「怖くないとは言ってない」―第六回 ふかい~話― 牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:fukaiihanasi_makinoosamu
 いくらなんでも時期を外し過ぎとは思いますが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
 今回は新年第一弾に相応しく「ふかい~話」です。漢字にすると「不快~話」。早い話が厭な話特集。もうすっかり嫌がらせですよ。まだお屠蘇気分が抜けない人々(いるかどうか知らないけど)を奈落の底に突き落とすような話が続きますので、覚悟してください。

 イヤミスというものがあるのを知って、いろいろと読んでみたのだけれど、イヤミスっていうことは厭な気分になるミステリーのことを言うのだろうと思っていたので、きっと『隣の家の少女』みたいなテイストのミステリーだろうなと思って読んだら、普通にミステリーで、あれれと思ったのだった。ぜんぜん厭じゃないですよ。これが「厭」を前面に押しにしたミステリーなら、それ以外のミステリーってどんだけ爽やかなんだよ。
あまりミステリーに詳しくないのであれなんですけど、最近のミステリーってそんなに爽やかなの? 基本犯罪を描くんだから、そりゃあ人間のどろどろしたところとかも描くだろうし、後味の悪い悪の勝利ってのもそれほど珍しくないでしょうに、とか思ったのですが、最近ではそうじゃないのでしょうか。ミステリーに詳しい方お教えくださいまし。

 というような経験があって、ホラーにおける「厭な感じ」表現のことを久しぶりに考えなおしたのだった。
 さて世の中にはホラー自体が苦手というやつ、いや、お方がたくさん存在する。だって怖い目に会いたくないんだもん、とそういう野郎、いやお方はおっしゃるわけだが、これにホラー側から反論することは出来ない。せいぜいが、騙されたと思って一度お試しくださいぐらいのことしか言えない。そして「騙された!」と怒られるわけである。
 納豆が嫌いな人はとにかく嫌いなのだ。出来の善し悪しではなく、あのニオイとぬちゃぬちゃしたあの外見が「生理的」にダメなのだ。そして「そんな事言わずにちょっとこれ試してみてよ。納豆のニオイが消えて食べやすいから」という料理で本当に納豆の匂いが消えたためしなどないのだ。っていうか、好きな人はあのニオイも込みで好きなわけで、それがゼロになったものを美味しいと言って勧めはしない。



 ホラー映画は怖い。あるいは怖がらそうとしている。そこを抜きにホラーを語れない。しかし怖がらせ方に違いはあるわけで、そこで好き嫌いがあって嫌いなホラーがあると言っているのならまだ勧めようがある。
 ホラーにはコメディーだって存在するし、ラブロマンスが中心だったり、アクションが主体だったりと、いろいろなタイプがある。そのすべてが駄目というわけでもないだろう。そこらへんはこの「怖くないとは言ってない」でも今後いろいろと紹介していきますので、これをきっかけにホラーに親しんでもらえたら嬉しいっす。

 とはいえ、やはり怖がらせる手法の中心は不快感を煽ることだ。
 例えばスプラッターと呼ばれる派手な血飛沫と人体損壊を見せるのを主体としたホラーがある。いわゆる「グロ」表現ですね。これはかなり極端にやりすぎた作品が多いので、ギャグと区別がつかなくなったりするのだが(たとえば『フィースト』三部作とか)、たとえギャグであったとしても、その不快さを苦手とする人は間違いなくたくさんいる。
 あるいは蛆虫や蜘蛛や蛇など、苦手な人が多い生き物を出すのも不快演出だ。でも洋画でよくあるネズミをそういった不快生物扱いするのって、どうにも馴染まない。ネズミってかわいいですよね。ネズミホラー『ウィラード(1971年版と、そのリメイクの2003年版とがある)』や、その続編『ベン(マイケル・ジャクソンの歌うテーマ曲で有名)』なんかを見ていてもネズミはかわいいペットにしか見えない。なんで洋画では女性たちがこれを見ただけできゃあきゃあ逃げまどうのかがよくわからない。理解できないといえば巨大クワガタの『STAG』とか怪物化する人間がクワガタを吐く『深海からの物体X』とか、洋画におけるクワガタってどういう扱いなんだろうか。
 まあ、それはそれとして、不快な生物を見せたり、どろどろぬちゃぬちゃぐちゃぐちゃなあれこれを執拗に見せたりというのも不快感演出だ。この系列には醜い怪物(フランケンシュタインのモンスターとかエイリアンとか)や恐ろしい顔(四谷怪談もそうだよね)といったものも含まれるわけで、こういった生理的不快感を煽るのは、ある意味ホラーの王道だ。
 そしてあまり読んでないのではっきりとは言えないのだけれど(間違ってたらお教えくださいまし)イヤミスというような場合のイヤってのは、そんな見たらわかるグロテスク表現とは違うだろうなというぐらいは想像がつく。小説だからそういう映像表現はしない、というわけではない。小説でもホラーよりの場合はジェームズ・ハーバートを祖に、ナスティ・ホラーと呼ばれる視覚的生理的嫌悪を煽る小説がたくさんある。やはりホラーの方がさまざまな方法でなんとしてでも不快感を煽っているということだろうか。

 このコラムでも何度か紹介していると思うが、以前私はホラー友達の綾辻行人さんと一緒にホラー映画に関するエッセイ『ナゴム、ホラーライフ』という本を出したことがある。
 この中で綾辻さんが「どよーんのツボ」という言葉を発案された。これは『悪魔のいけにえ』について語るときに出た言葉で、要するに気分がドヨーンとする描写、ということになる。生え抜きのホラーマニアである綾辻さんが、首が飛んだとかウジ虫が出てきたとかぐらいでドヨーンとはならない。このドヨーンのツボを押すものとはなにか。
 それはテキサスの田舎のような(いやまあ、これは偏見ですけどね)、閉鎖的で暴力的なコミューンに投げ入れられる恐怖だ。相手は人間なのに、そこでは常識だと思っていた倫理も道徳も何も通用しない。そして彼らの論理に従って虫か獣のように扱われる。
 確かに気分はどよーんとする。

 暴力というものは恐怖と直接つながっており、厭な感じとは暴力によって引き起こされるものだ、と言ってもそれほど間違いじゃない。ところが同じ暴力でも、路上で殴られる女性を見るのは厭だが、ボクシングの鑑賞はエキサイトする。この差は何だろう。
 痛快なアクションシーンの大半は暴力だ。でも誰もそれを見て厭な気持ちにはならない(ごくわずか、ヒーローの暴力に厭な気持ちになるような作品もあるが)。
 それはどうしてだろう。

 たとえば『SAW』シリーズ。グロテスクで残虐なスプラッター演出をミステリー的な仕掛けで引っ張って物語を見せるこのシリーズは『厭』か? やはりこれもスプラッターと同様グロテスクではあっても『厭』ではないように思う。リアルに痛そうではありますけど。(こういうのは人によるので、まったく納得できない。わしは厭じゃ、厭じゃという方もおられるとは思うのですが、とにかく私の感覚では、ということです)。
 たとえば『ホステル』。トーチャー(拷問)ポルノと呼ばれることもあるこの作品も、痛みを感じさせるリアルな演出がされているし、厭演出も使われているが、厭作品ではないと思う。というのは、恐ろしい目にあった主人公が、ラストで必ず怒濤の復讐を行うことでしっかり爽快感を感じることができるようになっているからだ。
 そう(SAWだけにとか思ってませんから!)、不快演出というストレス(負荷)は、その先に希望がちらつかされている間はサスペンスとして感じ取れるということだ。
 助かるの? 復讐できるの? 結果はどうなるの? こいつら何が目的なの? 犯人は誰? 何らかの形の解決が希望として、厭なシーンから来るストレスの後にちらついている限り、「厭」ではない。
 すべての希望が絶たれ、絶望を感じたとたんにそれが「厭」に変じる。
 それがよくわかるのが、フランク・ダラボン監督による『ミスト』と、原作であるスティーヴン・キングの中編小説『霧』との差だ。絶望的なラストを迎える『ミスト』は厭な映画の代表としてよく紹介されている。しかし主人公の手記として書かれている『霧』では少なくとも主人公の命だけは保証されており、しかもラストのラストで「希望」も描かれる(最初は違う案だったという話もあるが)。結果小説版『霧』は厭な小説として語られることはない。

 んむ、今回はどうも震災以降の自分の小説のための試行錯誤を文章にしているような気がしてきた。いつものコラムと違って妙に堅いですね。いや、申し訳ない。
 最後はこれこそ厭映画ベスト5というのをホラーであるとかないとか度外視して紹介して終わりにしましょう。取り扱い注意の作品ばかりなので、かなり体調の良いとき、体力と精神力に余裕のあるときにご覧ください。

●隣の家の少女(2007):THE GIRL NEXT DOOR
 ジャック・ケッチャムの有名な厭小説の映画化。ケッチャムにはアンモラルな小説がいっぱいあるけれど、この小説にはあらゆるタイプの読者を追い込んで加害者にしてしまおうという厭な意志がみえる。そしてそれをほとんどそのまま映画にしているのがこれなのだけれど、しかし小説に比べるとまだまだ厭さが足らない。厭成分をたっぷりと味わいたいのなら、原作の方を読んでみてください。

●ファニーゲーム(1997):FUNNY GAMES
 ただただ観客を厭な気分にさせるためだけに作られた映画。平和な三人家族に卵を貸してもらえませんと入ってきたトロそうな若者たちが、苛つく行動(もらった卵を割っちゃう。携帯電話をさわって水に落としちゃう。勝手にゴルフクラブを持ち出して遊び出す)を繰り返したあげく、主人が怒るとその脚をいきなりゴルフクラブで叩き折る。その後は虫の脚をもぐように楽しそうに暴力をふるう二人をただ見るしかない。

●レクイエムフォードリーム(2000):Requiem for a Dream
 コニーアイランドの団地に住んでいる低所得層の家族が、ドラッグによってどんどん駄目な方向へと滑り落ちていく映画。何よりも恐ろしいのはそのドラッグ描写。覚醒剤が駄目息子の身体の中に入っていく擬音。ドラッグ中毒になった母親の見る悪夢。屈辱的な売春を強要されドラッグ欲しさにそれを受け入れる息子の恋人。最低な気分になれます。

●ビー・デビル(2010):BEDEVIILLE
 韓国の犯罪映画には独特の厭な雰囲気がある。これは住人がわずか9人しかいない小さな島に、友人を訪ねてやってきたソウルの銀行で勤めているOL(つまり田舎にやってきた都会人という、テキサスを訪れた東部の若者たち、みたいな構図になっている)がとんでもない目に遭う話。
 この島の印象が強烈。山野一が描くバカウオのエピソードを思わせると言えばわかってもらえる人が4人はいるだろうか。どよーんのツボを押しまくる、絶対に会話が通じない道徳観も倫理観もまったく異なる人間と接する恐ろしさ。
 最後にはある種のカタルシスを得られるのだが、ヒロインにまったくと言っていいほど共感できないので、誰に感情移入していいやら最後まで迷う。というわけで、どちらに転んでも厭な気分になれます。

●セルビアン・フィルム(2012):A SERBIAN FILM
 トーチャーポルノに分類されるだろう映画なのだけれど、ポルノの文字に惹かれて見た人間をどん底に陥れる最低の映画だ。まさに誰の得にもならない映画。
 カリスマポルノ男優のところに、友人のポルノ女優から仕事の誘いがくる。息子の将来まで安泰な高額ギャラが約束された芸術作品への参加依頼だ。絶対に駄目だよ、そんなのについていっちゃ駄目だよ、と見ている人間はお金はなくとも幸せそうな家族が描かれる冒頭から思う。
 よくある「お金持ちのど変態のためのスナッフ(殺人)フィルム作成の話」だと思っていると手酷い目にあうだろう。
 後半からの怒濤のアンチモラル映像の数々。思わずごめんなさい勘弁してくださいと謝ってしまいましたよ。
 ちなみに世界三大「妊婦と胎児の受難映画」の一つですよ。
 後の二つは『ムカデ人間2』と『屋敷女』ですが、そのどちらよりもえげつないです。

 今回はここまで。
 次回はもう少しさわやかな映画を紹介できたらいいな。えへっ。

●文中の作品リスト

『フィースト』

『ウイラード』

『ベン』

『STAG』

『深海からの物体X』

『悪魔のいけにえ』

『SAW』

『ホステル』

『ミスト』

『隣の家の少女』

『ファニーゲーム』

『レクイエムフォードリーム』

『ビー・デビル』

『セルビアン・フィルム』

*ほんとうに今回紹介した作品は用法を間違えると健康を害するので、ご利用には十分ご注意ください。



牧野修プロフィール
YOUCHANプロフィール


牧野修既刊
『リアード武侠傳奇・伝』