「ヘルハウス」浦浜圭一郎

(紹介文PDFバージョン:hellhouseshoukai_okawadaakira
 今回紹介する『エクリプス・フェイズ』のシェアードワールド小説は、浦浜圭一郎による新作「ヘルハウス」だ。

 『エクリプス・フェイズ』の未来は、レトロ・フューチャーなスペース・オペラではない。サイバーパンクの系譜を受け継ぎながらも、ふだん私たちが触れているパソコンやスマホといったデバイスやインターネットのような情報環境の延長線上でその実態を想像できる。その意味で身近なものだ。
 その関係を『エクリプス・フェイズ』の設定を応用する形で掘り下げようとした試みとして、この「ヘルハウス」は読むことができる。『エクリプス・フェイズ』には日常の行動すべてを記録するライフロガーという人たちがいるのだから、「ヘルハウス」の設定も突飛なものとはいえないだろう。

 あるいは“スタンダードな冒険の導入”としても。ファイアウォールから依頼されるミッション。「物理的な危険は一切ない」はずのお使いミッションが、意外な展開を見せ……。章ごとに切り替わり、メタレベルで多層化していく世界の切れ目……。それらが結び合うのは、どのタイミングだろうか。
 ソリッド・シチュエーション・スリラーの名手ならではの緊張感あふれる展開に、まさしく目が離せなくなること請け合いだ。

 浦浜圭一郎は、傑作長編『DOMESDAY』が改訂のうえで電子書籍として販売され、好評を得ている。最近の短編としては、「月刊アレ!(allez!)」vol.18に「見ルナのタープ」も発表している。「ヘルハウス」に惹かれた読者にオススメしたいのは、浦浜圭一郎が発表したもう一つの『エクリプス・フェイズ』小説である「かけ替えなき命のゲーム」。同作を読めば浦浜が「ヘルハウス」で描くトランスヒューマン宇宙を、より深く理解できること請け合いだ。(岡和田晃)



(PDFバージョン:hellhouse_urahamakeiitirou
1.【A.F.10】
※未来人のブログ : 2016/03/02(水)※

――――――――――――――――――――――――――――――

私、サミュエル・カミランドは本物の未来人。
この時代に生まれた地球人の脳内に、時をさかのぼって転送されたトランスヒューマンのエゴである。

>いつから来たのか?
この地球がまるごと廃墟と化すまで破壊され、君たち旧人類の大半が消え失せた太陽系の大災厄【ザ・フォール】から10年後の未来から。

>来たのはいつか?
私のエゴのダウンロードが開始されたのは、地球の共通紀元2011年3月18日金曜日。
私が現在着用しているこの身体の元の持ち主は、この日突然、意識不明の植物状態に陥った。この時代の医師たちは「謎のウイルスによる急性脳症」と診断したが、もちろん誤診だ。
謎のウイルスの正体は、私のエゴを再構築するには不可欠のナノサイズのロボットたちだった。
従って、本当のタイム・トラベラーは彼らだが、彼らがこの時代にいつ到着したのか、正確な日時はわからない。

ナノボットたちは「元の持ち主」の神経ネットワークを改変し、この「私」を上書きダウンロードした。残念ながら、この過程で元の持ち主のエゴはバックアップされずに消去され、今は手続き記憶など私に再利用された部分しか残っていない。

神経ネットワークの改築作業がほぼ完了し、私のエゴが思考可能なレベルにまで覚醒したのは、約半年後。そう推測できるのは、目覚めてから最初に聞いた言葉の中に、「9月」という、私の時代では長らく使われなくなっていた地球の古語があったからだ。
だが、その懐かしい言葉を使った医師は、私の意識回復に気づかぬばかりか、あろうことか治療と称して私に電気ショックを施した。
こうして、私の脳を修復中だったナノボットたち、小さな本物の医師たちは殺された。前ナノテク時代の地球の呪術医たちの手によって。
以後、4年間もの長きに渡って、私は植物状態とみなされたまま、この時代の野蛮な医療施設をたらい回しされることになる。

おそらく自然治癒により、どうにか身体を制御できるようになるまで回復したのは、ごく最近のこと。
リハビリを終え、ようやく病室という名の牢獄から解放されたのは、今から三日前の出来事だ。
この身体を自然分娩した「母親」が住む集合住宅に引き取られて、今ここにいる。

>この時代に来た目的は?
私にはわからない。
望んでこんな時代に来たわけじゃないからだ。
望んでこんな身体に宿ったわけでもない。
おそらく敵の手によって、強制的に時間旅行の実験体にされたのだ。

>なぜ、そんな目に遭ったのか?
今のこの状況から見れば皮肉なことに、私が新たな「モーフ」、つまり新たな換わり身を欲したせいだ。

当時、私のエゴが着用していたのはスプライサーと呼ばれる標準モーフ。メインベルトの無政府主義者とコネがあった私は、地球が滅亡する二年も前にトランスヒューマン化して、同時にそのモーフを手に入れた。おかげで【ザ・フォール】とその後の混乱を生き延びたのだ。
その後の12年間、そのモーフは私にとって幸運のモーフであり続けたが、幸運の自覚もモーフも経年劣化は免れない。
低重力向きのモーフを手に入れようと、ナイン・ライヴスがらみのヤバい事件にかかわったのが運の尽き。ファイアウォールという、さらにヤバい秘密組織に目をつけられてスカウトされた。
見かけ上は、悪名高い犯罪組織の手先から正義の味方、超人類の守り手への華麗なる転身だ。
だが、トランスヒューマンの世界では、見かけほど当てにならないものはない。

――――――――――――――――――――――――――――――



2.【A.F.10】
「こいつは、ただのお使いミッションだ。物理的な危険は一切ないと保証する」
 ファイアウォールの連絡員は、数時間前にそう請け負った。
 ところが、メインベルトからのエゴキャストを終えた後、見知らぬ覚醒室で目覚めてみると……
 サミュエル・カミランドは、自分の頭がイヌ科の獣の頭部にすげ替えられていることに気がついた。
 視野の下半分を占めて突き出しているのは、ビロードのような毛に覆われた黒い鼻先。そこから正面の壁に目を転じると、ナノテク素材がそれを感じて3Dの鏡になった。
 長く尖った鼻先を持つイヌの頭の首から下は、凝った装飾品で飾られた胸当てとスカート状の腰布以外は素っ裸のヒューマノイドだ。このデザインは『おそらくアヌビス。地球のエジプト神話に登場する冥界の神がモデルのようね』とカミランドのミューズが思考を引き継ぐ。
 わずかな見当識障害の他、さほどストレスを感じないのは『本物の知性化動物の擬脳に再装着されたわけじゃないからよ。見かけは全部ただのファッション。中身は、ロースペックのヒューマノイド型シンセモーフ』道理でせっかくのイヌ鼻も効かないわけだ。
『真空耐性は備えてるけど、防具としてのレーティングは低い。尖った犬歯も武器にはならない』つまり、丸腰ってことなのか。カミランドが、文字通り耳まで裂けた口蓋の中で溜め息をついたとき……
 大きな牛の頭が視野周辺からぬっと現われ、立体鏡像を消し去った。
「気に入らなければ、私のモーフと交換しましょうか?」
 そいつの姿形は『牛頭人身の怪物で、地球の古代神話や宗教説話の中ではありふれた表象ね。旧約聖書のゴグとマゴグやモロク神、ギリシャのミノタウロスも牛頭だけど、コンテクストや装飾品から推測して、インド起源で中国仏教にも登場する地獄の獄卒、牛頭(ごず)鬼に間違いない』が、AR表示されてるエゴIDは、メインベルトからのエゴキャストを共にしてきた【ヘルメイカー】の社員のものだ。
 名前はヴァージル。今から彼らが向かうヘルハウスへの案内人だ。
 ヴァージルによれば、そのヘルハウスには「ボットを問わず、モーフを問わず、我が社の製品以外は絶対に近づけない」のだそうだ。要するに、この馬鹿げた仮装モーフを着なければ、地獄の門はくぐれない。
「見かけなんぞは、どうでもいいさ。それより、さっさと出発しよう。ここから地獄の星は近いのか?」そう尋ねながらカミランドは、ごく普通に聞こえる自分の声に驚いていた。このイヌ『ジャッカルかも』の頭は、やっぱりただの特殊メイクだ。
「小型の宇宙機に乗り換えてもらって、おおよそ50地球日です」と牛男が言う。
「50……地球日もかかるのか?」
 呆然とするカミランドの向かいの壁が、ぽっかりと暗黒の口を開け、外の宇宙を映し出す。
「正確な場所は秘密ですが、ここはカイパーベルトの冥王星軌道上の……」
「冥王星か」どつぼじゃねえか。なにが、ただのお使いミッションだ。
「いえ、冥王星とカロンは、今正面に見えている太陽系のディスクの向こう側です。つまり、ゲートを超えた人々は別にして、太陽系住民の誰よりも……」
「悪名高いアルティメット(究極主義者)のウォー・ゾーンからは離れてるってわけか」
 だが、とても安心材料には思えなかった。この場所からは、太陽系内惑星の全ての公転軌道が丸ごと見える。しかも、それが、遠く離れてちっぽけな「ディスク状の輝き」にしか見えないほど広大な辺境なのだ。
 地獄売りの新興企業【ヘルメイカー】が、わざわざこの宙域を彼らの『地獄』の所在地に選んだのは、人類がトランスヒューマン化した今でさえ、この極寒の空虚にしつこくこびりついている「冥界」や「この世の果て」のイメージゆえだ。
「では、そろそろ船に移りましょうか。我が社のヘルハウスは、正面の微惑星群のなかにあります。群と言っても互いの平均距離は平均0.5光秒以上ありますから衝突の心配なんてありません」
 牛男がこちらに背を向け、異常に盛り上がった背筋を見せびらかした。さっきの申し出を断ったのは失敗だったか。カミランドがそう思ったとき、地獄の獄卒が立ち止まり、獰猛な横顔をこちらに向けた。
「言い忘れてましたが、微惑星群に入ったら、あらゆる通信が遮断されます。メッシュと接続できるのも今のうちですから、ダウンロードするならお急ぎ下さい。50日間の船旅は退屈ですから。それとも……お望みならば、旅の間、エゴを凍結してさしあげましょうか?」
 どうやってそんな芸当ができたのか分らないが、牛の頭が、片方の口角を上げてにやりと笑った。
 上下の顎の間には、全く草食動物らしからぬ鋭い牙がずらりと並んでいるのが見える。
 この瞬間、カミランドの見せかけだけのイヌの鼻がぴくりと動き、何かの臭いを嗅ぎ分けた。
 後に何度かリプレイしてみて分ったが、このときカミランドが嗅いだのは臭いではなく、「裏切り」と「罠」の臭いだったのだ。


3.【C.E.2016】
※未来人のブログ : 2016/03/05(土)※

――――――――――――――――――――――――――――――

私は未来人、サミュエル・カミランド。
元トランスヒューマンの出来損ないのエゴである。

今の私はバックアップも取られておらず、当然、不死者でもなくなった。
記憶は生身の海馬便りで、五感データを客観的に記録するインプラントも存在しない。
従って、君たち旧人類と同様に、主観的な記憶と妄想を区別する術もない。メモリは常に曖昧で、無意識のご都合主義によって書き換えられる。
いや、気を悪くしないでほしい。精神的にも肉体的にも、今の私は君たち以下だと言いたいのだ。

メッシュとの接続がないのは仕方がないが、思考を補助してくれるミューズもいない今の私は、私の時代の言葉で言えば「ゼロ」以下のマイナスだ。
思考能力は、私の時代の簡単なお使い用のフォークつまり分岐人格にも劣り、視覚に入ってくる事物の名前と情報が即座に検索表示されないせいで、頭の中は文字通り、常に霞みがかかったような状態だ。この程度の長文を組み立てるのにも苦労する。

この五年間、私は無力で無能な肉体の中に閉じ込められた、元万能の不老不死者の魂だった。
私は、こんな時代のこんな身体の中に私のエゴを閉じ込めた敵を呪い続け、常に怒り、苛立っていた。
もちろん、今も怒り、苛立っている。
今、これを読んでいるかもしれない君たち旧人類同様にだ。
おそらく、この怒りと苛立ちこそが、地球人に相互破壊と環境破壊を倦くことなく繰り返させて、ついには自滅に至らせたのだ。
今の私は、君たちの気持ちがよくわかる。

だから誰でもいい、私以外にここに来ている「本物の時間旅行者」に関する情報があれば、コメントしてくれ。

君たちの質問にも、できる限り答えてやろう。
ただし、この時代に関する質問はなしだ。
パラドックスは関係ない。単に私は、この時代に関して無知なのだ。
パラドックスに関して言えば、ナノボットがこの時代に出現した瞬間に、それは確実に生じたはずだ。
タイム・パラドックスは、「人類の歴史」などという主観的であいまいな次元で起きるのではなく、客観的な物理次元で生じるからだ。
私が君たちに未来に関する情報を与えようが秘密にしようが、宇宙はそんなこを気にしない。
だから、「歴史の改変」がどうとか言ってる偽予言者たちの情報は排除していい。

もちろん、本物のトランスヒューマンがいるなら、直接、私に連絡してもかまわない。
今、換わり身にしている地球人の名前とアドレスはブログの表紙に記してある。

――――――――――――――――――――――――――――――




4.【A.F.10】
 四十九日の冥界の長旅を終え、2体の獣頭人身の怪物を乗せた宇宙機がたどり着いたのは、巨人が雪合戦のために握り固めような直径2キロメートルの雪玉だった。製作途中で巨人は怪我でもしたのだろうか、凍りついた球体の表面には赤さび色の斑模様が浮き出ている。それらの中には、本当に巨人の手形そっくりの模様もあった。
 手形模様のすぐ近くには、これも巨人の玩具のような、直径300メートルほどの透明なスノードームが埋め込まれている。カミランドとヴァージルを乗せたペンシル型の宇宙機は、そのドームのすぐ傍らにある竪穴式のドッキング・ベイに雪煙を上げて突きた立った。
 氷の中に埋め込まれた狭くて暗いチューブの中を、二人の獣人が這い進む。突き当たりのハッチを開くと、もうそこは、明るく照明されたドームの中だった。
「ようこそ、ニュー・スヴェーデンボリへ。カミランドさん」
 先にドームの地面に降り立った牛頭鬼が言う。
 氷の壁に囲まれたアリーナのようなドームの床には、火星の砂漠から取り寄せたような赤茶けた砂が敷き詰められて平坦にならされている。ドーム内には建造物がたった一つしか見当たらなかった。
 アリーナ中央にぽつりと寂しく建っているのは、瓦屋根のついた横幅が広いアジア風の木造家屋を二段重ねにしたような建物だ。
「そう、あれが我が社のヘルハウスです」
 カミランドも砂地に降り立って、建物に目をこらそうとした瞬間、『気をつけて! この場所は何かが変よ』彼のミューズが警告してきた。
 身体が酷く重かった。さっきまでは、0.2G以下の微重力環境にいたはずなのに、ここの体感重力は1G近い。『いえ、このハビタットの疑似重力に変化はないわ』でも、そんなことはあり得ないはずだ。
「これは申し訳ない。あなたはメインベルトの出身でしたね。もう少し軽めに調整します」
 ヴァージルがそう言い終えた途端、カミランドの身体が軽くなっていく。なのに『重力に変化なし』。
 考えられる可能性は『二つあるわ。私たちが知らない間にVRの中に投げ込まれたのか、それとも、これは私たちが知らない本物の超テクノロジー』たとえばティターンズのテクノロジーか。『巨人の玩具』という、この小惑星の外観を見たとき浮かんだ比喩を思い出す。
 トランスヒューマンの宇宙では、物の喩えが物理的現実にすり替わるのはままあることだ。
「びっくりさせてしまいましたね。実はこれ、ここのナノテク環境と我が社特性のシンセモーフをシンクロさせたトリックでして、本当に重力をコントロールしてるわけじゃありません。こちらでコントロールしてるのは、あくまでも主観的な体感重力。ひらたく言えば錯覚ですよ」
 牛の顔をにやつかせながら、ヴァージルが言った。
 これが錯覚トリックだって? 牛の説明に納得がいかなかったカミランドは、地面の砂を拾い上げてばらまいてみようと思いつき、かがみ込んで砂の中に手を差し入れた。一つかみして、すくい上げようとするが、すくえない。まるで、その一粒一粒が、意思を持った生き物のように、指の間をすり抜けてしまうのだ。『ナノテク環境……』ミューズはその何気ない一言を聞き逃していなかった。 
 ここにある全てのものが『ナノスウォーム』みたいなものなのか。カミランドの擬脳にザ・フォールの頃の悪夢がリプレイされそうになる。
 トランスヒューマン宇宙には、見かけ通りのものなど存在しない。
 ただし、おれは例外かもな、とカミランドは思う。今の彼は、イヌの頭をつけた秘密組織の密偵(イヌ)なのだから。

 ファイアウォールから課せられた今回の任務のゴールは二つ。
『一つは、ごく普通の客を装って【ヘルメイカー】の辺境施設に潜入すること。これは単なる視察任務で、施設内で、できるだけ多くのXP(主観的な体験記録)を録るだけでいい。
 二つ目の任務は、もし仮に、【ヘルメイカー】が『ティターンズや異星人由来の禁断のテクノロジー』を使用している証拠を目にしたときは、それを立証できるようなデータかサンプルを無事に持ち帰ること。敵がそれを妨害した場合、こちらの正体をにおわせて、警告することも許されている。ただし、敵との戦闘は回避せよ。それは、おまえの役割ではない』

 破壊や殲滅ミッションはプロがやる。要するに、新米センティネルのこのおれは、ただの使いっ走りというわけだ。カミランドはイヌの顎の中で舌打ちした。
 実は、カミランドにとって、これは二度目のミッションだった。
 ただし、一度目のミッションの記憶は、このカミランドにはない。
 接触員の説明によれば、任務の途中でティターンズの首刈りボットに遭遇し、皮質スタックを奪われてしまったからだ。返ってきたのは首から下だけの木偶人形のみ。幸い、任務の前にバックアップは取ってあったから、記憶の欠落部分は少ないが、ファイアウォールは、この件を入団テストの失敗とみなしているに違いない。こんな退屈な辺境任務を割り当てられたのは、そのせいだ。
 敵の有罪を立証しそうな証拠のナノテク砂は、かぎ爪のついた彼の指の間から逃げていく。


5.【C.E.2016】
※未来人のブログ : 2016/03/11(土)※

――――――――――――――――――――――――――――――

このところ、ふざけたコメントばかり届くのに憤慨している。
このブログの他、複数のSNSやBBSに、換わり身の名前とアドレスを掲載したのは間違いだった。
ネット上で、文字通り「名を上げる」ことが、そのまま収入につながる点では、私の時代と変わらないと思ったのも甘かった。
「匿名人」の存在を忘れていたのだ。
以下は、特別に彼らだけに宛てたメッセージだ。

聞け、貧しく哀れで底意地の悪い匿名人ども。
バックアップもリプレイもなく、生きてるか死んでるのかも分らない悪霊どもよ。
おまえたちが、ここに書き散らした悪意ミームの幾つかは、
おまえたちの生身の肉体が消滅した後も、運がよければ後しばらくは、
生きてる他人に感染し続けることだろう。

だが、それも、さほど長くは続かぬと知れ。
おまえたちが、いまだに在ると信じている「プライバシー」や「匿名性」が、
悪行や犯罪と結びつけられ、ネット社会から淘汰されるのは時間の問題だ。
すでに今の政府や企業にとってさえ、
「プライバシー」すなわち「顧客情報の秘匿」は許しがたい業務妨害、排除すべき害悪だからだ。

だから、おまえたち匿名人は死後に痕跡すら残せない。
それは、未来人であるこの私が保証してやる。

――――――――――――――――――――――――――――――



6.【A.F.10】
 その二階屋の前面のほとんど全ては、年季が入って所々黒ずんだ角材を複雑に組み合わせた格子によって覆われている。
 目の粗い格子の間には、これも古びて焦げ茶色に変色した紙が貼ってあり、所々破けているが、その古臭さはもちろんナノテク偽装だ。
 そこだけ白い曇りガラスがはめられていて、かろうじて扉だと判別できる格子戸の傍らには、
 旅 籠
 漢字が二つ、縦書きされた看板が掛けられていた。
『HATA-GO、直訳すればTravel cage、江戸時代の日本にあった旅人用の宿泊施設。牢獄みたいな格子は、人を閉じ込めるための物じやなくて、中にいる宿泊客のプライバシーを守るためのもの』
 しかし、ファイアウォールの情報が正しければ、ここには少なくとも100人を超える犯罪者やテロリストのインフォ・モーフが閉じ込められているはずだ。【ヘルメイカー】は、そういった連中に対する『地獄の懲罰』を売っているのだ。
「ヘルハウスの造りが今こうなってるのは、ゲンシンという日本マニアのデザイナーが現在、滞在してるしてるせいでして」
 そう言いながら、牛頭鬼が格子戸に手をかけて、がらがらと大きな音を立てて横に開いた。
「イラッシャイマセ」とヴァージルは日本語で言い、「では、どうぞ。中をご案内いたします」粒子が粗くてざらついている暗がりの中に入っていった。室内照明が暗すぎて、カミランドのモーフの目では中の様子が判別できない。
『虎穴に入らずんば虎児を得ず』ミューズの格言引用機能にうながされ、カミランドは地獄の家の門をくぐった。
 2階に続く階段がある狭くて複雑な造りのロビーの奥に、幅が2メートルもない薄暗い廊下が延びている。その両脇には、目の粗い格子に紙を貼った『障子とふすまよ……』で閉ざされた個室が並んでいた。先を行く牛頭鬼の筋肉だらけの巨体は窮屈そうだ。
「ここが、ゲンシンさんの仕事場です。ちょっと、見学していきますか?」
 廊下の途中で立ち止まった牛頭鬼が、ふすまに手をかけてそっと開いてのぞき込む。「おっと残念、瞑想中か」こちらを向いて手招きするので、アヌビス神もしぶしぶ近寄って中を覗いた。
 部屋の中に真っ黒な水をたたえた池がある。池の中央には、花弁の縁が薄紅色で、全体が白く輝く巨大な『蓮の花』が咲いていた。
 10メートル四方の床のほとんどを、その池が占めていて、あとの部分には茶色い土が敷き詰められていた。向かいの白壁以外は岩肌で、白壁には本来、家の外が見えるはずの大きな窓があるのだが、その向こうには真っ青な空が広がっていた。おそらく、破滅する前の地球の空だ。窓にガラスは、はまっておらず、か細い木の枝が一本だけ部屋の中に侵入しているのが見えた。
 木の枝には、たった一枚、鮮やかな黄緑色の葉が風にそよいで揺れている。懐かしい地球の綠……

「ゲンシンさんは今、中世日本の八大地獄をデザイン中なんですが……」
 カミランドは、牛頭鬼の囁き声にはっとして我に返った。『気をつけなさい。この連中はVRの専門家集団よ。どこに罠がしかけられてるか分らない。私の声が変わったり、聞こえなくなったら要注意。非現実の世界に放りこまれたってことだから』
「……ちょっと煮詰まってるようですな。八大地獄といっても、それぞれに副地獄がありまして、全部併せて136個もあるんです。しかも、この時代の人類には、まだカテゴライズするという概念が無かったらしく、罪の分類の仕方がでたらめで……」
 そのとき、カミランドは部屋の中にいる人影を目で追っていた。白い着物を着た身長1メートルくらいの少年が、池のほとりに屈み込み、水辺の花に手を延ばしている。一本の花を摘んだ直後に、こちらに気づいて顔を上げ、
「マタ、シショウノワルグチ、イッテオルノカ」と日本語で言う。
 その師匠は、カミランドから見て左手の岩壁に口を開いた、あまり奥行きの無い洞窟の中で座禅を組んでいた。髪の毛の無い仏像モーフだ。
「オニワデテイケ。シショウワ、イマギナチオ、ノサイチュウダ」と縮尺のおかしい子供。
「無視して下さい。あれは、ただのボットですから。でも、どうも間が悪かったようなので行きましょう」

 地獄のデザインルームを後にして、何度か角を曲がりながら、迷路じみた廊下を進んでいくと、廊下の突き当たりにある部屋に出た。
 四方をふすまに取り囲まれた、家具が一切ない『畳』の部屋だ。広さは、さきほど覗いた部屋と変わらない。
「さて、ここをプレゼン・ルームに致しましょうか」
 カミランドを部屋の中央に誘うと、牛頭鬼は背後に回ってふすまを閉じた。
『気をつけて!』言われなくても緊張してるさ。
「いろいろ誤解があるようですが、我が社は『刑罰のデザイン』を提供させていただくだけで、それがハイパーコーポであれ、ハビタットであれ、取引先の法体系には一切干渉しない方針を守っています。ごく稀なことですが、個人的な復讐の代行をする場合でも、お客様が属するコミュニティの許可は必ず取るようにしています。我が社には決して怪しい秘密なんてございません。このハビタットに使用しているナノテク技術も、近日中にメッシュに公開する予定です。つまり、私どもは、巷で噂になってるような、トランスヒューマン宇宙の秩序を乱す犯罪者に正義の鉄槌を下すヴィジランテ……」
『警告! 警告!』わかってるって。
「あなたが現在属してらっしゃるような秘密組織じゃないんです」
 牛の頭がそう言い終えたとき、カミランドの四方を囲むふすまの前、つまり何も無かった空間に四つの物体が出現した。
 すぐ目の前に現われたのは、太った竜巻みたいに底面を上に向けた三角錐で、その側面は複雑怪奇な段々状の模様で覆われている。
 右手にいるのは、積み木のように直方体を組み合わせて出来た塔の化け物。
 左手には古代の車輪のような模様がついた謎の円盤。
 どれも、カミランドが今まで一度も見たことがない戦闘ボットだ。
 囲まれた瞬間、カミランドはいつも武器を隠している腰のあたりに反射的に手をやったが、アヌビス神は丸腰だった。
 こいつ、最初から、おれの正体を……
「わかってましたよ。ファイアウォールのセンティネルのカミランドさん」
 地獄の拷問係はエスパーかもしれない。


7.【C.E.2016】
※未来人のブログ : 2016/03/26(土)※

――――――――――――――――――――――――――――――

私がかつて多重人格だったことは認めよう。フォークを作り出した経験はあるからな。
でも、この私が「悪霊」だって? それは人の脳に取り憑く「ゴースト」のことか?
それが未来の忍者モーフのことじゃなく、
肉体から離れても存続できる「霊」とか「魂」という意味ならば、
「幽霊」なんて存在しない。
なぜなら、おまえたち旧人類には、客観的な事物としての『魂』がないからだ。
当然、『死後の世界』もなければ『転生』もない。
私がいた未来の言葉で言い換えるなら、
おまえたちには、バックアップもなければリプレイもない。

聞け、野蛮な旧人類、
バックアップもリプレイもなく、永久に消え去る宿命のご先祖様よ。
おまえたちには『永遠不滅の魂』など存在しない。
『死後の世界』や別の肉体への『輪廻転生』、
さらには、人類の運命をコントロールする超知性体としての『悪魔』や『神様』、
あるいは、世界を陰から支配するエリート超人集団からなる『秘密結社』も、
今はまだ存在していないし、かつて一度も存在したことがない。

おまえたち、神話と宗教、オカルトとナノテク以前の疑似科学の時代に生きる旧人類が、
「今、在る」と信じているそれら全ては、主観的な幻覚やファンタジーを元にした、
ただのローカルな宗教的妄想で、今は無い。
実は、それら全ては、おまえたち旧人類が滅びる頃に、
私たちトランスヒューマンの手によって創り出される『未来の発明品』なのだ。 

聞け、野蛮な旧人類。
『エゴ』も未来の発明品で、おまえたち旧人類には無いものだ。
だから、これを今、読んでいるおまえには、客観的な『意識』すら存在しない。
「自我」だとか「自意識」だとか、おまえたちが定義もできずに曖昧に呼んでいるものの正体は、
覚醒時には、生身の感覚器官から入ってきた貧弱な外界情報をもとにして、
睡眠時には、主に生身の脳内記憶をもとにして、その場かぎりに紡がれる「夢まぼろし」に過ぎぬのだ。
その「夢まぼろし」は、生身の脳が損壊したり、生身の身体自体が滅びるときに、
この宇宙から跡形もなく消え去るだろう。

だが、心を落とすなご先祖様よ。
おまえたちが紡ぐ「夢まぼろし」は無意味ではない。
空を飛ぶ夢を見たものがいなければ、人類は未だに大地(アース)に縛り付けられ、地球の重力圏から脱することもなかっただろう。
今、ここに在る現世を否定し、いつかどこかにある異世界を希求する宗教やオカルトの夢がなかったら、
人類社会が変革を求めることはなく、テクノロジーの進歩もなかっただろう。
今、ここに無い未来を夢みるものがいなければ、人類は人類のまま滅び去り、
かつて私がそうであったようなトランスヒューマンの時代が訪れることはなかっただろう。

おまえたち旧人類の存在意義は、夢を紡ぎ続けること、
その夢を(宗教やオカルト信者の妄想に変えることなく)夢のまま、次世代に継いでいくことだ。
それが主観的な夢でなくなり、客観的な現実に変わるその日まで。
その日が必ず訪れることは、本物の未来人であるこの私が保証する。

――――――――――――――――――――――――――――――



8.【A.F.10】
『ごめんなさい、私の誤解よ。今、見えているAR(拡張現実)に危険はないわ』
 自分のミューズに謝罪されたのは、初めてだった。
「申し訳ありません。ただの演出のつもりだったのですが」とヴァージルも言う。その牛顔は、本当に面目なさげな表情を浮かべている。
「危うく、あんたの喉笛に噛みつくとこだった」というのは、ただの強がりだった。
「もう、おわかりでしょうが、これらは、ただのデザイン・サンプル。私どもは、かのご高名な……」
「それは皮肉に聞こえるけどな」と、密偵(イヌ)のカミランドは噛みついてやる。
「いや、めったなことでは直接、交渉に応じてもらえない秘密組織とお近づきになりたいだけなんです。あなたが、ご存じなかったとは意外でしたが、実はメインベルトでは、すでに商談が成立していて、サンプルのXPをお渡しする手はずは整っているのです」
「だったら、さっさとそいつを渡せ」イヌの顔に凄みが出てればいいのだが。
「でも、せっかくだから、我が社自慢の地獄のデザインをごらんになって下さい」と、ヴァージルは目の前にある3体の地獄を紹介し始めた。
 凄みは全く出せなかったらしい。

「さて、これはかの有名なダンテの地獄。我が社の標準タイプです」と正面の漏斗状のモデルを指さす。
「リンボから下、八つの階層に分かれてますが、ダンテ個人の好みに従った階層分けを忠実に再現したタイプと、カテゴライズを現代人に適合させたタイプがございます。木星圏のカトリックの方々に喜んでいただけると思ったのですが、意外と不評で……」
 カミランドは、それから小一時間ほど、地獄のように退屈なセールストークを聞かされた。ちなみに、彼の右側にあった立体モデルは、現在、ゲンシンが改良中の日本仏教系の八大地獄、左手の円盤はチベット系仏教の六道輪廻図だった。
 説明の途中、何度か、中の地獄の有様を拡大して見せてもらったが、グロテスクな拷問描写の数々は、初めのうちはバラエティに富んでいるように思えても、一度パターンに気づいてしまえば、おそろしく単調なものだった。
 一番多いのは、気色の悪い怪物に身体的拷問を受けるパターンで、次に多いのは、単に燃えさかる炎の中に投げ入れられるパターンだ。
「こいつらが受ける痛みは本物なのか?」一度、カミランドはそう聞いてみた。
「もちろん、痛みは痛みです。バーチャルな痛みなんて存在しますか?」
 それが問題なのだ、とカミランドは思う。種々雑多な身体的拷問の数々はヴィジュアル的には恐ろしくても、それを実際に受ける側にしてみれば拷問は拷問、痛みは痛みだ。痛み自体にバラエティがあるとは思えなかった。
 しつこく何度も繰り返される身体損壊も、トランスヒューマンのカミランドには『バイオモーフの無駄遣い』にしか思えない。
 ただ、一つ気になったのは地獄の亡者たちの数だった。いくらなんでも多すぎる。
「これは説明不足でしたね。原則的に地獄は一人に一つずつご用意します。周りにいる亡者たちは、これから自分がどんな拷問を受けるのか見せつけて恐怖を煽るための説明キャラにすぎません。時には、それらの亡者が本物ではないと、わざと気づかせるシナリオもございます。メッシュが身体の一部となった現代人には、孤独地獄は効きますからね」
「確かに、そいつは地獄だな。メッシュ接続もミューズも無しに独り地獄に落とされるなんて」
 このとき、カミランドは、まさか自分がそれを体験させられるはめに陥るとは思ってもみなかった。
 しかも、わずか数分後にだ。

「じゃあ、そろそろ、XPのサンプルとやらを渡してもらおうか」
 はやくメインベルトに帰りたい、とカミランドは思ったが、最寄りのエゴ投射機まで再び50日もの行程があることを思い出す。いや、行きは警戒して使わなかったが……。
「帰りはエゴの主観時間を凍結してもらおうか」
「了解です」と牛頭鬼がにこりと笑う。やはり、そのギザギザの歯は気になるが、まあ大丈夫だろう。
「で、用意できてるのは、どの地獄のサンプルだ?」
「ここですよ」と牛頭鬼は右にある積み木の塔に近づいた。
「ゲンシン作の八大地獄か」
「実はちょっと違います。ラッキーでしたね。お客様のサンプルは最新デザインの特別品です」
 そう言いながら、塔の前で両手を合わし、パン、パンと二度手を叩いて、ARの保護モードを解除する。
「さきほど、あなたからもご指摘がありましたが、過去の旧人類が想像した地獄は、実際はたった一つの肉体しか持っていなかった短命人のために作られた地獄です。我々のような不死身のトランスヒューマン向けにデザインされたものじゃない。肉体損壊は、私たちにとってはただの経済的な損失にすぎませんから」
「で、地獄をトランスヒューマン向けに改造したのか?」
「いえ、その真逆です。地獄の概念は旧人類が残してくれた大切な遺産ですから、そのオリジナリティを汚すようなまねはいたしません。改変するのは受刑者のトランスヒューマンの意識です。そのために私どもは、これを付け加えることにしたのです」
 牛頭鬼は筋肉質の腕を積み木の塔の天辺まで延ばして、ちっぽけなキューブを一個、取り外した。
「正確に言うと、これは地獄じゃなくて、地獄へ落とす前の辺獄(リンボ)でしてね。ここで、お客様のエゴを旧人類の自意識に作り替えます」
「何でこんなに小さいんだ?」
「ゲンシンさんはミニマリズムと言ってますがね。正直なところ、古典的な地獄造りに飽きたんでしょう。でも、手を抜いてる訳じゃないですよ。こいつは、是非とも、ライブでご覧になっていただかないと。実は、まだ、中にお客様がいるんです」
 地獄の鬼が突き出すキューブの中を、思わずカミランドは覗き込んでしまう。
 ミューズの警告は間に合わなかった。



9.【C.E.2016】
 それは、ただの殺風景な部屋だった。
 部屋の中では、一人の太った旧人類が、机の前に座って何かの作業に没頭している。
 男の縮尺から推測して、部屋の大きさは、縦横3メートルの立方体に、粗末な簡易ベッドのスペースを付け足した位。木製のドアと窓があるが、ドアは閉ざされ、窓は暗いブルーの斜光カーテンで閉ざされている。明かりは天井の蛍光灯と机に備え付けのLDライトのみだ。ベッドと机と椅子の他、床全体を覆う塩化ビニル製のカーペットの上には家具と呼べるものは、ほとんどない。部屋の角に衣類を収納するロッカーが一つ、後は受信専用の非インタラクティブな映像モニターがあるだけだ。だが、男がその原始的な受像機のスイッチを入れることは、ほとんどなかった。なぜなら……
 たまにドラマでも見ようとTVをつけても、しばらくすると警告もなく、吐き気を催すようなおぞましい映像が割り込んでくるからだ。それは主に衛生用品のCMで、擬人化された害虫や寄生虫、細菌やウイルス、有毒な化学物質等の拡大写真が、明らかに平均的な旧人類の摂食時間を狙い撃ちして流されるのだ。
 この部屋で暮らすようになってまだ日が浅かった、ある晩の食事中、たまたまTVを付けてみると、いきなり陶器でできた便器の表面が大写しになり、そこに焦げ茶色の全身タイツを着こんだ男がしがみ付いている姿が目に飛び飛んできた。そのコメディアンは便器にこびり付いた大便を演じていたのだ。その日以降、その受像機には、何度拭き取っても気がついたら降り積もってるハウスダストを掃除するとき以外は触らないように気をつけている。
 だが、CMの言うとおり、ナノテク以前の旧人類の生活は、有害物質とコントロールされていない細菌やウイルスだらけだ。
 そもそも、今、彼のエゴを閉じ込めているこの肉体自体が、皮膚の上に生息する寄生虫や腸内細菌などの体内細菌、すぐに反逆して宿主を死に追いやろうとするウイルスなどとの共生体なのだ。日に何度かは、腸内に溜まった大腸菌の死骸や膀胱に溜まった余分な水分を排出するため、部屋の外に出なければならない。
 ドアの外にはバスルームとトイレ、そしてこの肉体の生物学上の「母親」の部屋へと続く廊下があった。
 ここ最近は、その「母親」とも、めったに顔を合わせない。「母親」の方も、息子の頭の中身が別人格に支配されていることに薄々、気づいているのだろう。1日に2回、決まった時間に食事を運んでくる時も、廊下の上に食料を置いた後、扉をノックした後は黙って自室に帰っていく。今では、その女の顔もおぼろげにしか思い出せない。
 廊下にはもちろん、この住居の「外」に出るための玄関もあったが、病院からこの家に移り住んで以降、「外」に出てみたのは一度きりだ。トランスヒューマン時代には、めったに聞くことがなかった「子供」の声に釣られて、マンションの前の道路に出てみたのだが、そこにいた「子供」が大きなくしゃみをすると同時に鼻水を垂らすのを見て、慌てて家の中に逃げ帰ったのだ。
 ずっと家の中に閉じこもって、食事と睡眠以外にすることと言ったら、今、目の前にある、原始的なネットワーク接続機を立ち上げて、指入力のキーボードをカタカタ音を立てて打つことぐらいだ。
 とてもメッシュの替わりにはならないと分ってからは、ニュースサイトもめったに見ない。ろくなニュースがないからだ。
 地球上のいたるところで首狩りの風習が復活し、毎日のように子供が虐待されて殺されている21世紀の野蛮さは耐えがたい。もちろん、トランスヒューマンの時代だって、その野蛮さや残虐性に関しては決してひけを取らなかったが、この時代の人類は不死ではないのだ。一度死んだら二度と復活することはない。なのに、この連中の命の軽さは何なのだ。
 少しは啓蒙してやろうかと、匿名サイトへの投稿を始めたが、今では虚しさが募るばかりだ。
 メッシュ時代には、たとえ相手が匿名であったとしても、相手が現在、生きてこの世に存在してることは分っていた。なにしろ、相手は不死なのだから。ところが、この時代の匿名サイトの住人たちは、レスを返した時点で既に死んでしまっている可能性がある。その場合、こちらは、既にこの世に存在しない相手と通信しようとしていることになる、幽霊と話そうとする霊媒みたいに。
 恐ろしく憂鬱な気分になってきた。いっそのこと、死んでしまおうかとも考える。死ぬのは、いたって簡単だ。手首の動脈に歯を立てて噛み切ればいい。この時代の人間は、毎日のように動物の肉を食べている。つまり、自分の歯で肉を噛み切っている。それなのに、自分自身の身体の肉は、普段食べている肉よりも丈夫で固いと思い込んでいるようだ。それは全くの幻想だ。いとも簡単に噛み切れるのだ。
 今日は、旧人類どもに、そのことを教えてやろう。
 最近、あまりレスが伸びなくなった自分のスレッドにアクセスすると、太った旧人類はキーボードの上に指を這わせた。
 さて、今日は久々にブログの方を更新しよう。 一番、新しいのには何を書いたんだっけ? ああ、これだ。

※未来人のブログ : 2016/04/15(金)※

 私は元未来人、名前はサミュエル……


10.【A.F.10】
 カミランドだと?
「何でこいつが、このおれの名を書き込んでるんだ?」
 キューブの世界から目を上げて、カミランドはそう叫んだが、彼のミューズは沈黙したまま答えてくれない。
 牛頭鬼の方も、その牛顔に困惑の表情を浮かべたまま、言葉を失っているようだ。
「まさか、そんな……。その箱にいる旧人類の、頭の中にいるのは、おれなのか?」
 見たところ何の身体修正も施されていない原始人の頭の中に閉じ込められたその上に、こんなちっぽけな箱の中に監禁されて、惨めったらしい泣き言を書き綴ってる、あの醜い小人(ホムンクルス)が、おれなのか。
「それも、ご存じなかったとは……」牛頭鬼は少し考え込む仕草を見せた後、「ああ、そういうやり方をされるんですね、ファイアウォールの方々は」悲しそうに首を振った。
『お客様のサンプル……』ようやくミューズの声が復活する。『ヴァージルは数分前にそう言ってたわ。あれは、あなたのサンプルって意味だったのよ』
 おれの行方知れずになったアルファ・フォーク。連絡員が「首狩りボットに持ち去られた」などと言っていたのは、全部、大嘘だったのだ。
 ファイアウォールの連中に、まんまとはめられ、あの箱の中にいるおれは、ずっと地獄に落とされていた。
「はやく、そいつを……」あまりの怒りのせいで、イヌの喉から声が出ない。
「もちろん、いますぐ救済(サルベーション)致します。あの……様子をご覧になりますか?」
 牛頭鬼がおそるおそるカミランドを閉じ込めている地獄の箱を、カミランドに向けて差し出した。


11.【?】
 太った旧人類が、ふと何かの気配を感じてPCから顔を上げ、閉ざされた遮光カーテンに目を向ける。
 濃いブルーでずっしりと重そうなカーテン生地には、星形模様を散りばめた単純な星座もどきが描かれていた。カーテンの裏にある窓は、入居以来、一度も開けたことが無い。窓の向こうにあるのは、隣接しているビルの薄汚れてひびの入ったコンクリ壁で、この窓とその壁の間には直射日光も射さないからだ。隣の壁には、コントロールされていない菌類が繁殖し、胞子か何かをまき散らしているに違いない。だから、窓はしっかりと鍵をかけて締め切ってある、はずだ。
 なのに、今、そのカーテンがふわりふわりと揺れている。しかも、ひだの寄った生地の間に赤茶色の何かもやもやとした塊が現われて、みるみるこちらに突き出してくる。それは、女の頭部だった。栗色に波打つ髪は完全に重力に反してたなびいている。頭部に続いて、むき出しの真っ白な肩、さらには女が着ている肩口をブローチで留めた衣装は……
『キトン、古代ギリシャの女神の衣装よ。』
 女神のコスチユームに身を包んだ美少女が、こちらに顔を上げて微笑んだ。
 その顔には全く見覚えがなかったが、その『声』は確かに聞き覚えがある。
 それは、5年と49日ぶりに聞く、彼のミューズの声だった。


12.【A.F.10】
 結局、この異常なシチュエーションを含めて、全てはファイアウォールの入団テスト(ミューズに言わせれば『通過儀礼』)だったのだ。
 思いがけない形で、変わり果てた自分自身のフォークと対面させて、それでも冷静かつ沈着に、上から課せられた任務をこなせるか、試されたわけだ。
 つまりは『これが、ファイアウォールのやり方』だった。
 カミランドが預かり知らぬところでファイアウォールの交渉係と【ヘルメイカー】との間で結ばれた契約によれば、地獄のサンプル、つまりカミランド(その1)のXPを納めた皮質スタックは、そのまま手を加えずにメインベルトに持ち帰ることになっていた。
 だが、カミランドはそれに従わず、サルベーションの直後にヴァージルを脅して、さっそくマージング(人格融合)に取りかからせた。
 これにはヴァージルだけでなく、彼のミューズも反対した。
『VR内の主観時間で5年以上も解離しているうえに、人格改変されてるフォークを、プロの心理療法士の助けも借りずに無理矢理融合させたりしたら、どんな結果になるかわからないわよ』
 そう言われたが、
「おれたちには今、幸運の女神が二人も付いてる。君たちが協力して助けてくれれば大丈夫さ」と説き伏せた。
 結局、一体性を取り戻すのに何日もかかり、予定以上に地獄の旅籠に宿泊することになりはしたが、カミランドは乗り切った。
 ヴァージルと宇宙機に乗り込んで、元来た航路を戻らせたが、意識の凍結はさせなかった。
 出発して地球時間で一週間ほどたった頃、とうとう退屈に耐えかねたのか地獄の獄卒が意識凍結の眠りに入った。ずっとこのチャンスを待ち続けていたカミランドは、眠っている牛頭鬼の太い首筋に犬歯を突き立てて噛み破った。もちろん、牛の首は本物の牛肉では出来てはおらず、覚醒したヴァージルとの死闘は2時間近くに及んだが、最終的には、先手を取ったことが効を奏して、アヌビス神は牛の首を取ることに成功した。
 これで、カミランドはファイアウォールに課せられたミッションの成功条件のうち、二つを破ったことになる。『サンプルを無事に持ち帰ること』と『戦闘を避けること』をだ。
 テストに赤点を付けられるのは確実だろう。とはいえ、カミランドには、合格する気もなかったが。
 次に、カミランドは宇宙機を停止させ、再び、ヘルハウスがあるハビタットに向けて航路を戻した。
 あそこには、(ファイアウォールの情報なので信用はおけないが)、100人以上の凶悪犯やテロリストのインフォ亡者たちが収容されていて、「文字通りの」地獄の責め苦を受けている。
 カミランドは、その全員を解放してやるつもりだった。
 【ヘルメイカー】が私有する二つの施設内に何体のモーフが用意されているのか不明だったが、彼が今から取りかかろうとしている「新たなミッション」を遂行するための、手始めには足りるだろう。
 そのミッションは、カミランド自身が全てをコントロールするミッションだ。
 先の見えない長きにわたるミッションになりそうだが、『永遠不滅の魂』の持ち主には、時間だけはいくらでもある。
 やがていつかは、トランスヒューマン宇宙のネットワークのあちこちで、おれ(おれたち)の名が囁かれるときが来るだろう。

 我が名はサミュエル・カミランド。
 地獄の亡者軍団の首領にして、ファイアウォールの最大の敵。

 今は妄想に過ぎないが、いつか必ず現実となる。
 なぜなら、ここは、トランスヒューマンの世界なのだから。


(終わり)




Ecllipse Phase は、Posthuman Studios LLC の登録商標です。
本作品はクリエイティブ・コモンズ
『表示 – 非営利 – 継承 3.0 Unported』
ライセンスのもとに作成されています。
ライセンスの詳細については、以下をご覧下さい。
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/




浦浜圭一郎プロフィール


浦浜圭一郎既刊
『DOMESDAY:
ドームズデイ改訂版
Kindle版』