「ザイオン・イズ・ライジング Part 2」伊野隆之

(PDFバージョン:zaionisrising02_inotakayuki
 一等コンパートメントでの拷問のような時間で、タージはぐったり疲れ切っていた。
 金星の地表に降り、北極鉱区の地表ステーションに着いたタージたちを、ノースポール公共交通のロゴを胸につけたキャビンアテンダントが先導し、明るく空調の整った専用通路を歩いていく。その後に意気揚々と歩くインドラルが続き、タージは後ろから、とぼとぼとついていく。
「ようこそいらっしゃいました。アルマド様の代理人を務めております、コジーグと申します」
 通されたVIP用のラウンジで、もう一体のケースが迎えた。アルマドというのは、タージに鉱区を売却しようという鉱山主で、目の前のケースは、その代理人らしい。慇懃な態度は安っぽい義体には似合わず、磨きあげられたボディの状態もいいように見える。
「うるれぇ、早く案内しろッてんだ」
 一等コンパートメントで提供されたワインに、インドラルはすっかりできあがっていた。カラスの体は小さく、その分、アルコールの回りが早い。
「はい。主人も一刻も早くお話をしたいと申しております」
 今の状況を幸運と言うべきか、タージはまだ迷っていた。契約ができれば、事業規模は一気に倍になる。乾いた雑巾のような今の鉱区に比べて多くの生産量が期待できるし、借入金は増えても資産評価があがれば財務体質も改善する。おいしい話だが、それでもどこかに落とし穴があるのではないか。
「行くろぉ!」
「タージ様、休憩はよろしいでしょうか?」
 インドラルを無視し、コジーグが言った。タージはインドラルと離れる時間がほしかった。しかし、言えない。
「こいつはろうでもいいろ、早く行くんら!」
「・・・・ええ、すぐにでも伺えます」
 インドラルのと同時にタージは答える。離れられないのなら、一刻も早く用件を終わらせたい。雲の上のバルーンハウスに、一刻も早く戻りたい。
「失礼ですが、体色がよろしくないように見えますが。体調はよろしいのですか?」
 コジーグがタージに尋ねた。
「・・・・ちょっと緊張しているようです」
 緊張して、色素胞が収縮すれば、オクトモーフの体色は白っぽくなる。大きな契約を前に緊張しているとしたら、当然の反応だった。
「リラックスしてください。緊張には及びません」
 ここまで来たら先に進むよりない。タージはコジーグにはっきりと頷く。
「大丈夫です。早くすませましょう」
 コジーグは、タージたちを鉱区へと向かうクロウラーへと案内した。巨大なクロウラーは採掘した鉱石を精錬基地に搬送するためのもので、乗り心地はさほどよくない。狭いスペースに押し込まれたインドラルがおとなしくしているのは、座った瞬間から熟睡しているからで、タージもまた、しばらく続いた緊張が解け、眠り込んでしまった。
 その夢の中でタージは、金星の地表を走るクロウラーを運転していた。鉄の駆体は高温の大気に熱せられ、無数の脚部が踏みしめる大地は荷重に沈む。流れる川は溶けた鉛で、時には細かなしぶきをあげる。黙々と地面を掘る無愛想な採掘機械とすれ違う。操縦しているのは、タージのようなアップリフトか、それとも低俗なポルノのために働く堕落した魂だろうか。濃厚な大気に鉱物の粉塵が舞い、見通しも悪い。突き刺すような強力なビーコンだけが位置を知る手がかりで、愚鈍なクロウラーは、ビーコンに導かれるように地表を這う。
 夢の中でタージは、タージのものではない苦痛と恐怖と屈辱の記憶を思い出していた。なまくらな刃物で触腕を切られる瞬間の痛み、皮膚が裂けるときの燃えるような痛みを感じていた。タージ自身のものではない痛みだったが、痛みはまるで実際に体験したことのように生々しく感じられる。
 記憶は実際にあったことなのか、なぜ、そんな経験をすることになったのか、タージは知らない。タージ自身が経験したことではなかったし、タージが持っている記憶にも関わらず、タージ自身が存在している時間が短いからだ。
 繰り返す苦痛にも関わらず、タージが目覚めることはない。今は、ザイオンが必要としていない。

 マニエル・ド・アルマド。マデラが調査を開始してすぐに、その名前が浮上していた。ソラリスのような金融事業者ではない。アルマド自身は、北極鉱区の開発の初期に金星に入植しており、マデラが北極鉱区を任される以前から、ソラリスの顧客名簿にも入っていた。
 記録によれば、つい最近までアルマドは平凡で、取るに足らない零細鉱山主だった。それが、ここ数ヶ月でいくつもの鉱区の採掘権を買い取っている。過去の融資記録にある財務状態からではあり得ないにも関わらず、潤沢に資金を使っているし、その資金の出所もはっきりしない。
 アルマドが買い取ったのは、借金漬けの、それこそソラリスの優良顧客だった鉱山主たちの鉱区で、アルマドに売却すると同時に、負債は完済され、ソラリスとも、きれいさっぱり縁が切れている。アルマドに鉱山を売り払った元鉱山主たちは、身ぎれいになるどころか、少しばかりの余剰資金を得て、上層大気に浮くハビタットで新しい商売を始めたり、金星を離れたりしている。そのせいで、営業区全体の融資残高が目に見えて減少しており、資金の回転が悪くなっている。
 どこかに資金提供者がいるはずだった。アルマドに資金を提供するルートがあり、これがソラリスの顧客を奪っている。最初にマデラが思いついたシナリオは、上級パートナーの地位を狙っている誰かが、アルマドに低利の資金を回し、マデラの足を引っ張ろうとしているというものだったが、手段としては回りくどく、あまり現実味がなさそうに思えた。
 監督官訪問の連絡があった時点で、ここまでのことがわかっていた。それからまもなく、監督官の訪問の直前に、アルマドの方からコンタクトがあった。アップリフトの鉱山主を探してほしいという依頼があったのだ。
 マデラは、地表から投影されたアルマドの代理人との会見を思い出す。
「今回、お願いしたいのは、私どもが進めているプロジェクトへの協力です。この北極鉱区で鉱山主をしているアップリフトの事業主を紹介いただき、彼らに事業拡大の機会を与えようというものです。もちろん、ソラリスにとっても、顧客との取引を拡大するいい機会となるでしょう」
 アルマドの代理人は、コジーグと名乗った。安っぽい義体、ケースを身にまとっていたが、金属の表面は磨き上げられ、物腰も穏やかだった。
「どうして好きこのんでアップリフトの事業主に限定するのですかな? 北極鉱区には多くの個人事業主がいるわけですし、通常通りに競売を行えば、利益を最大化できるでしょうに」
 鉱区の売買となれば大きな資金が動く。資金の動くところにソラリスの利益はある。
「主人は、今までの事業を縮小し、近い将来に金星を離れる計画を持っております。今まで、多くのアップリフトを使って事業を大きくしましたが、そろそろ新しい環境に移りたいと申しております。大気の底は、あまり居心地のいい場所ではありませんから」
 コジーグは予想外のことをマデラに告げた。今まで鉱区の買収を続けていたのが、一転してアップリフトに売り払うと言う。借金漬けにしたアップリフトを紹介すれば、新しい融資案件につながるし、マデラの営業成績も上がるだろう。
「当然、ご存じかと思いますが、融資可能な額は、鉱区の担保価値までですよ。鉱区の開発権を買い取るには、一定の自己資金が必要ですが、アップリフトの鉱山主に、そんな自己資金が用意できますかな」



 慎重な物言いは、ちょっとしたジェスチャーだった。金属相場が上昇傾向にあるうちは、アップリフトであろうと無かろうと、鉱山主への融資は安全な案件なのだ。
「採掘権を高く売ろうとは思っておりません。従業員の雇用を維持し、事業を継続させるために、経験のあるアップリフトの事業主への売却を進めたいのです。そのためであれば、当然、相場より安い対価で譲渡することも考えております」
 ケースの表情は読めない。うまい話には裏があり、いつもなら疑ってかかるマデラだったが、その一方で、変人はどこにでもいる。現に、金星の議会では、声高にアップリフトの地位向上を訴えるグループが支持を伸ばしているのだった。アップリフトを人並みに扱おうなどという考えは、マデラには皆目理解できなかったが、アップリフトの経済的プレゼンスが拡大している以上、ビジネスのためにはつき合っていく必要がある。
「そういう条件でしたら、こちらの顧客を紹介できるでしょう」
 マデラは、顧客リストを検索する。探しているのは良い顧客、別の言い方をすればカモだ。利益の大半をソラリスに吸い上げられながら、かつかつでやっているような鉱山主。そんな鉱山主であれば、新たな鉱区を手に入れた後も、いいカモとして利益を吐き出し続けてくれるだろう。
「それでは、主人の計画にご協力いただけるのですね?」
 アップリフトの鉱山主が少ない中、紹介できる鉱山主は、多くの顧客の中でもほんの一握りだ。
「ええ、何人か、紹介することは可能です。従業員にも信頼され、ソラリスとも長期的な関係を築いているタ、いや、鉱山主を紹介できるでしょう」
 ソラリスの顧客であろうと、マデラ自身が、アップリフトの相手をすることはない。けれども、マデラの管理するデータベースには、ソラリスにとって都合の良さそうな顧客がいるし、簡単にリスト化することもできる。
「それは良かった」
「ちょうどいい心当たりがあります」
 短いリストのトップにあるのは、かろうじて利息を払い続けているタージという鉱山主で、鉱区自体は悪くないのに経営センスが最低で、いつ破産してもおかしくない状態だった。
「では、まずその方をお招きして、私どもの鉱区を見ていただくことにしましょう。もちろん、鉱区の担保価値を評価いただくために、ソラリスの代理人の方に同行いただけると良いのですが」
 コジーグの言葉は、マデラにとって願ってもないことだった。マニエル・ド・アルマドが、どんな条件で自分の鉱区を売り払うにせよ、必ずソラリスが一枚かむことになる。そのためには、契約の現場にいた方がやりやすい。
「わかりました。私自身が伺えるかどうかわかりませんが、ソラリスの代理人を必ず同行させましょう。顧客側の了解が得られ次第、セクレタリーに連絡させます」
 タージの担当は、カラスのアップリフト、インドラルだった。出来のいい部下ではないが、アップリフトに好意的な鉱山主なら問題にならないだろうし、いざとなればマデラ自身が魂を飛ば(エゴキャスト)し、インドラルの義体を使うこともできる。カラスの体を使うことなど考えたくもなかったが、エージェント契約に一時借用条項を入れるのは標準的な措置だった。
「ありがとうございます。早急なご連絡をお待ちしております」
 一礼したコジーグに、マデラは鷹揚にうなずいた。レベルの低い義体であるケースと握手を交わすことはないし、そもそも投影像とは握手できない。

 クロウラーの行く先に小さなドームが見えてくる。
 ザイオンのオクトモーフの身体にインストールされた疑似人格であるタージはシャットダウンされ、ザイオンはオクトモーフのコントロールを取り戻していた。
 ここまでは順調だった。アーカイヴされたザイオンをオクトモーフの中に復活させ、容赦ない拷問で苦痛を与えたマデラ・ルメルシェを罠にかけ、ザイオンが味わった苦痛を味わせる。準備は着々と整いつつあった。
 だが、ザイオンの計画は、復讐を意図したものではない。復讐は、所詮は自己満足にすぎないからだ。
 太陽系有数の富豪だったザイオン・バフェットの復活を知っているのは、マデラ一人だ。そのマデラは、まだザイオンを追っている。タージの陰に隠れて得た社会的地位はあっても、金星の外にあるザイオン・バッフェットの資産、惑星政府を丸ごと買い取れるほどの資産には手が届かない。ザイオンが、ザイオン・バッフェットとして復活するには、どうしても一定の時間、マデラを排除しておく必要があった。
 オクトモーフとしての身体能力を活用し、なんとかマデラの元から逃げ出したザイオンは、アップリフトの鉱山主、アクバルに拾われ、新しい身分を手に入れた。そのザイオンが、タージという仮面を用意したのも、マデラに気づかれることなく、ソラリスに近づくためだ。
 マデラの排除が、本当のザイオンの復活に向けた一歩になる。その時は、すぐにやってくる。
「・・・・くっ、カァ・・・・」
 突然のインドラルの寝言に、ザイオンはオクトモーフの身体を縮めた。タージではないのだから、怯える必要はないというのに、つい、身体の方が反応してしまう。
 インドラルには、まだ眠っていてもらわなければいけない。これから数時間、ザイオンにはやらなければならないことがあり、うるさいカラスの相手をしている余裕はないのだ。
 ザイオンは、コジーグとしてマデラに会った時の事を思い出す。あからさまにアップリフトを見下した様子は、この金星では珍しい態度ではない。そのマデラがカラスのアップリフトであるインドラルを使っている。
 マデラが、インドラルのことを信頼しているとはとうてい思えなかった。それを考えれば、インドラルに与えられている権限は、取り立てに必要な最低限のものに限られているだろう。これから先のザイオンの計画は、その一点に依存していた。

 *****
  
「ボボボ、ボス、大変れす、すげー大きな契約になりそうれす」
 セクレタリーが通信を取り次ぐと、大きな黒いカラス、インドラルの姿がマデラの部屋に投影された。
「ろれつが回ってないぞ。また安い酒でも振る舞われたのか?」
 それともくだらない薬でもやって(インストールして)いるのか。
 インドラルはマデラの部下である。アップリフトとのビジネスを担当し、主に貸付金の回収に当たらせている。カァカァと耳障りな声は、のろまなタコを脅すのにちょうどいいが、支払いを逃れようという顧客に、安酒を飲まされて手ぶらで帰ってくることも多い。
「いえっ、素面でさァ。ちぃっとのどを潤す程度じゃ酔ったり、すませン」
 何回か注意はしたが、インドラルは変わらない。知性化してあっても、カラスは所詮カラスなのだ。
「まあいいが、なにが大変なんだ?」
「くそタコのタージの奴、うまいことアルマドの野郎に取り入りやがったんで」
 契約が進みそうならそれでいいはずなのに、あわてることはなにもないはずだった。
「契約はうまく行きそうなのか?」
「そりゃあもう、そのとおりで。アルマドの野郎、どういうわけか、タージのタコ野郎が気に入ったみたいで、鉱区一つじゃなく、全部の鉱区の開発権を譲る気になったんでサァ」
「全部?」
 マデラは聞き直す。
「へぇ、ぜーんぶでさァ。アルマドの奴、鉱区を百以上もっていやがって、それをタコ野郎に譲るって言うんで」
「百だと? アルマドは、鉱区を百も持っているのか?」
 マデラはアルマドのことを調べていた。今までわかっていたところで、所有する鉱区は二十程度だった。それを何人かのアップリフトに売却する。そういう話ではなかったのか。
「へぃっ、自分の名義で二十三あって、その他に会社を四つも持っていやがったんで」
 インドラルは、四つの鉱山会社の名前を言う。そのどれもが、ソラリスからの借り入れを減らしている企業だった。
「本当なのか?」
 北極鉱区で、公社以外の鉱山主が持っている鉱区は、総数で三百程度だったはずだ。その三分の一が、実質的に一人の鉱山主に支配されていたとは。そのことに気づかなかっただけでも、自分の営業区をないがしろにしたということで、厳重注意処分を受けかねない。
「へいっ、地図を見せられました」
 インドラルが送ってよこした地図は、色分けされた北極鉱区全体の地図だった。公社の所有するのが赤で、ピンクが売りに出されているもの。逆に緑がアルマドが直接所有する鉱区で、薄緑が間接所有、残りのブルーは他の鉱山主が採掘権を持っている鉱区だろう。
「これを全部譲るというのか? ・・・・ちょっと待て」
 マデラは、インドラルが同行したタージという鉱山主の記録をあわてて調べる。最初に紹介するのは、ソラリスのカモだったはずで、記録上では、まさにその通り。ビジネスセンスのかけらもないタージという鉱山主は、間の悪いときに手持ちのインゴットを売りに出しては、損ばかりしている。増産のための投資には計画性がなく、そのせいで借入金がかさみ、まさに首が回らなくなっている。ソラリスの融資で生きながらえている、まさにシャブ漬けの顧客だ。
 顧客プロファイルは、そんな情報を伝えてきた。
「・・・・こんな奴に、鉱区を百も売るって・・・・」
 絶句するマデラ。まともな経営判断としては、あり得ない。だが、タコに鉱区を売ろうということ自体があり得ないことで、それを言っても始まらない。もともと頭がおかしいのだ。
「その通りで」
 不満そうにインドラルが言う。タコが、北極鉱区で最大の鉱山主になる。想像もつかないことだが、それが実現しようとしているというのだ。
「それで、いくらなんだ」
 膨大な金が動く。それは確かだ。
「まだはっきり決まっちゃぁいないんスが、少なくとも****位で・・・・」
 インドラルの告げた金額に、マデラは改めて絶句する。百に及ぶ鉱区の採掘権の対価にしては、高くはないが、それでも、今までにない額の契約になる。顧客プロファイルにあるタージの資産状態からすれば、払えっこない大金で、その分を実質的にソラリスからの融資が埋めることになる。マデラが経験した案件では、今までに最大の規模になるし、ソラリスでも、中級パートナーが決済できる金額の上限に近い。
「わかった。おまえには任せられない取引だ。そのアルマドとおまえの客に、こっちに来てもらえ。俺が契約を確定する」
 紙の契約はない。そのかわりエゴID、すなわち唯一無二である魂の特定のパターンが契約の為に使われる。アルマドとタージの間の鉱区の売買契約と、マデラとタージの間の融資契約。二つの契約があって、鉱区の開発権の引き渡しは完了する。
「それが、ボス、その・・・・」
 口ごもるカラス。
「はっきり言え、はっきり!」
「アルマドの奴が動きたくないって言うんで」
「えっ?」
「それが恐っそろしいデブなんですわ。だから、何年も地表を離れたことがなく。それに、この重力では動けないんで、金星を離れようと」
 インドラルの言葉に、マデラは耳を疑う。義体はいくらでも取り替えができる。百の鉱区の開発権を持っているなら、身軽な身体に乗り換えればいい。
「金星を離れるときは、こっちに来るんだろう?」
 移動の途中に契約をしたっていいはずだ。
「特別製の舌なんだそうで。味覚の解像度が通常の二千倍だって言ったました」
 味覚の解像度が、舌のスペックを表す方法だと理解するのに、一瞬の時間がかかった
「それだから、アルマドの奴は、義体全体を変えるつもりがなく、地表を離れるときは首だけになっていく予定だそうで・・・・」
 マデラは混乱する。生体義体であれば、首だけになって生きていることはできない。何らかの保存措置がなされるのだろうが、その間、魂はインフォモーフとなるのか、あるいは凍結されるのか。
「首だけって・・・・」
 特別製の舌のために、首だけになって惑星の間を移動する。そんなことが本当にありうるのか。食べ物に執着心のないマデラにはわからないが、やはり変人はいるのだ。
「でもって、一刻も早く契約をしたいと・・・・」
 マデラは時間を確認する。いくつか予定をキャンセルしなければならないが、物事には優先順位がある。優先すべきなのは、より大きな契約だ。
「わかった。今すぐそっちに向かう。五時間、いや七時間もあれば着くだろう」
 エレベーターで降りるだけではなく、地表での移動も考慮しなければならない。
「ボス、それじゃぁ遅いんで。この俺に、今、ここで契約しろって・・・・」
 ソラリスの内規は厳格で、パートナーでもないインドラルには、大きな契約を結ぶ権限はない。
「無理だ。おまえにはそんな権限はない」
 インドラルどころかマデラ自身の分岐体に扱わせるわけにもいかない。オリジナルのエゴIDが必要になる額だった。
「へぇ、俺もそう言っちゃいるんですが・・・・」
 弱ったようなインドラルの口振り。
「契約のために呼んだんで、契約しないなら、別の融資元と話を付けるって言ってますがァ・・・・」
 アルマドの資金源だ。ソラリスの顧客を奪った資金源に、ここでまた契約を奪われたら、マデラの受けるダメージは計り知れない。
「ちょっと待て。どうするか考える」
 北極鉱区で個人所有の鉱区の三分の一を握るビジネスセンスのかけらもないタコ。それこそ優良な顧客で、この機会を逃がすことなどあり得ない。契約さえ終われば、いつでも身ぐるみを剥いで、全てをソラリスのものにできるだろう。これだけおいしい契約をみすみす失うわけには行かない。
 方法はある。一時的にしてもカラスになるのは気に入らないが、インドラルの義体に、マデラがエゴキャストすればいい。マデラの魂が契約に臨むことができるのだ。
 通信ファシリティはある。ちゃんとリンクさえ確立し、インドラルの魂さえおとなしくしていれば。
「わかった。これからおまえにエゴキャストする」
「えっ、俺にですカァ?」
 カラスの声が裏がえる。
「少し義体を借りる。その間おとなしくしていろ。それも契約のうちだ」
 マデラはインドラルのボスだ。義体へのアクセス権を握っている。今の義体に比べれば、容量が十分じゃないから処理能力は劣るだろうが、契約を結ぶだけの間なら、十分なはず。マデラはそう考えた。
「インドラルにエゴキャストする」
 マデラは姿の見えないセクレタリーに告げた。
「登録されていない通信リンクになります」
 セクレタリーからのセキュリテイ警告。
「気にしなくていい。ビジネスにはスピードが必要だ」
 マデラはそう言い放った。

  *****



 愚か者はどこまでも愚かだ。安全の確保されない通信リンクでエゴキャストするなど、欲に目のくらんだ愚か者しかやりそうにない。
 ザイオンは、目の前のカラスを見てそう思う。
 小さなイスに縛り付けられ、両足をばたばたさせているのは、エゴキャストが終わったところでリンクを切り、インドラルをおとなしくさせていた薬の効果を終わらせたからだ。
「おまえは、ザイオンなのカァ?」
 カラスが言う。インドラルの中のマデラだ。
「どうだね、慣れない体の中にいる気分は。まあ、しばらくすれば慣れると思うが、それまでの辛抱だ」
「こんなことをしてどうなると思ってるんだァ。俺はソラリスの中級パートナーだッ。ソラリスがすぐに俺を捜しにくるゾッ!」
 ザイオンは、慣れないカラスの体の中で、よく言葉を話していると思う。新しい義体を使うのは、それほど簡単なことではない。
「ここはただの廃坑だ。探しに来たって見つかるのは機能を止めた義体だけだ」
 ザイオンは、動きを止めた義体の方を見る。一方は、コジーグとしてタージとインドラルを案内したケース、もう一方は、インドラルのふりをして、ついさっきまでマデラと話していたカラス。ともに、ザイオンが使っていた義体だったが、カラスの義体には用がない。
「・・・・全部が、嘘だったってのかァ?」
 インドラルの口調で、マデラが言った。イスに縛り付けたインドラルと、ぐったりしたカラスの義体は、ザイオンには区別できない。それはマデラも同じだったようだ。
「アルマドが鉱区をいくつか持っているのは事実だよ。アルマドは、たまたま最近使いはじめた名前なんだがね」
 ザイオンには二つの顔があった。インドラルにつつき回されるさえない鉱山主のタージと、次々と鉱区の買収を進め、ソラリスの顧客を奪ったアルマド。
「俺をどうするつもりだァ?」
 耳障りな声でわめく。
「私の持っている鉱区で、人手が足りていない鉱区があってね。機械を導入しようと思っているんだが、オペレーターが必要だ。その体は居心地もよくないだろうから、そっちに移ってもらおうと思っている。もちろん、報酬も払わせてもらうよ。最新の****だが」
 そう言ったザイオンは、インドラルの使い道を考えていなかったことに気がつく。インドラルにいびられ続けていたタージに任せても良かったが、お人好しのタージには難しい課題かもしれない。
「なあ、インドラル、聞こえているだろ? 鉱山の現場監督をやってみるつもりはないか? 魂(ego)をインストールした採掘機械を監視するだけの仕事だ。突つき甲斐のある部下になるぞ」
 カラスの義体は、ひきつったような表情をしているように見えた。もっともそれは、ザイオンの勘違いだったのかもしれない。カラスの表情を読むのは、それこそカラスでなければ難しい。





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伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』