「わが名は『ガッツ』」東野 司(画・河田ゆうこ)

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 春だった。
 リビングの大きな窓を開けると、小さな横長の庭。すぐ手前のバラの根元に体をこすりつけている一匹のネコがびっくりして、こちらを振り仰いだ。
 一瞬、アメリカンショートヘアに見えた。くりっとした瞳が見上げるその表情は、まるでシュレックに出てきた長靴をはいたネコのようで、思わず見とれていた。
 それが、ガッツとの出会いだった。
 まだ、彼は子猫で、当時は地域猫だと思っていた。いわゆるノラなのに、アメショーのような(実際には、シルバーの縞柄に白)肌合いで、ふんわりと丸い顔はキュートで思わずおいでと手を出したものだった。
 ふつうのノラならそれで逃げ去るのに、ガッツはゆっくりとやってきて、私の手の匂いを嗅いだ。その様子のあまりのかわいらしさに、ウチのやつはミルクを小皿に注ぎ、差し出してみたのだった。
 ガッツは、ふんふんと嗅ぐと、さしたる興味もないのか、ふっと身をひるがえして去っていった。
 八年前の春まだきのころである。
 そして、そのときから彼はちょくちょく我が庭、それこそ「猫の額ほど」の小さな庭にやってきて、バラの根元に身をすり寄せる姿を見せるようになっていた。
 そんなときである。
 部屋で仕事をしているときに、外から壮絶な泣き声が聞こえてきた。オムツの濡れた赤ん坊が腹をすかせた上に、姿の見えない母親を捜して泣きわめいている……。てっきりそう思ったほどの叫びと泣きが入り交じった声。そんな声がもうひとつ重なり合って聞こえてきたかと思ったら、うなり声と金切り声となってからみあった。
 近くだ。すぐ近く。
 と、ウチのやつが「早く、早く」と私を呼ぶ。
 外をのぞいてみる。
 何と、我が家の駐車場前でからみあう大きな毛玉が見えた。灰色と白い毛が飛び散っている。
 ガッツだった。
 ガッツともう一匹。それまで、このへんを仕切っていたボス猫ボサ(ボサというのは、ウチのやつがつけたあだ名で、それは毛並みがボサッとしているのと、ボス猫という二つの意味でつけたものだった)が猛烈な勢いで,爪をたて、転がり合い、取っ組み合っていたのだった。
 うなり声が交錯し、毛が飛び散り、駐車場の前は壮絶な戦場となり、やがて、ボサがぱっと離れて、逃げ出した。追いかけるガッツ。後には、毛がふわふわと舞っていたけれど、圧倒的にボサの白い毛が多くて、ガッツの銀の毛はほとんどなかったのだ。
 ボス猫ボサは体も大きい。それに体の小さなガッツが敢然と戦いを挑み、勝利したのだ。その根性の座った戦いぶりに、ウチのやつが名付けたのが「ガッツ」。そのとき初めて、どこの猫とも知れぬアメショー似の、瞳のくりっとしたネコは「ガッツ」となった。
 それからガッツは、我が家の庭を巡回するようになり、向こう隣の塀の上で、果敢に再度、ボス猫ボサに戦いを挑む姿を見かけた。そのときには、ボサもかつての戦いを覚えているのか、手を出さず、ガッツも相手をうかがい、互いに見合ったまま、うなり声をあげるだけだったが……。
 やがて。
 ボス猫ボサ、当時もかなり年取っていた地域猫だったが、年を取って、とあるやさしいお宅にひきとられ、お座敷猫になったらしい。
 戦いの相手を失ったのか、ガッツはそのときからしばらく姿を見せなくなった。たまに、ほんとうにたまに、庭に姿を見せ、ミルクやかつお節を、これまたほんの少しなめて、どこかへ消えていく、そんな感じが続いていた。毛のつやが悪くなることも、痩せていくこともないので、おそらくボサのような地域猫だろうと、思っていた。
 そんなこんなで、二年ほどすぎただろうか。
 しばらく姿を見せなかったガッツがふらっと庭へ姿を見せた。
 かまってほしいのか、何か食べたいのか。まるっとした体でちんまりと座って、こちらを見上げている。
 左耳がつぶれていた。
 ぴんと立っていた左耳が上からどしんと叩かれたように、耳朶が折れ曲がり、つぶされ、頭に貼り付いたようになっていた。たしかにこれまでも耳の後ろに毛をむしられた大きな穴があいていたことはあった。ガッツもいろいろと戦っているのだなあと、思ってはいた。今回もその結果だろうけれど、しかし、相手は相当に手強いやつだったようで、その結果は、あまりに手ひどいこととなっていた。けれど、ガッツはけろりとしているように見えた。片耳の「長靴をはいた猫」は、これまでと同じ、まんまるな瞳でこっちをみあげているばかりだった。そして、おやつをせびり、帰っていく。その姿を見送りながら、何だかなぁ……としみじみしてしまった私とウチのやつは、すでにガッツを他のネコたちとは違う存在としてとらえていたのだった。
 それからどのくらいたったときだろう。
 ガッツの姿を見かけたとウチのやつが報告してきたのだった。
 普段はあまり通らない道路を海側へ一本渡って入った路地。周りは静かな住宅地で古い作りのお宅の玄関前でくつろぐ、ガッツを見かけたという。
 そして、一人の老婦人がガッツに食事を与えていて、どうやらそこがガッツの家なのではないか……ということになったのだ。
 心が騒いだ。
 やっぱりあいつは飼い猫だったんだ。でないと、あんなに人を怖がらないはずはない。思えば、かつお節なんかもちょっとしか食さない。それもいいものでないと、シカトする。その上、少々口がぶきっちょで、他の地域猫のように貪欲に食することもなかった。
 そのへんのちょっとした疑問がすっきりと腹に落ちた。
 なるほど、そうか……。
 そうなると、その家が見たくなった。
 翌日の夕方、時間を合わせて、いつものウォーキングコースを変えて、ガッツの家の前を通ることにした。
 いつも左へ行くところを右へ曲がり、海側への道を一本渡り、路地に曲がる。家のならびに、そこだけ昭和の匂いがする家屋があった。
 瓦葺きの木造二階建てで、二階の手すりなどには凝った木彫りの飾りがある。門扉からは、小振りな石灯籠が植え込みの中に見える庭がうかがえた。お屋敷の雰囲気だった。
 その前に、ガッツがいた。
 その片耳の容姿は間違えようがなかった。
 ガッツとよくにた、やはりアメショー似がもう一匹いた。ガッツよりも一まわりほど小さなネコ。まるで弟のように見えた(すぐさまウチのやつは「まるっとして可愛いからマルルン」と名付けたのだが)。マルルンは、ガッツの周りではしゃいでいて、ガッツは気にすることなくちょこんとしている。そこに老婦人がいた。
「ゆうちゃん、ゆうちゃん」
 ご婦人がそういいながら、ガッツに食事をやっているようだった。ガッツはご婦人の足元に近づき、マルルンもご婦人の足元にじゃれつく。
 私たちは、ウォーキングを続ける体でガッツの前を通り過ぎた。
 そのお屋敷風の家はどこも雨戸がたてられ、カーテンが引かれ、人の気配はこそともしない。でも、たしかにガッツはその玄関前でご婦人から食事をもらっているのだった。いくつもの、腑に落ちない思いを抱えながら、私はそこを離れたのだった。
 それから……。
 私は毎日のウォーキングコースをガッツの家の前を通るコースへ変更した。でも、ガッツはそこにいることは、ほとんどなかった。むしろ、ウチの庭先へ姿を見せることの方が多かった。それでも毎日ウォーキングを続けた。
 そして、それから二、三週間経ったときだったろうか。
 また、ガッツがそこにちょこんと座っていた。マルルンの姿は見えなかった。婦人の姿もなかった。
 私はゆっくりと歩いていった。
 ふと、ガッツがこちらを見た。
 そして、すっとこちらへ歩いてくると、私の足にすり寄ってきた。
 私は路上にしゃがみ込んだ。ガッツは私の足に体をすり寄せながら、何度も何度も私の周りを回った。私はガッツをなでた。それまで、ウチの庭先では、体をさわらせなかったガッツは、されるがままだった。背をさすり、尾をなでた。それでもガッツは私に体をこすりつけている。思い切って、あごをなでた。それでもそのままだった。私はしばらくガッツをなでさすっていた。いい時間だった。
 そのときからだった。
 家の前にさしかかると、ガッツが待っていたかのようにやってくるようになった。塀の上から、門扉の隙間から、向かいの家の車の下から……さまざまな場所から姿を現して、体をすり寄せてきた。
 ついには、私はかつお節を常備して歩くようになった。ガッツは薄い舌をひらひらっとさせてかつお節を食した。ウチのやつも同行して、一緒にやることもあった。
 そんな日々が続いていた。やがて、ガッツは庭先へ来るよりも、私たちが来るときを待つようになった。
 それでもお屋敷風の家は、いつも雨戸が閉ざされて、人の気配がなかった。塀の上、門扉の奥に、小皿があったけれど、そして、そこにキャットフードの残りを見たこともあったけれど、人の気配は毛筋ほども感じられなかった。ご婦人もあれから姿が見えない。マルルンの姿も見えなかった。
 そんな不思議な状況でも、ガッツはいつもそこにいて、私たちを待っていた。
 そんなこんなが続いていたときだった。
 ガッツに彼女ができた。
 茶色のトラ猫だった。
 ある日、いつものように通りかかると、ガッツは向かいの家の駐車場にいて、横にトラ猫がいた。二匹は仲良く連れ添うように座っている。近づくと、ガッツはいつものようにすり寄ってきた。けれど、彼女は怪訝な顔でこっちを見ていた。私がいつものようにガッツをなでていると、周囲をゆっくりと警戒気味に回っている。それはまるで「私の彼に何をするの」と言わんばかりに見えた。
 私は、彼女を見ながら、ガッツをなでていた。最初に庭先で出会ったとき、当時のボス猫ボサに戦いを挑んだとき、ガッツは、ほんとに今よりも二周りほど小さい子ネコだった。でも、今、なでている毛の下にはずいぶんとしっかりした骨格が感じられた。アメショー似の可愛い顔も精悍さが加わったように見える。もちろん、気のせいだろうけれど……。
 それからも、ここにガッツがいるときには、彼女が寄り添っているのが定番になってきた。やがて、ガッツと彼女の間に二匹によく似た子が生まれ……などという、妄想が浮かぶようなこともあったり、なかったりしているうちに……。
 私は持病の腰痛で、入院するはめになってしまった。
 もちろん、ウォーキングにはいけず、ガッツの顔を見ることもできなくなった。
 退院しても、リハビリを含めて、ウォーキングに行けない日々が結局何か月も続いた。
 ガッツは庭先にも現れなくなった。
 我が家の庭は近所のネコ銀座になっているようで、ガッツが来ない間にも何匹ものネコたちが通るようになった。いわく、「ウス」「猪八戒」「大将」「タキ」(みんなこっちがつけた名前だったけれど)……。みな、バラの根元に喉をこすりつけ、あちらこちらにマーキングし、自分を主張するようになっていた。時が流れ、時代が移ろうとしていた。
 そして……。
 やっと、ウォーキングができるようになって、もちろんすぐにガッツに会いにいった。それでもしばらくは姿が見えず、振られ続ける毎日だった。彼女の姿もマルルンの姿も見えなかった。お屋敷もいつものように静かで気配ひとつなかった。小皿はいつものようにあったけれど。
 十日ほども振られ続けてから、やっとガッツに会うことができた。
 玄関前にちょこんと座っていた。
 それも彼女の姿もなく、一人で座っていた。
 近づくと、何もなかったかのようにガッツはやってきて、私の足元にまとわりつく。しゃがみ込み、かつお節をやって、体をなでる.やっと日常に戻った気がした。
 そして、その日常がしばらく続いた。
 彼女の姿は依然となく、ガッツは振られたのかも、と思っていた。ただ、マルルンがどうしたのだろう、それが気になった。
 そんな日が続いたある日のこと。
 いつものようにガッツにかつお節をやっていたら。
「あら、ゆうちゃん」
 と、声がかかった。すぐ近くだった。見上げると、上品な白髪の婦人がいた。かつて見かけた人とは別のご婦人だった。
 思わず身を固くしていた。
 ウチのゆうちゃんになにをするのかと叱責されるのかと思っていたら、婦人は、
「いいわねえ。可愛がってもらって」
 と、にこやかにガッツに話しかけた。聞けば、婦人はこのお屋敷の隣人で、ガッツのことは小さいときからよく知っているという。
 そして……私はやっとガッツの来るところ、出処進退、故事来歴を知ることとなった。
 婦人が語るところによれば。
 やはり、ガッツはこのお屋敷の飼い猫だった。お屋敷には老夫婦が二人で住んでいた。近所のマンションのオーナーだった旦那さんが亡くなられ、奥さんがガッツの面倒を見ていたのだが、二年ほど前、奥さんも他界され、とうとうここは無人の屋敷となった。今は四国は松山に住むという娘さんがたまに来て、空気の入れ替えをしていくとのことだった。そこに残されたのが、ガッツとマルルンだったという。娘さんがいやがったのか、ガッツがここを離れるのをいやがったのか、そこは定かではない(私としてはガッツが離れたくなかったと信じたいが……)。とにかく、二匹が残され、しばらくは二匹でこの家に暮らすことになったらしい(たぶん、そんなこんなのとき、ガッツは毎日のように来ていたが我が家のお庭訪問をやめたのではないかと思う)。
 では、面倒を見る人がいないガッツたちに誰が食事を与えていたかというと……。そのときまでは知らなかったが、どうやらこの町には地域猫の面倒を見るグループがあって、近所にそのメンバーの人がいるという。その奇特なご婦人が毎日ガッツたちの元を訪れて、食事の世話をしているとのことだった。それが、あの塀の上や門扉の奥の小皿だということらしい。ガッツたちは人懐っこく、近所からも可愛がられている。
 そんなことを縷々と話してくれたお隣の婦人だった。
「ほんとにこの子は喧嘩っ早いからねえ。耳もこんなになったでしょう」
 と、ガッツの左耳をさして言う。そして、最近では歴戦の強者もおとなしくなって、それほどの大立ち回りをしなくなったと話してくれた。
 私は思い切って、マルルンと彼女のことを尋ねてみた。
 聞けば、マルルンはまだ子ネコで可愛いということで、結局、松山の娘さんが引き取ったということだった。もう大人ネコのガッツははずされたということらしい。
 そして、彼女。
 彼女はどこからかやってきて、ガッツと仲良くなったが、見かけによらずのいたずらっ娘で、車に乗って傷は付けるは、庭の花をだめにするはと近所でも手に焼いていたとのこと。そこで、先ほどの地域猫サポートメンバーが彼女を捕獲、手術を施し、メンバーのネットワークでどっかへもらわれていったとのことだった。
 どうやら、ガッツの恋は彼女自身のせいで成就せず、引き裂かれたという顛末だった。
「いや、ずっと知ってましたよ。あなたがたがゆうちゃんを可愛がってくださっているのは。これからも可愛がってくださいね」
 話の最後をそう締めくくって婦人は家に戻っていった。いやはや、どうやらすっかり見られていたらしかった。
 でも、しかしだ。
 これでお墨付きをもらったのだった(のちに、お屋敷の手入れに訪れた娘さんにも遭遇してしまい、そこでもよろしくと言われて、正真正銘のお墨付きもいただいたのだが……)。それからは誰はばかることなく、ガッツに会いにいくのだった。
 ガッツも今では遠くからも、私やウチのやつの気配を察知して、可愛く鳴きながら近づいてくるようになった。背中やしっぽをなでて、かつお節をやる。でも、気に入らないと、二口三口でぷいっと背を向ける。そんなガッツとの日々が続いた。
 そして、今でも続いている。
 思えば、最初に出会ってから八年。
 ガッツももうずいぶんなオジサンネコになっているはずなのだ。体はでかくなり、少々毛艶も衰えたような気がするけれど、そのアメショー似の顔、くるっとした瞳は健在で、やっぱりシュレックの長靴をはいたネコが、相手をうるうると見上げる姿そっくりなのだ。
 最近、ちょっと仕事の関係で、超多忙となり二ヶ月ほどウォーキングを休んだときがあった。
 ガッツはどうしているか、ずっと待ちぼうけをしているんじゃないかと気になっていたが、いかんともできなかった。
 そしたら、である。
 今度は久々にガッツの方から、庭先にやってきた。おやつをねだりに来たのだった。薄い舌をひらつかせて、食して、満足するとふいっと帰っていく。今度はそんなふうになっていった。ウォーキングを再開しても、あの玄関前にはいず、こっちへ訪ねてくるようになった。つまりは、もう待てないということらしい。
 実は昨日もガッツはやってきた。
 夕方暗くなる頃、まさにウォーキングに出ようとしたそのときに、庭先にやってきた。
 かつお節をやっていると、ガッツが落ち着かない。しきりにきょろきょろしたかと思うと、くるっと後ろを振り向いた。
 気づかなかったが、そこにタキがいた。
 最近、ここを通り道にしているタキシードキャットだ。
 一瞬、ガッツは構える。向こうも身構えた。
 昔なら、ガッツは飛びかかってたちどころに、二匹はひとつの毛玉となって、絡み合っただろうが、今のガッツは違った。近くのエアコンの室外機にひらっと飛び乗って、下をうかがった。
 タキはゆっくりと近づいてくる。ガッツを狙っている。ガッツは少し身を引いている。
 そこへウチのやつが出てきた。
「子どものケンカに親が出て行くのはよくないけれど」
 と言いながら、ゆっくりと庭へ降りた。
「ケンカはやめなさい」
 ガッツを背でかばうようにして、タキに向かって言う。ウチのやつの背中にガッツは身をひそめるようにして、見上げる。
 タキはしばらく動かなかったが、やがて、庭を横切り消えていった。
「じゃあ、ガッツもお帰り」
 ウチのやつが振り返って言うと、ガッツは小さく鳴いた。
 ニャアともニャハッとも聞こえるような、こもったか細い声だった。そんなガッツの声は初めて聞いた。室外機から降りると、いつもの方向へ歩き出し、一瞬止まって、また二度ほど小さく鳴いた。
 そして、いつもの道を帰っていった。
「ありがとうって言ったよね」
 ウチのやつがはずむように、そう言った。
「親バカ」
 と、私は答えたけれど、でも、たしかに私にもそう聞こえていたのだった。

(了)




東野司プロフィール
河田ゆうこプロフィール


東野司既刊
『何かが来た
(21世紀空想科学小説 2) 』