「ザイオンズ・チケット・トゥー・マーズ2」伊野隆之

(PDFバージョン:zionstickettomars02_inotakayuki

 旧式の採掘機が、カラスの義体をくず鉱石ごと掴みあげ、クロウラーの荷台に放り込む。意識があったらギャーギャーとうるさくわめいたろうが、生命維持機構に障害を生じてぐったりしたカラスの義体は、義体と言うよりただの物体にすぎない。精製してもコストがあわない低品位の鉱石は、鉱区を流れる高温の水銀の川へと投棄され、いずれは自然の精製プロセスで鉱床を形成することもあるだろうが、有機物でできた生体義体はただ消えるのみ。くず鉱石ほどの価値もない。かつてはインドラルのものであり、マデラの魂を同居させていた義体は熱に焼かれ、痕跡を探すのも困難になるだろう。
「どれくらい時間がかかるかな」
 クロウラーを見送りながらカザロフが言った。ケースの義体に表情がない上に、声のトーンもフラットで、何を考えているかわからない。
「準備は完ぺきなんだろう?」
 ザイオンにとって、カザロフが北極鉱区開発公社から契約を解除されたのは幸運だった。北極鉱区開発公社の中には、まだ、カザロフの個人的なネットワークが残っていたし、それがなければ計画は困難だったろう。
「あそこをどう使うつもりか知らないが、準備はさせてある」
 カザロフが言ったのは、公社の中にある独房、ザイオンが目覚めた場所のことだった。
「疑っちゃいない。公社がお前を追い出してくれてよかった」
「いい頃合いだったのさ」
 吐き捨てるようにカザロフが言う。
「確かに、完ぺきなタイミングだったな」
 ザイオンは、カザロフとの邂逅を思い出していた。

「そうか、おまえはタージというのか」
 金星の地表、北極鉱区の一角に、ザイオンの雇い主であるアクバルの鉱区があった。鉱区事務所を収容する薄暗い金属の耐圧ドームの中、ザイオンは、旧式のデータコンソールに向かい、鉱区の財務状況を改めて確認していた。
「カザロフ? 新顔だな」
 無表情なケースがドアのところに立っていた。貧弱なシステムが、名前と役職を示したところを見ると、ザイオン同様、アクバルに雇われているようだ。
「保安主任のカザロフだ。昨日から採用された。前の職場から独立してコンサルタントを始めたんだが、あまり商売にならなくてね。ここに営業に来たところでスカウトされた。まあ、言ってみれば渡りに船って奴だな」
 分厚い大気の底で働くタコ労働者は、社会的にも金星の最下層にいる。経済的にも恵まれない最下層の労働者は、アップリフトの地位向上を目指す活動家にとって、不満を煽るいいターゲットだった。鉱区のオーナーであるアクバル自身がタコであっても、扇動活動のターゲットから除外される理由はない。アクバルが保安体制を強化するのは、最近の状況からすれば当然のことだった。
「で、保安主任がわたしに何の用だ?」
 触腕の先端が機敏に動き、システムからカザロフの人事ファイルを探すが、本人が説明した以上の情報はなかった。
「ちょっとした挨拶だと思ってほしい」
 アクバルに雇われるのは、北極鉱区開発公社を追われたものばかりで、それぞれに何らかの事情を持っている。アクバルなら事情を知っているかもしれなかったが、ザイオンにアクセスできる範囲では情報がなかった。
「財務を担当しているタージだ。ちょっとややこしい作業をしていて、あまり話をしている余裕はないんだが」
 ザイオンは、カザロフを無視して触腕を動かす。先端部を分岐させた触腕は、指のないオクトモーフのハンデを十分に補っており、旧式のキーを叩く速度に遜色はない。
「不審なものが紛れ込んでいないか調べるように頼まれている。ここもアップリフト解放戦線のターゲットになっているかもしれない」
 北極鉱区開発公社の鉱区の一つが、タコ労働者に占拠されたのは、そんなに前のことではない。待遇改善を求めるちょっとしたストライキが、大規模な暴動になり、一時は鉱区全体が解放戦線に支配されるまでになった。
「解放戦線を探すなら、採掘現場に行け。不満を言っている奴が簡単に見つかる」
 膠着した事態がさほど時間をとらずに解決に向かったのは突発的な事故によるものだった。解放戦線による鉱区の封鎖は事故の犠牲者の救助のために解除され、同時に投入された武装した保安チームによって解放戦線は一気に排除された。流血は最小限に押さえられたという公社の発表を鵜呑みにしたものは少ないし、事故そのものの原因も疑われている。
「ここにくる前に寄ってきた。確かに食い物に対する不平は多いが、アクバルに対する不満は聞かなかった。公社の直轄鉱区よりは待遇が良さそうだ」
 ザイオン自身は公社の鉱区の現状を知らないが、それでもカザロフの言葉には納得できる。いい鉱区を押さえているとはいえ、公社は非効率な管理部門を抱えており、しわ寄せは末端の労働者に行く。公開されている財務データからも歴然とした事実だった。
「それなら、別のところを当たってくれ。アクバルの利益は私の利益だ」
 ザイオンの前任者は、さほど洗練されているとはいえない手段でアクバルから利益をかすめ取っていた。購入する資材価格は水増しされ、帳簿上の鉱石の売却額は不自然に低く抑えられていた。市況を無視した価格操作を疑われた前任者は解雇され、今は鉱区のどこかに埋まっているか、あるいは水銀の川に流され、熱分解されているのかもしれない。
「そうだな。今のところ信任は厚いようだ」
「何が言いたい?」
 カザロフの言い方が引っかかる。財務管理を任されているザイオンも、一定の利益を抜いてはいたが、アクバルに損をさせているわけではなかった。
「公社から逃げ出したタコがいる。俺は、そのタコを探す命令を受けていた」
 唐突なカザロフの言葉に、ザイオンは緊張する。物理的な傷は癒えていても、苦痛の記憶は消えはしない。タコの体の中に目覚めさせられ、耐えがたい拷問を受けたのは、忘れようがない。
「前の雇い主との縁は切れているんだろう?」
 オクトモーフの中に目覚めたザイオンを監禁し、拷問したのはソラリスのエージェントだった。そのエージェント、マデラ・ルメルシェが公社を支配している。ザイオンはそこから逃げ出してきた。
「北極鉱区は俺の庭のようなものだ。そこで逃亡者を見失ったとなれば沽券に関わる」
 ケースには表情がないし、ない表情は読みようがない。
「それでクビになったのかな?」
 ザイオンの発した言葉は、ちょっとした挑発だった。もし、目の前にいるカザロフが、まだザイオンを追っているのなら、不用意な挑発には危険が伴う。
「契約を更新しなかった。それだけだ。だが、逃げ出したタコのことはどうしても引っかかってね」
 その言葉が、端的にカザロフの動機を説明していた。北極鉱区開発公社を介したマデラとの関係が切れた以降も、カザロフはザイオンを追い続けていたのだろうか。
「それで、その逃げ出したタコを見つけたらどうするつもりだ?」
 ザイオンが尋ねた。答によってはちょっとしたトラブルが起きることになる。財務管理を仕事にしているからといって、オクトモーフ本来の身体能力が平凡なケースよりも劣るわけではなかったし、ザイオンも身を守る手段くらいは持っている。
「俺はもう、マデラのために働くつもりはない。逃げ出したタコ野郎がどんな奴なのか、気になっただけだ。そいつがいつまでも隠れているだけの奴か、もっと骨のある奴か、見極めてみるのもおもしろいと思ってな」
 もし、ケースに表情があったなら、カザロフはどんな表情を見せていただろう。
「タコに骨はない」
 ザイオンの言葉を聞いたカザロフは、小さく肩をすくめて見せた。
「確かにそうだ」
 ザイオンに背を向け、部屋から出て行く姿を見送ったザイオンは、タコの義体の緊張を解く。公社を離れたというカザロフの言葉は事実だろうし、マデラが逃げ出したタコを探す理由を、カザロフに教えたとは思えない。その意味で、カザロフの存在がすぐに脅威となることはない。

 カザロフと会ったとき、すでにザイオンには金星を脱出するための大まかな計画があった。
 マデラに近づき、マデラを騙してザイオンを金星に閉じ込めている契約を解除させる。その計画が、カザロフと出合ったことで、より具体的になった。
 マデラに近付くには、ザイオン自身が独立した鉱山主としてソラリスの顧客になる必要があった。そのためにはアクバルを裏切ることにもなるが、もともとアクバルに経営の才覚はない。アクバルの鉱区経営を身近で見ているザイオンには、いずれは行き詰まることがよくわかっていた。
 機は熟していた。独立の準備はできていたし、ザイオンとしての正体を気づかれずにマデラに近づく準備も整いつつあった。疑似人格のタージの手配も終え、すでにインストールするばかりの状態になっていた。
 アクバルからの独立後も、ザイオンの計画は順調に進んだ。表向きの人格であるタージは、無謀な事業拡大をもくろんでマデラのカモとして借入金を増やす一方、裏ではザイオンが稼いだ資金を回してマデラの顧客を引きはがした。おいしい話を餌にして、営業成績の不振がプレッシャーになったマデラに危険なエゴキャストを選択させ、一時的にせよ魂(ego)を破壊した。
 計画は今、最終段階に入っている。
「どうして、協力するつもりになったんだ?」
 廃棄物となったインドラルの義体を乗せたクロウラーを見送りながらザイオンが言った。
「もう、このタコくさい金星は厭きた。おまえは金星を出るつもりでいるはずだ。そうじゃないか?」
 カザロフの言葉に、ザイオンは答えなかった。
「この金星はつまらないか?」
 逆にカザロフに問い返す。
「火星に行けば、この太陽系の状況もわかるだろうし、小惑星帯あたりに行けば、このケースの義体でもさほどバカにされないんじゃないかな」
 自嘲気味に言ったカザロフ。
「気に入らないなら取り替えればいい。それくらいの対価は準備している」
 協力の対価として、いくつかの鉱区の開発権を譲る約束をしてあったし、鉱区の開発権は、簡単に売り払うことができる。新しい義体を手に入れるには十分だ。
「この義体を気に入っているし、投資もしている。おまえも、そのタコの身体がまんざらじゃないんじゃないか?」
 丈夫で怪我に強いから、金星の鉱山でオクトモーフは重宝されている。それでも、オクトモーフは無重力状態でこそ能力を最大限発揮できる義体なのだ。タコが進化した海の中は無重力環境に近く、重力環境を前提にしたヒトの身体よりもうまく行動できる。
「さあな。あっさりと他の義体にするかもしれない」
 そう言いながらも、ザイオンが自由度の高いタコの身体を気に入っているのも事実だった。ただ、それを見透かされたと簡単に認めたくない。
「じゃあ、カラスにするか?」
「それもいいかもしれない。タコをつつくには便利だ」
 金星を出たら、まずは火星に行くことになるだろう。そこでなら、ザイオン・バフェットとして築いた資産にアクセスできるはずだ。
「マデラがなぜおまえにこだわるのかは知らないが、ソラリスを敵に回すのはやっかいだぞ」
 なぜ、マデラがザイオンを見つけることができたのか。マデラはザイオンを探している誰かから情報を手に入れたのかもしれないし、その誰かがザイオンに好意的だと考える理由も思いつかなかった。
「そのつもりはない。これは、個人的なことだ」
 ソラリスの上層部がどうなっているのか、それも金星にいては知りようがない。
 まだ、すべての準備が終わったわけではない。マデラの魂が再起動される前に、やっておくべき準備がある。

「久しぶりじゃないか。何か仕事でも探しているのか?」
 執務室内に投影された姿に向かって話しかける。投影像は、いかにも喰いつめたケースらしく、金属のボディはくすんでいる上に、細かな傷やへこみも見て取れた。
「用事はわかっているだろう。俺は、つまらない用事で連絡などしない」
 マデラは机に両肘をつき、カザロフの姿を見上げる。これはビジネス上の取引で、需要と供給が価格を決める。情報が欲しくても、ここで物欲しげな様子を見せるわけにはいかない。
「公社を離れて保安コンサルをやっていたんじゃなかったのか?」
 カザロフは、公社から追い出されたのだ。投影像を見るだけでは周囲の様子はわからなかったが、くたびれた様子の義体を見ただけでも、金回りがいいようにはとても思えない。
「俺が何をやっているかは関係ない。問題は、あんたが対価を支払う用意があるかどうかだ」
「何の対価だ? ここの保安システムなら何の問題もないぞ」
 ミューズが最新のデータを送ってくる。カザロフの立ち上げた保安コンサルは、開業してまもなく行き詰まり、今は独立鉱山主を相手に細々と個人契約でやっている様子だった。
「セクレタリーの出来も悪いようだな」
「心配してもらう必要はない。公社を辞めてからどうしているか、気になっただけだ。それで、おまえが逃がしたタコは見つかったのか? おまえが優秀さを証明できたのなら、再就職の口を利いてやってもいい」
 カザロフの皮肉を無視してマデラが言った。独立鉱山主の多くは、公社から譲り受けた鉱区で採掘を行っている。いってみれば絞りかすを絞るようなもので、利益率も低い。保安業務に回す費用は微々たるものだろう。カザロフにとって公社との契約はいい餌になるはずだった。
「公社の仕事をやるつもりはない。対価は、この身体を、荷物としてではなく、客として火星に運ぶためのチケットと、プラス同額のキャッシュで払って欲しい」
 意識をシャットダウンした荷物ではなく、客として運ぶにはスペースがいる。それに加えて同額のキャッシュともなれば、無視できない金額になる。マデラは目の前に投影されたケースの言葉を考えていた。
「安くはないな。火星に行くだけなら、魂(ego)をとばして、新しい義体にすればいい。同じケースでも、最新のモデルにアップグレードできるぞ」
 マデラが提示したのは、移動手段としては一番コストのかからない方法だった。顧客数が減っている上に、インドラルの義体を新調したことで、営業区の当期利益の悪化は確実になっている。よけいな費用はできるだけ避けたい。
「火星でインフォモーフになるつもりはない」
 カザロフは、マデラの意図を見抜いていた。魂(ego)を送った上で、義体の代金を払わなければ、送られた魂(ego)は体を持たないインフォモーフになるよりない。
「信用がないな」
 マデラは口の端をゆがめて笑った。カザロフが例のタコを連れてくるなら、少しばかりの支出は穴埋めできる。
「対価が払えないなら、別の売り先を探す。それでもいいようだな?」
「タコ一匹に大金を出す奴はいない」
「普通のタコならな。だが、マデラ・ルメルシェが探しているタコになら、興味を持ってくれそうな心当たりがあってね」
「どういうことだ?」
 マデラは首を傾げる。
「この件では競争相手がいる、ってことだよ」
 また見えない競争相手だ。独立鉱山主の顧客を奪うことでマデラのビジネスの足を引っ張っている競争相手が、ここでもまた足を引っ張るというのか。
「誰なんだ、その競争相手というのは?」
 オーシャンブリーズの効果が切れかかっている。マデラの指が、神経質にデスクを叩く。
「ビジネスマンなら情報の価値はわかるだろう?」
 そう言い放ったケースの表情は変わりようがない。
「いもしない競争相手をでっち上げられても困るな」
 マデラはカザロフの位置を探させていた。発信元がわかれば、カザロフの身柄を確保できる。公社がカザロフとの契約を打ち切った後で、後任として契約したマスチフは、マデラの言うことをよく聞くし、汚い仕事もいとわない。カザロフを押さえれば、情報を吐き出させる手段はいくらでもある。
「じゃあ、残念ながら取引は不成立だな」
「そんなに結論を急ぐ必要はないだろう。情報が本物だという証拠が欲しい。それに、隠れたタコをどうやって見つけたんだ」
 まだ、カザロフの位置は特定できていない。マデラは話を引き延ばす。
「IDを書き換えた奴を押さえた。新しいIDさえ特定できれば、そんなに難しくはなかったよ」
 マデラはカザロフの言葉に、得意げな響きを聞き取る。
「そうなのか。でも、どうやって新しいIDを手に入れたんだ?」
 大気の底では、非合法なIDの売買が行われている。マデラがわかりきったことを尋ねたのは、答えを知りたいと言うよりは、カザロフの居場所を特定するための時間稼ぎだった。
「やはり下の状況には疎いようだな。鉱区で事故が多いことくらいは知っているだろう?」
 高温、高圧の大気の底は、もとより過酷な環境だった。効率を優先して設計された大型の採掘機械が、耐用年数を無視して酷使されている。利益を生まない安全対策は後回しで、結果として事故率も高い。
「そうか、事故にあった義体のIDを流用したのか」
 感心したような声の響きは、カザロフの虚栄心をくすぐり、より多く話させるための演技だった。
「北極鉱区全体なら、毎日のように事故が起きている。廃棄される義体も少なくない。その義体を使えば、いくらでも細工ができる。手間のかかる調査だったが、IDを抜かれた個体を絞り込めばいい」
 得意げに言うカザロフに、マデラは、ふと苛立つ。
「そこまでわかっているのに、ずいぶんと時間がかかったな。公社にいるうちに見つけだしていれば、特別ボーナスでも出ていたろうに」
 つい、皮肉が口に出る。
「余計な仕事が多すぎた。まだ、あのタコを探させているのはわかっている。簡単に値切れるとは思うなよ」
 カザロフの言葉に、大きくため息をついてみせるマデラだった。
「あれは私の財産だ。私以外の者にとっては価値がない。それで、あのタコは、新しい身分を手に入れていたんだな?」
 通信元の位置の絞り込みが終わったという連絡が来る。カザロフがいるのは北極鉱区の管理ゾーンにある公共ブースで、十分もあれば保安部隊を送ることができる。それに、管理ゾーン内であれば、一度捕捉してしまえば追跡も難しくない。
「あんたのタコは、独立鉱山主のもとを転々としていたようだ。ろくに労務管理をしてない連中ばかりだから、追いかけるのに苦労したよ」
 マデラは、マスチフに身柄確保の指示を出す。
「ご苦労だったな。だが、あまり欲の皮を突っ張らせるのはよくないぞ。もう少し頭を冷やしてから連絡してこい。ただのタコ一匹で、大金が入ると思うなよ」
 マデラが唐突に通信を終了させたのは、現場に急行させたマスチフが、公共通信ブースにいるケースの姿を確認したからだった。




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伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『九十九神曼荼羅シリーズ 
海から来た怪獣』