「プロティノス=ラヴ」伏見健二

(紹介文PDFバージョン:PlotinosLoveshoukai_okawadaakira
 第2期『エクリプス・フェイズ』シェアードワールド小説企画の第2弾は、伏見健二の新作小説「プロティノス=ラヴ」である。

 ロックンロール・ミュージックとSFは相性がいい。どちらも一種のカウンター・カルチャーとして、世間の価値観に対し痛烈な「ノン」を突きつけた。どちらも、聴き手/読み手に、他に代えがたい高揚感、“魂”を揺さぶる衝撃を与え、その人生を大きく変えた。
 そのロックが重要なモチーフとなる本作は――壊滅前の地球の記憶に囚われた「おれ」の孤独と相俟って――サミュエル・R・ディレイニーの名作「コロナ」を、最新のガジェットを使って書き直そうという試みのようにも見える。充溢する哀しみは、あたかも名匠の手になるベース・リフがごとき、鮮烈な経験として沁み渡ることだろう。『エクリプス・フェイズ』の豊富なガジェットを手際よく料理しながら、ヒューマニズムとポストヒューマニズムの境界を探り、その本質を提示するのが本作だ。読後、あなたの心には、「百億人のなかで一人だけ」の一節が、リフレインされるに違いない。なお、本作には設定の一部について、作者が独自に想像を膨らませたところがある。

 伏見健二は日本を代表するゲームデザイナーの一人。美大在学中にオリジナルRPG『ブルーフォレスト物語』のデザイナーとして颯爽とデビュー後、同作のノベライズ等で小説家としてもマルチに活躍、小説の著書だけでも、30冊近くにのぼる。
 本格SFとしてはバリントン・J・ベイリー流ワイドスクリーン・バロックの知られざる佳品『レインボゥ・レイヤー 虹色の遷光』(ハルキ文庫)が白眉だろう。これはスウェーデンボルグ、ジョルダーノ・ブルーノなどの神秘主義的観念論者と本格スペース・オペラを大胆に結びつけた奇想溢れる長篇で、荒巻義雄〈ビッグ・ウォーズ〉シリーズ、大原まり子『戦争を演じた神々たち』、田中啓文『忘却の船に流れは光』等、日本SF史の正系に位置づけられる。
 その伏見健二の感性が『エクリプス・フェイズ』の世界と出逢ったらどうなるか――およそ10年ぶりの新作小説となる本作は、そのような愉しみも与えてくれる。これまで伏見健二の世界に親しんできた方々も、これから彼に出逢う世代も、伏見健二が紡ぐSF世界の、さらなる深化に注目されたい。(岡和田晃)




(PDFバージョン:PlotinosLove_fusimikennji



「『プロティノス=ラヴ』・再生」
 短いメッセージが瞬いて、おれのサポートAI(ミューズ)は演奏を始めた。
「ああ」
 応じるおれの声も合成音声だ。
 無重力作業に適した鋼の義体(モーフ)の中で、合成音声の甘いラヴソングが響いている。太陽は輝き、すべてを照らすが、太陽は決して変化しない。ボクはキミのヒカリをうけて暖まるが、キミはそれに気づくこともない。
 ……だが現実はそうじゃない。日に日に宇宙は紅くなってゆく。初めて見た宇宙は、もっと蒼かった。
 超高解像度でスキャンできるおれの拡大視野は、細かな針のようなデブリを見分け、繊細に宇宙機を操って『宝島』に近づいてゆく。デブリの中には民生のスキャナーでは探知不能なナノマシンが散布されている。一粒でも機体に触れれば、重金属イオンに反応して高磁性を持った結晶体を作り、姿勢制御モーターを破損させる。誰も『宝島』に近づけないように。
 散布パターンは『プロティノス=ラヴ』がデコードキーになっている。
 ドゥ、ド、ドドッ、ドロッ、ドン、ダドッ、ドロ……。
 その変調するベースラインに同調させる。この曲のコピーは世界でおれしか持っていない。恥ずかしながら、おれが書いた曲だからだ。若々しい表現欲と共に投稿サイトに登録したが、ダウンロードは5回だけだった。そのうち、その投稿サイトもメッシュから消えた。戦争でサーバーごと吹き飛ばされたのだ。
 まったく。うねりすぎて嫌になる、気色悪いベースライン。デキは悪くないんだ。不安定なおれの血流を、このモーフのなかにも思い出し、呼び覚ましてくれる。

 《大破壊後》十年。
 今のおれはジャンク屋だ。腐肉あさりのスカベンジャーだ。孤独な日常を繰り返す、宇宙に漂う瑣末な存在の一つにすぎない。友達もいない。丸い金属の肉体にこもって数百時間にわたる無重力作業を行い、スカム船団の古びたバージの一室に帰ればしけたモーフとパジャマを着こんで、ブリスターフードをかきこみながら、撮りためたVR配信を楽しむ。数億人の歯車の中で静かな経済活動を営む、哀れな魂(エゴ)のひとつだ。
 だがスカベンジャーにだって二種類がある。ゴミ箱を漁る奴と、宝箱を漁る奴だ。
 おれは宝箱を見つけた。
 L5のデブリの中で、行方がわからなくなっていた地球からの高級脱出船『コードロン・ブランシェール』を発見したのだ。ティターンズの攻撃を受けて損傷は激しく、船体の半ばはちぎれ、メインエンジンも含めて融解した金属塊になっている。艦橋は高出力プラズマ砲に吹っ飛ばされて見事に跡形もない。
 だが船体の半分は破損を免れ、清純このうえないチタニウム・ホワイトの船殻を輝かせていた。高純度のレアメタルで積層遮蔽されたその外殻を切り売りするだけでも、おれは百万年でも暮らしてゆけそうだった。だが本当の宝は、その積荷だ。数百の乗客は、船が攻撃されると、FTLリンクでエゴをキャスティングして脱出した。高級脱出船で大事に大事に、地球から宇宙の新世界へ運ぼうとしていた宝を、ここに残してゆかざるを得なかったのだ。
 そう、てめえら自身の、生まれ持った肉体。親からいただいた、ひとつっきりしかないオリジナルモーフを。

 おれの宇宙機は、船殻に塗りつけたステルス樹脂が吹き飛ばないように、慎重に接舷した。
「もう、音楽を止めろよ」
 愚痴るようにAIに指示。おれは『コードロン・ブランシェール』のヴァーチャル・プライベート・ネットワーク(VPN)に電子デバイスを有線接続した。いまどき、すべての機械は広域メッシュにつながり、勝手に通信を始める。秘密を守ろうとしたら、物理的に遮断するのが一番だ。こいつを発見したら、一瞬にして同業者が群がってきて、すべてをむしりとってゆくだろう。
 古びた緑色のコマンドラインにメッセージが浮かんで消える。誰も触れていない。船内に変化はない。ほっとした。
 船を発見してから、秘密の保持には本当に神経を使った。以前から使っているサルベージ用の宇宙機は途中で残し、そこからここへ移動するためにステルス素材で別の宇宙機を組み上げた。熱源振りまくジェネレーター駆動ではなく、静穏なタンク貯蔵式推進で乗りつける。運び出す機器や資材にも位置情報を特定されないように注意を払った。
 だが、そのすべての経費も、一体目のオリジナルモーフを売った金ですべて回収できた。
 おれは薄暗い非常灯のついた船内に滑り込む。重力は回復させていない。チビのトースターよろしく、漂い進むおれに好都合だ。サポートAIも黙り込み、静かな空間。カプセルポッド状になっている客室を覗き込む。おれの出荷待ち倉庫だ。すでに売った商品のところが空いている。
 一体目のそれは西海岸の金持ちの子供の冷凍保存体だった。大災厄からこっち、その両親は必死になってその子の魂(エゴ)の行方を捜していたというわけだ。
 両親は魂投射(エゴキャスティング)で脱出し、別の義体(モーフ)に収まって優雅な金星暮らしをしているが、子供の魂(エゴ)だけはタイミングが悪かったか、機器に異常があったか、脱出しそこねたらしい。
 それからもう十年。だめかと思われていたが、おれがサルベージした肉体と再会して感涙ということになったわけだ。おれは慣れない密売人を気取って、そいつを届けた。金持ちはひとしきり喜んだ後、信じがたいことに、ガキをそのまま大事に冷凍庫にしまいこんだ。古いエゴのバックアップが残っていたのに、それを肉体に戻すこともしなかったわけだ。エゴには情報体(インフォモーフ)も与えていない、休眠のままだという。
 だって! こんなひどい時代ありませんもの! もっと良い時代になったら、この子を眠りから呼び覚ましてあげるつもりです……と美しい母親は涙ながらに言った。
 へえ、そうですか。おれはひどく醒めた気分でそれを聞いていた。元の肉体からずいぶん若返ったように見える夫も、何度も頷きながら妻の完璧な腰を抱き寄せていた。子供のいない人生のほうが充実しているらしい。
 まあ、難破船の位置が露見することを恐れて、ガキから大脳皮質記録装置(スタック)をはずしたことが許されるな、とおれは解釈した。おれはそのスタックを捨てた。ガキだって、ティターンズからの攻撃で船が沈む、圧倒的恐怖の瞬間を思い出したくはなかろう。
 空いた寝台の両脇には、あの両親のオリジナルモーフがまだ氷の眠りについている。本当の家族の姿。今のモーフよりも、ひどく不細工な、太ってしみだらけの、省みられなかった肉体。
 見なくていいのに、来るたびにちらりと見ずにはおれない。いらないなら腐った地球に捨ててくればよかったろうに……あの土地からは、もっと脱出させるべき、価値のあるものがいくつもあったんだ。

 それからおれは、危ない橋をわたって遺品を届ける葬儀屋のような真似事をすることはやめた。
 もっといい買取先を見つけたからだ。エゴと人身を売買するナイン・ライヴスのような組織じゃない。新しいモーフをつくるために遺伝子解析を進めるスキンセティック社は、こういう権利切れのオリジナルモーフを集めている。適切なエージェントを通し、安全で充分な報酬を受け取ることができるようになった。人類が以前の多様性を獲得するためには、まだまだモーフもミームも足りないわけだ。
 あちらも大企業の下請けで、仲介役にすぎない。こっちの詮索をすることはないし、違法性があるなら耳をふさぎたいというスマートな手合いだ。おれは静かに、この宝島から月に一体か二体の肉体を運び出せばいい。エージェントはそれを受け取り、あとはおれに知らせることなく納入する。おれにはそれだけで莫大な報酬が手に入る。おれはそれを自分の信用経済(レプスコア)に還元させることなくストックする。急ぎすぎは危険だ。

 さて、次はどれを出荷するか……。
 物思いを終わりにし、おれは冷たい回廊を漂い進んだ。氷の棺にかざすと、グリーンディスプレイは乗客名簿を表示してゆく。少しでも『コードロン・ブランシェール』の存在に気づくものがないように、抽出するモーフも多様であるべきだと思った。どれでもいいんだが、入り口近くから順番に、というわけにもいかない。
 ディスプレイに一つの名前が浮かんだとき、おれは凍りついた。
「……まじかよ」
 アマリリス=パエトン。

 その名前が、あまりにも強い印象と共に脳に浮かび上がったのか。それともおれは無意識に口にしていたのかもしれない。支援AIはそれをキャッチして、曲の再生を始めた。
 ファライアットの『One in a 10 billion.』。
 低い唸りから始まるボーカルと、五月雨(さみだれ)のようなノイズに、あの記憶は鮮やかに蘇った。
 ホール満員の三万人を前にして、ファライアットのボーカル、アマリリス=パエトンは勝気な足取りで歩み出す。紅い照明に、長い金色の髪が燃え上がるように輝いていた。リアルタイムARでは数百万が視聴していた、伝説のライブだ。おれはリアルにそこにいた。そこで彼女と同じ空気を吸っていた。おれは彼女の露出した丸い乳房を凝視していた。それは歩みと共に挑発的に弾み、汗のしずくを熱狂する観客達に恵んでいた。
 後ろでギターのスプラッシュ、ベースのクラッチが楽しげに肩を寄せ合って、弦を唸らせていた。弦は絶叫じみた声援に共鳴し、無限のサスティーンに震えていた。彼女たちの細い指先が、それを宥めるかのようにフレットに触れ、アマリリス=パエトンのMCに注視させた。
「人類最後のライブかもね」
 あはっ、と悪びれない笑顔と共に、彼女はそう言った。
 観客を抑えてられるのはその一瞬だけだった。破裂しそうな激情で、観客達は叫び、求めた。彼女はすばらしくセクシーだったが、クソビッチではなかった。みんなが彼女を愛していた。あまりにも愛していた。ロックなのか、ポップスなのか、アイドルなのか、アーティストなのか、そういう古めかしい議論をすることも含め、すべての者たちがファライエットというガールズ・バンドを愛していた。
 アマリリス=パエトンは勝気な印象にそぐわずに語ることは穏やかで、ロックスターというタイプではなかった。愛らしい笑顔で、美しい肉体を持っていたが、普通の美人の範疇だった。声域は広かったが、声量には欠点を抱えていた。それでも彼女は完璧だった。誰しもが、彼女の声を聞くと、まるで彼女が傍らで身を添わせてくるように感じた。
 そんな、存在だった。
 彼女の唇はそのあとも動いていて、なにかを語っていたが、周囲の大気は情熱と振動で震え、なにも聞こえなかった。
 おれはひどく苛立ちながら、耳を押さえていた。
 彼女の言葉が聞きたかった。
 今日、おれと彼女はここで死ぬかもしれなかった。おれは彼女の語る言葉を一言も漏らさずに聞く必要があった。なにしろ、彼女はあのステージの上から、まっすぐにおれの瞳を覗き込んでしゃべっていたからだ。ティターンズの攻撃は迫っていた。駐機場には撃墜された主力攻撃機が頭から突っ込み、まだ燃えていた。パイロットはライブに来たくて、故意にここへ突っ込んできたんだ、と観客は噂していた。
 スプラッシュの左手がリフをかき鳴らし、曲が始まった……。

 結局のところ、べつにそのライブは人類最後のライブではなかった。戦争のなかで歌っていたシンガーは何万人もいた。ファライエットも、今、十年が過ぎてみれば、一過性のブレイクに過ぎなかった。混乱のなかで、ファライエットがどうなったかは判らなかった。それを捜し求めることすら、忘れていた。なにせ、人間社会そのものがブチ壊れたんだ。
 まじかよ、とおれはもう一度呟いた。
 百億人のなかで一人だけ、百億人のなかで一人だけ、百億人のなかで一人だけ。
 流れる曲に、彼女の声が繰り返されていた。うねるような、あの……。
 ドゥ、ド、ドドッ、ドロッ、ドン、ダドッ、ドロ……。
 おれは震える指先で客室ポッドをスライドさせた。目の前には、まぎれもなく、アマリリス=パエトンの肉体が静かに横たわっていた。美しい瞳は閉ざされていた。だが、あのとき見た肉体、そのものだ。すると彼女はオリジナルモーフでステージに立っていたのか。いや、クローニングされた予備義体をいくつも持っていたかもしれない。そう考えるほうが自然か。だがここにあるのが彼女のオリジナルな肉体であることに間違いはない。
 サポートAIからメッシュにアクセスし、アマリリス=パエトンの現在について調べようとして、慌てて思いとどまった。アクセスログから、この船の位置を世界(メッシュ)に公開することになりかねない。
 震える手でデバイスを操作し、モーフの状態について調査した。やはり他の肉体と同様、遭難時にエゴ投射がなされた記録がある。
 この肉体はうつろだ。アマリリス=パエトンの抜け殻だ。冷たく硬く凍り付いている。
 おれは衝動に耐えかねる形で、解凍シークエンスのスイッチを押した。その肉体に触れたい、という衝動だ。抜け殻だろうと、アマリリス=パエトンだぜ? しかしそのシークエンスが進行する十五分の間も、おれは冷たい鋼鉄の肉体の中で迷い続けた。どうすればいい。どうしようってんだ。伝説のアイドルの肉体を手に入れて、どうするんだ。解凍しちまったが、してどうするってんだ。
 ドゥ、ド、ドドッ、ドロッ、ドン、ダドッ、ドロ……。
 おれのモーフが通常の肉体だったら、通路を歩き回ったり、壁を叩いたりしただろう。しかしおれは真空作業用のポッドをまとっており、滑稽なことに、微動だにもせずにタイマーを見つめる、ただの銀色の球体だ。
 ケースが開き、ふわあっ、と蒸気があふれるのは、美しい光景だった。



 アマリリス=パエトンは体にぴったりとあったクリーム色のスーツに、黒いメッシュのチュニックをまとっていた。豊かな金髪は、清楚な雰囲気でまとめ上げられていたが、冷凍保存の影響か、すこし艶をなくしてくすんだ色になっていた。ステージ上で踊り、あんなに輝く大きな存在に見えた彼女の体は、ほっそりとして、小さく見えた。だがしなやかな四肢に、健康的な筋肉の盛り上がりが伸びており、あの躍動を支えていたことがよくわかった。VRグラビアが補正されていたのだと判る。リアルな彼女はふっくらと柔らかな恋人ではなく、活動的で健康的な肉体を持っていた。
 指先はしわもなくまっすぐで、美しかった。グラビアでは気づかなかったが、左手にはピッキングのタコがあった。彼女はマルチプレイヤーで、元来はベーシストであったと知られている。オリジナルモーフにはその練習の痕跡が強く残っている。細い足先には、紅いパンプスを履いていた。レースのソックスに包まれた脚に、香油を塗りこみたい衝動に駆られた。
 延髄に細いラインがつなげられている。いくつかの管理システムがあるが、ファージン社の普及型管理装置による冷凍中の生命維持はこれだけで済む。肉体は健やかで、まれに起こる経年トラブルも彼女のモーフには無縁であったようだ。呼吸も、胸の脈動もないが、白い肌、透き通るような頬に、ほんのりと薔薇色の血色に染まっている。血中ナノマシンはモーフを生かしている。
 起き上がるわけではない。
 童話の眠り姫のように、かすかな呻き、唇の吐息、そして額を押さえながら半身を起こす動作はない。あくまで、彼女は抜け殻だ。
 だが、彼女は、生きている。今、このおれの前に、存在している。
 美しさと愛らしさへの感動と尊敬が、苦しいほどにおれに満ちる。
「…………お」
 おれは手を伸ばして彼女の髪に、そして美しい双胸のふくらみに触れようとして、ひどい自己嫌悪と共に手を引っ込めた。そう、作業用の冷たい多関節マニュピレーターを。無作法で、間抜けすぎる! 美しい眠り姫を目覚めさせるのには、薔薇の一つも用意すべきだろうに!

『don’t touch』
 ピシッ、と弾き返すようなメッセージが表示された。
「……!」
 それはミューズ経由で届いた短信メッセージだ。眼前にARが表示される。ゆらり、と彼女が起き上がる。それこそ魔法のようだった。横たわった肉体に重なるように、ホログラフィックなアマリリス=パエトンが起き上がり、迷惑そうな顔でおれを見つめる。
「……なんだ、お前はッ?」
 驚きながらも、素早くチェックする。物理的な表示装置があるわけではない。サポートAIを経由して、おれの視覚に割り込んできた仮想現実だ。素早くモードを切り替えてチェックする。インフォモーフか? 俺のAIがハッキングされたか?
『私はアマリリス=パエトンのサポートAI(ミューズ)です。あなたの行為は犯罪であり、また経済活動上においても多額の賠償を請求される行為となります。彼女の身体にお手を触れないように警告いたします』
 ホログラムは少しだけ首をかしげ、CGの唇をなめらかに動かしながらおれに告げた。ミューズが生きていたか。なるほど、彼女ほどの芸能人なら、オリジナルモーフの安全とプライバシーを守るために、システムを存在させているのか。
「……わかった。危害を加えるつもりはなかった」
 おれは両手を上げ、退いた。
 恋情に冷や水を浴びせられた形になった。素早く頭をめぐらせる。こいつはメッシュにアクセスできるのか? こいつは目覚めたことを、本来の持ち主であるアマリリス=パエトンのエゴなり、自分の所属するプロダクションなりに伝えたのだろうか。量子通信はごく小さなインプラントで、通信波を妨害できる手段はおれにはない。
「だがこちらにも事情がある。少し汲んでくれるとありがたいが……」
 少し震える声になった。
 AIが「宝島」の現在地点を知らせたら面倒なことになる。彼女の肉体を手に入れられる、手に入れられないの話ではない。おれの食い扶持はすべて水の泡だ。くそっ。
『少々お待ちを。確認します』
 アマリリス=パエトンのホログラフは小首をかしげ、古い電話をかけるかのように、耳に注意を集めるようなしぐさをした。その仕草がまた愛らしくて、おれはどきりとした。AIだ。
 しかしサポートAIは限りなく本人に近しい第二のエゴだとも言える。
『彼女のエゴは投射されています。船が難破したことにより、脱出したのですね』
 AIはすぐに口にした。確認が内的な情報確認であり、通信ではなかったということに、おれは少しだけほっとした。慌てて言葉を重ねる。
「ああ、そうだ。おれは破棄されたこの船を発見し、積荷を回収している。発見者として、この船に属するものすべてに、法的にも所有権を主張できる。そしてお前が現在地を通知すると、違法な暴力による略奪にさらされる危険がある。船が放棄されたのは十年も前のことだ」
『……』
 AIは困惑したように黙った。おれの主張にも一理あったようだ。一般論的に言って、モーフからインジェクションしたら、そのモーフの所有権を放棄したとみなされるだろう。であればAIも保護の義務から解かれることになる。そしてサポートAIである以上、主のエゴのないところでの活動はナンセンスである。それは単なるバックアップだ。プログラムをランさせるべきじゃない。
 おれの予測は当たったようで、キュン、とかすかな音を立てて、ホログラムが視界から崩れるように粒子を残して消えた。アマリリス=パエトンのサポートAIはおれのサポートAIとのコンタクトを絶った。
「おい待て……!」
 慌てた。
 横たわるモーフを覗き込み、呼びかけるが反応がない。
 ぞくりと背筋が冷え込むような、ひどい喪失感を感じた。おれのAIもいつしか『One in a 10 billion.』を奏でるのをやめており、あたりはしんと静まり返っていた。
「アマリリス=パエトン……」
 横たわる美しいモーフにおれは呼びかけた。そして勇気を出して、再び彼女の体へとマニュピレーターを伸ばしてみた。だが、もうAIの制止の声はなかった。おれの冷たい指先が、かすかなぬくもりを宿す彼女の身体に触れた。嗅覚センサーが反応した。肉体は柔らかく、匂いがあった。あのとき感じた汗の匂いだ、と思い出した。指先は頬に触れた。そして首筋へ、細く凹んだ鎖骨から、心房の動きを探るかのように双胸の間へとなぞった。
 モーフはモーフだ。空っぽの器だった。
 弱ったな。
「おれは、あんたのファンなんだが……」
 横たわる彼女に話しかける。
 位置を知らせることを恐れるなんて、拾いものを失うことを恐れるなんて、おれは呆れるほどに小物すぎた。
 ヘマをした。
 AIでいいので、もう一度目覚めて欲しかった。彼女のエゴがどこに投射されたのか、今はどうしているのか、それを聞きたかった。現在のことだけではなく、過去のことも聞きたかった。メディアの向こうで輝いていた彼女が実際にはどういう娘だったのか、そしてなによりあのとき、あのライブで、なにを語っていたのか、聴きたかった。
「……まあ、いいさ」
 返事はなく、諦めざるを得なかった。俺は彼女のケースを再び閉ざした。
 時間をかけて解決できる問題かもしれない。もう十年も辛抱強くやってきたのだ。彼女のモーフを運び出し、どこか安全な場所に保管することを考えようと思った。もちろん売る気はなかった。強い恋の感情と、それに伴う性欲のようなものは、今はもっと大きな思考に出番を失っていた。
 彼女のサポートAIを再起動させる方法もあるだろう。また、改めて今を生きるアマリリス=パエトンを探し、出会うことも不可能ではない。ありがたいことに、それを成し遂げるための無限の時間と、それを支える充分な財力が今のおれにはあるんだ。どうやら、生きる目標を見つけたかもしれない。

 百億人のなかで一人だけ、百億人のなかで一人だけ、百億人のなかで一人だけ。
 ドゥ、ド、ドドッ、ドロッ、ドン、ダドッ、ドロ……。

 『One in a 10 billion.』のリフは、おれの頭のなか、おれの魂(エゴ)の中で鳴っていた。
 プロティノス=ラヴ。
 古代ローマ末期、ネオプラトニズムの始祖として、プラトンの理想を実現する都市「プラトノポリス」の建設を夢見たプロティノスは挫折した。至高の愛(プラトニックラヴ)を夢見たのはプラトンではない。プロティノスだった。彼は内なる神を見つけ出すことはできたのか。美と愛を見つけることができたのか。
 そしてずっと抱いていた疑問の答えを、聞く必要があった。
 あの曲のリフが、俺の『プロティノス=ラヴ』の一節に似ているのはなぜなのか、という質問を。
 考え違いと笑われるのなら、それでもいい。
 おれは、あのライブでだって、キミに聞きたくてたまらなかったんだ。
 もしかしてキミが、たった五人のダウンロードユーザーの一人だったんじゃないか、ということを。

fin



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伏見健二プロフィール


伏見健二、最新デザイン
『八王子城攻城戦』収録