「光瀬龍氏との墓論争」宮野由梨香

(PDFバージョン:mituseryuusitono_miyanoyurika
 光瀬龍氏と「墓論争」をしたことがある。
 一九八〇年代の終わり頃だった。私は二十代後半、光瀬氏は六十歳くらいだった。(私と光瀬先生との出会い等については、こちらをご覧ください)
 何からそういう話になったのか、よく覚えていない。たぶん、私が何気なしに「盆に帰省したら、まず墓の掃除をして…」とでも言ったのだろう。光瀬氏は「墓なんか、どうなったっていいじゃないか」とおっしゃった。それに対して、私は「墓とは、『かけがえのなさの象徴』である」という意味のことを言った。「そういったものに対する感性の基盤となるものには、やはり敬意をもって接するべきだと思うんです」とも。
 すべてのものを「交換可能」にする方向に、世の中は流れている。私にはそう思えていた。それに対する危機感と恐怖心があった。だから、光瀬氏に「特別な場所、特別な時間にこだわる心をなくしたら、その人のその人たるゆえんとして何が残るんですか?」と言った。そう言いながら、「私はいったい誰と話しているんだ? この人は『喪われた都市の記録』の筆者じゃないのか? あの、ひたすら過去の特定の時空間にこだわる心を描いた作品の著者に向かって、どうしてこんなことを言わなくてはいけないんだ?」と感じていた。
 光瀬氏は激昂なさって「僕は墓の相続を放棄しました。先祖の墓が無縁仏になったっていいじゃないですか」と、激しい口調でおっしゃった。その時は勢いに押されて詳しい事情とかは伺えなかった。
「岩手は遠いからかな? でも、放棄までしなくてもいいのに」としか思わなかった私は、本当に鈍かった。

 光瀬氏が亡くなったその日に、私は切迫早産で入院した。亡くなったことは、新聞で知った。お通夜にも告別式にも伺えなかった。
 体調と状況が落ち着いてから、お墓参りに行った。
 びっくりした。
 まだ新しい墓石には「空」と彫られていた。見たとたんに、これは「そら」でも「くう」でもなく、「から」と読むのだということがわかった。
 たいていの人は、これを「くう」と読むだろう。あるいは「そら」か。
 もちろん、それこそが彼のねらいだ。
 真の意図は、常に韜晦する。そういう人だった。
 彼の哄笑が聞こえるような気がした。
 その足で、彼の別荘近く、江の島に行った。水族館を見てから、海岸を歩いた。
 足元に波がくる。
「寄せてはかえし/寄せてはかえし…」と、つい、つぶやいてしまう自分がいる。
 はっと、気がつく。
 そんな読者は、絶対に私だけではない。だとしたら、「光瀬龍」は、読者が生きているかぎり死なないのだ。そんな彼にどうして「墓」が必要だろう?
 墓は空(から)だし、また、空(から)でなくてはならない。
 かけがえのないものとは、断じて「墓」なぞではない。たぶん、墓論争の時、彼は私にそう伝えたかったのだ。
 その数年後、思いがけないいきさつから、「日本SF評論賞」をいただくこととなった。
 受賞後、「東京SF大全34」に、この墓参りの日に考えたことを書いた。海については、「広島SF大全15」にも書いた。また、すべての発端となった、大学1年生の時の土曜日の午後についても、最近、書いた。
 もちろん、そんなことになるとは知るよしもなく、この日、私は、ただずっと海を見ていた。 海は二つあった。目の前の海と、目の中の海。二つの海は重なりつつ、ただ、寄せてはかえすことを繰り返していた。

(了)




宮野由梨香プロフィール


宮野由梨香 協力作品
『しずおかの文化新書9 しずおかSF 異次元への扉
~SF作品に見る魅惑の静岡県~』