「見えないチカラ」片理誠

(PDFバージョン:mienaitikara_hennrimakoto
 悪いな、つき合ってもらっちゃって。
 え? あ、いや、大丈夫、大丈夫。男だってたまには羽を伸ばさなきゃ。家にはカミさんがいるから、平気だよ。
 そりゃ、赤ん坊ってのは何をやらかすか分からないけどさ。特に最近、うちのは這い這いを覚えたんでね。片時も目を離せないってのはある。けど、そう四六時中じゃこっちも保たないよ。育児ノイローゼって奴? ああ。あれになっちまう世のお母さんがたの気持ちも分からないではないね。実際、大変だよ、子供の面倒を見るってのはさ。ま、独身のお前に言ってもピンとこないかもしれないけど。
 とにかく、こうして久しぶりに会えたのは俺にとっては僥倖だ。ちょうど外で一杯やりたいと思ってたところなんだよ。ちゃんと奢るからさ。ちょっとの間、つきあってくれ。
 ん? いや、用事ったって、ただの買い物さ。ちょうど家に帰るところだったんだ。女房のお使いでね。急ぐような話じゃない。ま、顎でこき使われてるってわけ。母は強しって奴でさ、女ってのは変わるよ。度胸がつくと言うか。おかげで今じゃ下僕同然の身分だよ。
 フフ、そうか? そう見えるかな。けど実際は、イクメン、なんておだてられて、調子に乗せられてるだけだよ。まぁ、確かに楽しいけどさ。子供ってのは本当に可愛いぜぇ。あの愛くるしさは理屈じゃないね。
 これで女房の額から角が生えてなけりゃ、言うことはなかったんだがなぁ。いや、最初は生えてなかったんだぜ? つき合ってた頃は、そりゃぁもう、控え目な、いじらしい子だったんだって。母親になった途端に変わっちゃったんだよ。
 そういや以前、新聞の記事で読んだことがあるな。マウスのお母さんは、実は超音波やフェロモンを出しているんだとさ。で、それを感じるとお父さんマウスは子育てをするんだそうだ。だからお母さんマウスを隔離すると、お父さんマウスは子育てをしなくなってしまう傾向がある、っていう話だったな、確か。
 つまり雌のマウスは母親になると、見えない力を使って父親マウスを操ることができるようになる、ということなんだよ! 凄い超能力だよなぁ! まさに、母は強し、だ。
 え? ま、確かにそう思っちゃうよな。マウスの雌にできるんなら、人間の女性にだって、ってね。
 けど、俺たち人間の男は、マウスの雄なんかとは全然違うぜ? 霊長類の男子を齧歯類の雄なんぞと一緒にすんなっつーの! フハハ! 女房なんかに見えない力で操られてたまるかってんだよ、なぁ? そんな、ラジコンじゃあるまいし、なぁ? あーっはっは! 人間万歳! だぁーはっはっは!
(ピピピピピッ!)
 あはは! 見えない力がナンボのもんだっつーの! そんなもん、恐かねぇぜ! なぁおい! あっはっは! だーっはっ……は、あれ? あ、ご免、俺の携帯電話だった。ちょっと失礼。
(ピ!)
 あー、もしもし? はいはい、え? ああ、いやー実はさ、学生の頃のダチとばったり会っちゃってさー、で、今は居酒屋で旧交を暖めている最中という……へ? いやいや、そういうことじゃないですよ、でも、ほら、友だちづきあいっていうのもさ、大切な……いやいや、違うってば、もちろん分かってますよ、でもね、あのね、たまにはこういう……ええ、それはもう重々、ただ……あの……うん、まぁ、ね……それはそう、なんだけども……うん、そうね、そうね……うん……それはもちろん、もちろんですよ……ええ……う、うん……うん………………は、ぃ。
(ピ!)
 ぁぁ、ご免。電波の向こうで、何か、カミさんが怒っちゃっててさ。うん。ご機嫌が斜めを通り越して、ほぼ垂直になっちゃってんだわ。うん。速攻で帰ってこいって怒鳴ってんのよ、電話の向こうで。うん。あの、誘っといて悪いんだけど……俺、帰る、わ。うん。
 ご免ね、ホント、ご免ねー!



片理誠プロフィール


片理誠既刊
『ガリレイドンナ 
―月光の女神たち―』