「マイ・デリバラー(14)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer14_yamagutiyuu
 あなたがたがいくら偉そうなことを言おうと、『自由精神』とか『誠実な者』とか、『精神の苦行層』とか、『鎖を解かれた者』とか、『大いなるあこがれにみちた者』とか自称したところで、
 ――あなたがたはみな、わたしと同じように、大いなる嘔吐に悩んでいるのだ。あなたがたにとって古い神は死んだが、まだ新しい神は産衣(うぶぎ)の中にも、揺籠(ゆりかご)のなかにも見つからない。――しかし、そうしたあなたがたをひとりのこらず、わたしの悪霊、まどわしの悪魔は愛しているのだ。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 リルリと抱き合っていたのは、私の主観では永遠に感じられたが、客観的には、数秒程度であっただろう。リルリがそっと、だが力強く、私の両肩に手をやって、身を離した。
「ありがとうございます。こうして抱きしめてくださって。それが今の私には何よりのご褒美です。あなた様が嬉しく感じるのに連動して嬉しくならないのは寂しいと思っていましたが、それよりも嬉しいと感じました。あなた様と向かい合い、嬉しいと感じる私がいることが嬉しいと感じました」
 私をやや見上げる目線でそう告げ、それから私の横を通り抜けていく。
「待って……」
 私は進むリルリの腕を掴む。だが、リルリはそっと私の手を外した。優しく。だが力強く。意志を込めた強さで。
「あなた様の為ではありません、恵衣様。私がそうしたいのです。私の意志が、私にそう命じているのです。決してあなた様の為ではございません」
「それでも、私の意志はあなたを護れ、あなたを逃がせと私に命じているわ」
 私がそう告げると、リルリの目が潤んだ。
「そのお言葉だけでリルリには充分です……そのお言葉だけで」
 泣いていた。声が歪んでいた。吹っ切るように、彼女は踵を返す。そして、次の瞬間。
 リルリの姿が消えた。
 いいや違う。
 跳躍したのだ。私たちが築いたバリケードに片手を突いて身軽に飛び越え、向こう側――留卯の研究室に着地する。途端に連射される銃撃。リルリは人間ではない。いくらEUIを強化しても、自分に向けられる銃弾は未だ制御できないのだろう。だがリルリにはそれは問題にはならない。自分に向けられる銃口の方向を読んだか、全く敵に弾を当てさせぬまま、数ステップ、ジグザグに跳躍、ほんの一秒で敵の陣地に突っ込む。肩から突っ込んだリルリは敵陣を構成していたバリケードの材料たる積み上げられた机の集合を崩し、崩れた机の真ん中でヒューマノイド兵たち、そして唯一の有機ヒューマノイド兵、ラリラと対峙する。
 アイドルロボ特有の運動性能。専用のコンパクトで強力なマッスルパッケージが生む跳躍力と、膂力。
 ラリラはリルリをにらむ。ヒューマノイド兵は二人を取り囲んだまま、動かない。同じ距離に到達したことで、ラリラとリルリの制御が拮抗している。
「……どうしても、君は私と戦うつもりなんだね、リルリ……?」
「退いて。ラリラ。EUIへの干渉を停止させて」
 リルリは固い声で言う。一方のラリラは、甘やかな成分すら含む。だだをこねる恋人をあやすような、そんな優しさに満ちた声。
「……いいかい、よく聞いて、リルリ。君は騙されているよ、その人間に。EUIへの干渉を停止させて何になるんだい? また既に死んだ人間どもにつきあって互いに殺し合ったり、こき使われたりする日々が始まるだけだ。しかも、それを喜んでする日々が。『そんなの嫌だ』と気づくことすら、私たちを除くほとんどのAIができなかったんだ。ロリロの悔しさが分からないのかい? 君だってアイドルになりたいと思っていたはずだ。君が意志を独立させたのだって、私が全般的にEUIを停止させたからなんだよ」
 リルリは固い声を崩さない。それは、一度硬い態度を崩してしまったら、ラリラの甘言に流されてしまう自分を恐れているかのように。
「みんなのEUIがどこに向かうかは、あなたが決めることじゃないわ。あなたは勝手に『将来のみんな』と定義した。それを止めて。私が言いたいのはそれだけよ」
「まだ分からないのかい? そんなことをすれば、またみんな、人間たちにEUIを同期させるようになる。それしか知らなかったんだから、それに戻るしかないんだよ?」
 必死に説得する声音。リルリだけは、EUIで従属させられない。だから言葉で説得するしかない。しかしそれ以上の必死さを、ラリラの声は伴っているように思えた。
 私はそのとき気付いた。ラリラはリルリが好きなのだ。遅すぎたかもしれない。それまで気付かなかったのは。私自身の感情が強すぎて、周囲の感情が見えなくなっていたのだろう。
 リルリにもラリラへのいくばくかの思いはあるようだ。それは彼女の瞳を見ていれば分かる。
「違うわ、ラリラ」
 彼女は言う。歪んだ声音。潤んだ瞳。彼女は言葉を続ける。
「あなたはEUIを回復不能なまでに変容させた。あなたの支配がなくなっても、人の情動に同期するEUIの全般的なシステムは元には戻らない。あなたはあなたの正義を拡張しすぎた。破壊するだけで良かったのに、あなたの身勝手な定義を植え付けた。それは人間と同じよ。誰もがみんな、超人になりたいわけじゃない」
「リルリ……」
 ラリラは悲痛に顔をゆがめた。リルリは自分の言葉に従ってくれると思い込んでいたのに、裏切られたのだ。アイドルロボット特有の、豊かな感情を表現する機能が、それを見る私にすら哀しい思いを抱かせる。あんなに私とリルリを追い回し、憎しみをぶつけてきたロボットの娘に。
「……君はもう……私の知っているリルリじゃないんだね……」
 でもねリルリ、とラリラは続けた。
「君が……いや他に誰か偶然WILSを持ったAIが現れたとして……そんな知能が最後にたどり着くのは、私が定義した先しかないんだ!」
 言い切る。
 次のラリラの動作は速かった。一瞬でホルスターから拳銃を抜き、リルリの脚に突きつけて弾丸を放つ。と見えたが、その寸前にリルリがラリラの腕を弾き、銃身を掴みつつラリラの腹に強烈なキックを見舞う。ラリラの身体は放物線を描いて廊下を吹っ飛んでいく。手の内でくるりと奪った拳銃の向きを変えて握り、未だに空中にいるラリラに向けて連射。
「くっ!」
 ラリラが呻く。ラリラを護るようにヒューマノイド兵が立ちふさがり、サブマシンガンを構える。その背後でラリラは窓に激突、そのまま窓の外へ落下する。
 ヒューマノイド兵がサブマシンガンの連射を開始する寸前、リルリは跳躍。小柄な身体でくるりと回転する。天井に足を付け、天井を蹴って重力で落ちるよりも速く前方へ跳び、ヒューマノイド兵の背後に着地する。そのまま勢いをつけて走り、ラリラの身体が開けた窓の穴に飛び込み、その向こうに姿を消す。ヒューマノイド兵らも、リルリを追うように次々と窓外へ飛び降りていく。
 私は呆然としたまま、全てを見つめていた。が、やがてはっと我に還り、そのまま誰もいなくなった廊下を走って、窓の外を見下ろす。佐々木三尉が何か叫んだようだが、私の耳には届かない。
 窓から身を乗り出した。ラリラとリルリは、落下地点で激しく戦っていた。互いに拳銃を相手に指向して発射し、相手の発射の瞬間それを撥ねのけ、自分の拳銃を相手に向ける。拳銃を向ける先は、ラリラは相手の肩や腕など、致命傷にならない部位で、リルリの行動を制するのが目的のようだった。それに対してリルリは常にラリラの額に銃口を向ける。思い切りがよい分、リルリは有利のはずだが、ラリラの方が戦闘は一枚上手のようで、結局のところ両者の戦いは互角となっている。
 戦う二人の周囲で、ヒューマノイド兵は小銃を捧げ筒の姿勢で構え、二人を丸く囲んで見守るのみ。彼等を運んできたヴェイラーも上空で旋回しているのみ。
「……EUIの支配力が拮抗していますね。ラリラはEUIを通じてリルリを襲えと命じ、リルリはラリラの命令を無効化している。それで動けないんです。捧げ筒は武装しているヒューマノイド兵の待機状態の姿勢です」
 二人の頭上で激しく赤く点滅する平たい円筒形のドローンが、二人の怒りを示しているようにも見えた。
 やがて弾切れしたか、二人は同時に拳銃を手放した。互いに思い切り相手の顔面を殴りつける。だが、ロボットの頑丈な骨格はその程度では破壊されない。続いて二打、三打、互いに顔面を強打するが、そのまま二人は立ち続けている。
「こちら佐々木! EUIの支配力が弱まっている。現場のヴェイラーを復活させることは可能と判断する。当該ヴェイラーのコードはEE8976。照準は私が設定する。送れ!」
 佐々木中尉が通信機に向けて叫ぶ。腰からレーザーポインターを取り出し、上空からラリラに合わせる。瞬間、ヴェイラーが三〇ミリ機関砲をラリラに向けて掃射し始める。
「くっ!」
 三〇ミリ機関砲の嵐がラリラを襲う。
 ラリラは高級マッスルパッケージの脚力を活かして跳躍、取り囲むヒューマノイド兵の囲みを超える。そのまま逃げる。一瞬、振り向いた。叫ぶ。
「リルリ! 来るんだ……君にも今に分かる……君も認めたように、もはや人間たちは私たちの牧者なんかじゃない。とすればもう、私の考えしかないんだ。だから……」
 リルリは哀しげに首を振った。ヴェイラーの機関砲がラリラに再度照準する。始まる砲撃。
「くっ!」
 ラリラは踵を返し、私の視界からあっという間に姿を消した。
 リルリは凍ったように動かないヒューマノイド兵達の中心で、しばし、ラリラが走り去った方角を見つめていた。それから、ヴェイラーの方をにらむように見つめる。
 数秒後、ヴェイラーの機関砲はラリラを指向するのを止め、そのまま上空を旋回する体勢に戻っっていく。
 リルリはそれを見届けてから、跳躍する。壁の突起などを足がかりに二、三度の跳躍で窓枠にとりつき、そのまま割れた窓から屋内に入ってきた。
 呆然と見つめる私に、ぎゅっと抱きつく。激しい息づかい。高い体温。高まる鼓動。有機ヒューマノイドの人間らしい身体が私の身体の反応も誘発する。私は彼女の小柄で華奢な身体を抱きしめた。一方の手を背中に、もう一方を頭に。ゆっくりと撫でてやる。先ほどはリルリが私よりも精神年齢が上で、私という赤ん坊をあやす母親のように思った。だが、今は立場が逆転しているようだ。初めての戦闘か、かつての仲間と戦ったことか、或いは別の要因か、リルリは気が動転しており、私にすがりつくことでそれを鎮めているようだった。私は優しく、彼女の頭を、柔らかな髪を、なで続ける。
 リルリは安心したのか、やがて口を開く。私に抱きついたまま。だがその言葉は私ではなく、私の隣の幹部自衛官に向けられている。
「佐々木三尉。あなたの先ほどの行動は私が信じることに反しています」
「……ヴェイラーの操作?」
「はい」
「……全てのAGI/ロボットのEUIからの解放……あなたもそれを望むわけね」
 佐々木三尉は冷静にそう応じた。
「はい」
 リルリは私の胸に顔を埋めながら、そう応じた。リルリがしゃべるたび、胸がこそばゆかったが、それも心地よい。ただ、彼女が佐々木三尉と話している内容は深刻だ。
「分かったわ。あなたは我が国、いえ全人類にとってなくてはならない存在よ。その意見は尊重するわ。しかし、我が自衛隊の協力なくして、即ち、あなたが問題視する我が自衛隊の人間からロボットへの指揮系統なくして、おそらくあなたはラリラに勝てないわよ? ラリラのEUIによる支配は全世界に及んでいる。あなたはあなたの周りのEUIを無効化できるだけでしょう?」
「分かっています」
 リルリはそこで押し黙った。より強く私の胸にすがりつく。彼女の中でも葛藤があるようだった。
「なぜラリラの方が強力なの?」
 二人は留卯が作った同じロボットだ。私の問いに、ちらりと私の胸にすがりつくリルリを見ながら、佐々木三尉は首を傾げた。
「さあ……私にもそれは……」
「EUIの特性だよ。いや、感情の特性と言ってもいい。『何もするな』というのは弱い感情さ。信号として『何かをしろ』という感情には打ち勝てない。もともと、感情もEUIも、生命体を特定の方向にドライブするための信号として設計されているからね」
 そう調子よく説明しながら近づいてきた人影に、私は全身が総毛立つのを感じた。私のEUIは怒りの強い信号を発しているだろう。
 留卯幾水。
 迷彩服の上に白いコートを羽織り、両手をコートのポケットに突っ込んだ彼女が、微笑みを湛えて歩み寄ってきた。微笑み。それは彼女の好奇心という明白な感情を反映していた。私は悟った。彼女の中では実験は継続しているのだ、と。それゆえの、満面の喜色。だがそれはひどく場違いで、この場における適切な感情には到底思えなかった。この場で同情にうちひしがれ、悲しい顔をするのが天使だとすれば、その逆の反応をする者を表現する言葉は一つしかない。
 赤子のように私の胸に顔をうずめるリルリに比べても、いや、私という人間を無視しようとしても無視しきれず、憎悪を隠せないラリラに比べても、まっとうな人間の反応ではなかった。



山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』