本の腕をボルトで固定することまでやっていたのに、そのことを失念していたに違いないのだ。
 簡単な事実だ。人間の身体であれば、手首から先を失ったら、腕はほとんど機能しなくなるだろう。足首から先を失って、まともに歩けるなどと言うことはあるはずがない。けれど、ザイオンの身体はオクトモーフだった。右の第一触腕を付け根から失ったにせよ、その痛みはすぐに消え、まるで最初から無かったかのようにしか感じられなかった。だったら触腕の先端部分が短くなっても、そんなに不自由を感じないのではないか。
 オクトモーフには骨がない。強靱な筋繊維が束になって、重力にあらがって直立できるようになっている。ボルトで固定されていても、力一杯引っ張れば、先端を引きちぎることが可能だろうし、その時の痛みは耐え難くても、回復は驚くほど早いはずだ。短時間の激痛を七回こらえる覚悟さえできれば、縛めを解くこともできるはずだった。
 最初の一本は右の第二触腕。ちょうどボルトで留めていたところからちぎれ、先端部が床に落ちる。自由になった触腕で、左の第一触腕を止めているボルトを掴む。力一杯ひねるとがわずかに弛む。吸盤がすり切れるほどの努力が必要だったが、数分ほどでボルトは床に落ち、左の第一触腕が自由になった。
 それからは同じ事の繰り返した。固定されていた七本のうち、三本まではボルトが外れ、残りが強引に引きちぎるより無かった。
 磔になった状態から自由になったザイオンは、ちぎれた触腕の先を集め、全部を口に入れ、一息で飲み込んだ。飢えたタコは自分の足を喰うというが、本当かどうかは判らない。けれど、縛めを解いた方法は知られない方がいい気がしていたし、ちょっとした空腹も感じていたのだ。
 ザイオンを閉じ込めた部屋のドアは、しっかりとロックされていた。それだけで十分と思ったのだろうが、天井には換気ダクトが走っていたし、吸盤を使えば、天井に張り付くのは容易だった。四本の触腕を大きく伸ばしたザイオンは、天井に張り付いたところで一気に身体を引き上げる。小さな吸盤のついた触腕の先で、ダクトに取り付けられた格子を止めるねじを抜き、狭いダクトの中に、無理矢理、身体を滑り込ませた。
 身体全体が換気ダクトに入ってから、改めて格子を留めなおしたのは、脱走経路の特定を遅らせるためだった。換気ダクトのまわりに付着した体液を調べればすぐに判ってしまうだろうが、ザイオンを拷問した金属の塊に、それだけの知恵が回るとは思えない。
 狭いダクトの中は窮屈だった。柔らかくした胴体がかろうじて収まる空間を、タコの身体は這うようにして進む。触腕をできるだけ長くのばし、先端部分に近い吸盤を、ダクトの内面にしっかりと張り付かせる。それから、触腕の力で身体を一気に引っ張り寄せるように進む。慣れるに従って、次第に這い進む速度が早くなった。
 できるだけ早く、できるだけ遠く。ザイオンはそれだけを考えて、狭いダクトの中を這い進んだ。タコの身体がダクトの内壁にこすれ、溶接部分が肌を裂く。内側に突き出したボルトに引っかかって皮がめくれ上がり、肉がちぎれる。流れた体液が跡をひき、生臭いにおいがダクトに充満するけれど、ザイオンは速度を緩めない。
 うねるように動きながら、どれくらいの時間、ダクトの中を這い進んだろうか。外に向かって開いたダクトの格子から、食べ物のにおいが流れてくる。
 格子の内側から見える風景が、今までの人気のない場所から、人影が行き交う場所に変わっていた。
 ザイオンは決心する。金属の格子を外し、壁を伝うように降り立ったそこは、労働者タコが食事を求めて集まる北極鉱区の巨大な食堂だった。
「ひどい恰好だなぁ」
 壁を伝って、床に降りてすぐに声をかけられた。事実ひどい恰好だったのだろう。右の第一触腕は付け根から断ち切られ、残りの七本の触腕のうち、四本の先端部がちぎれてなくなっていた。全身に擦り傷があり、皮膚が大きくめくれてぶら下がっている。
「気にしないでくれ。見た目ほどひどい傷じゃない」
 強がってみせるザイオン。ダクトから出てくるところを見られたのだろうか。
「それはそうだろうとも。ちょっとした傷はすぐ治る。だがなぁ……」
 ザイオンの全身を上から下までなめ回すように見た。まるで身体検査のような視線は、商品を見定める商人のそれだった。
「どこから逃げてきたのかは知らないが、ここにいちゃあ、すぐに見つかっちまうぜ。どうだ、俺のところに来ないか?」
 それが、アクバルとの出会いだった。

 北極鉱区開発公社は、金星の北極エリアを中心に四百を越える小鉱区を持っている。開発公社が直接採掘する三百五十の鉱区は、大型機械を使った大規模採掘が可能なエリアだった。一方、残りの百近い鉱区は、大型機械では良質な鉱石の採掘が難しくなった古い開発鉱区や、地面の下に溶融した鉛の池があるような危険な鉱区で、小回りの効く中小の鉱山会社に貸し出されている。アクバルの鉱区は、そんな鉱区の一つだった。



 鉱区は、全体が半透膜のドームで覆われ、大量の二酸化炭素で満たされていた。地球で言えば深海に相当するような気圧のドームの中で、アップリフトのタコ労働者たちは、作業用の耐環境スーツと、強力な削岩機をアクバルから借り、ボンベを担いで鉱石を回収する。採掘した鉱石の品位と量で、タコ労働者たちの一日の稼ぎが決まる。十分な稼ぎがなければ必要な機材の賃貸料が払えないし、払えなければ、次の日の仕事にも行けない。それでもアクバルの鉱区に知性化されたタコたちが集まるのは、そこがタコによるタコのための鉱区だったからだ。
 どうやってアクバルが、採掘権を借りることができたのか、鉱区で働くタコたちは知らない。あるタコは、アクバルが本当はヒトで、鉱山での労働に耐えるためにタコの義体を手に入れたのだと言うし、あるタコは、人間の鉱山主の下で長年、良く働いた事が認められ、採掘権を借りる権利を入手できたのだとも言う。どちらにせよ、知性化されたタコに、まだまだヒト並みの権利が認められているとは言い難い金星では、異例中の異例とも言うべき状況であり、タコ労働者に不満がたまって革命が起きるのを防ぐために、鉱山運営を任されているのだという者もいた。つまり、小なりとはいえ、鉱山主がいる以上、制度的差別には当たらないという金星政府のエクスキューズを成立させるために、北極鉱区開発公社が認めているのだという見解である。けれど、そのいずれであってもザイオンには関心がなかった。
 アクバルの鉱区に行ってすぐに、ザイオンは働き始めた。アクバルからの最初の千クレジットの貸し付けを元手に、耐環境スーツと削岩機を借り、見込みのありそうなところを掘っていく。ザイオンの義体のスペックは悪くなく、毎日の酷使にも良く耐えた。
 アクバルの鉱区にいれば、追っ手を気にしないで済むことも、とりあえずザイオンにとっては悪くない条件だった。アクバルの鉱区にいるのはオクトモーフだけで、平凡なヒト型の義体でも、アクバルの鉱区ではとことん目立つ。好んでオクトモーフを使うヒトもいないから、まわりはすべて知性化されたタコばかりだった。
 ザイオンは、鉱区にあるアクバルの事務所に来ていた。鉱石の換金も必要だったが、削岩機の充電と、タンクの補給のために、一定時間ごとに、事務所には顔を出さないといけない。そんな理由で、事務所には何体もの知性化タコがいて、脱ぎたての耐環境スーツからは、オクトモーフ独特の生臭いにおいが上がっているが、そんなことを気にしていたら始まらない。
 アクバルを見つけるのは簡単だった。ヒトとのつきあいが多いアクバルは、ヒトの形をしている事が多かったからだ。
「随分まともな見た目になってきたじゃないか」
 近づいて声をかけるか、それとも隠れたままでいるべきか、迷っている間に、アクバルの方からザイオンに声をかけてきた。
「何とかここにも慣れてきました」
 鉱区に来てから一週間くらいか、付け根から切り落とされた右の第一触腕も、新しい触腕が、頭を掻くのに使える程度まで伸びてきていた。栄養さえ良ければ、再生は速い。
「それは良かった」
 ザイオンは、自分の体型を、素のタコからヒト型のタコに変える。背の高いアクバルと、視線の位置が違いすぎるからだ。その変化を見て、アクバルが言う。
「ところでおまえは誰なんだ? そんな恰好を簡単にできるのは、ヒトがオクトモーフを義体として使っているんだろ?」
 ザイオンは答えなかった。いや、どう答えるべきかが判らない。
「答えたくないならそれでいい。いやなに、最近、公社の保安部の連中が、誰彼なしにオクトモーフを尋問してる。どうやら逃げ出したオクトモーフを探しているらしい。おまえのように、右の第一触腕のない奴を見つけて連絡すれば、賞金は千クレジットだそうだ」
 ザイオンはだんまりを決め込む。
「何も言いたくないか。まあ、それもそうだろうな。だが、呼び名もないのは困る。それくらいは考えてあるんだろうな?」
 そう言ったアクバルは、ザイオンを見据えた。
「……タージです。そう呼んでください」
 とっさに思いついた名前は、地球にいた時の、できの悪い部下の名前だった。
「判った。じゃあ、タージ、ちょっと頼まれごとをしてくれないか?」
「えっ、何ですか?」
「経理担当をクビにした。つまらん遊びにはまって、俺のクレジットを使い込みやがった」
「なぜ、私に?」
「おまえは俺を裏切れないからだよ。俺を裏切れば、公社の保安部がおまえを捕まえることになるだろう。まあ、まじめに働くことだな」
 そう言って笑ったアクバルだった。
「俺のところに医者がいるのは知ってるな?」
 突然の質問に、ザイオンは戸惑う。
「口は堅いヤツだ。五千で触腕の付け替えができるそうだ。この現場じゃ触腕を切り落とすような事故は珍しくないし、訳ありの手術を受けに来る連中も多いから、詮索されることもない。それから、新しいIDも用意しておこう。俺の右腕になる奴が、ちゃんとしたIDが無いのも困るからな」



   *****

「……ちゃんと報告するんだぞインドラル。タージはかつかつでやってる。まだ搾り取れるってな」
 その時タージは、もはやインプラントにインストールされた擬似人格であるタージではなくなっている。青ざめていた表情は自信にあふれた表情に変わっている。背筋をまっすぐに伸ばし、遠ざかるフライヤーを見ている。その表情には恐怖感や、安堵ではなく、満足感が見て取れる。タージは、ちゃんと役割を果たしたのだ。
 このバルーンハウスにいるのは、ソラリスのデータベースに資金繰りに苦しんでいる顧客の一人として登録されているアップリフトだ。それがタージの影に隠れているザイオンにとっての安全保障になる。しばらくは、この安全保障装置に機能してもらわなければならない。
 タージの仮面を脱ぎ捨てたザイオン・バフェットは、ひげ状に伸ばした顔の触腕をなでる。
 オクトモーフの身体は自由度が高い。左右の第一触腕は、手としての機能を果たすために、先端が四本の触腕に分かれていたし、顔もヒトらしく変形させている。顔には細胞を誘導した細い触腕をはやして、ヒトのひげらしく見えるようにしている。金星に、新しく台頭してきた、そこそこの財力があるアップリフトの特徴だった。
 北極鉱区にアクバルがいたように、金星のあらゆる地区で知性化タコへの採掘権の貸与が行われていた。
 金星政府による、まやかしのアップリフト地位向上政策は、タージのような階級を作り出しつつある。ザイオンは、アップリフトのタージとして、新しく勃興しつつある階級の中に収まっている。
 タージとして採掘権を有している鉱区は、インドラルを介したソラリスからの融資もあって、三つにまで増えていた。タージは、調子に乗って鉱区を増やしてはみたものの、借金が増えて首が回らないという役割を演じているところだ。
 アクバルとは、今でも上手くやっている。ザイオンのおかげで、一時は、十二の鉱区の採掘権を所有するところまで行き、随分といい思いをしたはずだ。
 ザイオンの独立をしぶしぶ認めたあとで、アクバルは、見事に事業運営に失敗した。ろくに貸借対照表すら読めないようなアクバルが、ザイオンの助けなしに、十二に増えた鉱区の財務管理ができるはずがなかったし、ザイオンがアクバルの下を離れる時に、何ヶ月か後に、運転資金のショートが生じるように仕組んだのだ。アクバルはザイオンの仕組んだ落とし穴に見事にはまったし、そのことに気づきもしなかった。
 ザイオンは、窮地に陥ったかつての恩人に手を差し延べて、救ったことになっている。アクバルのために、手に入れたばかりの二つの鉱区のうち、一つの鉱区の採掘権を売りに出し、もう一つの鉱区と、住んでいたバルーンハウスを抵当に入れることまでやって見せたのだ。
 アクバルは、今ではザイオンの部下になっている。買い戻した鉱区の一つを任され、鉱区長としてよくやっている。アクバルは経営者としては平凡でも、鉱区長としては優秀で、タコ労働者をちゃんと働かせる仕事に満足しているようだった。
 インドラルに知られていないザイオンの資産は着実に増えていた。北極地区を営業エリアにしているソラリスのパートナーであるマデラ・ルメルシェは、ザイオンがソラリスに持っている別名義の口座を知らない。ソラリスは横の連携が悪い上に、インドラルの報告を鵜呑みにしているから、タージ=ザイオンの資産状況をちゃんと把握できていないのだ。顧客の資産を把握することが、金融のイロハで、マデラはそのイロハができていない間抜けだ。
 ザイオンは、ザイオンの精神をオクトモーフの中に復活させたのは、マデラではないかと疑っている。拷問で受けた苦痛は、膨大な凍結情報の中からザイオンを復活させてくれたことで帳消しにしてやってもいいが、マデラのような無能な者が、かつてザイオンが築いたソラリスの中にいること自体が腹立たしい。
 今でも、マデラはザイオンの義体の所有権を主張できる立場にいる。だが、それもあとわずかな時間だけだ。登録情報の書き換えの準備はできているし、そうなれば、ザイオンは、ザイオン・バフェットの全資産にアクセスできるようになるだろう。ザイオンの資産があれば、ソラリスに復帰して、能力の低い中級パートナーを一人降格し、金星の地表に送り込むのは簡単なことだ。
 けれど、ザイオンは、今のところソラリスに復帰するつもりはなかった。金融企業体として大きくなりすぎたソラリスは、生まれついての起業家であるザイオンにとって、つまらないものに変わってしまっていたし、オクトモーフのままでは、ソラリスに戻ることはできないだろう。
 ザイオンは、タフで変幻自在な今の身体を気に入っていた。生体をベースにした義体、バイオモーフとしては、人の身体よりは、遙かに良くできている。それに、金星をベースに新たなソラリスを築くのも悪くない。
 いつだって、どこにだって、カモはいるものだから。

                   完



伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』