「宇宙ステーションの幽霊」八杉将司

(PDFバージョン:uchuusuteishonno_yasugimasayosi
 幽霊というのは、本当にいるんだな。
 私はこれまでそんなものを信じていなかった。もういい年をした大人なのだ。ましてや医者であり、科学者でもある。さらに言うならその知識を認められて審査を通った宇宙飛行士だ。
 子供のころは人並みに怪談や心霊体験の話を怖がりながらも楽しんでいたが、昔のことにすぎない。大人になってからは死んだ人間が霊になって現れるなど戯言としか思っていなかったし、本当に見たという目撃談は勘違いか錯覚だとしか考えていなかった。
 自分が死んで幽霊になってしまうまでは。
 私は宇宙ステーションの乗組員だ。衛星軌道上の施設で、宇宙環境における様々な実験や研究、天体観測にいそしんでいた。
 死んだときのことは覚えていない。しかし、大きな破壊音が聞こえ、警報が鳴り響き、それとほとんど同時に意識が朦朧としたところまでは記憶がある。
 おそらくデブリが宇宙ステーションの私がいた区画に衝突したのだろう。危険なほど大きなデブリが接近中であるといった警戒情報は地上の管制から知らされていた。回避の遷移作業が手間取ってぎりぎりになっていたから、避け切れなかったのかもしれない。
 とにかく私が死んだのは確かのようだ。
 なぜなら目の前に青い地球が見えているのだ。それは舷窓の石英ガラス越しでなければ、船外活動服のバイザー越しでもなく、アルミ合金の壁が破けてぽっかりあいた穴から直接目にしていた。そこにはむき出しの宇宙が広がっていた。
 そんな場所を漂いながらも平気でいられるのは、自分が幽霊になってしまったからだと考えるほかなかった。
 しかし、幽霊の割には自由がなかった。この宇宙ステーションから離れることができないのだ。子供のときに聞いた怪談の知識でいえば、私は地縛霊になってしまったのかもしれない。突然の事故で死んだ人間の霊は、自分が死んでいることが信じられずにどこにも行けなくて、その場所に留まってしまうそうだが、私も同じなのだろう。
 というか行きたくても行けないといったほうが正しいか。なにせここは地上およそ四百キロ上空であり、秒速約7.7キロものスピードで地球を周回しているのだ。さすがに幽霊でも振り切ることはできないのかもしれない。
 私はこれからもこうやって地球を宇宙から眺めてすごすことになるのだろうか。
 しかし、腑に落ちないことがあった。
 肉体がないのになぜ「見る」ことができているのだろう。
 幽霊だからといえばそれまでなのだが、幽霊とは何かを考えるにあたって、その疑問を放棄してはいけないと思う。
「見る」とは、目という視覚器官が得た刺激を、脳が処理して認識するまでのことを差す。この見えている地球の海の青さや雲の白さは、そういった視覚機能の過程を経て初めて成立する感覚であり、それ以外ではまた違う感覚になるはずだった。少なくとも肉体があったときと同じ「見る」感覚ではない。これまで経験したことがない新しい感覚になるだろう。
 私は幽霊である。おそらくだが、幽霊とは物理的に存在していない状態のことをいうのだと思う。そうであるなら幽霊の知覚は物理的な肉体の感覚とは違うものでなければならない。視覚とは物理現象であり、物理的でない幽霊には当てはまらない現象のはずだからだ。幽霊には幽霊の感覚があってしかるべきで、肉体があったときと同じ感覚であるのはおかしい。
 だが、肉体があったときとまったく同じ感覚認識で地球を「見ている」。
 これはやはりおかしい。一体どう考えればよいのか。幽霊もなんらかの物理的な縛りがあるということだろうか。この場所に縛られているのもそのためだからなのだろうか。
 それからもう一つおかしなことに気がついた。
 私はいつ死んだのだろう。
 死んだのが衝突事故が起きてすぐだとしたら、それが起きたのはいつなのか。一分前なのか、一時間前なのか、それとも一年前なのか。これがわからない。
 どうも時間の感覚が失われている。
 でも、こちらのほうが幽霊の感覚らしい気もする。
 死ぬことは現実の時間を失うこともでもあると考えられる。そうなら幽霊という存在は時間がない空間に漂流する何かであっても不思議ではない。もっとも時間と空間が切っても切り離せない関係であることはローレンツ変換や特殊相対性理論といった物理により証明されているが、現実の物理から切り離された幽霊であればそういうこともあるのかもしれない。
 しかし、それならばなおのこと知覚が生前と変わらないのは納得できない。
 もしかしてこの知覚は私の肉体がまだ機能していることを意味しているのか?
 だが、宇宙に放り出されているのだ。生きているわけが……。
 ああ、そうか。
 恐ろしいことに気がついてしまった。
 私はまだ死んでいないのかもしれない。
 死にゆく途中なのだ。
 人は死ぬ寸前、それまでの人生を走馬灯のように振り返るという。
 あれはフィクションの演出だろうと思っていたが、それに近い現象が起きている可能性がある。
 人はどの時点で「死」を迎えるのか、はっきりとはわからない。心臓が止まってもその瞬間に脳まで死ぬわけではない。また脳の機能が停止するといっても脳神経細胞がそれと同時にすべて死滅するわけでもない。最後の一個の神経細胞が破壊されるまで、なんらかの意識活動があったとしても不思議ではなかった。
 時間は物理的な時間とは別に、意識感覚としての時間がある。長大な夢を見ていても、その実際の時間はとても短い。それを今、体験しているのだろうか。
 さっきより地球が近づいてきていた。
 私は地球に落ちようとしているらしい。
 いや、でも、ここは衛星軌道上だ。物理時間としては非常に短い間に、それが認識できるほどの距離感を得られるわけが……。

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 ○○新聞電子版

 放棄された宇宙ステーション落下、負傷者・被害の報告はなし NASA 20xx/5/20

 米航空宇宙局(NASA)は19日、十年前のデブリ(宇宙ゴミ)衝突事故によって制御不能になり軌道上に放棄されていた宇宙ステーションが大気圏に突入し、日本時間の同日午後1時15分から午後3時23分の間に地球に落下したと発表した。宇宙ステーションの破片が地表に落下した可能性があるが、20日未明現在、NASAには負傷者や物的損害の報告はない。
 この宇宙ステーションは世界初の自律型作業支援ロボットが搭載されていたことで当時話題になった。ロボットのAIプログラムに、実際の宇宙飛行士の記憶がそのまま使われ、ロボットに意識が宿っているのではと議論にもなっていた。
 なおこの作業支援ロボットは、事故直後に機能の停止が確認されており――



八杉将司プロフィール


八杉将司既刊
『Delivery』