「キャンプに行こう」高橋桐矢


(PDFバージョン:kyanpuni_takahasikiriya
「キャンプに行こう」という父の言葉を思い出す。
 一人息子であるわたしを喜ばせたかったのだろう。キャンプ用品のカタログを見せながら、テントや寝袋や釣り道具……サバイバルキャンプに必要なものを、指折り数えながら、リストアップしていく。方位磁石も忘れずに。寒くなっても大丈夫なように毛布も。それから雨具も必要だ。リストは何十項目にもなった。
 父はいつも仕事で忙しく、週末もいないことが多かった。それなのに、いや、それだから、か。毎年わたしの学校の夏休みが近くなると、父はどこからか、キャンプ用品のカタログを見つけてきた。
「……パパ」
 呼ばれて、ふっと我に返る。
「ああ、そこにいたのか、ごめん」
 小学校3年生の息子が、心配そうな顔でわたしを見上げている。
 結局キャンプの約束は実現できないまま、わたしはあのころの父の年齢を越えてしまった。引退した父は、母と一緒に九州の祖父母が残した家に引っ越し、晴耕雨読の毎日を過ごしている。息子が6年生になったらひとりで飛行機で九州に行かせようと思っていた。きっと父が孫をキャンプに連れて行ってくれるだろうから。
 わたしの仕事はソーラーパネルの開発と設置だ。休日返上でいそがしく働きながら、わたしも父のようにいつか、そう、いつか君とキャンプに行こうと思っていたのだ。
「パパ……どうして泣いているの?」
 言われて、わたしは自分のほおがぬれていることに気付いた。
 今、わたしは、薄暗い部屋で、パソコン画面を見ながらビールを飲んでいる。机の上には空のビール缶が散乱している。ブックマークしておいたはずのキャンプ用品のサイトが開けない。
 君はこれからキャンプに行ったり、野球をしたり、サッカーをしたり、友達と遊んだりケンカをしたり、恋をしたり……たくさん、人生を楽しめるはずだった……。
 息子が真剣な顔で問いかけてきた。
「火山が噴火したから?」
 先週、アメリカのイエローストーン国立公園の地下深くに存在する超巨大マグマだまりが噴火した。噴火から数時間以内に、アメリカ合衆国のほぼ全土が火山灰におおわれ、北アメリカからの通信はとだえた。大統領の生死も不明。
 噴火の直後、日本では津波警報が発令されたが、津波による被害はなかった。そのときはまだ電話も通じて、九州の父や母と話すこともできた。
 わたしは窓に目を向けた。窓わくには、黒い灰がこびりついてる。昼間なのに、押しつぶされそうな暗さだ。
 数日前に日本にも火山灰が到達した。すでに通信網は壊滅状態だ。電話もインターネットも繋がらない。アメリカ合衆国の臨時政府がハワイに作られたというウワサもあるが、正確な状況把握はまだ誰もできていない。あちこちで停電も起きているようだ。こんな災害時にもっとも役立つはずの、ソーラー発電も、まるで無用のクズになってしまった。
 火山灰は厚く空を覆い、気温も下がり続けている。
「これから、とても悲しいことが、おこるから……だよ」
 小学校3年生の君には、説明してもわかるまい。
 息子が、まゆをしかめ、首をかしげる。
「これから先の……未来に?」
「ああ……」
 そうだ。本当のカタストロフはこれからやってくるのだ。
 いつわりの希望を語ることは、わたしにはできない。
 数年、数十年という時間をかけて、人類は激減する。
 わたしは大学で地質学を学んだ。ゼミの仲間と面白半分に、将来人類が滅亡する原因について話し合ったことがある。未知の細菌によるパンデミックは恐ろしいが、ペストやエボラ出血熱など致死的な疫病を乗り越えてきた人類なら、必ず対策を見つける。地軸変動の影響は未知数だが、人類は氷河期も経験している。温暖化、寒冷化、地盤沈下や隆起は何十年、何百年という単位で進行するから、それまでに対策もとれるはずだ。
 絶滅するほどの壊滅的な影響を与える原因となると、2つしかない。ひとつは恐竜の絶滅原因となった巨大隕石衝突。
 もうひとつは、巨大隕石衝突に匹敵する、巨大火山の噴火だ。
 現生人類……ホモ・サピエンスが誕生してからおよそ、25万年。人類はおそらく一度だけ、破滅的な巨大噴火を体験している。約7万年前のインドネシアジャワ島のトバ火山噴火だ。地球上に増え広がっていたホモ・サピエンスは、トバ火山の噴火で、全世界で数千人~1万人程度まで激減してしまったという。ビンのキュッとすぼまった首さながらに、人口を激減させるボトルネック現象の典型的な例とされている。
 巨大噴火後、地球の平均気温は10度以上下がり、それはこの先何千年も続く。60億の世界人口のほとんどが死に絶える。
 知識があるからこそ、これからやってくるカタストロフが、ありありとリアルにシミュレーションできてしまう。
 わたしや田舎の父母はまだいい。人生半ばを過ぎて、未来は無限ではないと身をもって知っている。けれど小学校三年生の君には惨すぎる。
 テレビや新聞はまだ、この絶滅へのカウントダウンを全く報じていない。火山学者だけでなく知っている者は少なからずいるはずだ。報道規制されているのかもしれない。
 知識がなければ、未来を憂うこともなかった。けれど、わたしはもう知ってしまっている。これから何がおこるか。
 息子は、20歳まで生きられるだろうか。いや、今年1年を生きていけるかどうかも危うい。夏が過ぎれば、農作物への決定的な影響があらわになってしまうだろうから。暴徒の襲撃、テロもありえる。
 世界中どこにも安全なところなどない。
 わたしは知っている。未来は閉ざされてしまった。君はまだ知らない。
 心臓の鼓動が速くなってきた。
 知らないままでいられたら……。
 知らずに、幸せなまま。
「パパ?」
 わたしは、思わず大きく息を吐き出した。恐ろしいことを考えていた。
 息子が、不安げな顔でまばたきする。
「でも、今日はまだ大丈夫でしょう?」
「ああ、今日はね」
 わたしが答えると、息子の顔に笑顔が浮かんだ。
 これから激しい食料の争奪が始まる。すでに輸入規制が始まっている。食糧自給率が40パーセントを切る日本はすぐに備蓄がつきて、あとは地獄だ。
 息子がわたしの腕を引いた。
「パパ! 大丈夫だよ! 今はまだ今日なんだからね。未来の心配は未来になったらすればいいよ……あ」
 息子の顔がぱっと光り輝いた。
「そうだ! 未来になったら、未来は今になるんだよ。だから、未来は永遠に来ないよ」
 その瞬間、思い出した。
 子ども時代に、どんなに一日が長かったか。
 朝学校に行ってから、給食の時間までとても遠く感じた。学校がおわってから日暮れまで、自転車で出かけたり、サッカーをしたり、友達の家でゲームをしたり、することは山ほどあった。あのころの一週間は、大人になってからの一ヶ月のように長く、一ヶ月は大人の数年に匹敵し、そして一年先のことなど、あまりにも遠すぎて考えられなかった。
 忘れていた。
 君の未来は、わたしよりもずっと遠いのだ。
 わたしは、息子の手を取った。
「キャンプに行こう」
 息子は目を見開き、手をにぎったまま、飛び跳ねた。
「やったー! やったー!」
 カタストロフへのカウントダウンははじまっている。
 けれどそれは、「今」じゃない。
「すぐに準備しよう」
 喜ぶ息子の見ながら、冷蔵庫の冷凍食品もすべて持って行こうと考える。どうせすぐに電力が使えなくなる。ありったけの食料とサバイバル道具を車につんで、キャンプにでかけよう。九州へ向かうのだ。
「お母さんにも伝えてくるよ!」
「おにぎりをたくさんつくってもらってくれ」
 息子は大きくうなずいて部屋を出て行った。
 窓の外に目を向ける。雨が降ってきた。火山灰を含んだねばつく雨だ。
 机の引き出しから革張りの手帳を取り出した。息子と妻がキャンプのお弁当を作っている間、わたしは今、この日記を書いている。
 手帳は、ここに置いて行こう。これから、わたしたち家族は、キャンプに出かけるのだから。

 しゃがみ込んで手で砂を掘っていた少年は、茶色い何かが埋まっているのを見つけて、引っ張り出した。乾燥してひからびた革張りの表紙の手帳だった。
「何を見つけたんだ?」
 その横で青年がたずねる。ふたりとも顔が青白い。
 少年は、砂まみれの手帳を振って見せた。
「何だろう? 父さん」
「丁寧に扱えよ。持って行けば高く買い取ってもらえるんだから」
 手帳のはりついたページをそっと開いた少年は、目をかがやかせた。
「なにか書いてある! これはめずらしいぞ!」
 やせた青年もページをのぞきこむ。ふたりは、古代文字を読めない。
「研究所に持って行こう!」
 何年か前に村に、遠くから旅人たちがやってきて住み着いた。崖の砂の中から見つけたものを持って行くと、見たこともない美しい布や糸と交換してくれる。旅人たちはお互いに話すときは違う言葉を話す。そして、自分たちの小屋を、研究所と呼んでいる。
 少年は手帳を大事に、革袋にしまった。
「これで息子に、釣り竿を作ってやれる」
 15歳になったばかりの少年は、3歳の男の子の父親なのだった。特別早い結婚というわけではない。村の多くの少年少女が12、3歳で結婚し、親となる。
「それがいい」
 ほとんど歯のない口で笑う青年は、日焼けしていないので若く見えるが、もう5人も孫がいる。この地域は極端な食糧不足のため、平均寿命が40歳に満たない。
 ふたりは、立ち上がって遠くに目をこらした。
 夕暮れのように薄暗い中、廃墟となったビル群のシルエットが見える。その手前に見えるのは針葉樹林の森だ。厚く降り積もった火山灰と千年以上続いた寒冷化のせいで、植物相も全く変わってしまった。
 青年が、空を見上げた。白い雪がふってきた。
「今年はあたたかくて過ごしやすい。キャンプにはピッタリだ」
 ひらひらと舞うように、後から後から雪がおりてくる。

終わり




高橋桐矢プロフィール


高橋桐矢既刊
『あたしたちのサバイバル教室』