「マーズ・サイクラーの情報屋」齋藤路恵,蔵原大(補作:岡和田晃)

(紹介文PDFバージョン:marscyclerinformershoukai_okawadaakira
 齋藤路恵+蔵原大の「マーズ・サイクラーの情報屋」をお届けしたい。
『エクリプス・フェイズ』では、オリジナル(本人)が望み、しかるべき費用を支払えば、分岐体(フォーク)を製造することができる。
 そのフォークとして生まれた語り手が、ファイアウォールに与えられた任務を遂行するにあたって、謎に包まれたオリジナルの死に向き合うというのが今回の話だ。フィリップ・K・ディックの「追憶売ります」(映画『トータル・リコール』の原作)を彷彿させる作品だが、その中心には、作家のみずみずしい感性が根付いている。
 なお、火星周回船マーズ・サイクラーを舞台にした小説は、朱鷺田祐介の「マーズ・サイクラーの帰還」がすでに「SF Prologue Wave」では発表されている。同作とはまた別の角度から、マーズ・サイクラーの住人の視点を借りる形で描写がなされていることにも注目されたい。

 本作のメイン・プロットやアイデアは齋藤路恵によるもので、チェックは蔵原大が行なった。
 齋藤路恵は「SF Prologue Wave」で『エクリプス・フェイズ』小説「ゲルラッハの恋人」、オリジナル短篇「犬と睦言」を発表している。また、ロールプレイングゲーム『ラビット・ホール・ドロップスi』(グランペール)のメイン・デザイナーとしても知られている。
 蔵原大はウイリアムソン・マーレー/リチャード・ハート・シンレイチ編集『歴史と戦略の本質―歴史の英知に学ぶ軍事文化』(上下巻、原書房、2011)の共訳者としてクレジットされている軍事史研究者だ。齋藤路恵とは、「蠅の娘」や「衛星タイタンのある朝」といった作品で共同作業を行なっている。(岡和田晃)




(PDFバージョン:marscyclerinformer_saitoumitie_kuraharadai
 最後に見たのは、奴らが着ていた空色のコートだった。おそらくは無味乾燥なコロニーの下層部に対応した都市迷彩の一種だったかもしれない。
 だが、かすかな地球の記憶が告げる。

 ――あれは、冬の空だ。

 たぶん、それがわたしの反応を遅らせたのだ。
 空色のコートを着た二人の知性化ゴリラがSMGを構える。ひるがえるコートの下には軍用アーマー。フルオートの発射音。わたしは遮蔽を取ろうとするが、間に合わない。全身に走る強い衝撃。痛覚を遮断していても、なお感じる激しい痛み。
 無数の薬莢が床を打つ音を聞きながら、わたしは倒れこむ。
 意識が途絶える直前、誰かの顔が見えた。ゴリラではない。こいつらを率いてきた他の誰か。真っ白。陰鬱な冬の空模様に変わる。そして暗転。

 ……なだれこむ記憶から意識を引き離そうと試みる。全身が小刻みに震える。おせっかいなミューズ(支援AI)が、わたしの「生まれた」理由を解説してくれたというわけだ。
 決して気持ちのいいものではないが、指示をしたのはわたしだから文句も言えず。やれやれ。
 前任者(オリジナル)が下手をうったことは間違いない。それを確認できただけだ。ファイアウォールのプロキシー(わたしの上司)、ジェミスンからのメッセージを反芻する。

 ――あなたはアルファ2だ。オリジナルの能力を引き継いだアルファ分岐体(フォーク)の第2号、それがあなたという存在だ。オリジナルの名誉を挽回するため、力を貸してほしい。

 なんてことだ。アルファ2か。つまり、アルファ1もすでに喪失しているということか? オリジナルの名誉? 

 こうしてわたしは培養槽(ヴァット)から目覚めさせられ、移民に紛れて火星周回船(マーズ・サイクラー)に乗り込んだ。重力傾斜を利用し、最低限の燃料で火星と地球圏を旅する超大型貨客船といえば聞こえはいいが、もともとは中国が低コストで火星に国民を放り込むために作り上げた難民船だ。



 金のある連中ならばこんな船には乗らない。魂(エゴ)だけ火星に送信して現地で適切な義体(モーフ)に着装する。乗るのは、通信料や義体(モーフ)の料金が支払えず、かといってハイパーコープに身売りする覚悟もなく、暇を持て余し、数ヶ月から1年にもなる航行期間を船底で過ごせる連中だけだ。
 船の名前は「沈黙の妙味(Peculiar Taste of Silence)」という風雅なもの。だが、その実情は難民が詰まったスラム街だ。ここに人類絶滅の危機、X-リスクが潜んでいる。
 わたしはここに潜入し、死の記憶を残したというわけだ。それを捜査するために、ふたたび、わたしが送り込まれた。オリジナルの死の記憶、アルファ1も失われたという事実だけが手がかりだった。

 以来、わたしは、この船の保守点検業務の下請け、つまり、体の良い「便利屋」の肩書きでこの船にて暮らしている。
 いまの義体(モーフ)は、宇宙用のバウンサーだ。



 実のところ生体義体(バイオモーフ)は色々と不便で好きになれない。空気や水、食糧が必要で、疲れたら休息し、定期的に排泄物を出さねばならない。面倒な話だ。
 オリジナルのわたしは、地球軌道で宇宙のゴミを漁っていたスカヴェンジャーだった。真空労働者(ヴァックワーカー)での利便性から、可変型の機械外殻(ロボット・シェル)、フレックスボットを愛用していた。生存能力も高く、機能性も良好だ。
 けれども火星周回船の下層区では、低重力に適応し軽快に動ける生体義体(バイオモーフ)のバウンサー義体は重宝する。月のスラムから火星の荒野に向かおうとする人々の多くは、いまでも機械的な外見の合成義体(シンセモーフ)に恐怖を抱いているから。
 頭ではそうじゃないとわかってはいるものの、「大破壊」(ザ・フォール)で地球の人々を殺戮したティターンズの戦闘機械どもの悲痛な記憶が拭えないのだ。
 中には自分も殺され、魂(エゴ)をアップロードされてしまったものもいる。そんな場所で情報収集するのに合成義体は向かない。目立たない生体義体を選んだファイアウォールの判断は間違っていなかった。
 手先が器用なわたしは何かと重宝がられる。住めば都、意外と不便は感じない。最近は船内で幅を聞かせている連中のために、船内設備をちょっとグレードアップしてやるだけで小遣いが稼げる。
 そのうえ、点検技術者なんてドローンと大差ないと思うのか、無駄に口をつぐむこともない。情報収集にも最適だ。

 だが、任務はそう簡単に終わらなかった。機密漏洩を防ぐためか、ジェミスンからの指示や情報提供は、いつも最小限に留まっている。
 捜査が行き詰まり、渋々、わたしはパンドラの箱を開けることにした。最後の手がかり。それはわたしを殺した人物のことだ。
 自分が死ぬ瞬間をXP(経験再生)でよみがえらせて手がかりを探ろうという試みだ。
 だが、死の瞬間を追体験するのは精神的にきつい作業だ。魂(エゴ)の傷痕を掘り返す作業だから。げっそりする。基本バイオ調整がなかったらきっと吐いていただろう。

 死の場面をじっと見据える。
「沈黙の妙味」号の下層と推定される回廊。冬の空を思わせる薄汚れた水色の壁と天井。その中を三人の人型生物が歩いてくる。
 すらりとした身体が印象的なトランスヒューマンが見えた。おそらく義体は女性型。そして、空色の都市迷彩風のコートとアーマーを着用した知性化ゴリラが2名、両側に控えている。
 会話は削除されていた。
 ゴリラたちはSMGを構える。無重力で使えるビーム兵器でも低重力に適合したレールガンでもなく、古めかしい火薬式の実体弾発射兵器。おそらく、火星周回船の建造時に中国軍が装備していたHKコピー品の類だろう。
「わたし」の注意はなぜか、彼らの着ていた空色のコートに引きつけられて反応が遅れた。SMGはケースレスですらなく薬莢が飛び散る。
 この宇宙でそんな武器を使うなんて……もちろん、わたしはそんなことを思う余裕もなく、痛覚を遮断しながら遮蔽へ向かおうとする。
 だが、痛覚を遮断しても、筋肉が裂け骨が砕かれ内臓が破裂すれば、動きには支障が出てしまう。これが機械外殻(ロボット・シェル)なら、無用なパーツを取り外せばそれですむ。
 視覚は途中で真っ赤になり、提示される情報は曖昧なものになった。鮮血が降りかかったのか、片目が破裂したのか。
 とにかく真赤でカメラとしての機能は不十分になった。敵の映像も判別が難しくなる。空色が見えた後、意識は途絶した。
 XPを巻き戻して、知性化ゴリラを率いていた第三の人物の顔を確認しようとしたが、電子迷彩がかかっているのか、きちんと識別できない。
 吐き気が強まる。XPを切り、ベッドに突っ伏す。

 そして、ひとつの問いが残った。
 ……黒幕の顔が識別できないのは、事後的に記憶が再編集されているから?
 どうして?

 ミューズがアラートを告げた。情報屋と会う時間だ。位置情報をメッシュで確認し待ち合わせ場所に向かう。

 目立たない酒場の隅で待っていた相手はとびきりの美女だった。スリットが入ったドレスの露出度は高く、明らかに素人ではない。彼女の義体はプレジャー・ポッド、快楽のために特化された生体義体だ。相手の嗜好にあわせ、外見的な性別を自在に変えることもできる。
 スラム化した火星周回船は、犯罪の温床だ。犯罪シンジケートが入り込み、あらゆる悪徳を提供している。セックスなんてXPで十分だとはいっても、生身の見目麗しい異性にこだわる連中も少なくない。そんな連中の要求に、プレジャー・ポッドは応えている。
 シンジケートへの借金を返して自由になるために、顧客の情報を二度売りしている。相応のクレジットと引き換えに貴重な情報を渡してくれるが、あまり胸襟を割って話すと弱みを握られ、ろくなことにならない。
 女は江青(ジャン・チン)と名乗った。当たり障りのない挨拶をしながら、その由来をミューズに検索させる。「大破壊」(ザ・フォール)よりもはるか前、それも二〇世紀の政治家の名前からとっているらしいが、悪趣味なことだ。

 さんざんもったいぶらせて女がタレ込んできたのは、とびきり「ヤバい」話だった。
 ナイン・ライヴズ。違法な手段で魂(エゴ)を集め売りさばくことで私腹を肥やすマフィア連中。奴らは目的のためなら、手段は選ばない。
「エゴ・ヴードゥー」 
 江青が囁く。
 たしかナイン・ライヴズの首領は、ヴードゥーの神官だという噂がある。この宇宙時代にどういう冗談なのか、こいつは複数の魂(エゴ)を精錬し、彼らの神霊(ロア)に進化させる儀式をするのだという噂があった。それがエゴ・ヴードゥー。
 確かに、デジタル化された魂(エゴ)は記録もコピーもできるし、編集したり融合させたりもできるが、そうした場合、その魂(エゴ)は本質が歪み変質してしまう。場合によっては人の枠が外れた怪物になってしまうかもしれない。
 この「沈黙の妙味」に入り込んだナイン・ライヴズの一派は、マーズ・サイクラーに乗り込んだ下層民の魂を集め、それを変異させようとしているらしい。
「知り合いが”収穫”されたの」
 はっきりとは言わないが、こちらに情報を流すのは復讐の意味合いもありそうだ。
「それだけじゃない。あいつら、ニュー・ムンバイの土を持っていた」
 それを聞いて、わたしはひとつの結論に達した。
 奴らはエクスサージェント・ウィルスを手にしている。エクスサージェント・ウィルスは外宇宙由来とされる禁断のナノウィルスだ。強力な感染力を持ち、空気感染や接触感染だけでなく、視線やデジタルな接触でも感染し、罹患者を異形の怪物に変えてしまう。
 かつて、地球からの避難民であふれた月のコロニー、ニュー・ムンバイはエクスサージェント・ウィルスに侵食され、数万の住民が怪物化したため、月政府はニュー・ムンバイを熱核弾頭ミサイル二発で焼き払った。月から来た連中なら、誰もが知っている心の傷。
 ナイン・ライヴズは狂気の儀式のために、コンピュータにも生体にも罹患する禁断のナノウィルスを用いようとしている。これは明確なX-リスクだ。

 トラウマが蘇る。
 分岐体(フォーク)としてのわたしが生まれる前、すなわちオリジナルのわたしは、ウィルスによって変異した怪物と戦った。
 あれは、ニュー・ムンバイのクレーターでの戦闘ミッションだった。テロリストたちがエクスサージェント・ウィルスを回収し、兵器転用しようとするのを妨害したが、おろかなテロリストたちはすでに感染し、怪物化していた。
 ほかならぬ「わたし」もエクスサージェント・ウィルスに感染しかけた。怪物に接触された腕が見る見る変容していった。
 オリジナルは機械外殻(ロボティック・シェル)であったことが幸いし、侵食部分もろとも超テルミット爆薬で、怪物を吹き飛ばした。精神的な傷は精神外科療法で治療したが、感染しかけた時の恐怖は今でも、鮮明に想い出すことができる。

 頭の中に波がかかる。砂浜みたいだ。引いては寄せる波のように、過去の記憶が循環し交じり合っていく。
 ……あ、だめだ、これ以上は保たない。そう思って直視は避ける。
 ウィルスとは、生物と無生物との狭間を揺蕩う存在。わたしがウィルスであれば、わたしという個人は無になる。個々の体験そのものが、しょせんゴミにすぎないという意味においてだ。合成された記憶からわたしの痕跡は抹消され、情報の海に沈んでいくことだろう。
 快楽を感じなかったといえば嘘になる。ウィルスはわたしに入り込んで、身体はおろか意識や記憶も改変しようとしてきたからだ。耐えられたのは、まったくの偶然だろう。

「誰がその土を持ち込んだんだ?」
 わたしは、自分の声がかすれるのを感じた。
「ウィンター」
 江青が口にしたのは、わたしの偽名のひとつだった。
「月から来たやり手の女殺し屋」
 江青は画像を転送してくる。空色のコートを来た知性化ゴリラを連れ、「沈黙の妙味」号の歓楽街を歩くスレンダーな女。おそらく使っている義体は高度にチューンされた潜入工作用のゴースト。光学迷彩で顔を識別しにくくさせるぐらいは簡単にできる。
 だが、その顔つきには記憶があった。
「アルファ1」
 わたしは理解した。
 オリジナルが任務に失敗し、死の記憶を残したため、アルファ1が誕生したのではなかった。任務に先立ち、潜入用の分岐体を作成した。
 アルファ1はゴーストをまとい、ナイン・ライヴズに潜入したが、その時、ニュー・ムンバイの土を持ち込んだのだ。
 ああ、すべては「わたし」の罪だ。
 オリジナルのわたしは、ニュー・ムンバイの戦いの後、テロリストの遺品の中にあった隔離容器のひとつをファイアウォールに提出せずに隠し持っていた。そこに土が入っているのは知っていた。危険であることも感づいていた。
 そして、アルファ1が危険なミッションに出る際、それを持ち去ったことを見逃した。X-リスクを秘密裏に処理してくれるのだと、無理に自分を納得させた。
 だが、アルファ1は別の意味でエクスサージェント・ウィルスに感染していた。魂(エゴ)がウィルスに魅せられていたのだ。
 つまり、ナイン・ライヴズにエクスサージェント・ウィルスをもたらしたのは、ほかならぬわたしだ。いや、もう一人のわたしというべきか。真犯人はアルファ1だったのだ。 
 ウィルスに魅せられたアルファ1は、おそらく今もなお、ナイン・ライヴズのもとにいる。その仮説をファイアウォールに送信しておく。
 すぐに返事が返ってきた。新しいミッションとしてアルファ1の殲滅とウィルスの拡散抑止が与えられた。わたしの仮説が正しいと、ファイアウォールは認めたのだ。

 不意に眠くなり、ひとときの休養をとろうと瞼を閉じる……。
 気持ちいい。波に揺られているようだ。夜の静かな波がわたしをゆっくり覆っていく。
 ふと思った。アルファ1に対峙したとき、わたしは彼女を殺せるだろうか。
 冬の陰鬱な空模様のコートを纏った知性化ゴリラを従えていたのは、彼女だったのだ。いや、そう考えれば、ファイアウォールがわたしの記憶から彼女の顔を剥ぎとったのも合点がいく。
 失われたはずの記憶が告げる。

 ――あれは、冬の空だ。

 アルファ1がオリジナルを殺したように、わたしも殺されるかもしれないな。
 けれども恐怖は感じなかった。



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齋藤路恵プロフィール
蔵原大プロフィール


齋藤路恵参加作品
『ラビットホール・ドロップスi』


蔵原大翻訳作品
『歴史と戦略の本質 上―歴史の英知に学ぶ軍事文化』
『歴史と戦略の本質 下―歴史の英知に学ぶ軍事文化』