「鬼門コンパ(3)」仙田学


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 大阪市内を一巡するJR環状線の南の極に位置する天王寺駅から、近鉄奈良線で四十分ほどさらに南へ下ったところに河内長野市はあった。喜志という駅で降り、見渡すかぎり田んぼと畑と川しかないような景色のなかを二十分以上もバスに揺られていると、鬱蒼と樹の茂った山が見えてくる。斜面を切り崩してつけられた、芸坂、と呼ばれる急勾配の長い坂に、その日は通勤時間帯の駅のホームのように人群れがひしめいていた。
 坂を登りきってすぐ左手にあるのが音楽学科の棟だった。裏手の池と林に面したカフェテラスのような内装の第三食堂は内側に暗幕が張られ、ジャズ研主催のライブハウスに改造されている。やっぱこれ観にきてたんだ。午前中も観て二回目なんだけどやばいわ。場所どこ? 三階奥の講義室だよ、あのでかいとこ。漏れてくるジャズバンドの演奏と、音楽学科の棟の向かい側にある図書館の地階の吹き抜けになったホールに設置されているパイプオルガンの音が混ざりあうなか、次々と手渡されるチラシを受け取りながら、十一号館へ進む。なかに入っている画材屋や写真屋のシャッターは降ろされ、写真学科の展示会場になっている第一食堂の前には人だかりができている。映像原理の授業で学科長の長島監督がめっちゃ推してたんよ。でも授業で撮ったやつやないやろ? そうそう、映研の上映会用に撮ったやつらしいけど、もともと長島先生にえらい期待されとったから、見てもらえたりとかしたんかもな。長いメインストリートを挟んで両側に建ち並ぶ、建築学科や工芸学科や美術学科やデザイン学科などの階段や踊り場などに凝った装飾の施された棟の前には、いつものように火の入った窯や絵の具の匂いが漂っていたり至るところに木材が積みあげられ布が広げられていたりする代わりに、たこ焼きや焼きそばやチョコバナナの屋台が並び、テントの下に簡易長机を設置した居酒屋からは机や地面にこぼれたアルコールの匂いが立ちのぼっている。屋台の隙間ではあちこちでビニールシートが広げられ、古着や古道具や自作の絵や工芸品が売られている。ごめんなんかおれ、食欲なくなったわ。そんなに? 食う前でまだよかった。後なら吐いてたな。それにしてもよくあんなの撮れるよな。電車のなかで、いきなり日本刀持ったやつが暴れだして、乗客を次から次へと殺しまくるだけの映画って。内臓飛び散るわ首が斬り落とされるわ全体的に血の海になるわ、間違いなく映倫に引っかかる。ビールや日本酒の入った紙コップなどを手に、屋台やビニールシートのあいだをそぞろ歩いている人波を抜けると、九号館前の広場にでる。思い思いの場所にオブジェが展示され、隅のほうには全身を包帯でぐるぐる巻きにして組み体操をしている一団がいた。
 広場を横切って擂り鉢状になった階段をあがると、九号館の入り口では出入りする人波がぶつかりあっているところだった。うちあかんかったわこの映画。三月に東京でオウムの事件あったやん? おかんがあの日お兄ちゃんに会いに東京行っとって、ちょうどあの地下鉄日比谷線ゆうの? あれ乗るとこやってん。一本か二本の違いで、結局乗らんかったから助かってんけど、もし乗っとったら思たらいまでも夜寝られんときあんねん。それうちも思た。この時期にこんなん撮らんかてな。なるほど、オウムの事件のことテーマにしてんのかな。そうとれないこともないけどさ、それより映画史的にいってこんなのいままで観たことないってことにおれはびっくりしたよ。ないよな。強いていえば北野武か。いや武の映画はさ、なんつうか暴力を描いてるけど、あれは死のメタファーって感じなんだよね。死は日常と隣りあわせにあるって感覚。でもこの映画は死っていうより暴力そのものを描いてるんだよ。それにしてもどうやって撮ったんだろ。まさかロケじゃないよね。スタジオだろ。映像学科のスタジオに電車のセット組んで、どっかの劇団からエキストラ連れてきたんだよ。血糊の発色もよかったよな。なに混ぜて作ったんだろ。
「お待たせ。やっぱり来なかったのね」
 九号館前の階段の端に腰をおろして紙コップのビールを啜っていた万田の隣に座ったのは、北大路雅美だった。軽く運動をした後のように顔が上気していて、額には汗が浮いていた。
「やっぱりってなんだよ。北大路、おまえと待ちあわせた記憶はないんだけど」
「万田くん、あなたが現れることはわかっていたわ。犯人は必ず現場に舞い戻る。捜査の鉄則だもの」
「おまえにいわれると、本当になにかやらかしたことがあるような気になってくるよ」
 九号館から固まってでてきた集団が、途切れずに話し続けながらのんびりと階段を降りて、万田と北大路雅美のそばを通りすぎた。あたりの何人かが振り返るほどの笑い声をあげながら、そこにいないと思われる誰かへの屈託のない個人攻撃に余念がない様子だった。揃ってタンクトップにハーフパンツという小学生じみたいでたちの男ふたりが先に飛びだして、じゃれあいながら階段を駆け下りていった。
「訊かないのね」
「ああ。どうだったんだ? その、映画は?」
「私まだなにもいってない」北大路雅美は唇の端だけをあげて笑ってみせた。「映画を観にきたともなんともいっていないのだけれど。万田くん、あなたに会いに、私はわざわざ、学校公認の自主休講日だというのに学校にでてきたのかもしれないのよ」
「なんでだろう。そこはかとなく悪意が感じられる」
「考えすぎよ。相澤くんのシナリオを読んで驚愕して、映画化されればどれほどすごいものになるのかは容易に想像がついたものの、いざ観る段になると恐ろしくなって上映会場に向かうことすらできず、座りこんで震えている。そんな万田くんを笑うためだけに、わざわざこの私が西成からでてくるわけがないじゃない」
「反論する気力もねえよ。それよりさ、不思議でたまらないんだよ。いったいおれはなにを恐れてるんだろう」
「相澤くんに誘われて、何度か映画を観にいったことがあるわ。授業が終わって、お茶を飲みに食堂にいくとたまたま相澤くんもいて、映画の話をするうちにじゃあいまから観にいこうって行き当たりばったりででかけるものだから、天王寺にでて乗り換えるときがいつもちょうどラッシュアワーの時間帯になるの。地下鉄のホームから零れ落ちそうな数の乗客たちが、電車が着くと我勝ちに扉に殺到していく。爪先立ちになるくらいぎゅうぎゅうに押されているうちに、相澤くんの顔からは色が抜けて、障子紙みたいに真っ白になって、額も頬も脂汗に濡れ始めるのよ。そのうち、私の耳もとでこう囁くの。こいつら全員殺してやりてえよって」
 万田の顔を覗きこむように、北大路雅美は首を傾けた。長い黒髪が滑り、日陰で育った植物のようにほっそりとした首と白い胸もとが現れる。シャンプーの匂いに鼻をくすぐられ、その白い肌や高校生のような華奢な身体と身を寄せあい熱い息がかかるほどの距離から切れ長の目で見つめられていたのは自分であったというような錯覚に万田は襲われた。左右から後ろから押しつけられる肉の感触。汗と熱気に蒸れた服の匂い。線路を軋ませながら疾駆する車体の振動音。風に鳴る窓ガラス。窓の外を飛んでいく風景。重い鉄の箱に閉じこめられ猛烈な速度で運ばれていく肉体。一部が接触しただけでも、その身体は引き千切られ、赤黒い肉塊と化してしまうだろう。なにかの間違いで扉が開けば、弾きだされた人体は線路に激突して形も見分けられないほどの損傷を被るだろう。歩行者や自転車の往来の激しい細い道に、ほとんど減速をせずに自動車が突っこんできたときや、すでに遮断桿の下がり始めている踏切を走って渡っている人影が目に入ったときもそうだった。家族や友人や、身近にいてひとりではない気にさせてくれる誰彼の肉体が瞬時にして破壊されてしまうというイメージに万田は囚われた。
 もっとも遠い記憶は、まだ乳飲み児だった頃の自分が、母親に抱かれながら自動車に追われているというものだった。当時の記憶そのものなのか、のちに母親から聞かされた話によって作られた記憶なのかは判然としない。母親もろとも自分を轢こうとしたのは、父親の姉だった。大学を卒業して外資系の大手企業に就職した万田の父親は、万田の祖父が亡くなったときに土地と家を相続した。若い頃に万田の祖父と折りあいが悪く家をでていた四人のきょうだいたちが姿を現し始めたのはその直後だった。遺産の再分配を巡って何度も話しあいの場が持たれたが、そのたびに父親は要求を突っぱねていたという。あるときに激昂した父親の姉が母親に掴みかかり、万田を抱いて外に飛びだした後にも追いかけてきて、車で轢こうとしたらしい。どうやって難を逃れたのかは定かではない。それが万田のもっとも古い記憶だった。その後も父親のきょうだいたちは現れ続けた。父親の名義で多額の借金をしていたこともあり、取り立ての電話が執拗にかかってきたこともある。父親は夜中によくうなされていた。大声をあげて夜半に飛び起き、おそらくは夢の続きか、誰かと格闘をしているような動作をしていたことがあった。夫婦の寝室に内側から鍵をかけ、なかに入れず母親が困っていたこともある。同居していた父方の祖母が認知症になって間もなく、父親の姉はまた現れた。自分が世話をすると、祖母の居室に充てていた離れの小部屋に万田たちを入らせないようにした。ところが寄っているらしい気配がほとんどしないので、ある日母親が覗いてみると、真っ暗な部屋のなかで祖母は横たわっており、身体からは異臭がして垢で真っ黒になっていたという。祖母を風呂に入れて部屋の掃除をした後に母親が連絡をしてみると、父親の姉は内縁の夫という同年輩の男を伴ってやってきた。どう考えても昼間の仕事にはつけない類の顔立ちのその男は玄関先で凄み、祖母と万田家代々の墓を引き渡すことを要求してきた。その代わりにこれっきり縁を切り、もう二度と現れないと。要求を呑んだ父親は、祖母の死に目に会えなかった。亡くなったことを知ったのも半年ほど経ってからだった。父親の代から、万田は先祖の墓には入れなくなったわけである。
 幸福な家庭はどこも似ているが不幸な家庭は千差万別である、というような意味のことをトルストイが書いていたが、千差万別であるという点において不幸な家庭は似ているともいえる。そのような事情を特別なことであるとは万田は思わなかった。ただ、そのような受け入れがたい物語を書き換えることはできるはずだとは感じていた。万田が小学生だった頃に、一流大学出身で大企業に勤める父親を浪人生が金属バットで撲殺するという事件が起こった。中古屋で八ミリカメラを買って初めて短い作品を撮ったとき、脳裏をよぎったのはこの事件だった。万田はいわば金属バットの代わりにカメラを構えて、与えられた物語を書き換えようとしていたのだ。
「だから、万田くんは相澤くんとすごく似ているの。ふたりとも作品のなかに自分のことはこれっぽっちもだしていないようだけれど、触れているとわかるもの。あなたたちがこれまでどんなふうに生きてきたのか。これからどこへ向かおうとしているのか」
 北大路雅美は眉をハの字にさげ、唇の端をあげたまま泣きだす直前のひとのように顔を歪めた。
「おれは、でも結局撮ってないもの」
「シナリオを破棄して、阿倍野霊園の先生の生活のドキュメンタリー映画を撮ればいいなんて、私が余計な口だしをしたせいかしら」
「おまえのせいになんてするつもりはないよ。おれが撮らなかったのは」
「まだちゃんと映画の勉強をしたわけでもないから。観てきた映画だってまだ少ないし、人生経験だって少ないから。でもね、万田くん、あなたが撮るだろう映画が、撮るべき映画が、私には見えるの。それだけで、あなたの作品は存在していることになるのよ、残念ながら」
「勝手に存在させるな。おれは、もしかすると一生映画なんて撮らないかもしれないし、撮ったとしてもぜんぜん違うものかもしれないよ」
「相澤くんの映画だってそう」北大路雅美は腕を伸ばし、広場にたむろしているひとびとを指差した。「作品は、フィルムの上にではなくて、あのひとたちの言葉のなかにある。それがすべて。たぶん、相澤くんと私たちとの違いは、そのことを本当に知っているかどうか、だと思う。映画を撮って、他人に見られて、映画を通して他人のなかに存在する。私たちとはまったく逆の方向だけれど、相澤くんはそのようにして自分に近づいているのではないかしら」
「他人のなかに存在しようとすることで自分に近づく、か」
 耳慣れない外国語の単語をつぶやくように、万田は繰り返した。それはまるで他人の可能性を自分の可能性とすり替えて生き延びようとするような、禍々しいふるまいに思えた。自分の可能性を、可能性の集合体としての過去を手放してしまうことになるのだから、そのすり替えは同時に、過去と未来のあいだに開いた大きな深淵へと、絶えず現在を変質し続ける運動でもあるのではないか。現在を持たない、つねに先送りにされる可能性の束としての自分は、作品を受け取る他人の数だけ存在する。そのどれもが正しくもあり、どれもが間違ってもいるだろう。深淵の上に架かった橋は、足を踏みだした途端に消えてしまう。取り違えた橋を棄てて、すぐ隣の橋にかけた足も宙を掻く。際限なく現れる幻の橋から橋へと渡り続けていさえすれば、深淵に呑まれてしまうことはないだろう。いずれ向こう岸へと、目の眩むような可能性へと辿り着くこともできるのかもしれない。その考えは、万田の胸を躍らせた。だが。自分から遠ざかることが自分に近づくことである、という派手なレトリックに躍らされているだけではないかという違和感を、それは拭い去りはしなかった。
「たしかに矛盾している。でもね、万田くん。この矛盾は乗り越えることができるわ」
 北大路雅美は声を低め、顔を近寄せてきた。万田の耳もとに熱くこもった息がかかる。
「相澤くんの映画に出演するの」
「相澤の、映画に?」
「今回の上映会のために撮った映画は、彼にとっては習作だったの。卒業制作で撮る予定の映画の、スケッチのようなもの。その映画に、私は出演するのよ」
「おまえが?」
「そう。私と、万田くん、あなたが」
「寝耳に水以外のなにものでもないぞ、その話」
「でしょうね。たったいま私の思いついた話だもの」切れ長の目が、まっすぐに万田の目に向けられた。黒い瞳には、秋晴れの空に浮かぶ雲の影が映りこんでいた。「撮る側から、撮られる側にまわってみるの。相澤くんの映画に出演して、その映画について語られる言葉のなかに存在し始めて、あれでもない、これでもないって取り違えをし続けるうちに、万田くん、あなたは自分に近づきつつあるという実感をようやく得られるのではないかしら。同時に、その言葉の根拠であるところの、映像のなかのあなたの肉体は紛れもなく、スクラップされたままのあなたの可能性のひとつ。他人の言葉を、つまりは他人の可能性を取り違え続ける営みは、だからあなた自身の可能性そのものと連続することになるのよ」
 声に熱がこもるにつれて、北大路雅美の瞳のなかで、雲はゆっくりと流れていき、空の色だけが後に残った。


「やばいっすね。世界的な映画監督が、デビュー前に撮った短篇っすか」
「しかも『鬼門コンパ』のための習作だし、和也くん、きみはぜひ観ておいたほうがいい、っていいたいところなんだけれど、残念ながら相澤本人が上映会の後にフィルムを処分しちゃったんだ。結局だから、おれも観てないんだよね。観たやつの話だと、相当なものだったらしい。『鬼門コンパ』より遥かに過激で、でもそのぶん相澤自身にもっと近いような、そんな映画だったって」
「超見てみたいっす。どんな映画だったんだろ」
 間もなく新大阪駅に到着するというアナウンスが流れた。気の早い乗客たちが立ちあがり、荷物棚から荷物を降ろし始めていた。空になったビール缶を両手でへこませ、齧りかけのチーズ入り竹輪と一緒に押しこんだビニール袋の口を、万田は勢いよく縛った。
「和也くん、きみはほんとに相澤のこと好きなんだなあ」
「全部の作品の全部のシーンを覚えてるくらい、繰り返し観てます。とくに『鬼門コンパ』は。あの作品以降、自主制作映画の歴史が変わったって言われてますもん」
「さっきも聞いたけどさ。相澤のことが好きで、憧れてて、相澤みたいになりたいのに、なんで『鬼門コンパ』のドキュメンタリーを撮ろうとしてるの? 形式的には真逆だよね」
「たしかに、相澤さんなら絶対しないアプローチです」
 和也は言葉を探した。和也自身が数えきれないほど自問してきた問いだった。でた試しのなかったその問いの答えは、だが万田の話のなかにあったように思えた。万田は先生をモデルにした映画のシナリオを書きながら、それを破棄してドキュメンタリーを撮ろうとした。そしてそのドキュメンタリーすら撮らなかった。万田のしたことについて考えることは、自分のしたことについて考えるよりも遥かに負担が少なかった。しかもそのなかには、自分のしたことについての答えが明かされているような気がしてならなかった。
 和也が相澤に惹かれてやまないように、万田も先生に惹かれていたのではないだろうか。
 定年間際になって、勤めあげた会社を辞め家族や財産も棄てて路上生活を始めた先生は、こんな生活を手に入れるためにそれまでの人生があったような気がした、と述懐したという。和也にはその前提条件からして完全に想像の埒外にあるような結論だった。だが万田から話を聞いているうちに、まるで『鬼門コンパ』を初めて観たときのような痺れに全身を貫かれるのを和也は感じた。一方は世界的な映画監督になり、一方は無名の路上生活者になったわけだが、どちらも自分の可能性を棄て他人の可能性を乗り越えることで自分自身になろうとしたのだとすれば、目指すところは同じだったといえる。だとすれば、そのような彼らを題材に作品を撮ろうとしている和也は、さらに彼らの可能性を乗り越えて自分に近づこうとしているのかもしれない。そのようにして撮られた映画もまた、観られることによって他人のなかに存在し始める。だが、そのことによって自分に近づける、という考えには、サイズのあわない服のように馴染めなかった。
 和也の近づきたかったのは、相澤にだった。相澤についてのドキュメンタリー映画は、相澤の撮っている映画からはかけ離れているとはいえ、もし他人の目に触れることがあれば、彼らはその映画について語るとき、相澤について語ることになる。そのとき、和也はほとんど相澤になれたのだといえないだろうか。相澤になることで、和也は和也にもなれるのだと。和也自身は何者にもならないまま、もっとも焦がれたものになることができるのだ。万田もそうだったはず。先生を撮ることで、自分自身にかぎりなく接近した先生に、万田は自分をすり替えることができたはずなのに。
 ――万田さん、なんで撮らなかったんですか?
 荷物棚からおろしたボストンバッグを肩にかけ、人波に流されるようにして通路を移動し始めた万田の耳に、和也の言葉は入ってはいないようだった。『鬼門コンパ』撮影当時の話をここまで掘り下げて聞きながら、本当に聞きたかったことについては、まだその片鱗も聞きだせていなかった。


「ついにOKでたな。いや、いまのほんとすごかった」
「だてに五日も同じことやってないもの。正直、今回のテイクもダメだったら、この役は降りるつもりだったわ」
 万田の渡してやったハンカチで、赤いペンキの飛び散った顔や手を拭いながら、北大路雅美はさすがに疲労の滲んだ顔でため息をついた。
『鬼門コンパ』の撮影は大詰めを迎えようとしていた。留置場に拘留されているリーダーの愛人だった雅美を寝取ったメンバーが集団リンチの末に殺される、というシーンは頭部が爆発するタイミングがうまくあわず、五日間に渡って十数回の撮り直しが行われていた。
 この日はさらに、万田と雅美が殺されるシーンが撮影されることになっていた。って予定だったんだけどさ。前日に電話をかけてきたのは助監督の男だった。相澤が、シナリオを変更したいんだって。万田くんだけ助かることにしたいらしいんだよ。おれらはそのつもりで撮るんだけど、雅美ちゃんとか他の役者には内緒にしといて、生の反応を引きだしたいんだってさ。相澤の真意を万田は訝った。それまでの撮影での演出とは正反対のやりかただった。
 役者の経験などもちろんない万田がシナリオを読みこみ、演じる役柄について想像をめぐらせ、感情をこめた演技をしようとすると、相澤は困り果てたような顔で、もっと感情を抜くようにと指示してくるのだった。代わりに相澤がこと細かに説明するのは、目線の配りかたや動作の大きさや角度などだった。それも言葉でではなく、じっさいに相澤自身が演じてみて、そっくり同じことをやらせるのだ。撮影スタッフも役者もすべて芸大生で構成されており、下手に相手に委ねるよりそのほうが効果的だと考えたのかもしれない。教えられたとおりに動きながら、万田はときに相澤自身を演じているような気になり、我知らず相澤の感情や考えを探ってしまっていることがあった。
 カメラがまわり始めると、万田たちは走りだした。次の標的になったのは、集団リンチの連鎖を断ち切ろうと、アジトをでることを提案した万田だった。北大路雅美に命じられるがままに、天然パーマと固太りと眼鏡は、仲間を撲殺したばかりの角材の他に鉈や斧までも振りあげて襲いかかってくる。北大路雅美を寝取った男の撲殺現場となった林の奥から、万田は弾かれたように駆けだした。背後では、北大路雅美たちと、カメラを手持ちにして撮影をしているスタッフたちの足音と息遣いが入り乱れている。あらかじめ相澤から聞いていた近道のルートを万田は辿った。数日前に雨が降ってぬかるんだままの山道を転びそうになりながら駆けあがり、目印にしていた椚の巨木の裏へまわりこむと、尻で滑るようにして斜面を下っていった。
 どこだ、逃がすな、といった声が遠く近く届く。長時間の撮影からくる疲労のせいか、本当に万田を見失ってしまったことによる当惑からか、その声には焦りと苛立ちが色濃く滲んでいた。映画の物語のなかで逃げているだけなのに、全身が総毛立つほどの震えに万田は脅かされていた。泥と落ち葉に服はまみれ、草の葉で指先を切りながら、万田は斜面を下りきってしまうと、茂みのあいだにできた細い隙間に分け入っていった。
 もしかすると、おれは相澤に追われているのかもしれない。
 そんな考えが頭をよぎった。相澤の映画に出演し、それについて語られる言葉のなかに存在することで、自分自身に近づけたという実感を得ることができるはず。同時に映画のなかの万田は、映画の外で生き続ける万田と、肉体を通して繋がっている。万田が自分に近づくための通り道として使うだろう他人の言葉は、万田の過去に直結することになる。学園祭の日に、北大路雅美からそう説得され、『鬼門コンパ』への出演を決意したとき、書き換えたくてたまらず、だがずっとそうなしえずにいた過去が一挙に書き換えられるのではないかという予感に万田は震えた。
 だが、相澤は。相澤はなんのために撮っているんだろう。
 あまりにも遠くに思えた、絵を描くことが怖くてしかたがない、といった北大路雅美の言葉が、いまになって迫ってきた。北大路雅美が、相澤が、先生が、直面していたのは、このように、林のなかで追われ、犬のように殺されるのではないかという恐れだったのではないだろうか。彼らの背後に、さらに無数の見知らぬ顔が浮かんだ。なぜおれだけが。なぜおれたちだけがと、どの顔にも苦悶の表情が刻まれていた。
 この恐れの底を突き抜けなければ、自分に近づくことはできないのだ。
 万田の耳の奥で、北大路雅美の声が膨らんだ。いつだったかの撮影からの帰り道に、相澤がこんなことをいっていたという。
 ――おれさ、ひとを殺す夢をよく見るんだ。シチュエーションはいろいろなんだけど。後ろから刺したり、高いとこから突き落としたり、首を絞めたり。朝起きると、ものすごくすっきりしてる。充電されたって感じ。でも時間が経つとまたどんどんそれが抜けてって、薄くなってく。夏って昼間は濃い影ができるけど、夕方になると薄れてくでしょ。あんな感じ。夢見てるあいだは光を浴びてるんだね。映画観てるときもそう。でも夢も映画も、終わったとたんに、おれはすぐ薄れていきだす。薄れていくスピードが、どんどん速くなってってる気がするんだよね。しかもだんだん、その夢を見る回数が減ってきてるんだ。
 ――影がなくなったら、自分がいるのかいないのかわからなくなってしまうわね。また濃い影ができるようになるために、相澤くん、あなたは映画を撮るの?
 言葉を選びながら北大路雅美が先を促すと、相澤は地面に目を落としたまま頷いたという。その額はおそらく、濡れたように光っていただろう。
 ――光を作らないと、影がなくなっちゃう。影がないなんて、人間じゃないもんね。おれがおれでいられるためには、映画を撮るか。
 相澤は声を低めたに違いない。
 ――本当にひとを殺すしかないよね。
 相澤は、おれたちを殺そうとしている。
 そうすることで、ふたたび濃い影を作りだして、存在しようとしているのだ。胸を掻き毟りたくなるような吐き気に万田は襲われた。相澤が存在すれば、つまりこの映画が完成すれば、おれは存在できなくなってしまう。このまま撮られていては、相澤の欲望に呑みこまれ、おれこそ影を奪われてしまうのだ。いや。相澤は、おれだけは生かしておくことにすると、直前になって考えを変えたらしい。まるでおれは、二重に殺されるようなものだ。映画のなかで死に損なったおれは、ゾンビになって未来永劫この映画のなかをさまよい続けなければならなくなるだろう。相澤に隠して、相澤を使って、自分に近づこうとしたこれは罰なのだろうか。
 逃げなければ。この映画のなかから、おれは生きて逃げださなければ。
 胸の底が冷え冷えとするような哀しみと喪失感に、涙で視界が曇り、嗚咽が漏れるのがわかった。どこへ向かう当てもなく、ただそこに留まらないためだけに、万田は闇雲に足を動かし続けていた。

「おお、着いたよ。いま天王寺。北口だよ」
 電話を切ると、万田は顔を崩して和也を振り返った。
「もう着いてるって。ここまで迎えにきてくれる」
「誰か、いらっしゃるんですか?」
「すでにいらっしゃってるわ」
 万引きの犯行現場を押さえた捜査官のような女の声に、和也は震えあがった。
 肩にかかるあたりで真っ直ぐに切り揃えられた黒髪が頬を滑り、切れ長の大きな目と薄い唇が現れる。白い麻のシャツに薄い紺色のデニムパンツをあわせた簡素で清潔ないでたちから、学生運動のリーダー格の男と汗まみれになって絡みあい、いたるところに剃刀で傷をつけられ、男性器を噛みちぎり、自身の性器にライフル銃を撃ちこまれて果てる、映画のなかの姿が瞬時に頭をよぎった和也は、万田が口を開く前に北大路雅美だと見分けていた。
「いまからだと、芸大に着く頃には日が暮れてるな」
「大丈夫、調べたところによると、いまも門なんかの類はなにもないし、毎晩遅くまで課題をやっている学生がたくさんいるらしいわ。軽く研究室に顔をだして、先生方にご挨拶をして、二十号館の屋上で飲みましょう。ってこれは相澤くんの提案なのだけれど」
「相澤、あそこ好きだったもんな。平和寮に遊びにいくと、いつもビデオで二、三本映画を観てさ、そのあとコンビニで『鬼殺し』買ってきて、二十号館の屋上で延々飲みながら映画の話をしたもんだよ」
「あらいやだ。酒はおれが調達するからって相澤くんからさっきメールがきたのだけれど、まさか『鬼殺し』ではないでしょうね」
「あの。相澤さんがいらっしゃるんですか?」
 たまらず和也は口を差し挟んだ。胸の鼓動がどっと早まるのがわかった。
「言っちゃった。サプライズ失敗。わざわざこんな僻地まで取材に来てもらったんだ、おれなんかより相澤本人の話を聞くほうがずっといいだろう」
「待ってくださいよ。心の準備が」
 和也の声には耳を貸さず、万田は先に立って歩きだす。後に続く北大路雅美と並び、地下鉄の改札口からいっせいに吐きだされた人波を縫って和也も進んだ。
「和也くん、だったっけ。『鬼門コンパ』のドキュメンタリー映画を撮ろうとしているって聞いたのだけれど、万田くんのことはどんなふうに描くつもりなのかしら?」
 少し前を歩いていた北大路雅美は、後ろへ首を傾けるようにして横顔だけで振り返った。切れ長の大きな目の黒い瞳には、駅構外から入りこんでいる西陽が映り、光の球になって揺れていた。
「万田さんのことは。お聞きしました。霊園に住んでるかたの映画を撮ろうとしてたんですよね」
 言葉を返しながら、和也は戸惑った。たしかに取材対象として多くの話を聞き、当時の状況を知る糸口を掴んだのは万田からだったが、万田の演じた登場人物は端役にすぎず、深く掘り下げるつもりもなかった。もっとも、中心に据えて迫るはずの相澤についてどのように撮るのかも、まだ定まっていないのだが。
「あったわね、そんなことも。万田くんよく覚えていたわね。よっぽど他に思い出がないのかしら」
 歩みを少し緩めながら、北大路雅美は肩にかけた赤いバッグから一冊の本を取りだすと、和也の手もとに押しつけてきた。
 モノクロの油彩画が描かれた上に、蛍光ピンクの文字でタイトルと著者名が書かれている。どちらも、見たことも聞いたこともない。
「万田くんの、いちばん新しい小説」
「万田さんの。小説、ですか」
「やっぱり、いってなかったのね。奥ゆかしい男の子だから、初対面のひとにはまずいわないのだけれど、万田くん、小説を書いているの。変名を使ってね」
 改めて確認してみると、著者名はたしかに、万田岳という本名をもじったような名前だった。『鬼門コンパ』に出演した後に、万田は映画を撮ることを完全に断念し、河内芸大も中退して行方がわからなくなってしまったのだと、北大路雅美は続けた。さらに五年ほどが経った後に、ある文芸誌の新人賞を受賞して、小説家としてデビューしたのだという。初めて読んだシナリオと、なにも変わらない。ここには万田くんの経験した個人的な出来事はなにひとつ語られていないけれど、読めばすぐにわかるのよ。万田くんがこれまでどんなふうに生きてきたのか。どこへ向かおうとしているのか。北大路雅美は和也の肩を軽く叩き、和也くん、その本はあなたにあげる、きっと、映画を撮るのに役立つはずだから、と笑った。
 受け取った本を、和也は歩きながらめくってみようとしたが、指を動かすことができなかった。パズルピースの最後の一片が嵌ったように、すべての疑問が解けたようだった。だがそのパズルの上に現れた風景はたちまち、虫が蝟集するように寄り集まってきた無数言葉に覆い隠された挙句、また別の疑問符に取って代わった。映画のなかで、万田の演じた人物は、監督である相澤から殺されることを免れた。だがおそらく、そのことによって万田岳は、相澤俊一によって殺されてしまったのではないだろうか。相澤のように、自らの光によって影を創りだすことも、他人の言葉や可能性のなかに存在することも、断念せざるをえなくなったのだ。万田は相澤を通して自分を殺させた。あるいは相澤も、そのために、映画のなかで万田を生き延びさせたのかもしれない。
 近鉄線の改札口から、生温い風が吹きこんできた。切符売り場の前に並んでなにか話しあっている、万田と北大路雅美の、向かいあった横顔が少し近づく。構内アナウンスや話し声や音楽の入り混じった音の渦に邪魔されて、ふたりの声は聞き取れなかった。万田の小説を胸に抱えたまま、和也は考え続けている。
 ――おれはいったい、誰を殺せばいいんだろう?



仙田学プロフィール


仙田学既刊
『盗まれた遺書』