「追想」八杉将司

(PDFバージョン:tuisou_yasugimasayosi
 国際自然保護連合(ICUN)がレッドリストを作成したら、人類も掲載されることになるだろう。保全状況カテゴリーCR(絶滅寸前)に。
 もちろん滅びかけている人類が自然保護なんて気にかけるはずがなく、レッドリストに自分たちを載せる自虐めいた冗談なんてやっている余裕もなかった。
 原因は複雑に絡み合った事情が重なっているので簡単には答えられない。というか明確な答えを知っている存在は地球にいなかった。ぼくだってわからない。
 一つはっきりとわかっていることは、寝たきりの年老いた父さんが死んだら、この地域一帯から人類はいなくなるということだ。
 地球は広いからまだどこか人類は生存しているかもしれないけど、もう長らく連絡は取り合っていないし、取ったからといってどうなるものでもなかったので探したことはなかった。
 もしかしたら父さんが死んだら人類は絶滅なのかもしれない。
 その父さんを看取るのがぼくの役目だ。
 当然ぼくは人類ではない。
 シリコンの皮をかぶったコンピュータとセンサーと高分子アクチュエータの塊だ。いわゆる人工知能搭載のアンドロイドである。
「せがれよ」
 父さんの弱々しいかすれた声が、介護ベッドのマイクロフォンを通して聞えた。
 ぼくを組み立てたのが彼だった。だから彼はぼくの父さんだし、父さんはぼくをせがれと呼んでいた。
 外で洗濯物を干していたぼくは通話機能を使って答えた。
「洗濯しているところなんだけど」
「酒を出してくれ」
「今は朝だよ、朝」
「わかっている。出せ」
「朝っぱらから飲んでいいわけないじゃない。昨日の血液検査もかんばしくなかったんだよ。飲酒なんてもってのほか」
「うるさい。さっさと持ってこい」
「アル中のダメ親父みたいな我がまま言わない」
「まったく。わしが作ったロボットの癖に口答えばかりしおって」
「そういうふうに作ったのは父さんでしょ」
 しゃべり疲れたらしく、はあはあと息を切らせる音が聞えた。しばらくあって、つぶやくような声が届いた。
「……お迎えが近い。最期ぐらい好きにさせてくれ」
 ぼくは言った。
「じゃあ、晩酌。それまで我慢する。お迎えもね。いい?」
「ちくしょうめ」
 家にあるお酒は古いものばかりだった。酒造りができる人はとうの昔にいなくなっていた。父さんがまだ元気だったときに自力で果実酒を作ったことはあったそうだが、飲めた代物ではなかったという。
 夜、ぼくは地下室から百年前のスコッチ・ウイスキーを出してきた。
 父さんは食事がもうほとんど喉を通らない状態になっていた。ぼくは噛まなくてもいい柔らかい豆のスープを作り、ウイスキーは薄めの水割りにして枕元に持っていった。
 父さんはスープをほとんど飲まず、水割りだけ唇を湿らせるように少しずつ飲んだ。
 それから枕元にいるぼくに話しかけた。
「頼みがある」
「何?」
「わしのことを忘れないでくれ」
「またその話?」
 自分たち人類が地球にいたことを忘れないで欲しい。それが父さんの頼みであり、願いだった。それをもうこれで百三十一回も聞かされていた。ぼくを組み立てて起動させたときからずっとである。
 ぼくは百三十一回目の答えを告げる。
「全部ハードメモリに記録してあるよ。心配いらない」
 そこに父さんのことも、人類の歴史やあらゆる科学の知識、哲学、思想まで詰め込める限りを記録させていた。それが人類のいない地球に何の意味があるのか、ぼくにはわからない。でも、それを指摘して何度も口論になったので、ここではその疑問を口にしなかった。
 父さんは考え込むように黙ると、薄くなった皺まみれの唇を開いた。
「そういう問題じゃない」
「どういう問題?」
「おまえに覚えておいて欲しいんだ」
「だから……」
 ぼくは同じ答えを繰り返そうとしたら、父さんが遮った。
「何のために自我をもうけさせたと思っている」
 ぼくは特別製だ。
 地球上の人類はほとんどいなくなったが、人工知能搭載の自律型ロボットはたくさん残っていて、オーナーがいなくとも自力で活動していた。かつては人類の代わりにあらゆる仕事をこなしていたのだ。それが人類の滅ぶ原因になったという話もあるが、言いがかりというものだろう。
 しかし、ぼくはそのようなロボットと違って、「ぼく」という自我があった。
 父さんがそのように作ったのだ。それほど難しいことではない。スタンドアローンにしたアンドロイド・ボディに、環境センサーからの入力情報を自分だけで処理してフィードバックしながら活動するように人工知能のアーキテクチャを組み上げれば、自然と自我は生じる。いや、自我のあるなしの証明は誰にもできないのだが、あるとみなされるのだ。事実「ぼく」はいる。それが人間の自我と同じかどうかは知らないけど。
 何のために父さんはそんなことをしたのか。
 ぼくは答えた。
「父さんを看取るためだよね」
 家族親戚、友人、隣人すらいない世界なのだ。確実な孤独死が訪れるのであれば、せめて自我を持った人間みたいなロボットに看取られたい。
 ぼくを作った動機として、父さんが以前にそう語ったことがあった。
「それもある」父さんは消え入りそうな小さな声で言うと、まぶたを落とした。「だが、おまえに覚えておいて欲しいんだ、おまえに」
 酔いが回ってきたらしい。父さんは「おまえに」とうわ言を繰り返し、やがて眠ってしまった。
 その「おまえに」が最期の言葉となった。
 夜遅く、父さんは眠ったまま心臓の鼓動を止めた。
 ぼくは生体情報モニターで確認しながら、その死の瞬間をベッドのそばで看取った。
 あとは父さんが遺言で指定した行動を起こした。
 父さんの文化圏における儀式を行うのである。死水を取り、父さんの体をきれいに拭い、エンバーミングを施し、清潔な服を着せて納棺する。それから通夜のあと葬儀を執り行った。ぼくが念仏を唱え、焼香もし、お別れの儀もした。そして、裏の小高い丘にある何年も前に亡くなった妻を収めた墓石の前に棺おけを運んだ。
 それにしてもこれに何の意味があるのだろう。死んでしまった父さんにとっては、やってもやらなくても与り知らぬことだし、死んだ人を偲び、弔う人類はわかっている限り一人たりともいないのだ。
 ぼくは自我があってもやはり人類ではない。このような儀式に意味を見出すことはなかった。それでも強いて言うなら自分に課せられた役割という意味はあるだろうか。
 その役割もこれで終わる。
 棺おけを墓石の前に掘った穴に入れた。土をかぶせて埋める。
 埋葬のあと、ぼくはその墓の前で立ちすくんでしまった。動けなくなったのだ。
 父さんはこのあとのことを何も指示していなかった。ぼくがこれから何をすべきかがわからなかった。それを教えてくれる人類は地球上にほぼいなかった。
 どうすればいいのだろう。
 父さんの言葉を思い出した。ぼくが起動したばかりのころだ。指示された作業をして、それが終わるたびに次の指示を仰いでいると、父さんは面倒くさくなったのだろう。こう言った。
「頭を使え、頭を。何のための人工知能だ」
 そんな曖昧なジョブを出されても困るのだけど、やがて父さんの生活パターンがわかり、ぼくのすべき活動を予測できるようになってからはいちいち指示を求めなくても行動することができた。
 でも、今回はどうしようもない。なぜならぼくの知能は父さんを助けるための機能であり、父さんがいなければ必要のないものなのだ。人は知能をとても大事で崇高なものと信じ込んでいるけど、ぼくにとっては父さんとの生活を支える道具以上のものではなかった。
 知能そのものを否定するつもりはない。でも、膨大な記憶を利用し、言語を駆使する人間独自の知能は、人間を相手にすることでしか成り立たないのではないだろうか。人類が絶滅した世界では無用の長物としか思えなかった。
 だけど、自分を稼動停止にしようとは不思議と考えなかった。自壊防止のプログラムでもあるのかもしれない。
 墓標の前で「頭」を使って考えたみたあげく、次のジョブを決めた。
 とりあえず人間そっくりのアンドロイドをやめる。
 そこでまず動物のロボットを探して手に入れた。愛玩動物を模したエンタテイメント・ロボットで、ぼくが見つけたのは猫の形をしていた。古いロボットで動かなくなっていたが、修理してこのボディ用に加工したぼくのソフトウェアを取り込めるようにした。
 猫だから人ほど複雑な言語はいらない。したがってぼくが抱える悩ましい思考からも解放される。記憶も制限された。それは記憶を消すことではない。猫の思考では人の記憶がまともに扱えないため、思い出せなくなるということである。
 ちなみに父さんがしきりに気にしていた人類の記憶は、ぼくのハードメモリとは別に保管され、そのためのロボットによって管理されていた。それらは父さんが生前、作り上げたものだった。ぼくはまったく関与していない。記憶を保持するのにぼくは必要なかったのだ。
 だから父さんが最期に遺した言葉の意味がわからない。
「おまえに」覚えておいて欲しいとはどういうことだったのだろう。
 まあ、いいか。
 知能を放棄すればそんなことに悩まされることもない。ぼくはこれから猫として気ままな時間を過ごすのだ。
 猫型ロボットへのデータ転送用の配線を済ませ、メンテナンス用のハンガーにボディを預けた。
 ちょうど正面にある窓から、丘の上に立つ父さんの墓が見えた。
 ふと人が命日に墓参りをする習慣があることを思い出した。父さんも毎年、妻の命日にあの墓の前で手を合わせていた。
 ぼくもすべきなのだろうかと考え、猫では墓参りにならないことに気がついた。
 父さんは墓前で手を合わせるとき、妻との思い出を浮かべるのだと言っていた。父さんの記憶を保存しているだけの猫だとそれはできない。その記憶を理解できる知能を持ったぼくでなければ、父さんの過去を追想できない。
 そのとき、最期の言葉の意味が鮮明になった。
 そうか、そういうことか。
 つまるところ人類の知能もそのために発達したのかもしれない。
 わかったよ、父さん。
 年に一度のそのジョブ、ちゃんと「ぼく」がやっておくから。

(了)




八杉将司プロフィール


八杉将司既刊
『楽園追放
―Expelled from Paradise―』