「1983年のクリスマス ――光瀬龍氏と名前――」宮野由梨香


(PDFバージョン:1983nennnoxmas_miyanoyurika
「もしかして、今晩って、クリスマス・イブ? うわぁっ」
 昼休み、大学の図書館で新聞を見て、私は焦った。夕方に人と会う約束をしていた。その日=12月24日に会うという約束をした時、私はうかつにもクリスマス・イブだということに全く気がつかなかったのだ。
 私はあわてて公衆電話のところに行った。携帯電話のない時代、バブル真っ盛りの1983年のことだった。
「光瀬先生、すみません、今日ってクリスマス・イブだったんですね!」
 クリスマスを祝うという習慣のない家庭で育った私も、世の中にはイベントを催す方々が多いということくらいは知っていた。たぶん光瀬先生も気がつかなくて約束なさったのだろうと思った。
「お会いするの、ご迷惑なら、別の日にしましょうか?」
「いや、かまいませんよ」
「では、お約束どおりでいいんですね?」
 電話を切って私は考えた。「そもそも、『百億の昼と千億の夜』の中で、イエス・キリストをボロクソに描いた人だった。余計な心配をしてしまった」と。
 だから、赤羽駅近くのレストランで、クリスマス・プレゼントとして蔵書印をいただいた時には、びっくりした。
 竹でできていた。印影を押した白い紙で包まれていて、セロテープで留められていた。リボンも何もなかった。


(蔵書印と、包まれていた紙)


「○○蔵書」という文字が篆書体で彫られていた。○○というのは、私の本名でのファーストネームである。
「ずっと使えるようにと思って、苗字ではなく、お名前の方にしました」
と光瀬氏はおっしゃった。私はそのご厚意を無にするような、言わずもがなのことを言った。
「結婚しても、私は苗字を変える気ないです」

 私が結婚したのは、それから10年後の1992年の11月末のことだった。宣言通り、苗字を変えなかった。
 新年の挨拶に光瀬氏のところへ伺った時、「私、結婚したんです」と報告したら、「これからは、何とお呼びすればいいのかな?」と尋ねられた。苗字を変えなかったことを告げたら、「お父さん、喜んだでしょう?」と言われた。そして、「結婚相手の前で父親の話とか、するなよ」とアドバイスされた。「比較されているみたいで、嫌なものなんだ」
 私は戸惑った。
「でも、私、夫が自分の母親の話をしても、別に気にしませんよ。比較されているなんて思ったりしません」
「男はそうじゃないんだよ。僕の友達にも『お父さんは、そうしなかったわ』と相手に言われて、そのまま黙って家を出てしまった奴もいるくらいだ」
「な、なんですか、それ? よくわかりません」
「つまりさ、それだけで『そうかよっ』と思うものなんだよ」
「…そうですか?」
 そう返事をしながら、私は「本当に友達の話なんだろうか? もしかしたら、ご本人の体験?」と、疑っていた。
「そういうものだから、気をつけたほうがいい、特に名前を変えさせたとなれば、なおさらだ」
「…??」
 私はこれまでの会話の流れを考えてみた。私が結婚時に名前を変えなかったことが、どうして父親と結びつくのだろう? この人にとって、女の名前というのはいったい何なのだろう? 属する男を示すものだとでも認識されているのだろうか?
 私は恐る恐る、その疑問を口にしてみた。
「もしかして、女性が結婚時に姓を変えるか否かというのは、父の娘であることと、夫の妻であることとの、どちらを優先するかという問題だと思っていらっしゃる?」
「ああ、そうだよ。つまり、そういうことだろう?」
 当たり前じゃないかという感じで即答された。私はただ「自分の名前」を変えたくなかっただけなのだが、この返事で、それを説明する気をなくした。それまでの印象とあいまって、「これだから、昭和1ケタ生まれのオジサンは!」という文脈で、私は彼の言動を把握してしまった。
 その一方で「このこだわりぶりは、いったい何なんだ?」とも思った。
 そこで、質問してみた。
「光瀬さんは、ご結婚なさったとき、お名前はどうなさったんですか?」
「もちろん、僕は変えていないよ。それに、僕はペンネームなんだから、関係ない」
「……」
「ペンネームなんだから関係ないというのなら、あなたが変えればよかったでしょう!」という言葉を私は呑み込んだ。それは、はっきりと覚えている。そして「ペンネームにしろ本名にしろ、自分の名前を変える気のないオジサン」というイメージが私の頭に焼きついた。
 この時の私は、彼の言葉には別の意味がこめられている可能性があることに、気がつくことができなかったのだ。

 光瀬氏が結婚時に本名を「千葉喜美雄」から「飯塚喜美雄」に変えていることを、私が知ったのは2006年のことだった。
「嘘つき! 変えていないって、あの時、言ったじゃないの!!」と、私は思った。
 そして、彼がどうしてそんな嘘をついたのかを考えてみた。その結果、評論がひとつ誕生した。それが、第3回日本SF評論賞をいただいた『阿修羅王は、なぜ少女か』(〈SFマガジン〉2008年5月号所収)である。
 その評論を仕上げながら、彼とのやりとりを反芻してみた。そして、こう考えた。
 彼は嘘をついたのではないのかもしれない。あの時、きっと彼は「飯塚喜美雄」としてではなく「光瀬龍」として私の質問に答えてくれたのだと。
 「もちろん、僕は(結婚時に名前を)変えていないよ」と彼は言った。これは、「光瀬龍」の返事だったのではないか。
 飯塚喜美雄の結婚前の名前が千葉喜美雄だなんて、光瀬龍には関係がない。光瀬龍は、結婚前も結婚後も、光瀬龍だ。
 こう考える一方で、私は『百億の昼と千億の夜』をマンガ化した萩尾望都氏の次の発言が、とても気になり始めた。心にひっかかるような感じで、わけもなく何度も思い出してしまうのだ。

 たぶん光瀬さんの内的世界には、うちにこもって一歩も出てこないもう一人の光瀬龍がいらっしゃったんじゃないんでしょうか。だから作品とご本人が切り離されている。来たるべき崩壊の予感を感じながらも、何もできないなら何もしたくないといった部分があって、そこを「物語」にして表に出すことで、カタルシスを得てらしたのかと思います。

(〈SF Japan MILLENNIUM:00〉
「RESPECT TALK 萩尾望都×田中芳樹」)


 今、私はこのように考えている。
 この「うちにこもって一歩も出てこないもう一人の光瀬龍」には、独自の名前があったのかもしれない。「名前を変えていない」……それは、その名前なのではないか? その名前が名乗られることはない。だからこそ、絶対に奪われない名なのだが、それは「名乗ることをあらかじめ奪われた名前」でもある。
 突飛なとらえ方と思われる向きもあろう。だが、支配と弾圧の歴史の中で名前が常に象徴的な意味を持たされてきたことは周知の事実だ。
 光瀬龍氏は、宮澤賢治への共感をあちこちで語っているが、宮澤賢治の作品には、「名前を改めろ」と責められ、切羽詰って高く鳴きながら天空に舞い上がり星になる主人公が登場するものがある。その作品について、光瀬氏は、ある女性宛ての書簡の中で、次のように書いている。

 今一声、夜鷹が鳴きました。宮沢賢治の〝ヨダカの星〟を読んで涙を流したことがあった。十才位の時だったんだろうか。夜更けの暗い空を一声、二声鳴きながら飛んでゆく夜鷹の声を聞くと、何時もあの童話を想い出すのです。

(1956年9月4日付 飯塚千歳宛て書簡の冒頭)
(〈賢治研究〉100号記念号 114頁)


 生存苦の問題をつきつめた名作に、10歳の彼が何を見たのかはわからない。
 1956年、28歳の彼が何を思ってこれを書いたのかもわからない。
 3年後、31歳の彼はこの女性と結婚し、その女性の苗字を本名とすることになる。
 その女性の苗字が彼女の父親に由来するものであったのか否かも、私には知りえようもない。
 彼の作品の中では、夜鷹がよく鳴く。「時刻はもう真夜中に近い。低い空をよたかが鳴きながら飛び過ぎていった。(「寛永無名剣」一)」とか、「暗い夜空をひと声、よたかの声がわたってゆく。(「勝軍明王まいる」5)」とか。まだまだある。
 そもそも、なぜ彼は私へのクリスマス・プレゼントに蔵書印を選んだのか。あえてファーストネームにしたものを渡せば、当然、話題は名前のことになる。

 1983年のクリスマス・イブの夜、帰宅した私は、家にある本に片端から蔵書印を押した。
 その後も本を買うたびに押した。これからも押すだろう。そして、ふと考えることを続けるのだろう。
「いったい誰が私にこれをくれたの? 何を思って……?」

(おわり)




宮野由梨香プロフィール


宮野由梨香 参加作品
『北の想像力
《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』