「座敷童子」八杉将司

(PDFバージョン:zasikiwarasi_yasugimasayosi
 中学最後の夏休み、ぼくと弟は親に連れられて久しぶりに田舎に帰省した。
 去年の暮れに父方のおばあさんが病気で死んで、その初盆だったのだ。
 田舎は山奥にあって、近くに電車も通ってないので二時間に一本しかこない路線バスに長いこと揺られなければならなかった。そうやってたどり着いた村は、寺と八百屋があるぐらいでほかは何もない。連なった山に囲まれてひっそりと田畑が広がる農村でしかなかった。
 しかし、親の実家は大きかった。土蔵が建ち並び、黒々とした瓦屋根を葺いた日本家屋はまるで大名屋敷だった。
 かつては名高い大地主で、周辺の土地や背後に見える山々までも抱えていたそうだ。
 とはいえ昔のことに過ぎない。おじいさんはぼくが生まれる前に他界していて、おばあさんも死んでしまった現在、継いだ伯父さんが一人で細々と農業を営んでいた。
 寺の住職による子守唄みたいなお経がようやく終わり、やたらと広い居間で親戚たちにお酒と料理が振舞われていた。
 ぼくと弟は適当に稲荷寿司をほおばると、さっさとすぐ横の縁側に出た。持ってきた漫画を読む。ここにくるまでに何度も読んだので飽きていたが、ほかに退屈をしのげる方法がなかった。
 とにかく親戚があふれる居間にはいたくなかった。酒臭い空気が充満しているのと、酔った親戚のおじさんにつかまると同じ話を繰り返し聞かされるので苦手だったのだ。
 おじさんの話というのは、妖怪の言い伝えだった。
 この実家の屋敷には座敷童子がいるという。どこからともかく知らない子供の笑い声が聞こえたり、どたばた走り回る音が響いたりするらしい。そのようなことが起きてから福が宿り、家は栄え、これだけの屋敷も持てるようになったそうだ。
 そして、今も屋敷のどこかにいるかもしれないぞ、とオチを持ってくるのだが、怖がらせたいのか何なのか目的がわからないのでぼくと弟は引きつった愛想笑いをするしかなかった。そんなのを何度も聞かされるぐらいだったら、飽きた漫画を読み返して時間を潰すほうがよかった。
 それに座敷童子が本当にいたのだとしても、もういなくなってる。
 居間の端で座布団を枕にいびきをかいている酔っ払った伯父さんを見ていたらそう思う。
 ギャンブルに溺れて借金まみれになり、それを返すのに実家の山などの土地の大半を売り払っていた。もう残された資産はこの屋敷と近くにある畑のビニールハウスぐらいだった。
 その心労でおばあさんが寝たきりになってようやくギャンブルから足を洗い、農家を継いでいたが、今度は昼間から酒びたりの日々で結婚もできないでいた。
 それでも見合いの話はあるらしい。さっきも親戚の年寄りが父さんに訊いていた。
「兄さん、こないだ見合いをしたんだよな。どうなった」
 父さんは首を横に振った。
「相手と会うその日の朝から酒を飲んでたんです。それは断られます」
「本当か。何考えてんだ、あいつは……」
「緊張したのでしょう。兄貴は人見知りで気が小さいから」
「結婚は無理そうだな。子供ができないとなると、跡取りはどうするかね。あの分では酒でいつぽっくり逝ってもおかしくないぞ」
「縁起でもないことを言わないでください」
「だが、考えておかないといかん。そうだ、おまえのところの長男はどうだ」
「どうって、まだ中学生ですよ」
「今度高校生だろ。何も今すぐって話じゃない。言って考えさせておいてやってくれ」
「いや、それは……」
 父さんは断ってくれていたが、ぼくにしても冗談ではなかった。
 跡取りというのはこの屋敷と農業を継がせたいということなのだろう。
 こんな何もない田舎で暮らしたくない。農業にだって興味はなかった。
 これからは親戚にあれこれ言われるようになるのだろうか。気が重い。早く帰りたかった。できれば二度とここにはきたくない。
 沈んだ気分を紛らわせようと漫画に読みふけようとした。でも、やっぱり飽きていてつまらない。意味もなくページをぱらぱらめくる。
 そのとき、声をかけられた。
「ねえ、暇?」
 ぼくは顔を上げた。
 同じ年頃のワンピースを着た女の子が庭に立っていた。
 髪はさっぱりと短く、ぱっちりした瞳はどこか楽しそうだった。
 お経を上げていたときには見かけなかった。親戚の子ではないようだった。
「ええっと、誰?」
 女の子はどうして知らないの? とでも言いたげに首をかしげた。
 ふと近所の娘かもしれないと思った。村の大地主だったおばあさんの初盆なので手伝いにきているのだろう。こんな田舎に中学生がいるとは思えないが、ぼくみたいに帰省しているのであれば不思議なことはなかった。
「うん、暇といえば暇だけど」と、ぼくは戸惑いつつ言った。
 すると女の子はにっこり笑った。
「じゃあ、遊ぼ」
 女の子から話しかけられることも滅多にないのに、いきなり遊びに誘われるなんてびっくりだった。断る理由などなかった。漫画に夢中だった弟を置いてぼくは彼女と遊びに出かけた。
 これが妻との初めての出会いであった。
 自宅に帰ったお盆のあとも彼女とは手紙でやり取りをし、それは何年も続いた。
 ぼくは高校を卒業し、大学を出て大手の広告代理店に就職した。その直後、ぼくは彼女を東京に呼び寄せた。彼女とはそれまでに何度も会い、契りも結んでいた。呼んだのは一緒に暮らすためだった。
 そして、ぼくたちは結婚した。
 実は妻の素性をぼくは知らない。彼女の両親には会ったことがなかった。いないと言い張るのだが、どこで生まれ、どんな暮らしをしていたのかまったくわからなかった。教えてもらえなかった。手紙を送っていたときの住所は初めて会った田舎の村落だったが、あのお盆のとき以来、一度も行っていない。入籍だけにして結婚式は挙げずに二人の写真だけにしたので、彼女の親戚や友人に会う機会もなかった。
 妻は身内のことを決して明かさなかった。だが、何か複雑な事情があったのだろうと思うようにした。ぼくは夫婦になるのだから隠し事をしてはいけないと考えるタイプではない。結婚したのは共に今を歩みたいからだ。過去のことはどうでもよかった。
 それに妻は仕事の面でもパートナーとしてなくてはならない存在になっていた。
 ぼくは会社を辞めて独立し、制作プロダクションを立ち上げたのだが、会計や税務については門外漢だったので妻に相談したところ、その方面に明るくて見事に仕切ってくれたのだ。
 妻のすばらしい財務能力のおかげで、仕事が入らず借金ばかり重なる苦しい経営を強いられても会社をたたまずに済んだ。
 ぼくは妻のがんばりに応えるべく仕事に打ち込んだ。やがていくつかの企画が表彰され、さらには依頼にも恵まれて大ヒットを生む成果も上げた。
 その間も妻は儲けた利益を堅実に運用し、会社を大きくする原動力にしてくれた。
 伯父さんが心筋梗塞で死んだという知らせがきたのは、ぼくが五十歳を越えたときだった。
 あれだけ酒びたりだった割には長生きできたほうだろう。
 葬式はあの田舎の屋敷で執り行うことになった。
 さすがに今さらぼくに家督を継げなどと誰も言わないと思い、まだ元気な両親と妻を連れて数十年ぶりに田舎へ行った。
 村は相変わらず田畑ばかりだった。土蔵が並ぶ屋敷は懐かしかった。
 しかし、屋敷は手入れがほとんどされてないようだった。瓦屋根はいくつも割れてそこから雑草が生え、ひび割れた壁もそのままで汚れていた。廊下の板は一部が腐ってへこみ、畳はあれから一度も新調してないらしくどれも茶色く焼けてしまっていた。
「これはひどいな」
 ぼくの言葉に妻はうなずくと言った。
「せめて直さない?」
「ぼくがか」
「ええ」
「でもなあ」
 葬式の間、この家を誰を継ぐのかといったことは話題にならなかった。継ぐのであれば屋敷を修繕しなければならない。かなりの資金がかかるのは誰の目から見てもわかった。言い出しにくいことに違いなかった。
 しかし、このままではこの家は無人になる。売り払うほかなかった。
 妻はしきりに屋敷のことを気にしていた。まるで建築家がリフォームの見積もりをするかのように、あちこちを見て回っていた。
「どうしてそんなに気になるんだ」
「だって……あなたと初めて出会った場所よ」
 ぼくは苦笑いした。
 だが、正直いってぼくもこの屋敷がなくなるのは惜しいと思っていたところだった。
 幼いときはあれだけ継ぐのを嫌がっていたが、それがむしろここを忘れられない思い出となっていた。消えてしまうのはなんだか寂しかった。
「直すか。金はなんとかなるよな」
 妻の顔が嬉しそうにほころぶ。なぜかその表情を懐かしく思えて気がついた。ぼくと初めて出会ったときに見せた笑顔と同じだったのだ。
 葬式が終わったあと、両親を通して親戚に家と土地の管理を任せてもらうようお願いした。
 承諾されるとすぐさま屋敷の修理に取り掛かった。
 ただの修理だけではなくて、床暖房やバリアフリーなども取り入れて大幅なリフォームも施工してもらった。会社の福利厚生の施設としても利用できるなら、資金を会社からも出せることになるからだ。
 また制作プロダクションの企画として農業体験プロジェクトを立ち上げ、村に投資も行った。
 妻はそのプロジェクトに熱心にかかわり、村周辺の土地の買収にも手をつけた。結果的に伯父さんの借金として売り払った土地をすべて買い戻していた。
 体験企画はうまく回り、それをきっかけに若い人がぽつぽつと村に移住するようになった。その若い人たちの工夫でおいしくて安い野菜が収穫できるようになり、それらを置いた直売所はテレビや雑誌の取材がくるほど人気を博した。遠くからでも買いに来る客が大勢くるまでになり、村はかつてない活気に潤った。
 六十歳を過ぎてから、ぼくと妻は会社を信用できる部下に任せて身を引いた。東京の自宅も売りに出した。
 老後を田舎の屋敷で暮らすことにしたのだ。
 結果的に家督を継ぐことになってしまったわけである。昔のことを思えば妙な気分だったが、悪くはなかった。
 村の人々と楽しく農業に従事し、充実した日々を過ごすことができた。
 しかし、一つだけ心残りがあった。
 この家を継いでくれる者がいないことだった。
 妻とは子ができなかった。それは受け入れていたし、跡継ぎのことなど考えもしなかったので養子もいない。いまさら慌ててどこからかもらい受けるのも間違っている気がした。
 血縁でいえば弟の息子がいた。しかし、もう大手商社でそれなりの役職に就いていた。田舎の農家の跡継ぎ話なんて持っていけない。
 そういえばその息子には娘がいたことを思い出した。弟の孫であり、ぼくからしたら大姪になる。中学生になっているはずだった。
 そんなことを考える自分に苦笑いした。跡継ぎの話が出て、ぼくが心底嫌がった年齢と変わらない。
 さすがに無理か。やはりぼくの代で終わるのか。
 仕方がない。時代も違うんだ。
 とはいえ、ぼくみたいなこともあるのだから……。

「なあーんにもないでしょ、ここー」
 眼鏡型端末(グラス)をかけたわたしは、屋敷の門から山奥の田舎をぐるりと見渡した。
 グラスのカメラを通して山と田畑ばかりの光景が、アプリで通話している同級生の友達に映像として届いているはずだった。
 友達の笑い声が聞こえた。
「これが中学最後の夏休みの旅行よ。ふざけんなって感じ」
 春先にこの田舎の屋敷に住んでいたおじいさんの兄、つまり大伯父が急な病気で死んで、それを追うように大伯母も他界してその初盆だった。
 友達の言葉に答えた。
「ああ、お屋敷? 広いだけよ。親戚のおじさんは座敷童子なんて妖怪が出るってしきりに言ってるけど、ばっかみたい……え? うん。じゃあ、またね」
 通話が切れた。
 退屈になったが、屋敷に戻りたくはなかった。
 親戚一同が集められてこの家を誰が継ぐのかでもめていたのだ。おじいさんがしばらく管理するとしても、その次はどうするのかが決まらないそうだ。甥にあたるお父さんに話がきそうだったが、今の仕事を辞めるわけにはいかないので断っていた。わたしもこんなド田舎に引っ越したくはない。
 すると突然、声をかけられた。
「ねえ、暇?」
 いつの間にか目の前に同い年ぐらいの男の子が立っていた。
 髪はさっぱりと短くて、ぱっちりとした瞳はどこか楽しそうだった。
 わたしはグラスをずらした。見たことがない子だったので拡張現実でも紛れ込んだのかと思った。でも、実在する男の子だった。
「……誰?」
 男の子はどうして知らないの? とでも言いたげに首をかしげた。

(了)




八杉将司プロフィール


八杉将司既刊
『楽園追放
―Expelled from Paradise―』