「龍の血脈」小春香子(補作:岡和田晃)

(紹介文PDFバージョン:ryuunoketumyakushoukai_okawadaakira
 新人・小春香子の「龍の血脈」が、「SF Prologue Wave」の『エクリプス・フェイズ』小説企画に参入した。まずは冒頭部をお読みいただきたい。これまでのどの『エクリプス・フェイズ』小説とも違った、ハイ・ファンタジーの香気に驚くはずだ。そう、本作は、ファンタジーとSFの境界が如何にあるかを――あくまでも『エクリプス・フェイズ』の設定を尊重しつつ――問い直す野心的な作品なのだ。

 小春が偏愛するアーサー・C・クラークは、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」と述べた。このテーマは多くのSF作家の想像力を刺激した。たとえばテッド・チャンは「科学と魔法はどう違うか」というエッセイを著している。小春もまた、この主題に魅せられた者の一人なのだろう。

 「Role&Roll」Vol.113の「宇宙の歩き方」でも紹介されている、火星の芸能ハビタット、エリシウムが今回の舞台だ。そのテーマパークというある意味で閉ざされた舞台で、オリジナルとフォーク(人格コピー)の葛藤が、柔らかく、繊細ながらも安定感に満ちた筆致で描かれる。そのどこか懐かしい雰囲気は、レイ・ブラッドベリ作品や、J・P・ブレイロック『真夏の夜の魔法』(『夢の国』)にも通じるかもしれない。

 ノスタルジックだからといって、自意識に淫して終わらないのも面白いところだ。読み進むうちに、本作には茅田砂胡『スカーレット・ウィザード』や、立原透耶『竜と宙』のような女性作家の手になるストーリー性豊かなジェンダーSF/ファンタジー作品と響き合う批評性があるように思えてくる。

 「SF Prologue Wave」が初の本格的な小説発表の場となる新鋭・小春香子。そのみずみずしい感性を、ここに体感してみてほしい。

 小春香子は1984年生まれで、まだ20代の若さである。オリジナルのプレイ・バイ・ウェブのゲームを組織することで文章力を、また会話型RPGの訓練を積むことで物語の構成力を鍛えた。ゲームと教育の接点を、さまざまな角度から考察したレポートを多数発表しており、今後が期待できる逸材なのは間違いないだろう。(岡和田晃)




(PDFバージョン:ryuunoketumyaku_koharukyouko
「見える? あれが魔の谷。あそこを抜ければ龍の楽園が広がっている」
 龍騎士ジーゼル・キリルは背筋をピンと伸ばしたまま、まっすぐ眼下の谷を指さしました。彼女がまたがっている堂々たる黒龍は、死者の怨嗟と嘆きがごうごうと音を立てている魔の谷を光る瞳でねめつけ、ちろちろと炎を吐きながらその巨大な身をくねらせています。今まで彼女と、その手勢の竜騎士たちを悩ませてきた魔物たちの襲撃は最大の難関を前にぴたりとやみ、不気味な静けさが彼らを取りまいていました。
 ジーゼル・キリルの背後に三々五々浮かぶ龍騎士見習いの間から、誰かがごくりと唾を飲み込む音がしました。ずんぐりとしたドワーフや華奢なエルフ、不遜な顔つきをした小人たちに瞳の色も髪の色も、てんでばらばらの人間たち。彼らはみんな緑色した仔龍にまたがっていました。手綱を握る彼らの手は、みんな微かにふるえています。
 ジーゼル・キリルは愛龍ハイデロオンを器用に操って彼らに向き直るとにっこり笑っていいました。昏く淀んだ魔界の夕闇に、彼女の鮮やかな金髪がきらきらとかがやきながら静かになびいています。
「大丈夫、私たちは全員無事にあそこを抜けられる。今までだって一人も欠けずにここまで来られたでしょう。落ち着いて、すべてを龍に任せて。私から離れないでついてきて。あなたたちが龍から落とされるような真似なんてさせやしないから。龍の楽園で会いましょう。心の準備はいいわね?」
 ジーゼル・キリルはにっこり笑うとハイデロオンの龍首を下げ、数多の魔物が待ち構えている呪われた谷に向かってぐんぐんと高度を下げました。敵の血潮と悲鳴の予感に、世界で一番獰猛な種である黒龍の鼓動が昂ぶっていきます。

 ハイデロオンは、ごぉんと歓喜の声でなきました。



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 私は私の翼を大きく広げ、“魔界”の上層部を滑空していた。私の翼膜に張りつめる夕暮れの上昇気流が心地よい。身の丈に合わないと知りつつも高額のローンを組んでようやく手に入れたオーダーメイドのエグザルト義体(モーフ)はあの忌々しい大破壊でおシャカになった。情報体(インフォモーフ)のままでいるのが耐えられなくて生体義体(バイオモーフ)が貸与されるこの職についてもう5年。よりにもよってフォーティアンのマッドサイエンティスト製幻想生物モーフに入る日が来るなんて、と鬱々と我が身を嘆くことで昏い悦びに長く浸っていたというのに、いつの間にか人間サイズの生体義体と比べてはるかに大きな身体や、翼や尾などの異質な器官の感覚にも慣れてしまった。そんな自分に苦笑する。モーフに埋め込まれている無数のプログラムが即座に反応して、私の表情を獰猛なものに変換し、のどの奥から舌の先へとチロチロと炎が往還する。あぁ、翼や尾には慣れてもこればかりは慣れそうにない。
「ハイデロオン」
 ジーゼル・キリルというモーフに入っているもう一人の私が、私の背中の上から私を呼んだ。本来の私の名ではない、生体義体ごと貸与されている黒龍としての仮初の名前だ。彼女の掌が私の首筋をなだめるようにたたく。ジーゼル・キリルの中に入っているのは私の分岐体(フォーク)だ。私よりもプログラムの制約を大きく受けている私のダミー。オリジナルの私は遠い昔に失われてしまったから、彼女はアルファ・フォークである私に毎晩再統合され、毎朝新しいベータ・フォークとして蘇る。ジーゼル・キリルと私は、二つの体を分け合う一人の私だ。
『ジーゼル』
 私は私の名を呼んだ。プログラムが私の喉を動かして、私が紡ぐ私の本名を≪ジーゼル≫と変換する。それはまるで低い低い唸り声で、人間の耳で私の発する音を言葉として聞き取ることは難しい。
「まだ駄目だよ、ハイデロオン。今日の仕事はもうこれだけだから頑張ろう」
 ジーゼル・キリルは静かに私に囁いて眼下を示した。一列で平地の門に向かっている4~5人の影がある。観光客である新類人猿(ネオ・ホミッド)の一行だ。ジーゼル・キリルが上空から彼らに向かって手を振ると、小さなチンパンジーたちが歓声を挙げてぴょんぴょんと飛び上がりながら毛むくじゃらの両手を振った。これが私の仕事だ。この世界で生きていること。生きているように見せかけること。
『なんとまあ趣味の悪いモーフだ。好き好んで知性化動物になる必要もあるまいに』
 私の皮肉なつぶやきは龍のうなりとなって、彼らをますます喜ばせるだけだった。

 テラフォーミングが進み、発展に沸く火星。その中に太陽系で最も華やかな芸能都市エリシウムはある。ハリウッド精神を受け継ぎ、数多のスターやプロデューサー、そしてその候補生がいるこの場所に広大な土地を取得したハイパーコープ、オアハカ=マーテンス・エンタープライズは“夢の国”を作り上げた。そこにいる間だけ現実の憂さを忘れさせる“夢の国”。まあ、なんてことはない遊園地にすぎない。ただ、創業者のこだわりで“夢の国”を現実に作り上げるという理念が強く出ているのが特徴的だった。公式キャラクターや観客が主に接する生き物たちには、できるだけAIやポッドを使わない。彼らは皆、生体義体を備えていないといけないのだ。観客も“夢の国”に滞在する間は“夢の国”の住民であることを求められる。この遊園地に設定されたゾーンごとに相応しい衣装が用意され、観客たちは思い思いに好みの姿となって夢の世界を楽しんでいく。時間と金に余裕がある客には、義体の乗り換えすら可能なコースが用意されている。驚くなかれ、この都市にはそうした客がわりに多い。
 私としては、何も現実空間で面倒くさい手続きをとるよりは仮想現実で好きに現実を忘れればいいじゃないかと思うのだが、本物の夢は現実以上に現実らしくあらねばならないらしい。ややこしい話だ。今や仮想現実には五感を満足させる機能がそろっているし、オアハカも仮想現実にこの“夢の国”をモチーフにしたVRソフトをいくつもリリースしているというのに。ちなみに私がこの遊園地で担当する龍騎士体験飛行をモデルにしたVRソフトは、人気商品の一つだ。仮想現実ならではの得点制度やタイムアタックなども充実しているのがいいらしい。
「やっぱり現実は全然違いますね!」
 魔の谷を抜けた興奮冷めやらぬまま、そんな風にジーゼル・キリルに笑いかけていたフラットの青年がいたのはいつだったか。遺伝子操作も改造も何も施していないオリジナルのままで生きている青年は、やっぱり全ては現実味のあるオリジナルのままでないといけない、と自分の生体保守思想をジーゼル・キリルに熱く語っていた。それなら偽りの国になど来ないでさっさと木星に帰れと吐き捨ててやりたかったが、“夢”のキャラクターらしさを私たちに遵守させるべく私に組み込まれたプログラムに阻まれたのでふて腐れるにとどめておいた。今お前が現実だと誤認し、自分の思想に感動しているんじゃないかなんて感覚をもたらしているジーゼル・キリルの思わせぶりな視線や笑顔は、全てオアハカが管理するプログラムによる偽物だ。おまえ自身が否定している仮想現実なんだよと腹で笑ってやった。
 ああ、そうだ。私がそのVRソフトを試したのはそんな日の夜だったか。暇つぶしにと龍騎士レースゲームをやってみて、ハイデロオンとして実際に空を飛ぶのとは何かが違うなと思った。思ってしまって、悔しさに眠れなくなった。現実と仮想現実と、同じようで何かが違う気がするのだ。違う、という認識を持たなければだまされてしまうくらいのささいな、けれど知ってしまえばそれだけで決定的な何かが。

 単なる顔見世イベントでしかない警邏巡回が終わると、もう完全な閉園時間である。キャラクターという檻に私のエゴを括りつけていたプログラムは休止され、私たちは自由な動作を取り戻す。高山の洞窟を模した調整ドックの中で、ジーゼル・キリルが伸びをした。少し色っぽい吐息と共にジーゼル・キリルは肩と腰を回す。残念ながら人間型モーフは一日中龍にまたがっていることにあまり適していないように私には思えるのだが、オアハカにとってはそんなことは些細な問題らしい。そんな負担よりも、こうしてちょっとした疲れを見せる仕草が人気なのだという。



『ジーゼル』
 私は私の意志で彼女の名前を呼んだ。龍の声帯を通した低い声は必要以上にドックに響く。
「あ……またか。悪かった」
 ジーゼル・キリルが板につかない私の口調で私に向き直る。けれどさらりと流れる金髪の後れ毛を優美に直す彼女の手つき、腰つき、目配せ、そうした些細な動きの全ては私のものにもどらない。一日プログラムに乗っ取られていると、ジーゼル・キリルの体はプログラムがなくても自動的にプログラムをなぞりはじめてしまう。
「難しいんだ、一日でも。私だってよく知っているだろう」
 ジーゼル・キリルはとうに分かりきった言い訳を私にすると、少し背伸びをして細い両腕を私の首に回す。私は頭を下げて、首の後ろにあるジャックを彼女に差し出した。今日一日の私のコピーを再統合していく。私の長い首にジーゼル・キリルの体温と造られた体臭を感じた。
(ああ、よく知っているさ)
 よく知っているから、私は毎日こうしてジーゼル・キリルの記憶データを吸い上げ、吟味し、必要最低限の大きさに凍結してしまう。モーフの絵面もあって、それはまるで私がジーゼル・キリルの魂を食らうような作業だと感じることさえある。けれど問題はない。仕事中の私は大抵ジーゼル・キリルと共にいるのだ。いくらもう一人の私といっても、ジーゼル・キリルの中の私は毎晩食われることに抵抗を感じることがあるかもしれないと怖くなることがあるが、再統合でジーゼル・キリルに課せられたプログラムの制約を感じるたび、それに乗っ取られそうな恐怖の方がはるかに大きいことを確認しては理にそぐわない安堵に身を浸した。

 プログラムに制圧されている私は本当の私ではない。こんな義体を身に纏っているのは仮初の私に過ぎないのだ。私は、再び本当の私を手に入れるまで、私としてのエゴを強固に保っていかなければいけない。

 私。私、私。人間だった私。男性体だった私。オリジナルの私。
 ―― 生きていた、私。

「あー、ジーゼルってばまたやってるぅ。飽っきないねー」
 ジーゼル・キリルとハイデロオン、分離していた私を確かめるように一人と一頭で抱き合い、瞼の裏に失った私をよみがえらせていたら、無粋な甲高い声が私たちの間に割り込んできた。恍惚とした統合の時間を失った私たちは目を開ける。縦に割れたルビーと薄いエメラルドが同時に闖入者を捉えた。
「いつ見ても背徳的な光景よね」
「うんうんうん。ヨナ照れちゃーう!」
 ジーゼル・キリルと同僚という設定をされている女騎士の格好をしたバイオモーフ2人が私たちを見てきゃいきゃいと騒いでいた。背が高く、口元の黒子が特徴的なグラマラスな赤毛と、硝子のように人工的な水色の髪を高く二つに結んだネオテニックの女。義体によって永遠に時を止めた、不自然な硝子色の髪の少女が自分の頬を両手で抑えてぴょんぴょんと跳びはねている。ぐるるると唸り声が私の喉から漏れていた。
「……何だ。そんなことを言いにきたのか」
 ジーゼル・キリルは私の首からゆっくりと身を離すと、嫌悪も露わに彼女たちに向き直る。私以外の竜騎士役はほぼ全員が人間型モーフに主人格を置いている。何せ、龍の喉は細かな会話に向いていないし、大型爬虫類モーフであるリップウィングにとってはスタッフ用施設も小さすぎて利用できないものが多いのだ。そんな彼らは私を変わり者と呼ぶ。
「あら、ジーゼルってばまた男言葉になってる。ダメよ、客がもういないって言ってもどこからどう漏れるか分からないじゃない」
「説教をしに来ただけならさっさと帰ってくれないか、マリア。勤務時間外の演技は私の契約に入っていない」
「相変わらず野暮な考え。せっかくそんなに可愛くて素敵なモーフに入っているのに」
「だよねー。いーっつもスイッチ切れるとそんなに眉間に皺寄せちゃってさ。そんな顔ばっかりしてると、いくらジーゼルでもモテないぞーぉ」
「男に惚れる性癖は持っていないから構わない。この体で女と寝る気もない」
 ジーゼル・キリルは吐き捨てるように言うと、ドックの奥に向かうように踵を返した。私も重い体をゆっくりと持ち上げる。目の前にいる同僚たちの口調は、まるで作られたキャラクターのままのようで気持ちが悪い。自己紹介時に半ば無理やりVPN(ヴァーチャル・プライベート・ネットワーク)にリンクを貼られた彼らのページを見れば、彼らの素の人格の名残を見ることができるが、私は彼らの本当の口調や仕草を知らない。昔、マリアになぜ遊園地での姿をプライベートでも保持し続けるのかと尋ねたことがある。彼女はきょとんとした表情を浮かべた後に、くすくすと笑いだした。
「なぜそんな事を考える必要があるの? あなたが社長と話すときと私と話す時と言葉遣いや態度は違うみたいに、モーフに合わせた振る舞いってTPOの一種でしょ。女でも男でも兎でも私なんだからいいじゃない。むしろ、昔とは考えられないくらい色々な人生を送れて素敵だわ」
 その言葉を聞いて以来、私は彼女たちとの相互理解を諦めている。

「待って、ジーゼル。からかって悪かったわよ。
 ……あなた、どうせいつもみたいにメッセージ見てないでしょ? 迎えに来たの。今日これから狐の巣穴亭で新しい龍騎士仲間の歓迎会なのよ。あなたがそういうの嫌いなのは知ってるけど、せめて自己紹介のために顔くらいは出して」
「…………」
「最近新キャラ投入ペースはっやいよねー。最初はヨナとマリア姉だけだったのにさ。やっぱゲームが上手くいってるからかなー? ちょっと見てきたけど、今日の人はすっごいよ。めっちゃイケメン! さすがのジーゼルも惚れちゃうかもっ!!」
「行かない。会費はマリアの口座に送っておく」
「待って待って待って。あぁ、ほら。今日は“夢の国”ジャンボの発売日だよ。どっちにしろ人間モーフで慰安街には行かなきゃいけないんじゃない? そうしたら、もうほんの少し顔見せてくれればいいだけから」
 ジーゼル・キリルはため息をついた。“夢の国”ジャンボというのは、この遊園地での実店舗限定発売宝くじのことだ。敢えてオンラインで売り出さないことに価値を出しているらしい。大破壊で失われたモーフのローンを抱え、次のモーフの宛てもない私にはこんな夢を買うくらいしか贅沢ができない。私は力なく首を振って、ジーゼル・キリルに行けと促した。二人が笑うのが恨めしい。


 ジーゼル・キリルがドックに帰ってきたのは、夜半もとうにすぎ、私がドックの端に丸まってエネルギー補充をしながらネットワークの海を漂っていた時だった。
『思ったよりも遅かったな。酒に飲まれたヨナにまた絡まれたか』
 私がゆっくりと頭を持ち上げてそう唸ると、ジーゼル・キリルは茫洋とした瞳で私を見た。何かを言いかけて、首を振る。無言で私の首元に近づくと、私の肩に寄り掛かるように座り込んだ。ドキリとする。私の経験していないことをコピーが経験して、私が私を分からない。しゅるしゅると彼女のジャックにデータケーブルを伸ばした。
 私の記憶を早送りして呑みこんでいく。スタッフ用の慰安街のネオンサインの明滅、ヨナの甲高い笑い声、髪を揺らす知性化オウムの羽ばたき、肉と野菜が焼ける香ばしい匂い。記憶の欠片がひらひらとデータの海に流れ込み、私の五感をくすぐる。ある記憶にたどり着いたとき、どくんと龍の大きな心臓が波打って、記憶の高速再生が止まるのが分かった。

 ジーゼル・キリルの目の前に、私から永遠に奪われた「本当の私」が立っていた。

 記憶を少し戻して、スロー再生する。スタッフ認証を経て狐の巣穴亭に入る自分。ほぼそろっている男性体や女性体、中性体の同僚たち。そこにいるのは竜騎士仲間だけではない。参加人数が予想より多いことにため息をつく自分。中座しやすいようにと隅に座った途端、目の前の仲間たちが歓声をあげて自分の背後に注目する。響くバリトンの声。ゆっくりと振り向く自分。

 すまなそうに会釈をしながら、入ってくる「私」。

 黄色がベースの陽に焼けた浅黒い肌。耳元で遊ぶ黒の縮れ毛、琥珀の虹彩。あれは「私」だ。大破壊で木端微塵に砕け散った筈の「本当の私」の姿だ。その彼が自分たちの方に歩いてきて、謝意を述べる。ジーゼル・キリルは瞬きと呼吸を忘れて過去から唐突にやってきた自分の亡霊に見入っている。
 私は記憶を無理矢理そこで止めた。喉の奥から熱い吐息が漏れる。私にもたれているジーゼル・キリルの鼓動がひどく速く、私はジーゼル・キリルの血中アルコール濃度が相当高いことに気が付いた。深呼吸をする。止めたままの記憶画像に意識をやった。止まったジーゼル・キリルの時間を、ゆっくりと再統合していく。手に入れた瞬間こぼれ落ちた昔の私への思いに、胸の中で炎の虫がのたうちまわっている。
『……違う。私ではない』
 私は唸るように言った。
「そう、私ではない。彼はアザゼル。新しい竜騎士」
 ジーゼル・キリルが擦れた声で返してきた。
『私はもう少し眉が細かった』
「背の高さも違う。私はもう少し大柄だった」
『私は笑う時にあんなに目を細めない』
「アザゼルは何度も豪快に笑って、マリアたちとすぐに意気投合していた」
『私は彼女たちに決して馴染まない』
「そう、だから――『私ではない』」
 私とジーゼル・キリルはお互いを見た。ジーゼル・キリルはくしゃりと顔をゆがめて、鼻をすすり、私に濡れた顔を押し付けた。今、私は泣きたいのか。私はぼんやりとそう思うだけだった。

 私は私を思い出す。私が一から作り上げた、オリジナルに最も近いだろう私。その昔、生体保守主義者の両親から、フラットのままでは永らえられないと一目で確信できるほど重度の肢体不自由を背負って生まれた子どもがオリジナルの私だ。素晴らしい外見、この上ない才能、すべての病気から縁のない理想の子ども――きっと両親はフラットでありながらそんな子どもを望んでいたのだろう。けれど、私の遺伝子は私を人間の形にする事を完膚なきまでに忘れていた。私が人間をやめさせられ、データ生命体にさせられたのがいつだったのかは知らない。私の意思決定力が育つ前であることだけは確かだ。両親とデータ生命体の私は会ったことがないから、その選択が両親の意思だったのかだれか福祉者の意思だったのかもわからない。両親の名前も、両親が私に本当につけたかった名前も知らない。私はかつて人間だったが、今は違う。それだけが私のすべてだった。だから、アルファ・フォークに過ぎない私は、人間(オリジナル)に戻らなければいけない。人型モーフに入ったデータ生命体と人間との違いは何だろう? そこにはきっと何かがあるのだ。違う、という認識を持たなければ気が付かないほどの、けれど知ってしまえば決定的な何かが。
 私は究極を目指すことにした。オリジナルの肉体を模したモーフに戻ったところで生きられないなら仕方ない。ならば、私は期待されていただろう体を得なければならない。人間そのものの姿で、健康で、知性的で、見栄えの良く、きちんと子孫を残せる義体。その答えが、大破壊直前にようやく手に入れることが出来たアザゼルそっくりのエグザルト義体だったのだ。

「なぜアザゼルは、あんなに似ているのだろう」
 ジーゼル・キリルが呟いた。
『偶然だろう。オアハカ=マーテンスが昔の私を知るはずがない』
「肌色や声だけじゃない、顔立ちも似ていた」
『そうだな』
 ジーゼル・キリルがふるりと肩を震わせた。私たちはそれきりもう何もしゃべらない。


 アザゼルの近くにはもう寄らないようにしよう。私はそう決めた。その日以来、私とジーゼル・キリルは一層出不精になった。仕事には出るし、同僚である以上アザゼルと近くにいることもあるけれど、プログラムで強制される以外はジーゼル・キリルも私もアザゼルとは目を合わすことすらしなかった。
「まさか本当にジーゼルにも春が来るとはね」
 そんな日々の中、ある夜マリアが私のところに来てそう言った。ジーゼル・キリルがシャワーを浴びにいっていて席をはずしていた時のことだった。
『何の話だ』
「分かってるくせに。あの新入り君よ。意識しすぎ」
『……ありえないさ』
「私が男に惚れるはずがない――?」
 マリアは私の口調をまねた。舌打ちをする。龍の舌打ちはずるずると水音がひどい。私よりもこの仕事が長いマリアは、龍との会話も龍の口真似も上手いのだ。
「ありえない、は、ある、には勝てないわよ、ハイデロオン。あなたの元の性別がなんであったとしても、だれか他の人に惹かれる時に性別なんて関係ないわ」
『いいや、確実にありえないさ。そう、――』
 性別はさておき、私が私に惚れることだけはありえない。アザゼルは私ではないが、私を強く思い出させるから。しかし、それをマリアに言うのは憚られた。
『――ヘテロには生きにくい時代になったものだ』
 ごまかして瞳を閉じ、ジーゼル・キリルが戻るまでネットワークに潜ろうとする。
「……あなたが彼にどんな感情を持っていたっていいけど、今日は忠告に来たの。最近、私たちファンタジーセクションに新しくキャラクターやアトラクションが投入されてるでしょ? オアハカ=マーテンスは多分、次の長編VRソフトをファンタジーセクション舞台に作りたがってる。私たちの楽園は今上り調子だし、アザゼルは良いデビューをしたわ」
 マリアは私の目の前にかがんで、私をじっと見上げた。
「あんまり感情のままに生きていると、あなたのプライバシーはイベントとして売られちゃうわよ。現に、オアハカはアザゼルとあなたをライバルユニットとして売り出そうと考えてる。はじめは反目しあっていた先輩と後輩が徐々に心を通わせていく――大衆受けしそうでしょ?」
『ガセだろう。私は聞いてない』
「あなた、今まで二人だけの世界を作り上げて誰とも組んでなかったじゃない。周りの変化にともなって、グッズの売り上げや人気はかなり前から少しずつ低迷してる。今のままのスタイルはそろそろ限界、みたいに判断されてるってことよ」
 腰に手を当てたマリアは呆れたように言って、ふと後ろを振り返った。にやりと真っ赤な唇を上げて、私の耳元に囁く。
「――ほら、ね」
 彼女の視線を追うと、噂のアザゼルが風呂上りのジーゼル・キリルを捕まえて何かを話していた。アザゼルは人好きのする笑顔で馴れ馴れしくジーゼル・キリルの肩に触れる。ジーゼル・キリルはぴくんと身を震わせると、次の瞬間、嫌悪の表情でその手を激しく打ち払い足音高く私のもとへと歩いてくる。
「……まあ、オアハカとしても公式に恋愛設定にはしないはずだから」
 ぐるぐると唸る私に、マリアは囁いて離れていった。私はジーゼル・キリルを食らうために、大きく口を開けていた。


「聞ーぃてまツかっ、黒龍! これで三日連続ゲージオーバーなんでツよっ!!
 最近は燃料もたっかいんでツからっ!! 暴れンのも炎ぼーぼー無駄撃っツんのも!
 いーぃ加減にチてくだッツぁいっ!」
 目の前で眼鏡をかけた兎がデータ端末をバンバンと叩きながら私に向かって叫んでいる。私は甲高い声を聞き流しながらジーゼル・キリルを探す。あぁ、いた。あそこだ。ドックの端、人目につかないところでジーゼル・キリルはアザゼルにまた捕まっていた。
 マリアの情報は正しかった。オアハカ=マーテンスはアザゼルをジーゼル・キリルの後輩というポジションに配置することを決め、ジーゼル・キリルとアザゼルはセットで扱われることが増えた。ジーゼル・キリルのプログラムはアザゼルを冷たく扱うのを許したのが私たちにとっての何よりの救いだった。私にそっくりな顔に色目を使わせられるのだけはごめんこうむりたい。けれどアザゼルはそんなことには頓着しない。ジーゼル・キリルがつれなくすればするほどしつこく食い下がってきた。やれ、打ち合わせだ、やれ、親睦を深めるのだ、それを激しいスキンシップで求めてくる。せっかくのオフの時間も私の巨体が目立って二人きりになれる時間が減った。空でみじめに振り切ってやろうと思ったこともあったが、奴の銀龍は最新型だけあって私よりずっと出力が高く、それは無駄足に終わった。
 いらだちがつのる。
「分かってまツかっ!! いくら黒龍の本能にチてもっ! 最近あなたの暴れっぷりはプログラムの範囲を越えてるんでツよっ!!」
 首をふる。このキンキンとする耳に痛い声よりも、奥から低く聞こえてくるような気がするアザゼルの声や、ジーゼルにコナをかけてくる口調、そうしたものの方が遥かに不快だ。ジーゼルの記憶の咀嚼は、私にとって億劫な時間にもなっていた。最近ではジーゼル・キリルが必要事項を圧縮し、アザゼルとの細かなやりとりなどの記憶はほとんど再生させずに凍結するようになっていた。咀嚼ではない。丸呑みだ。私と一体になる時間が減れば減るほど、ジーゼル・キリルはジーゼル・キリルをリセットして私に戻る時間が減る。ジーゼル・キリルの所作やセリフが女である時間がじりじりと増えていく。
 私は唸って苛立ち任せに尾を振った。目の前で眼鏡兎が跳びはね、いくつかの機材が私の後ろで火花を散らした。私の目の前でジーゼル・キリルが肩を揺らし、アザゼルがそれを抱き込んだ。ジーゼル・キリルはその手を振り払いはしなかった。

 変わっていく。変えられていく。変わってはいけない私が、だからこそ龍に甘んじた私が変わっていく。あの男に変えられていく。ああそうだ。この急激な変化はあの男がジーゼル・キリルに何かをしたとしか考えられない。単に色仕掛けだけではないだろう。何かウイルスか、バグを誘発させられたか。記憶だけを凍結してジーゼル・キリルのプログラムのそこかしこをさらってみても何の証拠も見つからない。これでは私が変わりつつあることが私にしか分からない。私のすべてをオアハカ=マーテンスに明け渡して報告すれば何か見つかるのかもしれないが、それは避けたかった。
 アザゼルは何のためにジーゼル・キリルを変えるのだろう。オアハカ=マーテンスの梃子入れか、それともライバル企業のスパイだろうか。どちらもありえなくはない。
 ハイパーコープが私たちの人権を保障してくれるなんて夢を今更見るほどウブじゃない。人気の落ちたジーゼル・キリルにドラマをつけて売り出すために、私の主人格のない端末を乗っ取るくらいは平気でやってくるだろう。
 ライバル企業が何かの目的で手駒が欲しくなったなら、落ち目ではあるがそこそこ人気があってベータ・フォークであるジーゼル・キリルは狙い目だろう。もしかしたら、あのアザゼルのデザイン自体が偶然ではないのかもしれない。
 ジーゼル・キリルは未だ私だろうか。私は未だ私だろうか。私のフォークが私でなくなったとしたら、その存在は何だろう。
 ジーゼル・キリルが私を見た。私は彼女を自分のエゴの名で呼んだ。ジーゼル・キリルの瞳は動かない。


 私とジーゼル・キリルの乖離が決定的になるまで、そう時間はかからなかった。アザゼルとジーゼル・キリルの距離は私の目の前で少しずつ少しずつ縮まって、ある夜、トーチの光にゆれる洞窟の壁面で彼らの影は重なった。ジーゼル・キリルから重なった。
 あれは誰だ。私ではない。私は男に惚れるだろうか。いいやそれ以前に私に惚れるだろうか。私は私に欲情するだろうか。いいやしない。私は私が人間であることの証明としてフラットな子孫を残したいと思ったが、鏡の中の私を見て私自身を性の対象とみることはできない。
 あれは誰だ。プログラムの作るジーゼル・キリルではない。オアハカはキャラクター同士の恋愛をさりげなく仄めかせることはしても、基本的には認めない。強制もしない。
 あれは誰だ。スパイウィルスに乗っ取られたジーゼル・キリルではない。なぜならウイルスが私に何かしてきてはいない。私とジーゼル・キリルは毎日私とつながっているのに、変化したジーゼル・キリルは私に侵食しようとしてこないのだ。
 ではあれは誰だ。私ではない、プログラムではない、けれど昔の私によく似た相手に惹かれ、プログラムの設定した所作で動くあれは誰だ。

 ――あれは私とプログラムとの間に生まれた新しい情報生命体なのかもしれない。
 だとしたら、私はフラットな人間の子孫を残す「人間」には永遠になれないのだと、所詮情報生命体に過ぎないのだと自分自身で証明してしまったのかもしれない。


 ぷつんと何かが切れる音がした。
『ジィイイイーーーーゼル!』
 私の唸り声が洞窟に響いた。重なった影が跳びはね、寄り添い、駆け出した。彼らは私がここにいることを知らなかったはずだ。ここはドックの中でも人気が少なく、私も普段好まない、頂上近い場所。私はジーゼル・キリルに内緒で私の位置情報をごまかしていた。私は細い横穴を広げるように体を震わせ、二本の足で地響き立てて彼らを追いかける。私の喉から炎の蛇が覗く。
『ジーゼル』
 ジーゼル・キリルとアザゼルは手に手を取って私から逃げ出している。突如起きた騒ぎにドックのあちらこちらが騒がしい。
『ジーゼル。無駄だジーゼル。
 契約も権利もすべて私に優先がある。ジーゼル、来いよジーゼル。
 そんなバグは食らってやろう』
 アザゼルがこちらに石を投げる。私は首を振ってそれを跳ね除け、思い切り尾を伸ばして彼を振り払う。人間型モーフは簡単に吹き飛ばされて横壁に激突した。もろいものだ。
「アザゼル!」
 ジーゼル・キリルが悲鳴をあげて、キッと私を睨み上げる。男のもとに向かおうとするジーゼル・キリルを私は前足で捉え、抵抗むなしくおさえこんだ。
『答えろジーゼル・キリル。あの男に何をされた。――お前は誰だ』
 ジーゼル・キリルはじたじたもがく。
「私は私よ。離して、もう私はあなたに再統合されるのなんてまっぴら御免なの」
 私はジーゼル・キリルを取り返そうとするアザゼルをもう一度跳ね飛ばす。
『たかがフォークの分際で世迷いごとを! まあいい、食らってしまえばそんな些細なエゴごっこももう仕舞だ』
 私はジーゼル・キリルに口づけるように首を下げると、彼女をくわえて再統合ゾーンに無理やりひきずっていこうとした。
「だめ! させないっ」
 ジーゼル・キリルは絶望的な声をあげ、普段からは考えられない力で私から逃れた。ジーゼル・キリルが走り出す。ドックの先、崖の先へと走り出す。
「私は私。私がどんな私でありたいか、あなたじゃなくて私が決める!」
『ジィイイイーーーーゼル!』
 ジーゼル・キリルが叫ぶ。同時に私が叫ぶ。

 ジーゼル・キリルは両手を広げ、私が大きく空に羽ばたくようにドックの先から飛び出した。少し遅れて宙に舞った私の視界の中で、澄んだエメラルドが星明りに煌めき、最後の瞬間まで強い光を放ち続けたまま唐突に消えた。


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 ルォォォォォオオオオオーーン

 ハイデロオンの遠吠えが龍の谷中にひびき渡りました。動物たちは巣穴の中で体をちぢこまらせています。

 ルォオオオオオーーン

 ハイデロオンは龍の谷の一番奥底で何度も何度もなきました。もう動かないジーゼル・キリルの体をかかえてなきました。ハイデロオンのなき声をきいて、次々と龍の谷から竜騎士たちが舞い降りてきます。彼らは口々にジーゼル・キリルとハイデロオンの名前を呼びました。
 ハイデロオンは彼らを真っ赤な瞳でねめつけ、やがて猛スピードで彼らに襲いかかります。入ったばかりのアザゼルは、黒龍の巨体をよけ損ねて危うく龍から落とされそうになりました。

 ルォオオオオオーーン

 ベテラン竜騎士マリアや、ジーゼル・キリルと一番仲が良かったヨナが必死でハイデロオンに呼びかけます。けれどハイデロオンのなきごえは、何を言っているのか誰にも分かりません。唯一この怒れる孤高の黒龍の言葉を完全に理解していたジーゼル・キリルはもういません。
 ハイデロオンはジーゼル・キリルと出会う前のように、残虐で乱暴な本能そのままに龍の谷の中を暴れまわるとやがて夕闇の中を大きく羽ばたいて飛んでいきました。誰も追いつけない雄大な姿で飛んでいきました。

 ハイデロオンのごぉんというなきごえだけがいつまでもいつまでも龍の谷に響いていました。



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『「R・P・G」vol.3』