「遥かなる偵察」朱鷺田祐介

(紹介文PDFバージョン:harukanaruteisatushoukai_okawadaakira
 『エクリプス・フェイズ』日本語版の翻訳監修者・朱鷺田祐介の手になる短篇の第五弾「遙かなる偵察」をお届けする。

 朱鷺田祐介はこれまで「SF Prologue Wave」では、「サンダイバーの幻影」、「マーズ・サイクラーの帰還」、「宇宙クジラと火星の砂」、「リフレクション」と、宇宙探検家ランディ・シーゲルが登場する一連の作品を発表してきた。
 今回の「遙かなる偵察」の「1:リディア・イン・ザ・スペース」では、前作「リフレクション」と同様に、ランディ・シーゲルのアルファ・フォーク(分岐体、つまりコピー)のリディア・シーゲルの模様が描かれる。彼女はゲートクラッシャー、つまり、「ワームホールで太陽系外惑星とつながるパンドラゲートに挑む宇宙探検家」。そんな彼女は、虚空から虚空へと、探索の旅に出ているのだ。
 次いで語られる「2:ランディ・アット・ザ・ロング・アレイ」の舞台となるのは、土星の衛星ディオーネ。『エクリプス・フェイズ』のサプリメント(追加設定資料集)『Rimward』で解説される設定だが、ここには、150キロに及ぶ電波アンテナを集めたザ・ロング・アレイという電波望遠鏡がある。これにより、太陽系内のすべての通信を傍受することが可能となるのだ。「Role&Roll」Vol.104に掲載されたシナリオ「サイレント・バベル」は、このザ・ロング・アレイの謎に関係したシナリオだった。そのザ・ロング・アレイでも、ランディのフォークが何かを体験してしまう。
 
 フォークたちが多角的に語る世界像。それが、「遙かなる偵察」のスタイルだ。それが結末部での、あっと驚く展開につながる……!?

 朱鷺田祐介の『エクリプス・フェイズ』小説で一貫しているのは、ゲームとしての『エクリプス・フェイズ』が提供する無数の情報を縦横に駆使したスタイルだろう。現役ゲームデザイナーの面目躍如たるところだが、なかでも、特にこだわりを見せているのが「フォーク(分岐体)」を、有機的にストーリーに絡ませることだ。
 その志向性は、朱鷺田がシナリオ・デザイン、ゲームマスター、そしてライティングをつとめたリプレイ「月の熾天使~マーズ・サイクラーの帰還~」(「Role&Roll」Vol.107~109まで連載)にも、よく現れている。合わせてご堪能いただきたい。

 朱鷺田祐介は日本を代表するゲームデザイナー/ライターの一人。サイバーパンクとファンタジーを融合させた『シャドウラン』第4版や、20th Anniversary Editionの翻訳監修でも知られている。最近はクトゥルフ神話がらみの仕事も多く、植草昌実や笹川吉晴と、『クトゥルフ神話検定 公式ガイドブック』を執筆した。朱鷺田の堂に入ったゲームマスター・テクニックは、著名ゲームサイト4gamers.netで連載された「帰ってきたTRPG連載『クトゥルフ神話TRPGで遊ぼう』」でも垣間見ることができる。(岡和田晃)




(PDFバージョン:harukanaruteisatu_tokitayuusuke
1:リディア・イン・ザ・スペース

 轟轟轟々。
 リディアは、土星のとどろきを聞きながら、宇宙(そら)を往く。
 重力と磁場の波に乗り、輝くプラズマの羽が彼女を導いていく。
 虚空から虚空へ。

「宇宙に音がないなんて嘘よ」
 そういったのは、宇宙クジラのメアリー・Iだった。太陽のコロナを泳ぐ宇宙クジラ。耐コロナ用の特殊義体(モーフ)を着装したAGI(汎用人工知性体)であるソラリアン(太陽人)の彼女は、その側線(魚類の耳に当たる器官)で電磁波や太陽風を感じ取り、「聞く」ことが出来る。宇宙クジラにとって、太陽の風は荒れ狂う炎のシンフォニーだという。
 黄金色のコロナの中で、スーリヤは泳ぎ、歌い、舞う。
(ああ、そうだね)
 エアロックから宇宙空間に半ば乗り出したリディア・シーゲル(アルファ7)は、土星系の強い磁場の波動を聴覚に反映して、そう思った。
 轟々とうなりながら、回転する土星は、兄たる木星ほど荒々しくはないが、それでも、この広大な空間を圧倒する重低音を奏でている。土星の巨大な磁場を多くの衛星や小惑星が移動するにつれ、聞こえる「音」がゆっくりと波打つ。30を越える衛星群、多くの氷小惑星(アイステロイド)が集まってできた薄い輪、そして、飛来したまま、土星の高重力に捉えられた彗星や岩塊。
 宇宙に沈黙などありえない。
 轟音となって押し寄せる土星の波濤には、ガスの海で炸裂する巨大な放電現象によるスタッカートが飛び込んでくる。カッシーニの間隙に響き渡る土星の輪のせせらぎは、オーケストラの金管楽器のようだ。衝突する隕石群が放つ瞬間的な磁気バースト。
 磁場は自然な物だけではない。
 多くの衛星に建設されたハビタット、軌道上に浮かぶオニール・シリンダー型宇宙コロニーなど多くの人工物が無数の電磁波を発しており、それもまた宇宙の奏でる音楽の一部だ。
 今、リディアが離れてきたスカム・バージ「キャッスル1」もそんな音源のひとつだ。
 スカム(屑)と呼ばれる人々は、初期の宇宙開拓者の末裔だ。宇宙船乗りだったり、宇宙建築物のために雇われた建設技術者だったりした人々がサバイバルを繰り返した挙句の果てに、宇宙のジプシーと化した。彼らが乗っ取り、居住するスカム・バージは、大型宇宙艦を援用した移動する宇宙都市のようなもので、そこからは様々な電磁波が放たれている。
 生活電源となる核融合炉から提供される大電力がバージ全体を走り回り、人工的な低音層をなす。時々起こるキンキンした音は、誰かがコンデンサーでサージ電流を圧縮する様子。
 漏れ出るワイファイ通信は、周辺の随伴艦との通信回線だが、磁場の中では、池を泳ぎまわる魚の波紋のようなものだ。
 「キャッスル1」は、アメリカの企業が木星航路に投入した超大型タンカーだったという。
〈大破壊(ザ・フォール)〉の時に地球からの難民船となって木星まで飛んできたが、世界を滅ぼしつつあった戦闘AI群、ティターンズのコンピュータ・ウィルス兵器でメイン・コンピュータがダウン。ティターンズに汚染された可能性を恐れた木星共和国は受け入れを拒否、生存者たちは、木星をフライバイして外惑星圏の放浪者になるしかなかった。彼らは、海王星軌道を抜けて太陽系外に飛び出してしまう前に、船を修理して土星と海王星をループするスイング軌道に載せることに成功した。おかげで巨大宇宙船「キャッスル1」は、ほとんど推進剤を消費することなく、外惑星圏をふらふらと旅している。
 リディアは、この船の中に住む、スカムたちのいい加減な暮らしが好きだったが、そうもいかなかった。
 「キャッスル1」が土星圏を離れる時が近づいていたからだ。
 巨大な船とそこに随伴する船団は、海王星トロヤ衛星群に向かって遠大な旅に向かう。今後、半年以上、惑星間宇宙の虚空を飛び続け、人類の住む世界には近づかない。次に、土星圏を訪れるのは3年後だ。
 目的地に向かって一歩踏み出す時だ。
 リディアは「キャッスル1」のエアロックから身を乗り出し、外壁の上に立つ。
 すでに、肉体をリングフライヤー義体に乗り換えていた。
 リングフライヤーは、文字通り、木星の輪周辺の宇宙空間を飛行するための生体義体(バイオモーフ)だ。ほっそりとした手足と丸い胴体を持つリングフライヤーは生体でありながら、簡単な宇宙装備だけで真空を旅することが出来る。義体はクローンボディでありながら、外宇宙の極超低温にも耐えられる。いざとなれば、冬眠機能を発動させてもいい。3ヶ月以内なら、問題ない。精神面でも最新の孤独耐性精神強化「禅」インプラントを導入しており、1年以上、誰かと話をしなくても、精神失調を起こすことがない。科学万歳。



「前方22度、上下+2度」
 支援AI(ミューズ)が導き出したベクトルを参考に、「キャッスル1」の外壁を蹴って木星圏の虚空に飛び出す。「キャッスル1」に随伴するタグボート「ハリー爺さん」のずんぐりした上部装甲板を蹴ると、次は輸送用シャトル「アレスター・Z」と同期し、さらに土星方向へシャンプ。
 そうやって、「キャッスル1」の周囲に随伴する無数の宇宙艦艇を踏み石のように渡る。
 ちょっとしたコツを覚えれば、どんどん加速していくことが出来る。最高レベルのニューケラム(化学的神経加速システム)で反射速度は通常の3倍になっている。「キャッスル1」を形成する艦船群(スウォーム)を抜ける頃には、「キャッスル1」との相対速度は時速100キロを超えていたが、広大な宇宙空間を旅する者にとって、それでもミミズのような歩みだった。
 スウォームの艦船群から十分離れたことを確認し、バーニヤを軽く吹かして移動方向を微調整する。その後、背中から巨大な蝶の羽のようなプラズマ・セイルを展開する。
 横殴りの軽い衝撃は、太陽風を捉えた証拠。
 こんな世界の果てでも、太陽風は吹いている。そのプラズマを捕捉すれば、一定の加速を得ることができる。加速度はわずか0.01Gだが、時間さえあれば、最大秒速80キロまで加速できる。うまくすれば、3日ほどで、目的地へ到着するだろう。セイルを傾け、土星圏へと向ける。
 それまで、たっぷりと土星の歌声を堪能するとしよう。


〈大破壊後(AF)〉10年、人類が魂(エゴ)をデジタル化して、バックアップできるようになってすでに数十年が経過していた。肉体(モーフ)は義体(モーフ)と呼ばれる、一時的な乗り物になった。バイオ技術の発達で病気を克服し、必要に応じて義体を乗り換えることで、事実上の不死を手に入れた。
 リディアは、そうした技術で誕生した、宇宙探検家の男性、ランディ・シーゲルのコピー、分岐体(フォーク)である。ランディのオリジナルの魂(エゴ)からコピーされ、ミッションに合わせて外惑星圏の深宇宙でのサバイバル能力を重視し、女性の身体と性格を持たせている。オリジナルのランディはワームホールで太陽系外惑星とつながるパンドラゲートに挑む宇宙探検家、ゲートクラッシャーだ。彼女は太陽系内での活動のために作成された七番目のアルファ分岐体(フォーク)なので略称アルファ7。〈大破壊後(AF)〉10年の太陽系では、それほど珍しい話じゃない。


 2日間の宇宙散歩の後、プラズマ・セイルの向きを変えて減速したリディアが肉眼で目標のハビタットを視認した時、相対速度は時速30キロまで落ちていた。ガス・ジェットで減速することも出来たが、あくまで、漂流する岩塊のような雰囲気を残しておきたかったので、ギリギリまで使わないで済ませたかった。
 ハビタットは、建設途中で廃棄されたレーガン・シリンダー「グリーンレイク」だ。内惑星圏に多いオニール・シリンダーほどは大きくないが、小惑星を取り込んだ円筒型の宇宙コロニーは全長1キロ以上、無事完成すれば、数万人のトランスヒューマンを収容できたはずだ。
 〈大破壊(ザ・フォール)〉の際、人類殲滅を決意した戦闘AI群、ティターンズは、太陽系全土のハビタットに対して、コンピュータ・ウィルスによるシステム・アタックを敢行、感染した戦闘機械や工業用ロボットの軍団が人々を殺して回った。このグリーンレイクもその被害者だ。建設中だったこのハビタットには多数の建設用ロボットやドローンがおり、それを管理するために駐在していた2,000名ほどの人類はことごとく殺されて、その後、アップロードされた。
 その後、同じく土星圏にある先進国家「タイタン連邦」がミサイル攻撃を行ったことで沈黙したが、建設は再開されなかった。建設会社も発注者も〈大破壊〉の中でさっぱり消え去ってしまっていたのだ。
 リディアは、脳内でリアルな殺戮劇の鮮明記憶がリピートされるのを冷静に見つめた。
「その記憶」はリディアのものではない。グリーンレイクで働いていた労働者が殺された後、ティターンズに操られた戦闘機械は被害者の首を切り取り、魂(エゴ)をスキャンして、死者の魂(エゴ)を強制的にメッシュへアップロードした。死の記憶を持つ魂(エゴ)は、メッシュ上をさまよったり、あるいは、ウィルス感染を恐れた人々によって、専用のデータ保管庫、別名「死体用冷凍倉庫(コールド・ストレイジ)」へと隔離されたりした。リディアが持っている記憶は、死体用冷凍倉庫から掘り出した魂(エゴ)から抽出したものだ。
 それを体験記録(XP)形式で編集したデータは、この三日間、リディアの旅のよき同行者となった。「禅」インプラントのおかげであらかじめ、感情にブロックがなされていたので、いかなる惨劇を体験してもパニックになるのを抑えられた。土星の轟きをBGMに、彼らのXPを高速再生し続けたリディアにとって、グリーンレイクの内部は完全に把握済みだった。
「でも、それは十年前の情報よ」
 支援AI(ミューズ)に命じておいた、自己への助言がリピートされ、行動の固着を解消する。先入観はこうしたミッションには危険だ。十年の間に、戦闘機械たちが改造してしまっている可能性もある。
 グリーンレイクからの通信コンタクトはなし。メッシュは存在しない。
 〈大破壊〉の際、タイタン連邦軍がガニメデから電磁パルス(EMP)爆弾を打ち込んで電子機器を焼き払ったままなのかもしれない。エクスサージェント・ウィルスによる感染が懸念されたため、他の土星圏の国家も手を出さなかった。
 グリーンレイクがぐんぐん大きくなる。プラズマ・セイルでの減速はもう限界だ。セイルを収納し、短くガスを噴射して減速。相対速度は打ち消しつつ、外壁にタッチダウンする。
 再び、10年前の記憶がフラッシュバックする。
 エアロックB24。
 この記憶の持ち主は、同僚の救援要請を聞き、真空宇宙での作業から戻ったため、通路24で、戦闘機械と遭遇し、死亡した。六脚型の蜘蛛型機械外殻(アラクノイド・シェル)が変容した殺人マシンは、作業腕に装備したダイアモンド・カッターで彼の肉体を切断した。戦闘の記憶は、そのまま、潜在的な危険への対応シミュレーションだ。あのタイプは、ヘッドハンターと呼ばれる。腕の格闘兵器は確かに脅威だが、リディアが持ち込んだレールガン式SMGで対応できる。数さえ多くなければ……だ。
 そこで、リディアは不思議な「声」を聞いた。

 >>>アップロード・データ337はここで終わっている。>>>



2:ランディ・アット・ザ・ロング・アレイ


「信じる方? 信じない方?」
 ランディ・シーゲルが、ザ・ロング・アレイを訪れた際、担当の技術者が言った。
 その技術者はイルマリネンで作られた精神強化型の最新鋭合成義体サヴァンを着装していた。純粋に、知的な活動を行うことだけを優先したこの義体は一応、ほっそりした人型をしているが、表情を浮かべるべき顔面はただの銀色の卵型で、胴体も生命維持のための機械装置を収める人型の外殻(シェル)、作業用の手はまだしも、足など形だけついているようなものだった。
「足なんて飾りですよ。偉い人には分からないのです」
 技術者と定番の受け答えをし(支援AI(ミューズ)がネット検索で得た引用元のことは心の棚に置き)、挨拶を交わした後で、技術者は問いかけてきた。
「信じる方? 信じない方?」
 宇宙人の存在だ。
 土星の衛星ディオーネにある太陽系最大の電波望遠鏡「ザ・ロング・アレイ」は、全長150キロもの長さがある。これを運営する国際的な科学者集団「アルゴノーツ」は、あらゆる科学技術のオープン・ソース化を提唱するロマンチストの集団で、「ザ・ロング・アレイ」が受信するすべての電波信号は、公開情報となっている。
 もともと、SETI計画の志を受け継いで建造された宇宙ステーションである。つまり、この巨大な電波望遠鏡は、宇宙人文明を発見するための場なのだ。
 すでに、「代理人(ファクター)」と呼ばれる軟体生物型の宇宙人—全長1mを超えるウミウシの群れ—と遭遇済みの現在(〈大破壊後〉(アフター・ザ・フォール)10年)、この質問はずいぶん、トンチンカンなものだとも言えるが、ランディは笑って答える。
「オレは、ゲートクラッシャーだぜ?」
 ゲートクラッシャーは正体不明のエイリアンが何百万年も前に残したワームホール・ゲイトを抜けて、太陽系外惑星の探査を行う冒険家。命知らずのスリル・シーカーだ。
 いずれ出会うだろう、エイリアンに夢を抱いていないと言えば嘘になる。
「ここまで来る人の7割は信じる方」
 技術者の答えには、精密な統計資料が添付されていたので、支援AI(ミューズ)が三次元モデルに展開し、脳内に投影する。これもきっと「アルゴノーツ」のウェブ・コンテンツとして太陽系に配信されてしまうのだろう。まあ、暇人しか気にしない情報だが。
「さて、ご要望は電波走査ですね」
 ザ・ロング・アレイは太陽系外の天体観測を目的とした電波望遠鏡であるが、150キロに及ぶ電波アンテナの集合体は、太陽系内のすべての通信を傍受することが可能だ。それは言い換えれば、電波通信でかわされるすべての情報を盗み聞きできるということだ。



「我々は、すべてを公開します」
 アルゴノーツの技術者は、彼らのミームを表す言葉をあえて口にする。技術自由意志主義(テクノ・リバタリアン)のくせに、言霊思想には共感するらしい。
 オープン・ソース運動。
 すべての情報を公開し、プログラムや作品を著作権や既得権益から解放し、すべての制限や規制に反対する究極の自由意志主義。テクノ・リバタリアン(技術における意志決定論者)である彼らは、ザ・ロング・アレイの受信情報をすべて公開している。それはメッシュを通して、太陽系のどこからでもアクセスできるが、あまりに大量であるため、走査範囲を絞ったデータを制作し、さらにプログラム・レベルでフィルタリングしていくには、こうして直接、ザ・ロング・アレイを訪れた方がいい。何しろ、光速によって生じるタイムラグは大きいものだからだ。例えば、火星と土星の間では、3時間ものタイムラグがある。それならば、今回のように、魂(エゴ)を投射(キャスト)して現地の義体(モーフ)をレンタルし、直接、現場の技術者とコンタクトする方が効率もよい。
 今日、この場所にいるのは、宇宙探検家ランディ・シーゲルのアルファ分岐体(フォーク)だ。オリジナルは、今も火星にいて、別のミッションに取り組んでいるはずだ。人格に修正をかけていない彼のオリジナルに近い分岐体であることから、常に、アルファ1と呼ばれ、ミッションが終わるごとに、オリジナルの精神と再統合されている。
 使用している義体はメントン。認識力強化型の生体義体(バイオモーフ)であるが、文字通り、頭でっかちなこの義体は高価な割に、ランディの冒険家気質と似合っていないので、もっと安物の機械外殻(ロボット・シェル)でもよかったかもしれない。ここの連中は、機械式の合成義体(シンセモーフ)だからと言って足元を見たりはしない。
「ユダヤ人によれば、本当の金持ちは1セントでも節約するそうですよ?」
 義体に関するコメントがメッシュ(通信ネットワーク)に漏れ出ていたのか、技術者はジョーク集サイトとのリンク付きで真面目にコメントする。使わない機能などいらないと言い切るあたり、この技術者は魂(エゴ)のどこかにユダヤ人大富豪的な何かをインプラントしているのかもしれない。
 確かに、彼らは義体の外見など気にしないようだ。
 ランディ・アルファ1は頼みたい作業をメッシュでトスする。
「エッジワース・カイパーベルトですね」
 それは海王星軌道の外側、太陽圏外縁部。惑星というには少々小さすぎる星々、例えば、冥王星やエリスなどが長大な軌道を持って巡るだけの場所だ。深宇宙と言ってもよい。
「ああ、そこに奴らがいる」
 そこで、サヴァンの銀色の頭部に光が走った。前面が実はディスプレイになっていたようで、そこに、古典的な石造りの塔を描いた古代の絵画が浮かび上がる。彼らから発せられた通信情報なのか、それとも、ランディの支援AI(ミューズ)が高速で検索した結果なのか、それが地球の中世期に、ヨーロッパで描かれた油絵であり、描かれているのが旧約聖書で言及されたバベルの塔であることが拡張現実(AR)で表示される。
「サイレント・バベルの情報をお求めですか?」
 アルゴノーツはすでに、「奴ら(エイリアン)」の置き土産を取りまとめ、研究を始めていたようだ。
「ええ、頼みます」
「サイレント・バベルには、向精神性効果アルゴリズム、または、メンタル・ウィルスの可能性が提示されています。
 エイリアン技術が生み出したミーム兵器の可能性があります」
 ミーム兵器。
 特定の文化素子(ミーム)を植え付けたり、阻害したりする社会文化的な兵器は、まるでジョークのような話だが、環境を損なわずに、居住種族を排除するために有効という分析もある。トランスヒューマンは、まだ、これを実用化するには至っていないし、現状、それを許す気もないが、まだ見ぬエイリアン種族の中に、この悪夢を実現させられる者がいないとは限らない。
 ランディはアルゴノーツの技術者の顔に見入り、流れこんでくるデータに身を任せた。

 天空から神の怒りが舞い降り、巨大な塔は崩れ落ちた。
 神は人間たちの言葉を乱し、これ以上、不遜な行いが出来ないようにした。

 >>>アルファ1の大脳皮質記録装置(スタック)は、事件の数日後、「ザ・ロング・アレイ」の外部を漂っていたランディ・シーゲル(アルファ1)の遺体から回収された。>>>



3:レイド・アンド・ザ・フライ


 レイド(ランディ・アルファ3)は、これでも、ずいぶんと義体(モーフ)を乗り換えてきた。
 異星探査用に身体を強化したオリンピアがオリジナルの身体に近いが、探査する星の環境に合わせて、高地用のマーシャン・アルピナーや水中用のアクアノート、高重力に対応するため骨格を強化したネアンデルタール人ベースの異星探索用義体に入ったこともあるし、機械外殻(ロボット・シェル)を使ったこともある。それに仲間には、身体自由主義者のスカム女や、群体義体に入ったハッカー、宇宙クジラに知性化タコもいたから、どんな外見でも気にするつもりはなかった。
 それでも、人間サイズの蝿に出会ったのは初めてだったし、驚きを隠すことは出来なかった。
「ブブブブ」
 蝿の羽ばたきのようにしか聞こえない名状しがたい発言。
 起立した人間大の蝿にしか見えないそれは—性別も年令も公開されていないため、礼儀として、中性名詞を使うしかなかった—、刺とも毛とも言えない突起の生えた外骨格の前足の片方をゆらゆらと揺らし、3本ある鈎爪で軽くレイドの腕をつついた。
「気に入られたようですね」
 宇宙ステーション「ローカス」の案内役であるフリーランス法務ディストリビューター、シェーラ・アフリカヌスが社交用義体エグゾルトの魅力を満開にした満面の笑みを浮かべる。完璧な人間美を体現した美女の微笑みと肉体から立ち上る人工フェロモンがレイドの頭をくらくらさせた。
 ちなみに、レイドはこのエグゾルトが営業用にすぎないことを知っている。シェーラ自身は、人類ではなく、知性化されたボノボ、チンパンジーの亜種にすぎない。ボノボは人類より完成された平和的な社会構造を持っていたので、知性化されたそうだ。まあ、関係ないことだが。
 レイドは、頭を振ってしゃっきりさせると、シェーラに向かって根源的な質問をした。
「会話は?」
「彼ら、エクゾグロットは、彼ら以外との会話を行いません」
 メッシュ通信の中で、エクゾグロットに関する参考資料がポップアップする。
 シェーラの支援を頼んだ時点で分かったことだが、このエクゾグロットたちは究極の隠者のひとつだ。人の姿を捨て、蝿のような奇怪な姿となって、外界とのコミュニケーションを絶っている。メッシュにすら接続しているか不明だ。少なくともメールに答える様子もなければ、VPNもない。蝿型の義体は明らかに同族以外とのコミュニケーションを拒絶している。
「彼らから情報を入手するためには?」
 すると、巨大な蝿とシェーラ・アフリカヌスの二人がほぼ同時に、部屋の隅にあるエゴブリッジ装置を指さした。義体(モーフ)から義体(モーフ)へ魂(エゴ)を移動するための機械。
「エグゾグロットになれって?」
 困ったことに、レイドはオリジナルから、強すぎる好奇心というものを受け継いでいた。


 >>>アップロード>>>



4:ラディスラフ・ミックス・ウィズ

 場末の酒場という言葉があるが、天王星の衛星オベロンの片隅にある「ケイローン」ほど、それにふさわしいものはない。
 太陽系外へ続くワームホール・ゲイトのひとつ、フィッシャー・ゲイトに近いアナーキスト・コミュニティと言えば、聞こえがいいが、ゲートの彼方を目指すゲートクラッシャーの中でも、運や資金に足りない連中がチャンスと仕事を求めて吹き溜まっている場所だ。ゲートクラッシャーの多くは、太陽系外探査のために、身体を強化しているから、生半可な酒など効きはしない。熊でも倒れそうな度数のアルコール飲料や薬物、あるいは、ダイレクトに脳へダウンロードする電脳麻薬アルゴリズムや違法レベルの経験記録(XP)。あるいは、究極の快楽を提供するヴァーチャル・セックス。そんなものが「ケイローン」の売り物だ。
 そんな「ケイローン」の隅の席で、ラディスラフ・サイゲリャスク(ランディ・ベータ2)は、困惑していた。
「ベータをいつまで放っていく気だ?」
 ラディスラフ・サイゲリャスクは、宇宙探検家ランディ・シーゲルの2番目のベータ分岐体(フォーク)である。
 ベータ分岐体(フォーク)は、アルファ分岐体(フォーク)ほど重要ではない案件のために作られるやや正確度に欠ける魂(エゴ)の複製である。本体より能力が劣るし、記憶も完全ではない。法的な権限はペット以下だ。通常、短時間の用事のために作られるものに過ぎず、着用している義体(モーフ)も、オベロンでレンタルした安物のポッド義体だ。出来合いのクローンボディに、サイバーブレインをぶち込んだ量産品。顔は一応、欧米系だが、後はおざなりだ。ラディスラフという東欧系の偽名もいい加減につけられたものだ。
 ラディスラフは、アナーキスト・アライアンスとフィッシャー・ゲイトの情報を収集するために10日前に作られ、天王星の衛星オベロンへと送り込まれたが、三日目でオリジナルとの連絡は途絶え、すでに一週間以上、コンタクトが取れないまま、放置されている。
「だから、ミックスしよ?」
 いつの間にか、ただれた関係になっていたアナーキストの女、クレア・バーストがいった。セックスの関係は最高だった。快楽用ポッド義体(プレジャーポッド)かと思ったほどだ。
「いや、ほら、俺、これでも秘密エージェントだから」
 どこで話したのか、今、ラディスラフが秘密組織「ファイアウォール」の一員として、ここに来ていることは、すでにクレア・バーストにもバレバレだった。
 それでも、ラディスラフにとって、ミックスをしないのは最後の理性である。
 ミックスとは、エゴミクスチャーの略語だ。魂(エゴ)のコピーが出来るようになって、複製した魂(エゴ)の記憶をオリジナルに戻す統合(マージング)が行われるようになった。一旦、分離した魂(エゴ)をひとつにまとめ直す措置はかなり精神的なストレスがかかるのだが、この技術を応用して、赤の他人の魂(エゴ)同士を混ぜあわせることも出来る。精神にかかる負担はオリジナルと分岐体(フォーク)の統合よりずっと高いものだが、同時に、すべてを共有した一体感が得られる。いや、実際、ふたりはひとつになるのだ。
「セックスしながら、ミックスするのが最高」
 脳に蛆が湧いていそうなクレア・バーストはすでに何度もそういう体験がある。
 この女は、ビッチだ。
 確かに、この時代、妊娠するかどうかは、自由自在。多くの義体は不妊措置済みで、セックスは楽しいスポーツでしかない。女たちがセックスを楽しむには最高の時代だ。
 いや、それ以前に、クレアが女かどうかも分からない。
 義体(モーフ)は女だが、魂(エゴ)が女かは分からない。
 ラディスラフの微かな記憶には、オリジナルが生み出した分岐体(フォーク)の中には、魂(エゴ)を義体(モーフ)に合わせて、女性化したものがあったはずだ。
 そういう意味では、義体(モーフ)が女なら、中身はどうでもいい。
 AI入りのセクサロイドなんて、どこにもでもある。
 人間じゃなくても問題はない。まあ、魂(エゴ)が知性化されたカラスやブタじゃなければ、タブーは感じない。ラディスラフは無宗教だったし。そういう意味では問題はほとんどない。
(記憶の閉鎖を望みますか?)
 支援AI(ミューズ)が脳内で質問する。ミューズがエゴブリッジ装置に介入して記憶の流出を制御すれば、秘密組織「ファイアウォール」のことはクレアには届かない。
 その上、すでに任務の方は放置されたままだ。
「ま、それもいいか?」
 クレアの心の底に淀むものを味わうのもいいかもしれない。

 そして、ラディスラフの魂(エゴ)は、溶けていった。

 >>>アップロード>>>



5:ランディ・デッド・オア・アライブ

 ……自分が何番目の分岐体(フォーク)なのかは、もう思い出せない。
 戦車型義体「フェンリル」のプラズマ砲による砲撃で倒壊したビルの破片が体の半分を押しつぶしているが分かる。痛覚遮断インプラントがあるので意識こそ飛ばないが、流れる血の量はバイオモニターが計測しており、致命的な状態にあるのが分かる。ナノテク絆創膏を使用したくても、右腕自体が吹き飛んでいて、ポケットは強化コンクリートの下だ。頭部にも細い鉄骨がぶつかっていて、左側の頭蓋骨が割れ、脳に傷がついている。
 もうこの義体(モーフ)が長くないのは分かっている。
「終わりか?」
 いや、そんなことはない。
 ……そう思いながら、出血多量で意識が途絶えた。


 ランディの死体の右肩にあった円盤状のプレートが外れて、瓦礫の隙間に落ちた。
 プレートの表面にあった筋がゆっくりと持ち上がり、折りたたまれていた六本の機械脚になる。プレートの中心部が少しずつ盛り上がり、前方に向いたカメラアイが輝きを持つ。いつしかそれは昆虫型のロボットになり、ランディの死体へと歩み寄っていく。
 ランディの死体は下半身が巨大なコンクリートの塊に押しつぶされており、上半身も破片で引きちぎられてずたずただった。頭部も割れ、脳みそが見えていた。
 ロボットはランディの首の後ろ側に近づくと、前足2本を盆の窪へと突き刺した。先端がどうやら、医療用ドリルか何かになっているらしく、忌まわしい機械音とともに、肉や骨が削られ、あたりに血肉が飛び散る。
 神経にでも接触したのか、ランディの死体がびくびくと痙攣した。
 やがて、ロボットはコインほどの大きさの円盤を取り出した。
 ロボットが口元から透明な液体を吹き出し、コインにこびりついた血肉を吹き飛ばす。おそらく何か強力な洗剤の類かもしれない。しばし、コインの洗浄を行った昆虫型ロボットは、そのコインをパクリと飲み込んだ。


 ……死からの目覚めは最悪だ。
 特に、スペア義体で苦痛の後味とダウナーなトラウマの中で目覚めるのは最悪だ。さらに、目の前に、自分の無残な死体があるとなっては本当に最悪だ。

 >>>投与。「希望」>>>

 電脳麻薬アルゴリズムがスペア義体の安物小型サイバーブレインを満たし、最悪な気分を生存本能に置き換える。支援AI(ミューズ)が状況報告と行動指針をまとめて提示する。脳内の選択肢に沿った脱出ルートがARに表示される。
「死体は?」
(放棄します)と支援AI(ミューズ)が、「ファイアウォール」のエージェントマニュアルを参照しながら、答える。
(必要なら、超テルミット爆薬で焼却することも可能ですが、この戦場で敵の注目を浴びる危険があります。時間差起爆をオススメします。スペア義体の移動速度から行って1時間後がのぞましいかと思います)
「それで行こう」
 ランディの魂(エゴ)を乗せた昆虫型ロボットは、崩れたビルの残骸の中、脱出経路を探して歩き出した。
 ……バビロンまで何マイルあるのだろうか?
(秘匿回線で魂を投射(エゴキャスト)可能な最寄りのアクセス・ポイントまで、3,257メートル75センチ)
 残念ながら、支援AI(ミューズ)は、情緒を楽しむ時とは判断してくれなかった。残念な話である。




★:リディア・イン・ザ・コフィン

「キャッスル1」の義体着装(リスリービング)センターで目覚めた。
「記憶の再構築中です。トラウマ対応措置進行中」
 技師の声が脳内に響く。
 感情がブロックされていた。
 前の私は失敗したらしい。
「リディア・シーゲル(アルファ7C)」
 義体装着技師が名前を呼ぶ。
 アルファ7Cか。7番目のアルファ分岐体(フォーク)というだけでも無体なのに。Cということは、AとBは死んだのか?
 ……肯定。
 支援AI(ミューズ)が彼らの死を告げる。
(Aは、ティターンズの戦闘機械によって殺され、魂(エゴ)がアップロードされました)
 強制アップロードされた死の記憶が脳内で木霊する。
「奇妙な声」
 リディア7Aの最後の感想が声に響く。
(補完する分岐体(フォーク)の魂(エゴ)データが複数ありますが、統合しますか?)
 分岐体(フォーク)はコピーにすぎない。そのため、用事が済んだ分岐体はオリジナルに統合し、一体化させる。これによって、二人の記憶は「統合」されるのだ。
 今、Aの記憶を吸収したのも一種の「統合」である。
 リディアは、太陽系外に出ているオリジナル・ランディ・シーゲルの太陽系における代理人として作られた分岐体なので、オリジナルに代わって、他の分岐体を統合し、吸収する権利がある。統合自体、かなりストレスがかかる行為だが、着装センターなら、精神外科装置と併用してストレスをミニマム化できる。
「実行してください」

 実行「ファイル2:ランディ・アット・ザ・ロング・アレイ」
 実行「ファイル3:レイド・アンド・ザ・フライ」
 実行「ファイル4:ラディスラフ・ミックス・ウィズ」
 実行「ファイル5:ランディ・デッド・オア・アライブ」




〈大破壊後(AF)〉10年、人類が魂(エゴ)をデジタル化して、バックアップできるようになってすでに数十年が経過していた。肉体(モーフ)は義体(モーフ)と呼ばれる、一時的な乗り物になった。バイオ技術の発達で病気を克服し、必要に応じて義体を乗り換えることで、事実上の不死を手に入れた。
 彼らトランスヒューマンは、自らの魂(エゴ)をデジタルで記録し、バックアップし、コピーし、改変し、放送し、そのすべてを統合することが出来た。
 そして、彼らの脳内で、支援AI(ミューズ)がささやく。

 バックアップしますか? Y/N


 リディア・シーゲルは目覚め、ほほ笑みを浮かべる。
「謎はすべて解けた」
 必要な義体(モーフ)はすでに準備されている。
 今度こそ、太陽系に迫る〈人類絶滅の危機(Xリスク)〉を解き明かす。
 それがリディアの生まれた理由。
 それは遙かなる偵察。

終わり、もしくは、さらなる始まり。




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朱鷺田祐介プロフィール


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