「綿菓子屋」平田真夫

(PDFバージョン:watagasiya_hiratamasao
 ――スクロース
 ショ糖とも。分子式C12H22O11。マルトース(麦芽糖)などと並んで、代表的な二糖の一つ。α-グルコース(ブドウ糖)とβ-フルクトース(果糖)が脱水して結合したもの。常温では白い結晶、一六〇℃で融けて飴状になり、二〇〇℃で褐色に変わる。一般に砂糖と呼ばれる物はこれであり、調味料としての使用の他、その性質を利用して、鼈甲飴やカルメ焼きなどの菓子に用いられる。


 上手いなあ、と思う。珈琲茶碗に向かう途中、目に付いた綿菓子屋だ。入口を潜るとすぐ、辺りに漂う焦げた砂糖の匂いが気になったが、此処から届いていたのである。
 他の売店が様々な色や、点滅を繰り返す電飾で人目を惹こうとするのに対し、この店は薄暗い裸電球しか点けていない。大きな盥(たらい)のような機械を台に乗せ、前面を透明なビニールで囲っている。後ろには赤と黄色の縞模様の服を着た若い男が立ち、機械の中を掻き廻すような動作を繰り返していた。そうやって出来上がった綿菓子を、制服と同じ赤黄縞の袋に入れては、屋台の軒先に吊るしていくのである。
 離れて見ていると、時々何人かの親子連れや、小銭を握った子供が立ち寄っては、袋詰めの飴を買っていく。係の男は休みなく盥を掻き混ぜるが、軒先が袋で一杯になる様子は無い。このような遊園地や縁日では定番の店なので、特に目立つ訳でもないのに一定の売り上げがあるのだろう。
 近寄ってビニール越しに覗き込むと、機械の中心に金属製の円盤が廻るのが見えた。彼は、そばの四角い缶から茶色い粗目を掬い取ると、盤の真ん中の穴にざっと放り込む。途端に盥の周囲に雲のような砂糖の綿が付き始め、男は割り箸を持って手際良く巻き付けていくのだ。
 実は自分でも、故郷の街でやったことがある。夏祭りの時に、商店街の出店で自動販売機が置いてあったのだ。百円玉を入れると機械が動いて粗目を注ぎ込み、客が自分で割り箸に巻き取るというあれである。
 しかしその時は、どうしても砂糖の糸が上手く絡まってくれず、箸にはほんの少しの綿しかくっ付いて来なかった。共に居た連れもやってはみたのだが、やはりどうしても僅かな砂糖しか回収出来ない。その為二人で、どうして屋台の人達はあんなに上手く出来るのだろうと不思議がったものだが、此処でも改めて同じ思いをしている訳である。
 と、さっきから見詰められているのが気になったか、男が顔を上げて、
「食べるのかい」
と、訊ねてきた。見ているだけで買わないのでは、商売にならないとでも思ったのか。しかし表情は穏やかで、咎める様子も無い。
 だが、砂糖の焼ける匂いは、確かにそそるものが在るのも事実だった。そこでポケットから小銭を出し、そばに貼られた紙にある金額を選り分けて差し出す。男は前に出て金を受け取ると、手を伸ばして袋を一つ取ってくれた。口に巻かれた護謨(ゴム)を外して中身を取り出し、さて袋はどうしようと考える。すぐに男が察して、
「護謨とビニールはこっちにくれればいいよ」
と言いながら、手を出した。
 有り難う、と頭を下げながら要らない物を渡してしまい、ふわふわした塊の端に口を付ける。それはすぐに舌先で溶け、甘さだけが口中に拡がった。焦げた飴の香りが鼻腔に昇って来る。
 口中にはほとんど何も残らない、純粋な甘味の精。
 唇の周りに溶けた砂糖が付くのを気にしながらも、更に薄茶色の塊を舌に乗せていく。綿菓子は見る見る小さくなり、次第に細い芯棒だけになっていった。
 そうしている間も、店員は新しい粗目を機械に入れ、尚も次の割り箸を操っている。彼が三温糖の粒を円盤に流し込むと、融けた砂糖が振り廻され、糸を引いて周囲に散る。それを棒で掻き取る訳だが、あの間合いを測るのが難しく、ともすれば、すぐ盥の内側に貼り付いてしまうのだ。そうなったらもう綿の状態にすることは出来ず、そこが腕なのである。
 買った綿菓子を舐めてしまうと、彼は、
「割り箸もこっちにおくれ」
と言って手を差し出す。棒を渡すと、相手は、
「これで口を拭くといい。頬っぺたがべとべとだよ」
と、濡れた紙をくれた。
 少し気恥ずかしくなって紙を受け取り、唇の周囲を綺麗にする。彼はその塵をも受け取ると、今度は未開封の緑茶缶を出す。
「そのまんまじゃ、口の中が甘過ぎるだろ。これは奢りさ」
 何故、こんなに親切にしてくれるのだろう。ずっと見ていただけなのに。
「いや、坊やが下げている石のせいだよ。初めて見せて貰ったんだ。そのくらいはしてもいい」
 胸に下げた飾りの方に顎をしゃくる。言われてみると、碧光石が淡い緑の光を放っている。綿菓子を作る屋台の機械、これが発する熱を吸い取って、光に換え始めたのだろう。
 缶のお茶を飲みながら、尚も男のすることに見惚れ続ける。彼は箆(へら)を出して、周りの筒の内側に付いた砂糖を削り落とした。如何に上手くやったとて、完全に砂糖の糸を絡め捕れるものではない。こうしてやらないと、こびり付いた滓はどんどん増えてしまう。
 そうやっている間にも、時々親子連れや手を繋いだ子供達などがやって来ては、袋詰めの商品を購って行く。園の入口から左に向かって一番近くの乗り物である珈琲茶碗、そこに行くまでの間、つい目に付くというところなのだろう。
 ふと、男が訊ねる。
「やってみるかい」
 いいのだろうか。本当は作ってみたくて仕方が無かったのだ。前の経験はあっても、こうやって見ている分には至極簡単そうに思える。だが……。
 一瞬、断ろうか、とも思った。又失敗したくはないのである。粗目を無駄にしては悪いし、機械を汚してしまっても拙い。
 しかし彼は、逡巡するこちらの顔を余所に、
「大丈夫さ」
と言って、割り箸を渡した。
 そこで思い切って、ビニールの向こうに廻ってみる。機械は自分には高過ぎたが、男がそばにある木の台を寄せてくれた。何の為に置いてある物かは判らないが、乗れば意外に丁度良い高さである。
「砂糖を入れるよ」
 缶から粗目の茶色い粒を採り、真ん中の筒にざっと入れる。すぐ、周りに甘い糸が現れ始めた。
「さ、巻き取って」
 横から言われて、慌てて割り箸を突っ込む。やはり大変に難しい。周囲の壁面の内側は見る見るうちに残滓で汚れていき、割り箸にはちっぽけな塊しか残らなかった。
「ううん、やっぱり難しいようだね」
 係の男は箆を出して滓を掻き取ると、膝を折って台の下にしゃがみ込んだ。
「こっちの砂糖を使ってご覧」
 手に、飲み物の缶位の硝子瓶を持って立ち上がる。中には粗目に似た、小さく真っ白な粒が入っていた。白熱灯の黄色い光の下でも、純度はすぐ判る。精製された砂糖の結晶だ。
 そういえば、この店では、青や赤の飴は売っていない。見ている限り、茶色の粗目ばかりを使っている。
「これを使えば、誰でも上手に出来るよ」
 彼は、計量カップ半分程に白い粉を入れて渡してきた。
「割り箸はいらない。ただ、入れるだけでいいんだ」
 どういうことか、とは思ったが、とにかく右手に持っていた惨めな作品を舐めてしまうと、割り箸を渡して器を受け取る。
「本当は、囲いのビニールとかも取っちゃった方がいいんだけどね。さ、一気に――」
 言われるままに、白い粉を中心の筒に空ける。回転と共に、先程まで見ていた物よりずっと真っ白な、透き通った糸が現れた。と、見る間にそれは台を離れ、空中に浮かび上がる。
「ほら、上手くいった」
 浮かんだ綿菓子は、空中で蒲公英(たんぽぽ)の綿毛のように集まると、そのまま小さな塊となって散って行く。同時に、辺りにあの、砂糖の焦げる匂いが、今までに増して強く漂い始めた。
「この砂糖はね、匂いだけを固めて合成してあるんだ。宙に浮かんで飛び散ってしまえば、後には何も残らない。作り方は秘密だけどね」
 男は事も無気に言った。
「だからお客さん達は、遊園地の何処に行っても、綿菓子の匂いを嗅ぐことが出来る。それにこれは、服なんかを汚したりもしない」
 蒲公英の綿毛は尚も周囲の空中に漂い、辺りを彷徨っている。手を伸ばして触れようとすると、それは指先で、たちまち無となって消え失せた。指を擦り合わせても、何の跡も感じられない。成程彼の言う通りだ。
「で、これから何処に行くの? 独りってのは珍しいけど、その石を持ってるんだから、そういうこともあるかな。じゃ、気を付けてね」
 彼の言葉に、もう一度感謝の意味で頭を下げ、屋台を離れる。周囲の綿毛は少しずつ宙を昇って行き、ほとんどが手の届かない高さにまで達していた。
 砂糖の匂いに包まれつつ、左手に向かう。気が付くと、さっきの缶を持ったままだ。もう、とっくに空になっている。そばの空き缶用の塵箱にそれを放り込むと、傍らに立つ金属製の矢印に、「珈琲茶碗」と書かれているのが目に入った。



平田真夫プロフィール


平田真夫既刊
『水の中、光の底』