「ねがいがひとつ」大梅健太郎


(PDFバージョン:negaigahitotu_ooumekenntarou
 商店街入口近くにある小さな公園に、目的の「願掛け地蔵」のほこらがあった。ほこらは腰の高さほどのコンクリート製で、横には石の水鉢が据えつけられている。
 その前にかがむと、中の地蔵が見えた。柔和な表情をしているせいだろうか。すっと、目が合ったような気がする。
 風体は、いかにもお地蔵様といった感じだ。しかし、頭にかぶった真っ赤な頭巾が、地蔵の雰囲気には似つかわしくないベレー帽のような形状をしている。
「こりゃまた、お洒落な地蔵だな」
 僕はつい、目の前の地蔵に向かって呟いた。帽子と同じ赤色のよだれかけには、艶やかな光沢がある。地蔵そのものや土台の古ぼけた感じと、これらの衣装やほこらの新しさはかなりミスマッチに思えた。
「で、どうすればいいんだ」
 あたりを見回すと、地蔵の背後に『願掛け地蔵の参り方』と書かれた看板があった。清らかな水を頭に三回かけ、三回願い事を唱える。そうすれば、願いが叶うらしい。
 もう一度、地蔵の顔を見る。こんなところで願うだけで望みが果たされるなら、何も苦労はしない。つい、鼻で笑ってしまいそうになる。しかし、明朝の最終面接のことを考えると、そうも言っていられなかった。大阪から三時間かけて来た僕にとって、この街は完全にアウェーだ。就職したい会社がある土地の、地元の地蔵くらい味方につけておきたい気分にもなる。駅の観光案内所のおばさんも、ここの地蔵は願いを叶えてくれるから参るといいですよと、強く勧めてくれた。
「じゃ、せっかくですので」
 そう言って頭をさげ、僕は地蔵の前に置かれた柄杓を手に取った。水鉢には、そばの竹筒から流れてくる水が満ちている。地下水なのか水道水なのかはわからなかったが、水は透明だ。夏の日差しを反射して、とても綺麗だった。
 ちゃぽん、と軽い音をたてて柄杓の合が沈む。リクルートスーツに包まれた身には、涼しげで心地よい。水をすくって、地蔵の顔の前に持ってきたところで手が止まった。
「あれ。これ、どうすればいいんだ」
 再び、看板に書かれた作法に目を向ける。しかし、そこには『清らかな水を頭に三回かけ』としかなかった。
「頭に水」
 地蔵は真っ赤なベレー帽をやや傾けて、かっこよくかぶっている。まさに、お洒落に帽子を着こなしている感じだ。地蔵の気持ちを考えてみる。たとえどれだけ清浄な水であったとしても、素敵な帽子の上からかけられるのはどうだろう。あまり気分はよくないのではないか。
 内定をもらえた瞬間に、スーツの上からビールをかけられたとしたら。
「ちっとも嬉しくないな」
 しかし、一旦帽子をどかすにしても、案内板に“地蔵の帽子の脱がせ方”なんて記述はない。これ、勝手に取ってしまって良いものなのだろうか。不作法なことをすれば、願いが叶うどころか、罰が当たってしまうかもしれない。それは困る。さて、どうしよう?
 少し悩んだ末、僕は柄杓の先の、器の縁に引っかけて、そっと帽子を持ちあげた。あがった帽子と地蔵の頭部のわずかな隙間に、そのままじわじわと水を注ぐ。少し帽子の縁は濡れてしまったものの、それ以外はほとんど無傷で地蔵に水を三回かけることができた。
 柄杓を置き、手を合わせて目を閉じる。
 ――お願いします。僕をどうか就職させてください。
 念じた瞬間、目の前が赤い光に包まれた。

「採用です」
 少年のような、少し高い声。それに促されるように、僕は目を開いた。
 眼前には、先ほどと変わらぬ姿の地蔵が立っていた。しかし、地蔵を覆っていたはずのほこらが無い。あたりを見回してみるが、そこは公園でも商店街でもなく、高い木々に囲まれた林の中だった。
「なんだこれ。白昼夢か?」
 立ちあがろうとすると、「待ってください」と、さっきと同じ声に呼び止められた。もう一度周囲を見てみたが、やはり誰もいない。前に視線を戻すと、地蔵と目が合った。今度は気のせいではない。地蔵は、僕をしっかりと見ていた。
「地蔵、がしゃべっている?」
「そうですよ」
 笑みをたたえた地蔵の顔が、さらに柔らかくなる。
「私はね、季節ごとに一度、人の願い事を叶えることにしているのです」
「ああ、本当に叶えてくれることがあるのですか」
 地蔵の真っ赤で綺麗な衣装と、真新しいコンクリート造りのほこらの姿が思い浮かぶ。あれは、願いを叶えてもらった人がした、お礼なのだろうか。
「この夏は、貴方の願いを叶えることにしました。器用な水のかけ方が、印象深かったですので」
「そうですか。それはありがとうございます」
 ペコリと、僕は頭をさげた。
「それで願いどおり、就職していただくことにしました」
「は?」
「頑張って、私の身の回りの世話をしてくださいね」
「え?」つい、眉をひそめてしまう。「僕の願いを叶えてくれるんですよね?」
「そうですよ。もう叶えています」地蔵は、体がまるでコンニャクでできているかのように、くにゃりとおじぎをした。「採用です」
「採用。どこに?」
「ここに、です」
 さっき地蔵に願った言葉を思い出す。「お願いします。僕を就職させてください」だったろうか。確かに就職させてくれとは願ったが、どの会社にとまでは伝えていなかった。こういうツメの甘さが、いまだに内定を一つも取れない理由なのかもしれない。思わず溜息が出てしまった。
「ええと、ここってどこなんでしょうか」
「あの世とこの世の、ちょうど境目といったところでしょうか」
 あの世とこの世の境目。三途の川や賽の河原くらいしか思い浮かばない。絵本や昔話の世界だ。少なくとも、電車通勤では通えそうもなかった。
「つまり、僕は死んだのでしょうか」
 地蔵は、違いますよ、と首を横にふった。
「生きたまま、こちらにお連れしています」
 死んではいないということに、少し安堵する。しかし、夢を見ているだけでもなさそうだ。背中に、冷たい汗が流れる。何度ほおををつねってみても、ただ痛いだけだった。
「この世での僕の状況って、まさか神隠し状態ですか」
「どちらかといえば、仏隠しと言ってもよいかと」
 うふふ、と地蔵は笑った。
「あの、内定辞退させていただきます」
「え?」地蔵の眉間にしわが寄る。「願い事をやめる、ということですか」
「そもそも、僕はここに就職したいなんて願ってませんよ」
「そうでしたっけ?」
「そうですよ」
 少し語尾を強くして言った。
「そういえば、そうだったかもしれません」地蔵は、がっくりと頭を垂れた。「ひさびさに、おっちょこちょいなことをしてしまいました」
 あからさまにしょんぼりとしてしまった地蔵の姿を見て、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「いえ、僕のツメが甘かっただけです。すみません」
 そう謝ると、地蔵は溜息をついた。
「でも、困りましたね。願い事を一つ、相殺しなければならなくなりました」
「相殺?」
 ええ、と言って地蔵はうなずいた。
「願い事を無かったことにするためには、貴方に私の願い事を一つ叶えてもらう必要があります」
「なんですかそりゃ」
「願い事を叶えるという行為は、ある意味世界の法則を勝手にねじまげてしまうということ。世界への負荷は、貴方の想像以上です」
「はぁ」
 つい、間抜けな声を出してしまう。想像も何も、現状をまったく理解できていない。困惑している僕のことは気にもとめず、地蔵は話を続けた。
「一度貴方の願いを叶えてしまったうえに、さらにその願いを取り消すという願いを叶えてしまえば、ねじまげた法則をさらに逆向きにねじまげてしまうことになります」
 頭に、台風に曲げられた傘の骨が思い浮かぶ。元に戻そうと逆向きに折り曲げたら、完全に切断してしまったことがあった。そういう恐れがあるということだろうか。
「それで、曲がった部分は放置したまま他の部分を曲げてバランスをとる、ってことをしたいんですかね」
 そのように聞くと、地蔵は「まぁ、そんなところです」と言って笑った。
「さぁ、私の願いを叶えてください」
「お地蔵様の願い事って、何ですか」
「いやなに、簡単なことですよ」
 そう言うと、地蔵は体を前に傾けた。ゆっくりと倒れそうになる。
「危ない」
 とっさに支える。ずっしりと手にかかる重さは、結構なものだ。
「このように、私はあまり活発に動くことができないのです」
「でも、昔話とかだとお地蔵様って動くじゃないですか。笠地蔵とか」
「あんな積極的な一派と一緒にしないでください。人のみなさんにも色々いるように、私たちも色々なのですよ。願い事を叶えに行くために、わざわざ草履を履いて準備している者までいるくらいですから」
「そういうもんですかね」
 願掛け地蔵の足元を見ると、確かに草履は履いていない。裸足だった。
「それで、どのようなお願い事を」
 地蔵は僕の手から身を起こし、天を見上げて言った。
「少し先のところにいる、橋地蔵に会わせてくれませんか」
「橋地蔵?」
「そうです」
「会ってどうするんですか」
「どうしているのかなと思って。ちょっと顔を見たいだけです」
 地蔵が地蔵に会いたい。そこだけ切り出して聞くと、ものすごく変な話だ。しかし、簡単に動き回れない身であれば、そのように思うことも不思議ではないのかもしれない。
「わかりました。じゃ、今から行きましょうか」
 地蔵を抱えようとすると、地蔵は身をよじらせた。
「ここではなくて、この世で連れて行ってください」
「え。この世ってことは、現実の世界ってことですか」
「はい」
 地蔵はそう言って、僕の目を見た。
「今から貴方をこの世に戻しますけれども、ちゃんと私の願いを叶えてくださいね。そうしないと、世界がおかしくなってしまいますから」
「善処します」
 僕はうなずいた。
「あと、一度間違った願いを叶えてしまいましたので、ほんの少しだけこの世の時空に歪みができてしまったかもしれません」
「時空に歪みって、なんだか怖い響きですね」
「まぁ、ここにあったはずのものが別の場所に動いているとかです。あまり気にしなくていいですが、一応伝えておいた方がいいかなと思いまして」
 そう言うと、地蔵は僕の顔を見上げ、頭をさげた。真っ赤な帽子が視界に入る。すると、その赤色が眩しい光となり、目の前いっぱいに広がった。

 体にかかった大きな衝撃で、僕は意識を取り戻した。目を開けると、天地が逆さまになっている。
「あれ」
 僕は仰向けになって、地面に倒れこんでいた。なぜか、腹の上には地蔵が乗っかっている。
「重いんですけど」
 腹の上の地蔵からは返事がない。なんとか持ちあげて横に置き、起きあがった。あたりを見回してみると、元いた公園だった。無事に戻ってきたようだ。
「夢、じゃないのか?」
 地蔵を見てみるが、さっきまでのような反応を示してくれない。このまま外に出しておくわけにはいかないので、とりあえずほこらの中に安置した。
「さて、どうしたもんですかね」
 ひとまずスーツについた土ぼこりを払い、近くのベンチに座る。観光案内所でもらった地図を見てみると、ここから十五分ほど歩いたところに橋地蔵という観光名所があった。願掛け地蔵よりも扱いが大きい。
「やっぱり、夢じゃなかったのかな」
 地蔵のいるほこらをまじまじと見る。腹の上に地蔵が乗っていたのは、時空に生じた歪みとやらのせいだったのかもしれない。ちゃんと私の願いを叶えてくださいね、と言った地蔵の声が思い出される。
 そうは言っても、こんなに白昼堂々、地蔵を抱えて街を歩くわけにはいかないだろう。地蔵泥棒と勘違いされてしまっては、心外だ。
 僕は地蔵の前に再びしゃがみ、手を合わせて目を閉じた。
 ――夜にまた来ますから。

 草木も眠る丑三つ時。地蔵まで寝てやしないだろうなと不安に思いつつ、僕はビジネスホテルを抜け出した。大阪とは違って、街の灯りは少ない。人通りも皆無だった。
 願掛け地蔵のほこら周辺も暗くて、地蔵を連れ出すには好都合だ。あたりを確認しながら地蔵を持ちあげ、エコバックの中にゆっくりと入れる。地蔵の頭が外に出るようにして、バックを肩からかけた。
「橋地蔵さんのところに向かいますよ」
 やはり願掛け地蔵からは返事がない。しかし、約束は約束だ。そう考えて歩き始めた。かなりの重さが肩にかかる。そういえば、子泣きじじいは背負っているうちにどんどん重くなっていくんだっけかと、嫌なことを思い出した。
「重いですよ。ダイエットでもしたらどうですか」
 バックからのぞく地蔵に向かって言う。バックが揺れて、地蔵が脇腹に強くぶつかった。脇腹をさすりながらしばらく歩くと、小川が見えてきた。川幅は二メートルもないだろうか。街灯が、ほのかに石橋を照らしている。
「あれですかね」
 願掛け地蔵が、うなずいた気がした。
「うわ。これ、バチ当たらんのですか」
 遠目に見えていた石橋は、近くで見ると地蔵だった。大きな地蔵が、橋として横たわっている。上を人が渡り続けたせいか、表面の細工はすべてはがれ落ちている。細くなっている部分から、かろうじてそこが首であることと、その先が頭であることがわかった。
「橋地蔵さん、ですか」
 横たわった地蔵のそばに、観光案内板があることに気がついた。そこには、橋地蔵の縁起が書かれている。「私の体を橋にしてください。踏んで渡れば、功徳を積むことができます」と、お告げがあったらしい。
「橋、か」
 たもとに立ち、その足の部分を撫でてみる。夜気を含んだ、ざらざらとした感触。どれだけの人が、この地蔵を踏み越えていったのだろう。
 ――人のみなさんにも色々いるように、私たちも色々なのですよ。
 願掛け地蔵が言った言葉が、頭に浮かぶ。身を橋にすることで、たくさんの人を幸せにしようとしている橋地蔵。限られた数ではあっても、願いを叶えることで人を幸せにしようとしている願掛け地蔵。
 僕は願掛け地蔵をバックから取り出し、橋地蔵の上に置いた。帽子をかぶり直させ、よだれかけを整える。
「ひさしぶりの再会なんですよね」僕はそう言って立ちあがり、二つの地蔵を見た。「ゆっくり話をしてください。僕はしばらく離れていますから」
 遠くに見える自動販売機の灯りに向かおうとして、ふと足を止める。
「本当は、最初から僕を利用するつもりだったんじゃないですか」
 くすりと、願掛け地蔵が笑ったような気がした。



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