「十二宮小品集2 予言する雄牛」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 男は唯一の財産である年老いた雄牛を連れて市にやってきた。
 できることなら売りたくはなかった。しかし病に伏せる妻のため、泣く泣く決断したのだった。
 陽が昇ってから西に傾くまで男は待った。しかし買い手は現れなかった。
 夕闇が迫る頃、男は深い溜息と共に市を後にした。
 家へと戻る道すがら、男は家で床に就いている妻を思い、涙を流した。
「お待ちなさい」
 声をかけられたのは町外れの四つ辻だった。振り向くと、小柄な老人が立っていた。髪も髭も白く、このあたりでは見かけない奇妙な服を着ていた。
「あんた、市にその牛を売りに来たのかね?」
「はあ」
「売れなかったんだな」
「乳は出るのかと訊かれました。雄牛だから乳は出ないと言うと、そっぽを向かれました。荷役に使えるかと訊かれました。老いているのできつい仕事には向かないと言うと、笑われました。この牛は役立たずです。私と同じです」
 老人は近づいてきて、じっと牛の眼を見つめた。
「いや、なかなかいい牛じゃないか。売れなかったのはこいつのせいじゃない。あんたの商売が下手だったのだ。明日も市はあるのだろう? もう一度売りに出すといい」
「でも、また一日無駄にしてしまうだけでは……」
「だから売り方次第だと言っておるのだよ。わしの言うとおりにするといい」
 翌日も男は雄牛を連れて市に現れた。
「そいつは雌牛かね?」
 通りかかった商人に訊かれた。
「いえ、雄牛です」
「じゃあ駄目だ。俺は乳がよく出る雌牛を探しているんだ」
「乳は出ませんが、こいつには特別な力があります。未来を見通せるんです」
「何だって? おまえ、冗談でも言っているつもりか」
「いいえ。本当です。こいつには明日のことがわかります。嘘だと思うならあなたのことを訊いてみましょうか」
 男は牛に耳打ちした。すると雄牛は苦しそうな声で唸った。
「お気をつけなさい。あなたは明日、足を挫くと言っています」
「馬鹿な。脅かそうったってそうはいくか」
 商人は怒ってその場を立ち去った。
 しかし翌日、同じ場所で男が牛を連れて立っていると、杖をついた商人がやってきた。
「嘘じゃなかった。あれから家に帰ろうとしたとき、不意に飛びかかってきた烏に気を取られて足を滑らせた。そのときに思い切り足を挫いちまった。この牛の言っていたことは本当だ。こいつはすごい」
 商人は金貨の入った袋を取り出した。
「是非とも、この牛を売ってくれ。いくらだ?」
「金貨三枚です。ただし」
 男は言った。
「この牛が言っていることを理解できるのは、私だけです。牛だけ買っても意味はないですよ」
「じゃあ、おまえも雇おう。おまえはいくらだ?」
「支度金に金貨五千枚。そして日当が一日金貨五枚」
「なんだと!? そんな大金、払えるものか」
「では致し方ありません。さようなら」
 男は牛を連れて、その場を去った。
 次の日も、男は牛と共に市に現れた。すでに彼のことは市中の噂になっていた。
「俺のことを占ってくれ」
 若い兵士がやってきた。
「今日これから御前試合に出る。俺は勝てるか」
 男は牛に耳打ちする。牛は一声鳴いた。
「おめでとうございます。あなた様は優勝されるそうです」
「おお、そうか!」
 兵士は喜び勇んで帰っていった。
 その翌日、男の元に王宮からの使者がやってきた。
「陛下が是非ともおまえとおまえの牛に会いたいと仰せだ。参られよ」
 男は牛を連れて王宮に入った。
 謁見の間には王と、昨日の兵士がいた。
「この者の優勝を、おまえの牛が予言したそうだな」
 王は言った。
「面白い。わしがおまえとおまえの牛を雇おう。だからわしの、いや、我が国のことを占ってくれるか。長く続いた隣国との諍いは一向に収束する気配がなく、それどころか隣国が我が領土を狙っておるという噂もある。ならばこちらから一気に奇襲をかけて敵を打ち倒すべきか、あるいはあくまで和平を望み、交渉にて関係を修復すべきか。占ってみよ」
 男は王に恭しく一礼すると、牛に耳打ちした。今回も牛は鳴いた。
「恐れながら申し上げます。攻めるが吉、とのことございます。王御自ら軍の先頭に立って攻め入れば、敵軍は容易に蹴散らせましょう」
「おおそうか。ならば早いに越したことはない。早速兵を挙げるぞ」
 王はすぐさま兵士を集め、自らが先頭に立って隣国に攻め入った。
 が、隣国はあらかじめ罠を仕掛け、王の軍隊を待ち構えていた。その罠に嵌まり、真っ先に命を落としたのは王自身だった。王の軍は総崩れとなり、たちまちのうちに全滅した。
 隣国は勢いに乗って攻め入ってきた。それを防ぐ力は、もうこの国には残っていなかった。隣国はあっさりと征服に成功した。国土が焼け野原にならなかっただけ、まだましだった。
 男の許にあの老人がやってきたのは、隣国の王が王宮を接収したその日だった。
「どうして、どうしてこんなことになったんですか」
 男は老人に言った。
「あなたの言うとおり、牛に耳打ちするふりをして針を刺し、牛を鳴かせました。そしてあなたが教えてくれたとおりのことを言ってみた。そしたら牛が予言したとおりになった。あなたのほうが予言者だったのですか」
「予言を本物にすることなど、造作もないことよ」
 老人は笑った。
「商人に烏をけしかけて足を挫かせる。兵士の対戦相手に一服盛って負けさせる。どれもわしには簡単なことだった」
「では……王への予言は……」
「あれも、わしの思惑どおり。絶対に勝てると言われたら、あの調子者の王のことだ、真っ先に攻め入ってくるに違いない。そう予測して待ち構えておれば、こちらの勝利も易いものよ」
「こちらの? では、あなたは隣国の……!」
「この国も、これから我が国の統治下に入る。戦火にも晒されず、無傷のままでな」
 老人は、また笑った。
「真の軍師は無闇に戦などせん。美味い果実を美味いまま、手に入れる算段をするものさ」
 そう言うと、老人は引き連れてきた荷馬車を指し示した。
「あそこにおまえへの報酬が積まれておる。支度金として金貨五千、それに日当も合わせてな。これだけあれば女房の病を直すこともできよう。いや、ご苦労であった」
 老人は去った。
 男は金貨の積まれた荷馬車を前にして、ただ悄然と立ち尽くしていた。



太田忠司プロフィール
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太田忠司既刊
『目白台サイドキック 女神の手は白い』