「デジタルの夢/アナログの夢、NEOの近況について」片理誠

(PDFバージョン:NEOnokinnkyou_hennrimakoto
 この文章を書いている2012年11月3日現在、私は「NEO」という創作集団の窓口役を拝命しております。
 そこで今回はこのNEOに関して多少ぶっちゃけたところを書いておければと考え、筆を執ることにいたしました。もし良かったらお付き合いくださいませ。
「NEO」が誕生するに至った経緯については、以前私が書いた「SF Prologue Wave」というコラムにあるとおりですので、今回は我々の近況についてを主に取り上げたいと思います。

「NEO」は「Next Entertaiment Order(次世代娯楽騎士団)」の略で、構成メンバーは小松左京賞と日本SF新人賞の出身者の中の有志です。
 で、のっけから苦労話になってしまうんですけど、「NEO」の定義についても、まー、実は色々ともめてまして(汗)。
 誕生のきっかけが小松左京賞と日本SF新人賞の休止でしたので、この二賞の出身者で力を合わせて、というところまでは自然に話が進んだのですが、その後が大変。
「要するにNEOというのはSF界の若手の力を結集しようというムーブメントなんだから、若手だったら一切合切入ってもらっちゃっていいんじゃないの? 例えばSF評論賞出身の人とか」
「いや、創作と評論を一緒くたにまとめるのは双方にとってよろしくない結果になると思う。場合によっては共闘もするけど、我々は打々発止の真剣勝負を求められる、本来ならば馴れ合うわけにはいかない間柄。喩えるならばそれは、ルパン三世と銭形警部のような」
「じゃあ、作家に限定するとしても、別に二賞にこだわる必要はないんじゃない? もっと色々な人に参加してもらおうよ。若い人なら誰でもOKってことで」
「若いって、何歳まで?」
「自称“若者”なら誰でもいいんじゃない?」
「きっと小松左京さんが聞いたら入りたがると思うなぁ。新しいことが大好きだから」(これらの会話は2010年の都内某所で行われました)
「大先輩であらせられる小松左京さんを“若手”と言い張るのは、いくら何でも無理がありすぎるのではないかと(汗)」
「恐れ多いです……」
「やっぱり何らかの“枠組み”は要るんだと思うな」
「けど、もう二賞は休止になってしまってるんだから、このままだとNEOは永遠に増えないってことになるぞ?」
「……小松左京賞や日本SF新人賞のような、日本SF作家クラブが全面的にバックアップするSFの新人賞、我々のように受賞者が推薦人を必要とせずにSF作家クラブの入会審査を受けられる、そんなSFの新人賞ができたら、それは休止してしまった二賞と同格の賞ということだよね。その新人賞の受賞者なら入ってもらっていいんじゃないかな」
「それはどんだけ先の話なの?」
 云々かんぬん、わいわいがやがや、ごちゃごちゃと議論を重ねまして、出た結論は「とりあえずまずは現在のメンバーで行こう」というもの。そうなんです、実はNEOは未だにきっちりとした定義が決まっていないんです(汗)。一つだけ決まったのは「排他的なことはやめよう。手を組める相手とはどんどん手を組んでいこう。その場合は“NEO with ○○”みたいなユニット名を使おう」ということでした。
 これはあくまでも私個人の意見なのですが、NEOは増えなくてもいいと思ってるんです。その代わりにもっと色んなユニットが誕生してくれれば。期間限定とかでも構わないので。「近未来的女性作家同盟」とか、「今度のSF大会で面白いことをやる会」とか、「サイバーパンク研究クラブ」とか、「宇宙SFのアンソロジー作るぞ、の集い」とか(笑)。NEOもこういったものの中の一つだと私は考えています。別に一人で幾つものユニットをかけ持ちしたって全然構わないじゃないですか、ねぇ? 生まれては消え、消えては生まれる。それで全然構わないと思うんです。新しいSFの新人賞が生まれたら、その賞の受賞者さんたちでまったく新しいユニットをこさえてもらったって何の問題もない。日本SF作家クラブという、この大きな枠組みを補完し更に盛り上げてゆくような動きなら、私は大歓迎したいです。もちろん、もし未来の受賞者さんたちがNEOに入りたい、そしてNEOを継承してゆきたいと望んでくれるなら、それはそれでとっても嬉しいです。
 何にせよ、未来のことを決めるのはその時の人たちだよね、と思っています。
 それから「あなた方は本来、ライバル同士なんじゃないの? NEOって結局、馴れ合いの場になってしまうんじゃないの?」という意見を頂くこともあるのですが、これについてもお答えしておきたいと思います。
 NEOにおける私の行動指針は単純明快、いたってシンプルです。それは「力を合わせるべき局面では一致団結し、互いに切磋琢磨すべき場面では正々堂々と競い合う」というもの。
 SF、あるいは小説という枠組みの中で見れば、我々は確かに同業者です。数少ない椅子を巡って互いに壮絶な奪い合いをしなくてはならない間柄です。特に昨今の厳しい出版状況の中では、我々のところにまで回ってくるチャンスは大変に希少。当然、そういう時は実力と実力のぶつかり合いになります。もちろんそこには純粋な筆力の他に、例えば「過去の実績」とか、「人気」とか「評判」とか、「人脈」とか、もちろん「運」も大きく絡むでしょう、試されるのはそういった全ての要素を包括した「実力」です。
 何しろ作家は我々だけではありません。百戦錬磨のベテラン勢、一騎当千の中堅たち、虎視眈々と好機を窺っているニューカマーども。この荒野には数多の猛者がひしめいているんです。しかも毎年毎年、様々な新人賞から新進気鋭と銘打たれた活きのいい鉄砲玉がわんさと供給されてきます。
 この過酷極まりない戦場では、温室で育った馴れ合い体質のお坊ちゃまお嬢ちゃまなど、ひとたまりもありません。我々は互いに牙を研ぎ、爪を磨かなくてはならない。強い者だけが生き残る、優れた者だけが勝ち上がる。これはそういうレース。甘っちょろいことなんて言ってられませんし、馴れ合ってなどもいられない。皆、必死なんです。そして本気になって死に物狂いで原稿に向かい合うからこそ、作家としての成長があるわけです。
 だから、例えば順番にチャンスを割り振るとか、そういうことは一切する気はありません。ズルもしませんし、させません。強い人、優れている人に生き残ってもらわなかったらわざわざNEOをやる意味がない。
 これからSF作家になろうと志している人にはあまり爽やかではない話題でちょっと心苦しいのですが(汗)、正味な話、色々と厳しい世界なんです。決して甘い業界なんかじゃない。我々を縛るのは冷酷非情な経済原則。欺瞞と綺麗事に満ちた建前論だけではその現実に太刀打ちできません。
 小説としてのSF、という狭い枠組みの中では確かに我々はライバル同士であり、かなり手強い商売敵ということになります。
 ですが、我々のライバルはその枠の中だけにいるのではありません。枠の外のライバルと競い合う時、私たちは同志であり、互いに共闘する間柄になります。
 有り体に言ってしまえば、我々同士で小さなパイを奪い合っていても埒が明かないんです。「SFという名のパイ」そのものの大きさを今よりも遙かにずっとずっとず~っと大きくしなかったら、どんな死闘もせせこましい小競り合いに見なされてしまう。それは甚だ不本意です。
 で、「SFという名のパイ」を大きくするための方策なんですが、これまた身も蓋もない言い方になりますが(汗)、これはもう今のこのご時世では余所のジャンルからファンを奪ってくるしかないんです。
「漫画」や「ゲーム」や「アニメ」のファンには、「それも悪くはないけど、小説も楽しいよ!」と言い、「ミステリー」とか「時代小説」とか「純文学」とかの読み手には「SFも読んでみてはいかかでしょう?」と示唆する。これしかないんですよ。本当はこの不景気が終ってくれるのが誰にとっても一番良いんですけど、そんなのいつになるか分かったもんじゃありませんので。
 今までSFを読んでいない人にも読んでもらうためには、とにかく「SFって、面白そう」と思って頂くしかなく、そう思って頂くためには、とにかくSFを今よりももっともっと盛り上げていくしかない。結局はそれがSFという名のパイを大きくすることにつながるわけです。
 我々一人一人の力は微々たるものであり、個々でできることには限りがあります。ですが力を合わせることができれば、個人ではできないこともできるようになる。NEOはそのための組織です。

 私たちは現在、主に『九十九神曼陀羅』と『Eclipse Phase』という二つの企画に携わっております。




『九十九神曼陀羅』企画については「“九十九神曼荼羅シリーズ”について」という記事を是非ご覧になって頂きたいのですが、早い話が「九十九神という千年以上も前から考えられていた妖怪(または精霊)をモチーフに使用して、我々で短編競作をする」というものです。
 この企画のユニークなところは「最初から電子書籍のために企画されている」という点です。
 現在、いよいよ日本でもアマゾンのキンドル・ストアが開始になり、ようやく大本命が出揃ったという感じですが、実際にはその内訳はまだまだ紙の本を単に電書化しただけのものが主流になっています。せっかくのデジタルのパワーも紙の本と一緒の体裁、一緒の内容という鎖に縛られていては、そのポテンシャルの多くの部分は眠ったままになってしまう。電子書籍には電子書籍にしかない可能性があるのですから、そこを活かしていかなかったらつまらない。
 例えば全十章の小説の第一章から第九章までを上巻とし、第十章のみを下巻として売る、なんてことも電子書籍ではできちゃうわけです。電子書籍には、上下巻ともだいたい同じボリュームでなくてはならない、なんて制約はないんですから。好きなところで冊を分けられるんです。ミステリーなんかでは謎解きの部分だけを別冊にできるのは大きいんじゃないかと思います。そんで上巻を百円で、下巻を一万円で売れば大儲けが……ってそれはさすがにアコギだ(笑)。
 上巻は一つなのに下巻が複数バージョンある、なんてこともやれます。恋愛小説なんかでは「下巻〈ハッピーエンド・バージョン〉」と「下巻〈アンハッピーエンド・バージョン〉」にするとか、色々とやれますぜ。
 紙の本には印刷やら流通やら販売やら返本やらといった様々な制約があり、その結果、今の形態にほぼ固定されています。が、電子書籍はそれらの制約からは自由です。いっくらだって好きなことがやれます。
 最初から電子書籍として企画された『九十九神曼陀羅』では、二つの野心的な試みが仕掛けられております。
 一つ目は、挿絵までもがフルカラーである、ということ。表紙だけじゃないんです。中の挿絵までもがフルカラーのイラスト。しかも挿絵の数も多いんです。ビジュアルにこだわった企画なんですね。カラー表示が可能な環境をお持ちのかたは、是非、美麗な絵の数々をカラーでご堪能くださいませ。電子書籍じゃなかったら、こうはいかないですよ!
 そしてもう一つは「E-SINGLE」である、というところです。「E-SINGLE」とは要するに「短編小説のばら売り」。電子書籍先進国であるアメリカでは既にこの短篇小説一篇ごとの販売が電子書籍マーケットの新たな潮流になっているとか。日本でも現在、日置徹さんというフリーの編集者がこの「E-SINGLE」の日本版のプロデュースに取り組んでおられ、既に『異形コレクション』の「E-SINGLE版絵ものがたり」等を実現されています。日置さんは『九十九神曼陀羅』の重要なキーマンの一人でもあります。
 紙の媒体では短編小説は例えば雑誌であるとか、短編集といった形にまとめないと提供することができませんでした。でも電子書籍なら、そんな制約はありません。一つ一つの短編を読者の皆さんに直接お届けすることができるんです。逆に皆様から見た場合は、欲しい短編“だけ”を買えることになります。抱き合わせではなく、ばら売りですんで(笑)。
 短編小説は、例えば通勤や通学の電車の中なんかで読むのに最適な分量なのではないかと思うんです。手軽なものから本格志向のものまで、様々なバラエティに富んでいますので、読書ライフの入門編としても申し分ないかと。いずれ「E-SINGLE」が日本の読書人口を激増させる日がくるんではないか。きたらいいな。そんな風に夢見ております。
『九十九神曼陀羅』は現在、「小学館eBooks」から毎月第二金曜日に配信されております。



(Ecllipse Phase は、Posthuman Studios LLC の登録商標です。本企画はクリエイティブ・コモンズ『表示 – 非営利 – 継承 3.0 Unported』ライセンスのもとに運営されています)

『Eclipse Phase』企画の詳細については是非、岡和田晃さんの「シェアード・ワールドとしての『エクリプス・フェイズ』」という記事をご覧になって頂きたいのですが、かいつまんでご説明いたしますと、「Eclipse Phaseというポストヒューマン時代の太陽系を舞台にした――ブルース・スターリングの『スキズマトリックス』のような――海外の最新SFロールプレイングゲーム(会話型RPG、テーブルトークRPG)の世界観を用いて、我々でシェアード・ワールド・ノベルを書いてゆく」というものです。
 シェアード・ワールドというのは、一つの世界観を複数の書き手で共有して物語を紡いでゆく、というやり方のこと。
 SFやファンタジーやホラー界隈の作家が複数人集まって「俺たちで力を合わせて何かやってみようぜ!」という話で盛り上がる時、大抵の場合、俎上に載せられるのがこのシェアード・ワールドです(笑)。つまりそのくらい皆がやりたがる、面白そうな方式なんですね。全員で一つの世界を共有し、その中で自分ならではの個性を輝かせる。クリエイターとしての野心や魂をくすぐられる、すっごく魅力的なやり方なんです。
 が! シェアード・ワールドというのは、とにかく難しいんです(汗)。作家というのは良くも悪くも個性的な人が多いものですから、これをすんなりと一つにまとめるのは正に至難の業。しょっちゅう話題にはなるものの、なかなか実現しない。そんな幻の創作方式がシェアード・ワールドなんです。
 かててくわえてこの出版大不況ですよ。どこの出版社も今はリスクの高い企画にはなかなか手を出せないのが実状です。海外にも日本にも成功しているシェアード・ワールドのシリーズはあるのですが、でも全体から見ればまだまだ少なすぎるのでしょう。
 つまり「異様に難しい」上に、「今は発表の場がない」という二つの高いハードルがシェアード・ワールドにはあるんです。
 けれども、既に存在するゲームの世界観を共有するのなら、難易度のハードルはぐっと下がります。発表の場はネットだって全然構わない。今の我々にはSF Prologue Waveがある。いける、いけるぞ! ということで始まりました(笑)。
 幸いEclipse Phaseには「クリエイティブ・コモンズ」というライセンスが設定されておりまして、ここに設定された規約を守る限り、誰でも自由に創作することができるんです。
 日本SF評論賞優秀賞を受賞しゲームの仕事も多数なさっている岡和田晃さん、Eclipse Phase日本語版の翻訳監修者である朱鷺田祐介さん、Eclipse Phase日本語版翻訳チームの皆さんや、岡和田晃さんが主催するAnalog Game Studiesの皆さんなど、大勢の方々から至れり尽くせりの大変に親切なご協力を頂いて、我々も楽しく創作させて頂いております。
 まずこのゲーム自体が凄く面白いんです。Eclipse Phaseは、ポスト・シンギュラリティの世界で繰り広げられるニュー・スペースオペラ、という体裁をとっています。アメコミのような、最高にカッ飛んでて、イッちゃってる世界。もぉとにかく、キてます(笑)。ポスト・シンギュラリティも、ニュー・スペースオペラも、もはや我々SFファンには説明不要なお馴染みの概念。ですので、作品自体については、とにかく飛び込んで頂くのが一番手っ取り早いかと思います。大丈夫、絶対に理解できますよ、我々ならば。
 そしてもう一つ面白いと思うのが、このゲーム、会話型RPGというアナログ・ゲームの一種なんです。コンピュータ・ゲームじゃないんです。こんだけ吹っ切れちゃってる最先端のSFゲームが、デジタルではなくアナログのゲーム、というのも不思議な感じですが、実際にプレイしてみると「なるほど。これは確かに決まりきった反応しかできないコンピュータでは無理だな」ということがよく分かります。きっちりと作り込まれている一方で自由度がとても高い。アナログ・ゲーム素人の私ですら「かなり手慣れている人が作ったんだな」ということが、手応えとしてはっきり分かりました。戦略や戦術のハイレベルでの応酬、お互いの臨機応変かつ柔軟な対応をプレイヤーとゲームマスターの双方で楽しむ、そんな知的なゲームに絶妙なバランスで上手に仕上がっています。
 元が良いので、創作する時も大助かりなんです(笑)。
『Eclipse Phase』の創作活動はこちらで行っております。ゲームの情報については岡和田晃さんが提供して下さっているこちらのコーナーをご覧くださいませ。
 また、ルールブックの翻訳も進んでおりますので、どうかお楽しみに。

 考えてみると『九十九神曼陀羅』企画では、九十九神という千年も昔の妖怪を電子書籍というデジタルの世界に蘇らせ、『Eclipse Phase』企画の方では、世界でも最先端を行っているんじゃないかという最高に尖ったSFゲームをアナログの環境で楽しんでいる。どちらの企画も新と旧とを上手く取り入れ、ミックスしている。そう考えると面白いですね。

 今の日本を覆う大不況という名の暗雲の下で、果たして我々にいかほどのことがやれるのか。その見通しは正直言うとまったく立っておりません(汗)。どうなってしまうのか、一寸先は闇です。でも何かやれることもあるんじゃないか、とも思っています。
 NEOについて、これからも暖かく見守って頂ければ幸いです。



片理誠プロフィール


片理誠既刊
『Type:STEELY 上』
『Type:STEELY 下』