「パレード」平田真夫

(PDFバージョン:parade_hiratamasao
――シロナガスクジラ
 動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱鯨偶蹄目ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科ナガスクジラ属。化石生物を含め、地球最大の動物。全長は三十メートルにまで達することもあり、低周波の大きな唸り声を発する。全海域に広く棲息するが、十九世紀以降数が減り、現在は絶滅危惧種に指定されている。


 園内の灯りが次々に落とされる。暗くなるにしたがって人々が腕に巻いた光の輪が目立ち出し、中央広場に向かって移動して行く。
 見廻すと、人波の向こうに緑色の数字が浮かぶのが目に付いた。デジタル時計が柱に取り付けられ、文字だけが光っているのである。
「21:26」
 パレードが始まる頃だ。
 来る前に聞いた話では、この遊園地のパレードは電気を使わず、炎で明かりを取るそうだ。少なくとも広場周辺の電飾くらいは止めないと、光に負けてしまう。
 では、行ってみるとしようか。
 観覧車での待ち合わせ相手に出会(でくわ)さぬとも限らないが、その時はその時だ。目的地に着くまで顔を合わせないと約束はしているが、これだけ暗ければ互いの顔までは見えない筈だし、胸に下げた碧光石の光はそれなりに目立つだろう。緑の光点が見えたら離れればよい。
 それにしても、生まれてからずっと一緒に育ち、片時も離れたことのない割には、少し顔を合わせないだけで相手の心が解らなくなる。始めての経験であるだけに、不安というより意外だった。向こうは今頃何処にいて、何を見ているのだろう。いずれにせよ、観覧車で再会し、互いの経験を語り合うまでの辛抱だ。
 人の波に合わせてついて歩くと、辺りはますます暗さを増し、次第に腕輪の数も増えていった。赤、水色、青、桃色――。年齢と性別に合わせて手首に巻かれた発光が、楽し気に語らう親子達の声と共に、一つの場所に向かって動いて行く。
 やがて、光の流れが淀む場所に辿り着いた。六角形の中央広場、噴水と花壇を囲む遊歩道である。
 中央広場といっても、完全に園の真ん中にある訳ではない。やや、隣接した湾の側に寄っている。もっとも、園最大の乗り物である観覧車は海上に建てられているので、敷地はそちらに張り出した形になる。或いはこれで、結構真ん中に近いのかも知れない。
 広場の直径は、五十メートル余りもあるだろうか。パレードの通り道となる通路も数メートルの幅を持ち、移動機械の類を使わないこの園では、車道と歩道の区分は無い。それ故人々は、行列の邪魔にならぬよう、通路の端に身を寄せて大きな輪を作っている。園内の全ての客が集まった訳でもなかろうが、かなりの人数だ。背の低い子供が前列、親達はその背後に――。皆一様に中心を向き、九時半になるのを待っている。中に加わろうとすると、親切な大人達が道を開けてくれたので、前列で他の子達と一緒に噴水の方を眺めやる。
 今、この辺りは完全に灯りが落とされ、人々の腕輪と遠くの遊具の明かりが見えるだけであった。その照明も此処までは届かず、ジェット・コースターや、回転する飛行機の電飾を背景に、辛うじて噴水の吹き上げる様子が判別出来る程度だ。こんな暗さの中では人々も自然に静寂の方に向かい、極近くの者と囁き合う声だけが、虫の声に混じって、潮騒の如く満ちるだけとなった。
 と、突然皆が一斉に息を吐き、感嘆とも賞賛ともつかぬざわめきが拡がる。噴水の周りに幾つかの火が点ったのである。
 瓦斯燈などではない、人の手に握られた炎の明かり――。今までしゃがんでいたのか、直前まで目に付かなかった人影が噴水を囲み、それぞれの右手に握られた松明の火を高く掲げて、周囲を照らし出している。
 同時に、観客が立つ舗道の外側からも、揺れ動く橙色の明かりが投げ掛けられた。振り向くと、中央広場を囲む小高い土手に、赤と黄の縞模様の人影が幾つも立ち、こちらも右手を上げて燃える松明を掲げている。
「始まるよ」
 誰か、男の声が言った。子供に話し掛ける父親だろう。それを合図に周囲のざわめきもしんと静まり、虫の声と遠くからの音楽だけが耳に付く。
 パレードというからには、行進曲でも鳴るのだろうか。しかし、辺りは静かなままだ。この松明の灯りに賑やかな音楽は似合わない。
 やがて周囲は静寂のまま、目前の空間に小さな銀色の物体が浮かび上がった。炎の明かりを反射するそれは、すぐしなやかに動き出し、空中を飛び廻る。そしてそのまま、左に向かって移動を始めた。
 魚?
 間違い無い。水も何もない空間に、一匹の鰯が現れたのだ。
 それは二メートル余りの高さを、あたかも水中にいるかのように自由に動き廻り、松明に照らされて煌めきながら、すいすいと泳いで行く。やがてぽつぽつと数が増え始め、いつしか群れとなって回遊を開始した。小さな体を以て数十メートルはある舗道の空間を埋め尽くし、人々の手の届かないぎりぎりの距離を保って目の前を通過して行く。
 映像?
 いや、これらの鱗に映る橙色は、明らかに松明の明かりを反射した物だ。虚像ならこうはいかない。気が付くと、空気には潮の香りも混じり始めていた。この魚の群れは、実際目の前に存在している。
 その時、再び人々の間にどよめきが起こった。鰯の群れを押し退けて、巨大な頬白鮫が出現したのだ。
 四メートルはある軟骨魚は、今にも飛び掛かりそうな勢いで観客に口内を見せ、しかし決して舗道の端に寄ることなく泳ぎ廻る。それが近付いた辺りでは子供の泣き声も聞こえるが、親に宥められてか、すぐ静かになる。鮫はそんな人間達の騒ぎなど物ともせず、巨大な体躯を見せびらかしながら舗道を一周し、いつの間にか溶けるように消えてしまった。
 改めて、遊園地が海辺に位置することを思い出す。何か繋がりがあるのだろうか。だが、これらの魚は、海中の映像を空中に結んだものではない。
 やがて鰯は数を減らし、今度は様々な色の鱗を纏った熱帯魚達が泳ぎ出す。熊之実、蓑笠子、蝶々魚、その他名も知らぬ魚達の数々――中には竜の落とし子や海老の類も混じっている。それら、分布も生態も異なった海中生物達が、共に目の前の空間を飛び廻る。
 次は水母であった。色取り取りの熱帯魚達が姿を消した後は、様々な大きさのふるふるした塊が舗道上に浮かび、松明の炎を半透明の体内に取り込んで漂っている。まるで、橙色の提灯が飛び廻るかのようだ。だがそれらはちゃんと生きており、自らの体を震わせながら、水のない空中を彷徨っている。
 それからも魚やその他の海中生物――いや、あれは金魚ではないか。淡水魚も海水魚も一緒くたに、此処では空中を泳いでいる――が現れては消え、現れては消えしながら、人々の目前でその姿を披露していった。
 水中では決して燃えることのない炎に照らされた魚達の群れ――此処でしか見られない、竜宮の領域に属する遊戯……。
 その時、目の前の魚達が一斉に左右に分かれ、二メートル余りの空間が出現した。同時に、胸元に妙な熱さを感じる。見下ろすと、碧光石が強い光を放っていた。近くの人達も、その明るさに思わずこちらを向いているようだ。
 そういえば、中央広場に来てから、これはずっと暗いままだった。どうして今頃になって、内部の熱を解放し始めたのだろう。
 と、魚達が退いた空間に、何か大きな茶色い物が出現する。地に四本の足を着けた艶やかな毛並み、魚達とは異なる、水の外に属する奇蹄目――小さな人影を乗せた栗色の馬であった。
 え?
 馬には鞍も何もなく、乗り手は裸の背に直接跨っている。水色の生地に白い縁取りのエプロンドレス、胸には煌々と輝く碧光石を嵌めた六角形――。いつも見慣れた、あの姿だ。
 一方、引き締まった体躯の獣は額に赤く光る石を乗せており、それにも見覚えがあった。さっきこの手で案内所に届けた半貴石である。
 馬と乗り手は、観客から見て左手を向くと、そのまま静かに歩み始めた。
 気付いたかな。
 此方の石が見えない筈は無い。一度真っ直ぐこちらを向いたし、何しろこの暗さである。目印の腕輪に混じっても、緑の輝きは一際目立つだろう。
 しかし向こうは、全く何も見なかったように馬を進め、脇目を振ろうともしない。あの約束について、同じことを思ったに違いない。
 そうして人馬の一組は魚を掻き分けて舗道を一周すると、やがて最初に出現した場所に戻って来た。乗り手の緑と乗せ手の赤、二つの石が明るく発光する。だがどうしたことか、こちらの碧光石は暗くその光を封じ込め、身を潜めるように沈黙していた。観覧車に着くまでは会わないという二人の意志を、これも反映しているのだろうか。
 と、ふいに馬と乗り手が一緒になって、上空を見上げた。同時に観客の間から、この夜一番の感嘆の声が湧き上がる。
 噴水の真上、地上数十メートルの空間に、一頭の白長須鯨が姿を現したのだ。
 それは出現した高さに相応しい体をくねらせて、中央広場の上空を圧倒的な大きさで占領し、人々の頭上に覆い被さった。
 海中から見る鯨は、このような姿をしているのだろうか。
 巨大な笛のように低い音が、広場に響き渡る。鯨が鳴いているのだ。しかしそれは長く続かない。下からの炎に照らされた鯨は、尾鰭を悠然と動かしながら、ほんの束の間噴水の上を巡ると、現れた時と同じく忽然と消え失せる。あたかも、自分が泳ぎ廻るには、この広場は狭過ぎるとでもいうように。恐らくその大きさに相応しい、本来の居場所に帰って行ったのだろう。
 人々はため息を漏らしながら、地上に視線を降ろす。鯨に気を取られているうち、いつの間にやら馬も魚達も居なくなっていた。松明が次々に消され、周囲に電気の灯りが戻り始める。パレードが終わったのだ。
 又、後で。
 馬の乗り手に心で話し掛けると、碧光石が再び淡く輝き出す。今頃向こうの石も同じように光っているのだろうか。馬の額の赤も含めて――。
 観客達は三々五々散っていき、噴水に七色の照明が当てられ始めた。その様子を眺めながら、舗道を次の遊具に向かって歩き始める。観覧車での再会を楽しみにしたまま――。



平田真夫プロフィール


平田真夫既刊
『水の中、光の底』