「おかえりヴェンデッタ」吉川良太郎

(紹介文PDFバージョン:okaerivenndettashoukai_okawadaakira
 吉川良太郎の『エクリプス・フェイズ』小説「おかえりヴェンデッタ」をお届けしたい。

 吉川良太郎といえば、21世紀日本におけるポスト・サイバーパンクのメイン・プレイヤーの一人として知られている。映画『マトリックス』の熱気がやまず、批評誌「ユリイカ」でニール・スティーヴンスン特集が組まれた頃……吉川は『ペロー・ザ・キャット全仕事』で華々しくデビューした。
 大学院で悪の思想家ジョルジュ・バタイユの哲学を研究していた吉川は、美意識に裏打ちされたゴシック・ノワールの素養をふんだんに活かし、『ボーイソプラノ』や『シガレット・ヴァルキリー』など、近未来フランスの架空の暗黒街での蠱惑的なアクションに満ちたサイバーパンクを次々に世に問うていく。その背景には、ジョージ・アレック・エフィンジャー『重力が衰えるとき』の多大な影響がうかがえる。
 その吉川が満を持して『エクリプス・フェイズ』とコラボレートしたのが、この「おかえりヴェンデッタ」だ。火星の酒場で古いシャンソンが流れる冒頭から、両者の相性がぴったりだということが伝わってくる。〈大破壊〉前の芸能人を模した義体など、いかにもありそうな話だし、語り手と「少年」との時間を超えた対話は……。例えば、世代を超えた壮大なストーリーで知られる『ドラゴンクエストV』を連想させる深みがある。また、少年の背景については『シガレット・ヴァルキリー』のシモーヌにも通じるかもしれない。
 そ し て 、 バ タ イ ユ に 学 ん だ 「 低 い 唯 物 論 」 の美学が存分に発揮されている。リーダビリティの高い作品なので、これまで『エクリプス・フェイズ』を知らなかった読者の方も、ぜひとも手にとっていただきたい。

 吉川は、映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』に脚本協力として関わり、またコミック『解剖医ハンター』の原作をつとめるなど、映像方面でも活動の幅を広げている。最近では『SF JACK』に収められた「黒猫ラ・モールの歴史観と意見」が好評を集めた。(岡和田晃)



(PDFバージョン:okaerivenndetta_yosikawaryoutarou
《海で死んだ人たちは、みんなカモメになるのです――》

 ラジオがシャリシャリとノイズの入る古いシャンソンを歌う。
 歌いながら、針みたいなピンヒールで滑らかにフロアを移動して、おれたちのテーブルへコーヒーのお代わりを運んでくるのを、向かいに座った少年はポカンと半口を開けて見つめていた。
 蜂蜜色の巻き毛と、蜂蜜のようにとろんとした目。誘うような半開きの唇と、特徴的な口元のほくろ。この店の制服はさして下品な趣味ではないが、ラジオそのものは万引きしたメロンを黒いベルベットのベストの下に突っ込んだようなスタイルをしている。マスターの趣味とは思えないから、中古か売れ残り処分品だろう。
「ミルクは御要り用ですか?」
 腰を曲げて給仕をすると、さらにデコルテ近辺が強調された。
「この子に。それより、もっと景気のいい音楽はないか?」
「相済みません。わたくしはジャズとシャンソンの専門チャンネルしか持っておりませんもので」
「……知ってるよ。聞いてみただけだ」
 ラジオは済まなそうに微笑んで、タイトミニから伸びた長い脚で優雅に歩み去った。
 その後ろ姿を、少年はまだ見送っていた。砂糖のスプーンを握ったまま。ラジオが珍しいのか、それとも女の脚が珍しいのか。コーヒーに三杯も砂糖を入れる年頃だと、女の脚なんて見るのはママの脚の間から出て以来だったかもしれない。
 初めてこの町に来る連中は、みんなこれに驚く。おれが初めて訪れた時も、口髭のマスターはカウンターの向こうでコーヒーを淹れながら、慣れた口調で言ったものだ。
「このへんでは珍しくないヨ。アンドロイド、メッシュ接続、スピーカー載せる。ウェイトレス&ラジオ、エレガント&リーズナブル、一石二鳥ネ」
 しかし、この町にはじめてきた連中の、中でも大破壊前の文化に詳しい奴は、そのラジオ兼ウェイトレスの外装に目を見張る。なにしろ、自分が生まれる百年以上前にこの世を去った、歴史上の人物に生き写しだからだ。実在の人物をコピーした義体はよそにもあるが、これほどのクオリティのものはちょっとない。
「大破壊前の文化、好きな人いる。グレートな人たち。この町、地球から、文化遺産サルベージする人いる。これ別のグレートな人。警察、税関もトモダチ」
 要するに、大破壊前の地球の文化をサルベージし、違法にコピーして、独自のルートで金持ちに輸出する連中がいて、警察も税関も牛耳っている。もちろんここには知的所有権なんて存在しないし、大破壊前の芸能人や文化人は、アンドロイドはもちろん義体の外装モデルとしても人気が高い。ちなみにこの店のマスターの顔も、本人曰く大破壊前の超ウルトラグレートな哲学者なのだそうだ。
 店内を見渡してみる。
 94・61・86の公称を見事に再現したプロポーションのラジオ。
 カウンターではド・ゴールとケネディが政治談議にふけっている。
 窓際の席には初代ジェームズ・ボンド。しきりに鏡を見ているのは、まだ新しい義体に入ったばかりなのだろう――
 いずれも見事な出来栄えだが、ラジオからシャネル№5の匂いはしないし、窓際のスパイが鏡を使って背後の様子をうかがっているようにも見えない。芸能人以外は商品としてあまり人気がないので、ケネディとド・ゴールについては名前以外はよく知らない。少なくとも彼らの上から飛行機が離陸しそうには見えなかったが。
 みんな作り物の体だ。中身はどこの馬の骨か知れない。
 おれたちは、どう見えているだろう。俳優と子役の親子だろうか。
 そのくらい、おれたちはよく似ていた。自分でも気味が悪くなるほどに。
「ここに来るまでに、マイケル・ジャクソンとマリリン・モンローを五人ずつ見たよ」
 胸焼けしそうなコーヒーを旨そうにすすって、少年が言った。
「さっきのでマリリンは六人目だ」
「よく知ってるな」
「歴史の教科書に載ってたでしょ。あんたは義体じゃないみたいだね」
「金がないんだ。生身を大事に使ってる」
 一度、義体を使ったことはある。子供のころ好きだったロックシンガーの義体を格安の中古で見つけて入ってみた。なぜその義体を捨てて元の身体に戻ったのか、今では覚えていない。憧れのスターが立ち入り禁止の荒れ果てた地球でコソ泥をしていることに耐えられなかったのかもしれない。
「おれのアパートの両隣にはジョン・レノンとプレスリーが住んでる。プレスリーの隣はリリー・マオだ」
「リリー・マオ! 本当に!?」
「物好きな奴だ。二十年前に活動停止した、半端に古いバンドなのに」
「正確には『リリー・マオとチャイナ・シンドロームズ』だよ。それに、今から数えれば二十一年前だ」
「よく知ってるな」
「知ってるよ。二十一年前の大晦日、リリーたちは金星のニュー・ソーホーのホールでニューイヤー・コンサートを演ってて、民族主義者にホールごと爆弾で吹っ飛ばされた。カウントダウンがゼロになる寸前だったから、二十一年前。ぼくらは金星までいくチケットが買えなくて助かったんだ」
「そうだったかな」
「ぼくはよく覚えてる。ぼくにとっては去年のことだから」
 目覚めてからしばらく、少年は借りてきた猫のように怯えていた。今はだいぶ本来の快活さを取り戻している。だがその時の声は少し沈んだ。
「なにも覚えてないんだね。ぼくは二十年前のあんたなのに」



 二十年前の自分とサシで話すのは奇妙な気分だった。
 サラサラした栗色の髪。傷一つない白い頬に、長いまつげが落とす影。なにを見ても驚く黒い瞳はキラキラと輝いている。あてがったおれの着替えはサイズが合わず、袖も裾も何重にも折ってようやく手足がでるくらい。テーブルの下で不満げに揺らす床に届かない脚は、猫のしっぽみたいに素直だ。
 これが、おれか?
 頬の無精ひげをなでながら考える。
 おれはこの二十年のどこで、これを失ったのだろう。宇宙線焼けを知らない白い頬を、輝く瞳を、はつらつとした笑顔を。髪だけはまだあるが。ありがたいことに。
 おれたちを義体に入ったコスプレだと思ってるやつに、真相を教えたらどんな顔をするだろう。
 正解は、一人芝居のコメディアンだ。
 そして、これからおれは、過去の自分に向かって、自分の話をしなければならない。
 あまり出来のいいネタじゃなかった。なにしろオチも決まっていない。

 少年――と呼ぶ以外はしっくりこない。自分の分身というより、せいぜい親戚の子と話している気分だ――は、当然の質問をした。
 つまり、自分はなぜ、ここにいるのか。
「哲学的な質問だな」
「冗談言ってる場合じゃないよ。なんでぼくが二十年後の見知らぬ街にいるのか。なんで二十年後の自分がマフィアの手下なのか。なんで工場みたいなところで真っ裸で目覚めて、ぶかぶかの服を着せられて、クルマに乗せられてぶっとばして、一息入れてコーヒーを飲んでるのか」
「OK。手短かに話そう」
 ここはどこ? わたしはだれ?
 ここは火星の小さな植民市。おれはしがないスカベンジャーだ。
 都市の本当の名前は地図には載っていない。だが暗黒街で「クルーナ」といえばこの町を教えてくれる。昔々、地球にあったエジプトという国で、遺跡からの盗掘を産業として暮らしていた村の名前からそう呼ばれている。
 この町を仕切るファミリーのボス、マスターの言う「グレートな人」は八本脚で、八本の手で他にも色々とシノギを指揮しながら警察や行政とも握手してみせるやり手な男であり、おれはその最前線で働くスカベンジャーとして活躍し、確実迅速な手腕にボスの覚えもめでたかったのだが、三十二時間前から連中に追われる身になった。
「ちょっと待った!」
 少年が甘ったるいコーヒーをむせた。
「いま、さらっと大変なこと言ったよ。追われてる? マフィアに? いったいなにしたの?」
「ボスの部屋で花瓶を割ったんだ」
「それだけ?」
「……ボスの頭で」
 執務室の重い花瓶でボスの頭をたたきつぶし、破片で心臓を貫いてやるのは一仕事だった。なにしろ八本脚はグニャグニャしているがゴムみたいに頑丈で、しかも二人きりで内密な話ができるほど信頼されていても、ボスの身辺に近づくには厳重なボディチェックを受けることが必須だ。即席の凶器だけでよくやったと思う。



 ファミリーの内情はよく知っていた。魂のバックアップがあっても、部下たちは誰もボスの再生など望まないだろう。すぐに跡目を狙う連中の殺し合いが始まる。すでに脱落したボスに敗者復活のチャンスはない。このまま永遠の死だ。
 ただ、それはおれの安全を意味しない。ボスに帰ってきてほしくはないが、建前上、跡目を継ぐにはボスの仇の首がいるからだ。
 何もなかったようにおれは現場を立ち去り、有り金をもって、生体改造や臓器のクローニングを扱う知り合いの闇屋に飛びこんだ。保険会社に預けた魂のバックアップはすぐ連中にクラッキングされて消滅させられたが、こんなこともあろうかと手元にもコピーが置いてあった。
 そして大急ぎで自分の分身を作らせた。クローン義体だ。それに魂をダウンロードして、もう一人のおれを作り出す。二手に分かれて追っ手をまき、あとで魂を統合するつもりだった。もちろん違法だが気にしなかった。法はおれを守ってはくれないのだ。
 が――しくじった。さすがはタコだ。やつらの手は多く、長い。二ヶ月ほどしたころ、連中に嗅ぎつけられ、大急ぎで逃げ出した。中途半端なコピーを連れて。
「それが、つまり……」
「急ぐからクローニングも魂のダウンロードも同時にやっていたんだが、中途で緊急停止された。技術的なことはよくわからんが、その結果が、おまえ――肉体も記憶も十四歳の、おれだ」
 少年はあぜんとして声も出なかった。さすがに気が合う。おれも三時間ほど前にはおなじ顔をしていた。十四歳の自分と再会した時には。
「これから向かうのは小口の密輸に使っていた私有空港、管理人はダチだ。近くの星の大空港まで最短で逃げられる。そこで二手に分かれるんだ。よそのシマに逃げこめば連中も自由に追跡はできない」
「大丈夫かな」
「おれたちは同一人物、指紋も網膜パターンもDNAもなにもかも同じだ。連中の商品でもある義体はかえって足がつきやすいが、おれたちがあちこちで残す生体認証はやつらの目をくらますだろう。しかも、おまえは面が割れてない……残りは追々話そう。行くぞ。空港じゃそろそろエンジンを温めてるはずだ」
「空港に行って、それから、どうするの?」
「どうにかなるさ」
 どうなるのか、自分で言っていてさっぱりわからなかった。

 空港までの足はマスターのT型フォード復刻デザインのヴィークルを失敬した。彼がたまたまカウンターに放り出していたキーを、おれはたまたま見つけて盗んだのだ。
「空港に置いておく。悪いが自分で回収してくれ」
「カイン・プロブレム。トモダチ。ヘルV」
 おれの独り言に、マスターも独り言をつぶやいた。彼がヴィークル泥棒を通報するのは明日の午後の予定。持つべきものは友達だ。もちろん、これも独り言だ。
 おれたちは人気のないまっすぐな道路を走った。
 町を離れると、すぐに火星の赤茶けた砂漠が広がる。今時、多くのヴィークルは燃料電池が普通だが、火星は温暖化を促進するため化石燃料が推奨されている。内燃機関のエンジンはマニアには好評だが、逃亡者にはあまりありがたくない。少しでも早く着くために、アクセルを床まで踏みこんだ。
「コーヒーに砂糖とミルクを入れなくなったのって、いつぐらい?」
「十五か六かな」
「苦くないの?」
「コーヒーがどんな味か知ることができる」
 レトロなクルマの遅さと、延々と続く変わり映えしない風景に飽きたのか、助手席の少年はよくしゃべった。好きな音楽。好きなゲーム。好きなラグボールのチーム。好きなマシネット・ファイトの選手。好きな女の子。嫌いな科目。嫌いなクラスメート――二十年前、好きな休日の過ごし方はなんだっただろう。少なくともマフィアの追跡から逃げることではなかったと思うが。
「十一歳の誕生日に、パパがギターを買ってくれたんだ。骨董ものだよ。覚えてる? それからずっと練習してる。マシンもいいけど、リリー・マオみたいにアナログなのはライブで聞くと違うんだよね」
「親父が好きか?」
「まあまあだね。プロになりたいって言ったら、大学にはちゃんといけって説教された。けど、去年はけっこう上手いってほめてくれた。まあ大学に進んだって、勉強しながら音楽はできるしね」
 話しながら、少年はちらちらとおれを見た。それはそうだ。二十年後の自分が目の前にいたら誰だって気になる。ましてそれがマフィアから逃亡する犯罪者なら。
「その夢は十五の時に捨てた」
 少年はしばらく黙った。やがて小声で言った。
「……やっぱり、才能なかった?」
「人を殺した。親父が殺されて、その仇を討って、逃亡した」
 少年は絶句した。おれは続けた。
「親父はマフィアだった。知らなかったか? そうだ、知らなかったな――今から百年と少し昔、人類が地球を離れて宇宙に活路を求め、火星も開拓が終わりに近づいていたころだ。『民族も宗教も人間もタコも、差別のない新天地』、移民局の広報はそう宣伝していたが、一つだけ書き忘れていた。『ただし貧富の差はのぞいて』おれたちの御先祖は、そんな時代に火星の辺境へ移住した移民の一人だ」
「……」
「御先祖とその家族は団結し、過酷な搾取に対抗した。家族を養うためなら躊躇せず法を破ったし、家族が傷つけられれば必ず復讐した。やがて何代目かの御先祖が、界隈の氷床を牛耳って水を独占し、開拓民を絞り上げていた男をぶち殺したことがきっかけで、界隈の顔役にまでなった。彼らは法でも金でもカタはつけなかった。血の絆と報復の掟が家族を、ファミリーを守り、栄えさせた」
 古き良き時代だ。そして、いつしか時代遅れになった。
「やがて行政も経済も裏社会も様変わりした。一族はやがて没落し、その末裔のおれは最近までグニャグニャのタコの手下だったんだからな」
「……」
「親父は、知っての通り、火星の地方都市の宇宙港に勤めるしがない税関職員だった。が、親父はその裏でケチな犯罪に手を染めていた。違法な義体を密輸する手伝いだ。話を持ってきたのは密輸担当の刑事だった。親父の古いダチだったそうだ」
「パパが、なんでそんなことを?」
「おれを大学に行かせたかったんだそうだ。しかし親父はそんなこと一言もおれに言わなかった。が、やがて警察の内務調査班にバレそうになって、刑事はあわてて罪を親父にかぶせて口を封じた。調査に行ったら抵抗したので射殺したということにして。おれの目の前で、親父の頭がトマトソースをぶちまけたみたいに吹っ飛んだのを覚えてる」
「……」
「おれがその秘密を知ってるのは、親父が遺書に真相を書き遺していたからだ。証拠になるメールのコピーやメモも添えて。自分に万が一の事がある可能性は覚悟してたんだろう。刑事がおれにまで手を出してくるようなら、その遺書と諸々の証拠を盾にしろと書き残してた。復讐など考えず、親父のことは忘れて、大学に行って、まともな仕事につけと」
「……それで?」
「おれはギターを売って、その金で中古の銃を買った。格安のオンボロだが弾は出た。それで十分だった。遺書と証拠類を餌にして刑事を呼び出し、全弾ぶちこんだ」
「怖くなかった?」
「怖くなかった。夢中だったし、むこうは子供だと思ってナメていたから。それから証拠品一切を警察と中央の通信社に送った。やつを殺したのは足止めでもあった。殺さずに送ったら、やつは逮捕の前に逃亡しただろう。やつがバックアップを使って目覚めたとき、今度は自分が警官隊に包囲されているように――それきり家へ帰ってない。今はどうなってるかも知らない。その後、この街へ流れてきて、フリーのスカベンジャーで食ってたが、八本脚のボスに腕を買われて、雇われた」
「そのボスは、なんで殺したの?」
「刑事に親父を消せと指示したのがそいつだったから。当初おれはボスが黒幕だと知らなかった。むこうは先に気付いたようだが、刑事が死んで口封じはできてると踏んだんだろう。長いことこの世界にいたらバレない保証はないが、いざとなれば金でカタをつければいい。金があれば道理も仁義も法もひっこむ。それがボスの処世哲学だった」
 大人の話をしようじゃないか――
 花瓶の破片を心臓の位置に当てたとき、やつがあえぎながら言った場面を思い出した。
 わたしの口座の一つを、まるまるおまえにやる。それを持ってわたしのシマから出て、二度と戻ってこなければ、決して追わない。嘘ではないぞ。おまえを殺しても金にはならんし、こうしたリスクに備えて用意していた金だから惜しいとも思わん。どうだ、それで手打ちにしようじゃないか――
 死の淵でも算盤勘定で命乞いする姿に少しだけ感心しながら、おれは黙って、ゆっくりと心臓を刺した。凶器は花瓶ではなかった。カルチャー・ギャップがやつを殺したのだ。
「カフェのマスターがおれをVって呼んでただろう。あれは復讐(ヴェンデッタ)。御先祖の母国の言葉で、おれの通り名だ。いまはV2達成ってとこだな」
「ギターに未練はなかった?」
「今も夢に見る」
「じゃあ、なんでそんなことを」
 おれは答えなかった。
 少年は黙った。長い、長い沈黙だった。
 今まで彼はよくしゃべった。ヴィークルを転がし始めてから二十分はしゃべり続けただろうか。彼の年から二倍近く生きてきたおれの人生は、五分ほどで語りつくせてしまったのに。考えてみれば、話す必要もないことだった。彼に何を語ったところで、タイムマシンで二十年前に戻ったわけではないのだ。おれの人生と彼の未来には、何の関係もない。
「……復讐なんて無意味だ」
 やがて少年はぽつりとつぶやいた。おれは余計なひと言を付け足した。
「知らないものを無意味だとは言えない」
 沈黙が倍くらい重くなった。もし人生をやり直せるとしても、おれにはコメディアンの才能はなさそうだった。

 仕事中に他のことを考えてはいけない。この鉄則を忘れた報いは早かった。
 ヒッチハイカーに気付いたとき、おれは空想の中でリリー・マオになりヒットナンバーを演奏しているところだった。道端に立った赤と褐色の迷彩柄のポンチョをまとった人影がすぐそこに迫るまで、その正体に気付かなかった。
 八本脚だ――と気付いた次の瞬間、ポンチョの下からほとばしった稲妻がドアを切り裂いた。タイヤが裂ける音がして視界がガクンと下がり、次いでスピンする。リボルバーの弾倉みたいに車内をふり回され、車体が道路標識に尻をぶつけてとまると同時に、おれはドアから放り出されていた。
 砂と小石に体を削られながら地面を転がり、とっさに少年を探した。
 少し離れた場所に、頭を両手でかばって倒れている。大きな怪我はなさそうだ。
 急いで駆け寄ろうとして、おれは足の感覚がないことに気が付いた。左足の膝から下が奇怪な方向にねじ曲がっていた。地面についた手がぬるりと滑ったのは、ガソリンでなく自分の血だった。
 道路標識に突っ込んだマシンはバンパーがひしゃげていたが、タイヤは無事だし、エンジンはまだ力強く鼓動を打っている。さすがにレトロ・スタイルは頑丈だが、空港まで運転するのはおれの方が無理だ。
 文字通り足を失ったおれに、殺し屋は用心深く周囲を警戒しながらゆっくり近づいてきた。迷彩ポンチョからでた八本の触腕がうねる。おそらく加速装置を入れている。八本脚の動きは基本的に鈍いが、これを入れたやつらは優秀な猟犬になる。たぶん脳は戦闘に特化してコンフィグされているだろう。
 失血で朦朧としながら、おれは少年に合図した。手で合図しようとして、右手もおかしな方向にねじれていることに気づいたが、目と目があったのは幸いだった。
 走れ、と目で命じた。空港まで走れ。
 泣きそうな顔で首を横に振る少年に、おれはもう一度、命じた――走れ。
 走って、逃げて、どこかへ――どこへ。それからどうするのか。おれは知らない。だが、ここではないどこかへ。もう一人のおれが、ここではないどこかへ行けるなら――何を考えてるんだ。あの少年とおれは同一人物だ。だが同時にまったくの別人だ。彼は二十年前のおれで、目の前で殺された親父の死も、その後のクソみたいな人生も、自分の選択が正しかったのか悩む夜も、経験することは永遠にない。おれたちの人生にはなんの連続性もないのだ。だったら、なぜおれは彼を生かそうとしているのだ。
 いや――もう、いい。
 こいつと会ったときから変だった。いったい、おれは何について言い訳してるんだ。おれが死んで、彼は生きる。彼はありえなかった別の人生を送り、おれは、おれの人生とともに死ぬのだ。そうしかできない。本当に、そうすることしかできない。
 でも、それでいい。不思議なほど、なんの悔いもなかった。
 生まれたての馬みたいに震える感覚のない脚で、おれは立ち上がった。
「ここだ……おれはここにいる!」
 八本脚がこちらを見た。冷酷な猟犬の目で。軟体の脚が近づいてきた。少しでも時間を稼ごう。
 少年は立ち上がり、時折よろめきながらも、力強く走り出した。

 店に入り、カウンターにキーを置いた。
「すまない。クルマを壊した。後で弁償する」
「どうシタ?」
「八本脚を一人はねた」
 ラジオ兼ウェイトレスがカウンターにコーヒーを持ってきた。
「ミルクは御要り用ですか?」
 少し考えて、言った。
「いらない」
 ラジオは去った。彼女はまた、あのシャンソンを歌っていた。

《海で死んだ人たちは、みんなカモメになるのです――》

「町で死んだ人間は、何になるんだろう」
「何にもならないヨ」
 マスターが言った。
「アナタは、アナタ。義体を変えても、どこへ行っても。でも、わたし思う。それ、誇るべきこと。とてもグレートなこと――Ewige Wiederkunft des Gleichen.」
 ぼくは初めてミルクと砂糖を入れないコーヒーをすすり、大きくむせた。



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吉川良太郎プロフィール


吉川良太郎既刊
『SF JACK』