「光瀬龍氏との結婚論争」宮野由梨香


(PDFバージョン:kekkonnronnsou_miyanoyurika
「今の若い女性というのは、結婚するまで処女でいたいものなのかな?」と、光瀬龍氏に尋ねられたことがある。
 時は1984年。光瀬氏は56歳、私は23歳の大学院生だった。
 まだ「セクハラ」という言葉が社会的認知を得ていない時代であった。この種のことをいきなり尋ねてくるオジサンというのが、一定数、存在していた。(というか、今の時代では逆にありえない質問であろう)
「さぁ? 人それぞれじゃないんですか?」と、とりあえずかわしたのだが、「あなたの場合はどうなのよ?」と、しつこかった。
 さすがに、私はちょっと不機嫌になった。
「わかっていらっしゃいますか? それって、『お前は処女か?』って訊いているのと同じですよ」
「そうか?」
「そうじゃないですか。私が未婚だってことはご存知なんですから。それに、結婚までって何ですか? その結婚って、籍を入れることですか? 一緒に暮らすことですか? それとも性的関係を持つことですか? あるいはその三つの総合ですか?」
 私は内気で気弱ではあるが、理屈をこねだすと止まらなくなる性癖の持ち主でもある。
「ジイドが妻と性的関係を持たなかったというのは有名な話ですが、その場合、妻は結婚しても処女ですよね? 別居婚だってある。籍を入れない人もいる。それを統括するような概念が結婚だとしたら、その本質というか、絶対外せないところは何なのか? それとも、そんなものはもともと無いのか? 例えば、本人が結婚だと思えば結婚なのか? 社会的に認知されないとダメなのか?……なんてことを考えると、今のご質問って、私には意味をなさないんですよ。ご理解いただけましたでしょうか?」
 理屈モードに入ると、たいていのオジサンは鼻白んだような顔になって撤退してくれたものだった。しかし、光瀬氏は違っていた。かえって興味を示したようだった。
「今の話だと、あなたにはその本質に関する信念があるということになるね?」
「どうしてですか?」
「ない人間は、そもそもそんな発想はしないからさ」
「そうでしょうか?」
 私は考えた。そうなのだろうか?
 この話をしていたのは氏の仕事場だった。そこには絵が飾られていた。
「あれって泉鏡花の『義血侠血』の最初の場面ですよね?」
 本を読んでいる車夫の男に若い女が声をかけている場面の絵だった。竹宮恵子の手によるもので、新書館の雑誌〈ペーパームーン〉の「泉鏡花・妖美幻想の世界」の号(1979年10月刊)44~45ページに同じものが掲載されているのを後に見つけた。たぶん、その原画だったのだろう。


〈ペーパームーン〉泉鏡花・妖美幻想の世界

「泉鏡花の評論に婚姻問題を扱ったものがありましたよね? 『結婚制度は人から天然を奪い愛を窒息させる残絶・酷絶の刑法なりき』……そのようなことを書いたものが」
「ああ、『愛と婚姻』だね」
 即答は当然だった。彼は自作の小説の中で泉鏡花を活躍させたりもしていたのだ。それも、わざと「泉鏡花」とは書かない形で。(註1)
「確かに、制度として固定化されることの弊害に無自覚なまま、そこにとりこまれることは、不幸なことだとは思いますよ。だけど、だからといって、そのすべてを否定するという姿勢には疑問を感じます」
「どうして?」
「そもそもの出発はそういうことではなかったと思いますし、自覚して利用すれば、かなり便利な制度ではあるでしょう?」
「そうかな? 出発はそういうことではなかったとか、便利だとか、その根拠は何なんだ?」
「サバイバルに有効という意味です。きわめて物理的な意味での便利です」
「それは、誰にとっての便利なんだ? 鏡花の指摘したような意味での「便利」でしかないという主張に、どう反論する?」
「別に反論しようとは思いません。結婚によって窒息する愛と表現されているものが、結婚制度のないところなら窒息しないという保証はないと申し上げているだけです。むしろ、結婚制度があることによって結実する愛もあり得るだろうと思います」
「要するに、あなたは結婚に夢を抱いているわけだ」
「可能性を指摘しているだけですよ」
「できるという信念があるから、そういう発想をするのさ」
「自分の遺伝子をどう継続させるかということに配偶者の選択は大きくかかわるのですから、それは、信念の問題ではなくて、事実ですよ」
「いや、事実じゃなくて仮説だろ? それは」
 こうして話は「そもそも生命とは何か?」という方向に行った。
「丘浅次郎(註2)は、「食うて産んで死ぬ」と生命を説明しましたが、これは、全部「産む」ということに集約できると思うんです。言い換えれば遺伝子存続ですね。そうやって存続し続けることが生命の本質だとしたら、結婚についてその部分を外して論じることはできないんじゃないでしょうか?」
「それも仮説だ」
「まあ、そうですけど、それを言うのなら、生命という概念自体が迷妄だというところにまで話が行ってしまうでしょう?」
 どんどん抽象化していく論議の中で「未来の記憶」(註3)という概念を持ち出したのは光瀬氏だったか、私だったか。
 芋虫は自分がいずれ蝶になるということを知っているのか? 知っているとしたら、それは「未来の記憶」であると言える。人間にもそのようなものがあり得るのだろうか?
 子供は自分が大人になることを、教わらずして知っているのか? 我々は自分が子供を産み、親になることを知っているのか? そして、どんな配偶者を得るかも知っているのか?
「おっしゃるような「信念」がわたしにあるとしたら、それは「未来の記憶」に根拠を置くものとも言えるのかもしれませんが、それって、無意識の領域が決定すると言い換えても同じことです。つまりは、何の説明にもならないということです」
 と、私は言った。
「では、人の行動の根拠は何にも求められないということになるじゃないか」
「いや、無意識というのは、存在しないのはなく、意識されないというだけで、存在するんですよ。ほら、認識とは情報処理のひとつの結果にすぎませんから」(註4)
 言わずもがなのことを言って、私は笑った。

 2008年に日本SF評論賞をいただいてから、大伴昌司氏による光瀬氏への「インタビュー記事」を目にした。光瀬氏が川村高校で沢山の女生徒とともに学んでいたころに関する発言に、次のような箇所がある。

 女の子というものに対しても、大いに幻滅を感じた。
 だらしがなく、男の子のような精神的な規律に欠けている。女の子に対して抱いていた甘美な幻影は、このときこっぱみじんにくだけてしまった。

(大伴昌司「SFを創る人々」〈SFマガジン〉1963年10月号)

 
 どうやら彼は女性の「精神的な規律」にこだわるところがあるらしい。
 だからこそ、私に向けて「信念」という概念を出してきたのだろうが、もちろん、今も昔も私には「信念」というほどのものは、少なくとも、意識しているようなものとしては何もないのだった。

 女性と男性に関しては、次のようにおっしゃったこともあった。
「あの戦争で、『父さんや爺ちゃんの言っていたことは嘘だった。母さんや婆ちゃんが守ってきたものだけが本当だった』ってことになってしまったからさぁ、だから、戦後、男はダメになったんだよ」
 私は、なぐさめるつもりで次のようなことを言う「天然ボケ女」だった。
「でも、その後、高度経済成長で、その母さんや婆ちゃんが守ってきたものまで奪われていきましたから、ダメになったのは女も同じですよ」
 議論になることは、たびたびだった。
「あなたと話していると、どうしてこう、いつのまにか、文明だの人類だの生命だのといった話になっているのかねぇ?」
 と、光瀬氏がつぶやかれたことは、一再ならずあった。
「SF作家さんと話しているからじゃないですか?」
「いや、このところ、そういう話をすることはなくなっているんだ」
「そうなんですか?」
「昔は星や小松や手塚やなんかと集まると、そういう話ばかりしていたものだよ。今は、もう、そうじゃないんだよなぁ。……手塚と言えば、奴は年齢をごまかしているんだ。知ってる?(註5)」
 こんなことを話しながら、仕事場にずっと二人きりでいても、必要以上に近寄るようなことは絶対になさらなかった。
 昭和3年生まれの光瀬龍氏はその世代の男性ならではの発言をする人ではあったが、そんじょそこらのオジサンとはまったく違う人だった。


(註1)『征東都督府』に登場する畠芋之助とは、もちろん泉鏡花のことである。(畠芋之助は、泉鏡花の最初のペンネームである)

(註2)明治・大正期に活躍した生物学者。主著『進化論講話』はベストセラーとなった。「食うて産んで死ぬ」という生物に関する定義は『生物学講話』の中に示されている。光瀬氏は若き日、丘浅次郎の書物の熱心な読者であった。彼は、丘浅次郎が長らく教鞭をとっていた大学で生物学を学んだ(http://blog.tokon10.net/?eid=1059004)。そして、丘浅次郎の息子を指導教官として卒業論文を書いた。(『ロン先生の虫眼鏡』に登場する「O教授」とは、「丘教授」である。http://blog.sf50.jp/?p=436)

(註3)古くからのSFファンにとってはなじみの深い用語であろう。エーリッヒ・フォン・デニケンの本のタイトルにもなっている。「未来の記憶」の最初の邦訳は、1960年に〈SFマガジン〉に掲載されている。デニケンの功罪については、この「結婚論争」より以前に光瀬氏との間で話題になったことがあった。

(註4)「認識というのは情報処理の一つの結果に過ぎない」と、『百億の昼と千億の夜』において、阿修羅王は悉達多太子との初対面の折に発言している。

(註5)手塚治虫没後、この時の光瀬氏の話が本当だったことを知って、私は驚いた。(眉に唾をつけて伺っていました。すみません)


23歳の頃の著者



宮野由梨香プロフィール


宮野由梨香 参加作品
『北の想像力
《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』