「建売館の殺人」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 その女性は日曜の昼下がり、私が妻と遅い昼食を終えてコーヒーを楽しんでいるときに我が家のインターフォンを押した。
 女性と言ったが、第一印象はむしろ少女と呼ぶべきものだった。小柄でショートカットの髪。小さな顔には不釣り合いに大きな黒縁眼鏡。身に着けているダッフルコートはいささか大きめだった。そしてそんな愛らしい風貌に似合わない、無骨で大きなバッグを抱えている。
「密原トリカと言います。黒死館大学の建築科に在籍する学生です」
 玄関先で彼女は自己紹介した。はきはきとした物言いだ。なかなか好感が持てる。問題は、彼女のことをまったく知らないことだった。
「どういうご用件ですか」
「わたし、卒論で城之内実朝の研究をすることになりました。それで協力してほしいんです」
「じょうのうち……誰ですか、それ?」
「日本最高、いえ、世界屈指の建築科です」
 トリカと名乗る少女は頬を紅潮させて言った。
「彼が設計した建築物は他に類を見ないユニークなものなんです。なのに今まで誰も彼の作品について研究調査をしていません。わたしが城之内実朝研究のパイオニアとして建築界に名乗りを上げるためにも、そしてもちろん卒論を完成させて大学を無事卒業するためにも、ぜひとも山田さんのお力添えをいただけませんか」
「力添えって……何をすれば?」
「お宅を調べさせてください」
「この家を? どうして?」
「だから、このお宅が城之内実朝の作品なんですよ」
 トリカはじれったそうに言った。
「うちが? だってここ、五年前に買った建売住宅ですよ。そんな立派な建築家に作ってもらったような建物なんかじゃ――」
「城之内実朝は竹内建設の一社員として生涯を終えました。その作品も一般の建売住宅として売られたものばかりなんです」
「世界的建築科が建売住宅ばかり? どうして?」
「城之内実朝は不遇の天才だったからです。お宅を調べさせていただければ、彼の才能は明らかになります。お願いします」
 トリカは深々と頭を下げた。
「いいじゃないの。見せてあげたら」
 横で聞いていた妻が口添えした。
「このひとの卒論のためじゃない。見せてあげるくらい、いいでしょ?」
「まあ……な」
 承諾するしかなかった。
「ありがとうございます。では早速」
 トリカはバッグから大きなノートを取り出すと、ずかずかと上がり込んだ。まず階段の前に陣取り、じっくりと検分を始めた。
「……手摺りの材質は楢か。それも北九州のものだわ。これは笹原邸と同じ、と。でも厚みが若干違うかも」
 バッグからノギスを取り出し、手摺り板の厚みを測る。一時が万事そんな具合で、ひとつひとつ細かく丁寧に調べていった。
「熱心ね」
 妻は微笑んでいる。
「若い子が一生懸命なのを見るのは好きよ」
 トリカはバッグからいろいろなものを取り出した。三角定規、分度器、水準器、電卓、虫眼鏡、等々。カメラで写真を撮ることも欠かさない。
 私は当惑していた。五年間ここに住んでいるが、どう考えてもありきたりな建売住宅だ。とても世界的な才能を持つ建築科の作品とは思えなかった。
「あの……この家の一体どこがユニークなんですか。見た目ではわからないんですが」
 おずおずと訊いてみた。トリカは壁の角度を測りながら、
「城之内実朝の才能は目に見えにくいものです。一見すると通俗的な意匠でしかありませんから。しかしその奥底には彼の透徹した思想を見ることができます」
「はあ……」
 なんだか、よくわからなかった。トリカは続けて言った。
「この家の設計図はありますか」
「……ああ、完成したときにもらいましたが。持ってきましょう」
 押入れに突っ込んだままにしていた設計図を引っ張りだしてきた。トリカはその図面をしげしげと見つめ、
「なるほど……やっぱりそうなんだ」
「何がですか」
「この家は設計上ワイブル分布に従って計算された建材強度の限界を越えているんです」
「……つまり、どういうこと?」
「とっくの昔に潰れていて当然なんですよ」
「まさか……でも、問題なく住めてますよ」
「だから不思議なんです。どこかに秘密が……」
 図面を隅から隅まで眺め回す。そして、
「……そうか!」
 いきなり図面を掴んだまま二階に駆け上がった。何事かと私もついていく。
 トリカは私たちが寝室として使っている部屋に入り、作り付けのクローゼットを睨みつけている。
「このクローゼット、おかしいです」
「というと?」
「図面上は、この奥に小さな空間が存在してます」
 彼女が指差した図面の箇所には、たしかに四角い空間があった。
「今まで気付かなかったが……しかし、どうしてそんな無駄なスペースが?」
「これが城之内実朝建築の秘密です。彼は自分の設計した家のどこかに必ず一箇所、矛盾した存在を作り出しているのです。それがここ」
 そう言うとトリカはクローゼットを開け、中に掛けられている私や妻の服を引っ張りだし、その奥の壁に手を当てた。
「……これだ!」
 どういう仕掛けがされていたのかわからない。彼女の声と同時に壁の一部にぽっかりと穴が明いた。
 トリカが懐中電灯で中を照らす。
「わっ!?」
 私は思わず悲鳴をあげていた。人ひとりほどがやっと入れるスペースに、本当に人がひとり入っていたのだ。
 若い男だった。両腕を伸ばし、背伸びしたような格好で佇立している。その掌は天井にぴったりと着いていた。
「このひと誰ですか!? 生きてるんですか!?」
「もう、この世の者ではないようですね」
 トリカは言った。
「これは、人柱です」
「人柱!? この家に人柱なんてものがあったんですか!」
「物理上あり得ない建築を存在せしめていたもの、それがこの人柱です。ここで彼が支えているおかげで、この家は建っているんです」
「そんな……もしかして、城之内なんとかって建築家がこれを……?」
「ええ、城之内実朝が人柱も込みでこの家を設計したに違いありません」
「そんな恐ろしいことを……こうしちゃいられない。警察に通報しないと!」
 私は慌てて飛び出そうとした。
「待ってください!」
 トリカがそれを強い口調で呼び止めた。
「警察を呼んでこの人柱を外したら、その瞬間にこの家は崩壊しますよ。それでもいいんですか」
「それは……でも、これは殺人ですよ。そのままにしておくなんてこと、できませんよ」
「殺人ではありません。このひとは、死んではいないのですから」
「死んでない? だってさっきあなた――」
「わたしは『この世の者ではない』と言っただけです。彼の魂は肉体を離れ、どこかの異界へ行っています。きっと楽しい世界なんでしょう。その証拠にほら、彼は微笑んでいる。肉体は生命活動を停止していますが、一般的な死とは違います」
「そんな馬鹿な! あなたの言うことは信じられない。それに、自分の家にこんな死体だか何だかわからないものがあるってだけでも気味悪くてしかたない。私は警察に通報します」
 一一〇番すると、すぐに警察がやってきた。我が家は大騒ぎになった。
 鑑識の人間が家の中にいた男を検分している間、妻は荷物をまとめていた。
「どうしたんだ?」
「逃げる準備よ。この家、もうすぐ駄目になるんですもの」
「そんなこと、あの小娘の戯言に過ぎないよ」
 私は諭したが、妻は貴重品を鞄に詰め、さっさと家を出ていった。
「まったく……」
 妻の行動を苦々しく思いながら、私は警察の鑑識活動を見ていた。
 一応の検分が終わり、硬直した遺体を運び出すことになった。何人かで抱え、ゆっくりとあの空間から取り出した。
 その瞬間、妙な軋み音が聞こえはじめた。
「……なんだ?」
 家の中にいる者がみんな、不審げに周囲を見回す。軋む音は、家全体から聞こえていた。
 私は、はっとした。
「逃げろ! 家が崩れる!」
 私は真っ先に飛び出した。と同時に、私の家は何かに押しつぶされるように、いとも呆気なく崩れ落ちた。一瞬の出来事だった。
「あ……」
 私は崩れ去った我が家を前に、呆然と立ち尽くしていた。
「やってしまいましたね」
 その声に振り向くと、トリカが立っていた。
「城之内実朝の傑作ともいえる建築物を、あなたは壊してしまった」
「いや……私は……」
「それどころか、警察のひとたちをたくさん、家の下敷きにしてしまった。そして人柱の男性も」
「あの男はもう死んで……」
「死んでいないといったはずです。あの場所にいるかぎり、魂は異界で遊んだまま、肉体は滅びずに済んだはずなんです。なのにあそこから取り出したせいで彼も」
 トリカは悲しそうな表情で私に言った。
「これは明らかに殺人です。そして犯人は、あなただ」



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太田忠司既刊
『セクメト』