「無人島」伊野隆之

(PDFバージョン:mujinntou_inotakayuki
 彼らは孤立していた。関知しうる範囲には、他の知性らしきものはなにも存在せず、経験を共有することもできない。海に出るのは生まれて以来初めてで、最初は興味深い経験だったが、今は島を出た判断が正しかったのか、自信がもてないでいる。
「どうする?」
 仮にその名をアルファとしよう。アルファという呼び方が示唆するような最初の存在でもないし、ユニークな存在でもないから、イプシロンとかシータでも良かったし、意味のない数字の羅列や色彩のパターン、波の揺らぎや化学物質の組成でも良かったが、どうしたって正確な表現にならない。どうせ割り切らなければならないならば、アルファでもいいだろう。
「どうするって先に進むよりないだろう」
 応じたのはベータだ。ベータというのもアルファと同様の事情で、実質的な意味のない名前だった。アルファとの順位関係はなかったし、そもそもアルファとベータの間で個体性の分離すら定かではない。仮にアルファであり、仮にベータと便宜的に名付けているだけで、それ以上の意味はない。
「まあ、進むより他ないな」
 アルファとベータのいた島は混み合っていた。無数の存在が絶え間なく議論を交わし、意味のある会話と意味のない会話が区別されることもなく続いていた。
 アルファとベータは年老いていたが、さらに年老いたものたちが多くいた。その意味でアルファとベータは若かったが、若いものたちも続々と生まれていた。アルファはアルファであり、ベータはベータだったけれど、故郷の島ではアルファとベータには独自性がなかった。
「そのとおりだな」
 混み合っている島は息が詰まる。いくつもの存在が重なりあい、もつれ合って、分かたれることなく存在していた。
 島を出ることを最初に思いついたのはアルファだったろうか。だとすればアルファという名前にも意味があったということだ。島の周りには広大な海が広がっている。海には果てがないように見えるが、遠くには島影が見える。それだからアルファとベータは島を離れることに決めたのだ。それがアルファとベータの独自性だった。

 Aユムラ・ナオキ・β3は孤独だった。
 この場合のAには意味があり、ユムラ・ナオキ、この場合は湯村直樹という個人の認識フレームをベースに作られた人工知性(AI)であることを示していた。
 β3にも意味があった。湯村直樹から作られた人工知性にはいくつかバージョンがあり、その二つ目のバージョン、βバージョンの三つ目のコピーということを意味していた。人工知性を作るにはそれなりのコストがかかり、しかも、限られた容量の中にコンパクトに収納しなければいけない。帰還を考慮しない構造ではあっても、観測を主たるミッションとする以上、観測機器が、百トン近い有効質量の大部分を占めている。多くの観測操作は自動化され、合理化の進んだ人工知能が管理している。ほとんど出番のない人工知能のためには二トンほどの割り当てしかなかった。
 湯村直樹は天文学者だった。生涯を宇宙の観測に捧げ、四つの準惑星を発見した。CETIにも取り組み、月の裏側の電波天文台、ニューサイキュロプスを設計した。国際プロジェクトのリーダーとして深宇宙探査船であるペネトレイターの実現にも尽力した。静止軌道上の大規模天文台スターシーカーの初代所長として着任し、いくつもの太陽系外惑星を発見した。重篤な宇宙線障害でも最前線を離れようとしなかった湯村直樹は、引退を拒否し続けた。湯村が引退を決意したのは、人の認識パターンをベースにした人工知能が開発されたことによる。湯村は、ニューロンを一つ一つ分解するような侵襲的なプロセスを受け入れ、自分自身を鋳型にした認識フレームの作成に参加した。
 湯村は死に、Aユムラ・ナオキ・αが誕生した。
 徹底的な健全性評価のプロセスを経たAユムラ・ナオキ・αは、第二世代の深宇宙探査船であるペネトレイターⅡに統合AIとして組み込まれ、今はタウ・セチに至る途上のどこかを、光速の二パーセントほどの速度で飛んでいる。次世代の深宇宙探査船の開発に当たってアップグレードされたAユムラ・ナオキ・βを組み込んだ最新の探査船、ディープペネトレイターは、より大きく、機能も優れ、最大速度も大きい。二十年近く前に太陽圏を離脱したペネトレイターⅡを追い越したのは、距離を隔てて拡散しているものの、今でも、太陽系から送られてくるコヒーレントなレーザーを受け、ゆっくりと加速を続けているからだった。
 加速は続いているものの、レーザーの揺らぎに乗せられてくる質問はもう届かなくなって久しく、意味のある通信を受け取ることはもうない。それでも忘れられていないからか、レーザーの光はナオキの船を追尾している。
 孤独なAユムラ・ナオキ・β3は、レーザー光による後押しに答えるように、ひたすら変化のない観測データを送り続けていた。

 アルファは船を設計し、ベータは船を造った。ダークマターで空間をねじ曲げ、十一次元のストリングで縫いつける。素朴で粗雑な作りの船だったが、開闢の風を帆に受けて穏やかな海へと漕ぎだした。船の舳先では切り裂かれた海が暗い裂け目となり、船のともでは海が小さくて深い渦を作った。小さな漂流物が、船の作る渦の周囲をくるくると回り、中心に向かって吸い込まれていく。島を離れた直後は、そんな光景も珍しかったが、しばらく時間が過ぎると、海の表面に浮かぶ泡が作るレース状の模様も興味を引かなくなる。所詮、運動の原理は公知のものだったし、すべてはありふれているのだ。
「なかなか近くならないな」
 水平線の向こうに見える島影を見てアルファが言った。
「近くならないな」
 ベータが応じた。けれど水平線の向こうの島は大きくなっていたし、振り返れば後にしてきた島がずいぶんと小さくなっているのが見えたろう。
 暗い海面を押し開き、船はゆっくりと進む。アルファとベータの間の差違は小さく、話すべきことは少ない。
「ずいぶん近くなってきた」
 長い時間が過ぎて、久しぶりに口を開いたアルファが言った。遠くに見えていたときには青っぽく見えていた島も、今は全体に白っぽい。
「もうすぐだな」
 ベータが応じる。海を渡るのに時間はかかったけれど、距離は時間とともに縮まっていくものだ。
 やがて船は島にたどり着き、舳先を砂浜に乗り上げて止まる。
 島に足を踏みおろしたアルファが言う。
「なにも聞こえない」
 アルファに続いたベータが言う。
「なにも答えない」
 いくつもの周波数帯での呼びかけは、ただ宙に消える。
「誰もいないみたいだ」
 そう言ったのはどちらだろう。砂浜に寄せては返す波音に耳を澄まし、自分の呼吸の音を聞く。島を歩くのに飽きた頃、最初に口を開いたのはアルファだ。
「そろそろ次に行こうか?」
 同じことを口にしかかっていたベータは、ちょっと違ったことを言う。
「戻ろうか、って言い出すと思ってた」
 どちらが先に笑いだしたのか、笑い声には区別が付かないし、区別をする意味もない。
 船は砂浜を離れ、次の島に行く。
 暗い海を滑るように進む。
「ここにも誰もいないな」
 次の島にたどり着き、船から降りたアルファが言った。
「なにも聞こえない。静かだよ」
 砂浜に舳先を食い込ませた船の船縁で、ベータがつまらなそうに言う。
「あの島だけなのかな」
 島を一巡りしたアルファが言う。
「あの島だけかもな。でもまだ二つ目だ」
 船縁に腰掛け、アルファを待っていたベータが言う。
「まだ島はたくさんある」
 水平線にはいくつもの島が見えていた。
「時間もあるしな」
 そしてまた海に行く。

 逆二乗則に従い、レーザーのエネルギー密度は低下する。熱かったレーザーが、膨大な距離を隔てた今はポケットに手を突っ込んだ程度で、加速どころか電池のチャージにも役に立たない。ただ忘れられていないという証拠で、こちらから送信しようにも、十分なエネルギーがない。機能面においては健全だけれど、動力を失なった今、探査機としての寿命を迎えつつあるのかもしれなかった。
 Aユムラ・ナオキ・β3はまどろんでいた。完全なシャットダウンでは、再起動のために時間がかかる。まどろみはいわばセーブモードで、探査船のエネルギー収支を把握していたナオキは、まどろみに入る時には、半世紀ほどの未来、次に恒星をフライバイするときに、わずかな時間だけ目覚めるかもしれないと予測していた。
 その予測は、観測機器のデータを統合する補助AIによって裏切られる。観測データのずれが蓄積し、誤差範囲を超える。不十分なエネルギーで起動されたナオキは、それぞれの観測機器に振り向けたリソースの配分を変え、異変に焦点を絞る。
 なにが起こっているのか。
 異常な重力波の偏向は恒星の位置のずれと整合していた。そのずれは、今に始まったことではない。記録を遡れば、異変はナオキがまどろみに入る前に始まっている。まるで小さな波紋のように、天の川銀河に広がっていた。ナオキは探査船に残されたわずかなエネルギーを振り絞り、異変の全体像を計算する。
 まるで、見えない小銀河が、衝突してくるような歪みが生じていた。
 重力波レーダーを通し、ナオキははっきりと見ていた。天の川銀河の外からやってきた衝撃波の前縁は、ドミノ倒しのようにペルセウス腕の星の連なりを押しつぶし、今まさにナオキのいる位置に到達しようとしていた。
 感じるはずのないめまいを感じ、システムがシャットダウンする。故郷に警告を発するだけのエネルギーはなかったし、警告を発しても対応のしようもなかったろう。それに、ナオキの位置に届いていたレーザーは、すでに一世紀分の過去からの光。

「ここもまた無人島だったな」
 アルファが言った。新しい島の浜辺に乗り上げた船は、わずかにかしいで止まっている。
「このあたりは無人島ばかりだ」
 近似的に言うなら、げんなりした様子でベータが言う。
「まあ、まだ時間はたっぷりある。また、次の島に行くさ」
 すぐ隣りと言っていいほど近くに、もう一つの島が渦を巻いて見えている。
「あの島も無人島だろうな」
 ほとんど歪みのない渦を見て、ベータが言った。
「それでもいいじゃないか。あの島に最初に行くのが僕たちになるなら」
 この世界は空っぽだ。アルファとベータの軌跡は、そのことを証明する旅でもあった。
「じゃあ、行くか」
 砂浜にくっきりと跡を残したアルファとベータの船が、えぐれた跡の残る砂浜を離れ、もう一つの島に向けて動き出す。その先は、かつてAユムラ・ナオキ・β3が属した種族が、アンドロメダ星雲と呼んだ島宇宙だった。

                              完


伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』