「客観死」田丸雅智(画・山田祐基)


(PDFバージョン:kyakkannsi_tamarumasatomo

「あいつは、もう死んでいるんじゃないか」
 そういう噂が社内に広がりはじめたのは、つい一週間ほど前のこと。
 一度声があがってしまうと、社内に噂が広まり切るのにそう時間はかからなかった。みながうすうすそう思っていたのだ。
「徹夜明けでも、あくびひとつしない」
「いくら飲んでもつぶれない」
「歩き方が妙に軽やかだ」
 関係あろうとなかろうと、噂はだんだんエスカレート。広まるにつれて次第に真実味を帯びていった。 
「壁をすり抜けているところを見た」
 そういうことも、まことしやかに囁かれるようになった。
 本人は、自分が死んでいることに気がついているのだろうか。いや、言動を見る限り、ふつうの人と同じだと思いこんでいるようだ。これは、誰かが本人に教えてやったほうがいいのではないか。そのほうが身のためになるのではないか。
 こうしてあるとき、ついに上司が呼びだした。内容は簡潔だった。
「きみはどうも死んでいるようだな。客観的に見て、間違いない」
 さあ、たまったものではないのが当の本人。とつぜん呼びだされたかと思ったら、この通告。支離滅裂にもほどがある。真顔で言われたものだから、どうしてよいのか対応に困る。
「かんべんしてください。なんの冗談なんですか」
 男は、そっと周囲をうかがった。隠しカメラで撮影されているのではないかと思ったからだ。あとで困惑する様子を見て、みんなで笑いものにしようというのだろうか。それとも、不測の事態への対応を見ているとでもいうのだろうか。
「やはり、事実を受け入れられていないようだな」
 と、上司。噂の力は、実におそろしい。
「きみは死んでいるのだよ」
「私が? 死んでいる? まさか」
「これは重症だ」
 上司は溜息をつき、席を立つ。窓の外を眺めながら、彼は言う。
「分かるまで、何度でも言おう。いいかい、きみは死んでいるのだ。いつからかは知らんがね」
 男は、自分の手を眺める。足を見る。頬をつねる。おかしなところはないようだが。
「まあ、すぐに事実を受け入れろとは言わない。少し時間をあげよう。もう一度、自分自身をよく振り返ってみることだよ」
 反論の余地もなく、そういって一方的に解放されたのだった。
 男はなかば放心状態。軽いめまいを感じながらも、なんとか席まで戻ってくる。しかし、仕事は手につくはずもなく、上司の言葉が頭のなかでこだまする。
「おれが死んでいるだと……」
 冗談にも聞こえなければ、おれを試している様子も見受けられなかった。
 男のなかで、怒りにも似た気持ちが沸きおこる。いくら上司といえど、失礼じゃないか。何の権利があって、人にそんなことを言うのだろう。
 しかし、ああもはっきり言われてしまうと、なんとなく不安になる。
「なあ、おれは死んでいるんだろうか」
 隣の席の部下をつかまえて、軽い気持ちできいてみた。
「ええ、おそらくは」
 予期せぬ返答に、卒倒するかと思った。
「なんだって」
「課長は、もうお亡くなりになっていると思います」
 こいつ。
 男は、胸ぐらにつかみかかりそうになる気持ちを懸命に抑えた。
「……ほう、何を根拠に」
「いくらでも挙げられるじゃないですか。むしろ、生きていると言いきれる理由を探すほうが難しい」
 首を締めあげ、その死んでいる理由とやらを挙げさせようかとも思った。だが、男は自分に言い聞かせ、なんとかこらえた。こいつも、ちょっとおかしいのかもしれない。そうに違いない。
「そうか、仕事のじゃまをして悪かったな」
 そういって、何気なさを装って席をたった。
 男はこっそり、ほかの何人かをつかまえて同じことを問いただしてみた。まあ、否定してくれる人物もすぐに現れるだろう。なかには、失礼だといって一緒になって憤慨してくれる者もいるだろう。そんな程度に考えていた。
 だが、誰にきこうが、あろうことか結果はすべて同じだった。
 あっけらかんと言い放つ者、しつこく迫ると遠慮がちに口を開く者、知らぬ存ぜぬを通そうとする者。いろいろいたが、ぜんぶに共通して男が死んでいるということに確信をもっているようだった。
 なんということだ。こうなると、冗談の域をこえている。みんなでおれの存在を無視して、会社をやめさせようと企んでいるのだろうか。しかし、男にはそのようなことをされる心当たりは皆無だった。それに、男が死んでいると主張するほかには、彼らの態度は普段と変わらなかった。仕事についての意見を求められたり、休憩時間に軽口を交わす、気持ちの良い関係。それじゃあいったい、何が起こっているというのだろう。
 とつぜん、客観死、という言葉が浮かんできた。自分では生きていると思っているのに、客観的な事実としては死んでいる。死んだことに、当の本人だけが気がついていない。そういうことが起こっているのかもしれない……。
 物語の設定としては使い古されたものだが、そんなことが果たして実際に起こりうるのだろうか。しかし、周りの意見を総合すると、まさしくそれが起こっているというのだ。
 これはいよいよ、自分は死んでいるのかもしれない……。男はだんだん、そういう考えにとらわれはじめた。ばかげた考えだとは承知しつつも、うっすら意識しはじめてしまった。いったん考えだすと、思考はぐんぐん加速度を増す。
 男は、妻に尋ねてみる。
「なあ、おれは死んでいるんだろうか」
「ばかねぇ」
 妻は一笑に付し、家事に戻ってしまった。
 これは、どちらの意味にとればいいのだろう。冗談もたいがいにしておけということなのか。それとも、そんな当たり前のことをいまさら聞くなということなのか。後者ならば、おれはどうすればいいのだろう……。そう考えると、だんだん真意を問うのが恐ろしくなってきて、とうとう妻には聞けずじまいになってしまった。夕食時にテレビをつけると科学番組をやっていて、白衣の人が活躍していた。死装束を連想し、嫌な気分になる。
 その日から、男のなかで絶えず疑念がつきまとうようになった。おれは、生きているのか、死んでいるのか……。自分の生死を疑いながら過ごす日々がつづいていった。
 周囲の反応は、死を打ち明けられてからも変わりなかった。それが、いっそう男を苦しめた。彼らは勝手に、おれの死を当然のものとして受け入れている。気にくわないこと、はなはだしい。だが、事実を受け入れられていないのは、本当はおれのほうかもしれないのだ。正解は、どっちなんだ。
 光に手をかざしてみる。なんとなく透けて見えるような気がする。やはり、自分は死んでいるのだろうか。いやいや、そんなの気のせいだ。
仕事でも注意散漫になり、ミスも増えた。こんなミスをやらかすのも、自分が死んでいるからなのでは……。考えだすと、動かしがたい状況証拠がそろっているような気がしてくる。
 会議でも人の話が入ってこないことが増えた。不意に質問されて、答えに詰まることが多くなった。そんなときは、周囲からの憐れみのこもった視線を感じる。この人は、まだ自分の死を受け入れられていないのか、可哀そうに。被害妄想だろうか。
部下にきく。
「なあ、もし本当に死んでいるとして、おれはどうなるんだろうか」
「それならそれで、いいんです。課長がはっきりその事実をお認めになってくれさえすれば。それでまた、普通の日常が戻ってきます。
 課長、何をそんなに心配されているんです。課長ほど優秀な方は、そうそういらっしゃらないのですから、死んでいるからといって対応が変わるなんてことはありえないですよ」
 言ってることが、むちゃくちゃだ。そんなことですまされちゃあ、こちらの苦悩が報われないぜ。
 日がたつにつれて、男は自分の死を少しずつ本気で考えるようになっていった。
 男はいったん、死を受け入れた場合のことを考えてみようと思った。仮に死んでいるとして、息を吹き返すための方法はあるのだろうか。
そうだ。毒薬を飲んでみるのはどうだろう。幽霊が毒を飲むと、マイナス×マイナス=プラスの具合で、現世側に戻ってこられるのではないだろうか。
 男は毒薬の調合方法を調べ、ひそかに材料を入手した。できあがったそれを恍惚の表情で眺めている自分に気がついて、はっとする。まだ、自分が死んでいると決まったわけではないのだ。これを呷って本当に死んでしまったのでは取り返しがつかない。かろうじて、思いとどまる。
また彼は、自分が納まるはずの墓の前に立ち、考えてみる。もしかして、自分はすでにこの中に納まっているんじゃあ……。
 いや、さすがにそれはないようだ。それならば、おれの死体はどこにあるのか。
 そうだ、何かの事件に巻き込まれて、山奥なんかに連れ去られた可能性がある。おれは、そこに捨てられているのかもしれない。
 妻に尋ねる。
「最近、おれが連絡なしで家を開けたことはなかったかい」
「ばかねぇ」
 だめだ。埒があかない。
 こうなると、自分で調べるしか方法はない。ふむ、おれは出張先で事件に巻き込まれたのかもしれないな。
 男は過去の出張日をあらいだし、それと重なる日の新聞を隅から隅まで読みかえしてみた。また、出張先の地方新聞を取り寄せて、小さな記事まで目をとおしてみた。だが、これといった収穫を得ることはできなかった。
 男はお手上げ状態だった。いったいおれは、どうすればいいんだろう……。
 結論を出せないまま日々だけが流れた。
 そして、とうとう周囲がしびれを切らす時がやってきた。
 その日、男は会議にのぞんでいた。といって、誰の言葉も耳に入らず、ただ席に座っているだけのようなありさま。仕事ができる、以前の彼の面影は、いまやどこにも見当たらない。
 男がぼんやり資料を眺めていた、そのときだった。急に色調の異なる映像がスクリーンに映しだされ、大きな文字が現れた。男は思わずそちらを向いた。
 そこには議題と称し、男の死についてと書かれてあった。
「きみ、そろそろ結論をだしたまえよ」
 上司がいらだちを抑えた声で言った。一同がうなずき、そこかしこから拍手があがる。
「きみは、死を受け入れられるのか、られないのか。はっきりしたまえ。まだ自分の考えにこだわって事実を認められないようなら、こちらもきみの処遇を考えなければならない」
 上司が席を立ってこちらに近づいてきた。それにつづき、みなが席を立ち、押し迫ってくる。
 部屋の隅に追い詰められ、とうとう男は覚悟を決めた。
 彼はふところに手を入れて、毒薬の入った壜をとりだした。そしてそれを一気に呷った。その瞬間、男はその場に倒れこんだ。あろうことか、本当に息絶えてしまったのだった。男はやはり、生身の人間だったのだ。
 あたりは騒然とした空気につつまれた。
 いったい何が起こったんだ。男が倒れた? なぜ。変なものを飲んだようだが、死んでいるはずの人間に、これ以上、何が起こるというのか……。
 急な展開に理解が追いつかず、呆然と立ち尽くすものもいた。
 と、次の瞬間。みなの見ている前でさらに驚くべきことが起こった。
 半透明になった男が、そばの死体からむくっと立ち上がったのだ。
 彼は挑むような調子でこう言った。
「さあ、これでようやく自他ともに認める、正真正銘の死人になれたわけだ。ほら、文句がある人は言ってみたらどうです」
 それから、静まり返った周囲を満足げに見渡して、
「やっと、平穏な日常を取り戻せたわけだ。それじゃあ会議をつづけましょう。これからは、以前のように思うぞんぶん仕事に打ち込めるというものですよ」



田丸雅智プロフィール
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田丸雅智既刊
『物語のルミナリエ
異形コレクション』