「ゲルラッハの恋人」齋藤路恵(補作:岡和田晃)

(紹介文PDFバージョン:gerurahhanoshoukai_okawadaakira
 齋藤路恵の手になる『エクリプス・フェイズ』小説の新作、「ゲルラッハの恋人」をお届けしたい。これは作家の持ち味がうまく発揮された小品で、初期の新井素子を思わせる雰囲気もある。これまで『エクリプス・フェイズ』のシェアードワールド小説や、齋藤路恵の作品に触れたことがない方でも、気軽に楽しめる逸品となっている。存分に余韻を愉しんでいただきたい。

 「ゲルラッハの恋人」が面白いのは、語り手と「恋人」の関係に、背景となっている金星のハビタット、ゲルラッハの設定がうまく融合していることだ。ゲルラッハでこそないが、伊野隆之の「ザイオン・イン・アン・オクトモーフ」も、金星の浮遊都市(エアロスタット)舞台ともなっているので、ご記憶の方も多いだろう。途中で登場するネオ・シナジストは、「Role&Roll」Vol.105掲載のエントリー・ミッション「進化の石板」でも、重要な役割を果たす。ぜひ「進化の石板」のシナリオも遊んでみてほしい。

 「ゲルラッハの恋人」にて、語り手は難民認定証発行の窓口担当の役人、ということになっているが、この設定を切り口に、齋藤路恵による「蝿の娘」と読み比べてみれば、いっそう興趣が増すだろう。齋藤路恵の第一作「Feel like making love――about infomorph sex」は、情報体(インフォモーフ)の内面に焦点を当てた作品だった。

 齋藤路恵はゲーム研究・実践団体「Analog Game Studies」所属。2013年には会話型RPG『ラビットホール・ドロップスi(アイ)』のメイン・デザイナーをつとめた。同作はエテルシア・ワークショップと成人発達障害当事者団体イイトコサガシとのコラボレーション作業を経て完成に至った作品であり、ナラティヴ(会話)主体のコミュニケーション・ツールに特化した作品となっている。また、SF乱学講座でジェンダーや現代美術について講演を行なうなど、旺盛な活動を続けている。(岡和田晃)




(PDFバージョン:gerurahhanokoibito_saitoumitie
 えらくむしゃくしゃする。あいつにもわたしにも。えらくおろかだ。あいつもわたしも。えらくかなしい。すくなくとも、わたしは。あいつがどうかは知らない。

「次の方、お入りください」
 失恋の後でも仕事は続く。難民は毎日雲霞のごとく押し寄せてわたしを翻弄する。機械の義体が入ってくる。カプセル状の中央部から蜘蛛のような長い手脚がいくつも伸びている。その何本かは折れていた。カプセル部が不安定に傾いでいる。脚の先端のいくつかは融けて歪んだ球や円錐のように固まっている。体全体から黒や赤の粉をふいている。見るからに地表採掘用の特殊モーフだ。
「お名前は?」
「アラン・アラン」
「え?」
「失礼。アラン・ドロン。言い間違いだ」
 アシスタントAIのオラがこの人物の経歴をポップアップする。経歴を見ると案の定、ルシファーから流されてきたらしい。
 金星はいくつもの浮遊都市(エアロスタット)から構成されている。わたしの住むゲルラッハは科学を得意とする。モーフの研究や、他のエアロスタットの設計を担っていて、オープンソース主義の傾向もある。
〈大破壊〉後、多くの難民を受け入れたため、オニール・シリンダー型のハビタットは人が溢れてこぼれそうになっている。ルシファーは、地表の採鉱業務に特化したエアロスタットだ。この手の掘削用義体や情報体(インフォモーフ)が、人口のおよそ二五%を占めている。   
 オラのささやき声が聞こえた。脳内信号だが、空気を含んだ声のようにガサついて感じた。「二〇世紀の映画スターと同じ名前らしいですよ」。
 懐古趣味なのかたまたまなのか。どっちでもいいがダサいセンスだ。偽名にも見えるが、オラの審査は通っている。データ改変の可能性は低い。めんどうくさい名前にしやがって。早く仕事を終わらせたい、でも家には帰りたくない。
 わたしは経歴を眺める。採鉱用モーフの亡命は稀にしかない。大抵は契約満了のころに「奇妙な事故」でお亡くなりになるからだ。
 履歴は至ってわかりやすい。履歴の書き方見本にそのまま載せられそうだ。



〈大破壊〉後、義体を失った情報体(インフォモーフ)となり、ルシファーの採鉱ポッド操作に従事する。その後特殊義体での地表調査任務を命じられる。任務中、突然、想定外の規模の強い熱気が起こり、身体の多くが破損。事務所との通信がとれなくなる。自力移動は可能だったため、助けを求めて移動。運よくゲルラッハの探査機を見つけ、救出される……。
「現在、ゲルラッハの避難民は収容可能人数をはるかに超えています。われわれも努力していますが、快適な住環境や職業のあっせんは極めて難しい状況です。そこはご理解いただけますか?」
「はい」
 アランは緊張しているのか義体の調子が悪いのかカタカタ貧乏ゆすりのように震えている。採掘用義体の表情はよくわからない。
「避難を要請された方のご希望にはできるだけ沿いますが、それでも充分ではない、とおっしゃる方もいます。それでよろしいですか?」
 要するにこの国に入れてはやるが、その後の面倒はいっさい見ないということだ。
「はい」
 アランは身震いするかのように少し大きく体をゆすり、またカタカタとした貧乏ゆすりに戻った。
「では許可証の発行手続きをいたします」
 わたしは手元のポップアップの操作を始めた。
「そのうちなんとかなりますよ」
 わたしの心臓の少し上、肺の上部から直接声が響いた。
 わたしは驚いてポップアップから顔をあげた。アランはまだ体をゆすっている。
 再び作業に戻るともう一度よりはっきり声がした。
「前を向いていれば、時間が解決すると思っています」
 わたしはもう一度顔をあげた。
 アランの足の震えが大きくなっている気がした。体全体の触れもさっきより大きくなっている気がする。
「何かおっしゃいました?」
「独り言を少し。聞こえましたか?」
「ええ。何か聞こえたような気がしたもので」
 難民認定証データができた。
「こちらが難民認定証データになります。紛失しないよう、直接自分のエゴデータに記録することをお勧めします」
「ありがとう」
 アランの震えは少し納まったようだった。
 アランの周囲にはフケのような粉が散っていた。アランはが出て行ったあとには黒い粉と赤い粉が入り乱れて筋を作っていた。
「次の方、どうぞ」

 終業時間近く、メッシュでボスから呼び出しが入った。なんの話だか知らないが今日はやめてもらいたかった。長い話も短い話も聞きたくなかった。
「急ぎの用件ですか?」
「うーん、まあそうかな」
「では参ります」
 わたしはさっさとメッシュを切った。
 ボスのイスの周りはポップアップで散らかっている。ボスは毛布にでもくるまるように、座ったままポップアップに巻かれている。あ、来たのとポップアップの中から声がした。よくあんなに状態で周りの様子がわかるものだ。ボスのまわりの毛布は一瞬にしてたたまれた。温厚そうな髭面が現れた。いつもどおり愛想よくニコニコしていて、いつもどおり声が大きい。
「今日、地表掘削用義体の人やった?」
「ええ」
「あの人、ネオ・シナジストらしい」
 ネオ・シナジスト? ヘッドウェアで他のシナジストと思考や精神、感覚共有をするという?
「許可出したあと、どこにいったかなんてわかんないよね?」
 まったくとわたしは答えた。
「そ。ちょっとあるところから問い合わせがあってね。そう答えときます」
 帰ろうとするわたしに聞かせるわけでもないだろうが、ボスのつぶやきが背中の方からはっきり聞こえた。
「しかし、どんなもんなんだろうね。だれかの精神をすべて共有するってのは?」

 いったん自席に戻るとメッシュでオラに話しかけた。
「聞いた?」
「ええ。ネオ・シナジストだそうですね。わたし、初めて見ました」
 オラに「ネオ・シナジストにテレパシー能力はある?」と訊こうとして、やめた。
「さみしくないんですかね?」
 オラが呟いた。意外な質問だった。
「わかんないな」
 わたしは答えた。
 帰る支度をしよう。家にも居たくないがここにも居たくない。
 帰り道、メッシュでネオ・シナジストについて調べた。



ネオ・シナジスト
 シナジストは、〈大破壊後〉五年目に、パンドラ・ゲートからシナジーへ移民した二五〇名の実験コロニーの末裔。
 シナジストはヘッドウェアを用いて、お互いに思考、感情、感覚入力を完全に共有している。精神の共有にも近いと言われる。
 一般にシナジストは同族から離れることを強く忌避する。シナジストの中で故郷を離れるものはネオ・シナジストと呼ばれる。
 シナジストの能力を求めて、自らシナジストになる者もいる。……。

 当たり前だがシナジストにテレパシーがあるなどという話はなかった。単独行動をしていた、というのは自発的シナジストだからだろうか? だが、それにしてもシナジストだというだけで追われる理由がわからなかった。やはり何か知ってはいけないことを知っていたのだろうか。
 家の灯りが暗いのは我慢ならない。点けたまま出ればよかった。点いていたら灯りが点いていることに我慢がならなかったのかもしれない。誰もいないのに灯りが点いているなんて。とにかくもう嫌だった。
 服を脱ぎ棄てて睡眠装置を作動させた。脳の機能を低下させ、短時間で深い眠りにつかせる装置だ。だが、なかなかわたしは眠れなかった。
「さみしくないんですかね?」
 オラはそう呟いた。さみしいのはわたしだ。あいつじゃない。

 それから一〇〇〇日か一五〇〇日が経った。新しい恋人はできないままだったが、さみしくはなかった。そのころ、わたしは唐突にアランに再会した。正確にはアランらしき人物に再会した。
 カフェで座っていると、隣の人型生体義体から、こんにちは、と声をかけられた。背は低いが、肌の白いハンサムな青年だった。
 それがアランではないかと思ったのは、心臓の上、肺の上部から直接声が響いたように感じたからだ。
 今のアランには顔と表情があった。口が動いて声が出ているのは、はっきりわかった。だが、その声がなぜ胸の上に響くのかはわからなかった。
「こんにちは」
 とわたしは答えた。
「お元気ですか」
 穏やかなテナーボイスだった。
「ええ。わたしはなんとかやってます」
「あなたは……」と訊く前に青年は答えた。
「覚えてないかもしれませんが、あなたに難民認定をしてもらった者です」
「そうですか」
 胸の上に波が起こる。波は少しずつ高さを失いながら、円形に広がっていく。肋骨を曲がりきった辺り、へその五センチ上あたりで波は消失する。
「さみしくないですか」
 唐突な質問であるとは思った。でも、この人はアランにまちがいないだろうと思った。
「さみしくはないです。周りの人がいろいろな感情を持って生きているのがわかりますから」
「どうして出て来たんですか」
「自分から切り離して、客観的にいろんな人の感情を見てみたくなったんです。そうしたら、相手のことがもっとよくわかるようになるかと思った」
「人の心がわかるんですか」
「わかりません。いろんな人と長い間一緒にいたので、なんとなくそうかなと思うだけです。自分の心だってわかりません。矛盾しています」
 そうかもしれませんね、とわたしは答えた。
 では仕事があるので、とアランは立ち上がった。会計をすますと風のようにさっさと出て行った。
 自分のすべてを理解する恋人は薄気味悪いだろうか、理想の恋人だろうか。
 アイスコーヒーがわたしの前に運ばれた。
「あいつ、モテんだろうなぁ」
 わたしは空を見てため息とともに呟いた。ゲルラッハは今日も暑い。



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http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/




齋藤路恵プロフィール


齋藤路恵参加作品
『ラビットホール・ドロップスi』