「あんた、どこさ?」飯野文彦

(PDFバージョン:anntadokosa_iinofumihiko
 あんた、そう、そこを歩いている、あんた。
 見かけん顔だねえ。どこから来た?
 東京。東京のどこ? 百人町って? ああ、そんな町が、新宿の近くにあるの。それはそれは、遠くからきたもんだね。
 で、何の用があって、こんな山奥まで来たの? ハイキング? この山奥に?
 はははは、こりゃあ、物好きな人もあったもんだ。
 温泉が湧くとか、釣りができるとか、景色 がいいとかだったらわかるけど、何にもないんだよ、ここには。
 悪いことは言わんから、すぐに帰ったほうがいい。熊にでも襲われたら、えらいめにあう。近くに病院もねえし、携帯も通じないから、助けを呼ぶこともできない。
 ははは、アンテナゼロ、やっぱり無理だろ。言わんこっちゃない。それにしても、何で、こんなところへわざわざ来たの? ハイキングなんて、うそうそ。道に迷ったんだろう?
 わかるさ。見たところ、地図も持ってないようだし。リッュクとか水筒とか、何も持っていないもの。
 それに、訳ありだね。わかるさ。道に迷ったからといって、すんなり来られるような場所じゃない。
 死ぬ気?
 そこまで考えてるわけではないけれど……って、成り行き。どういうこと? つまり成り行きで死んでもいいってこと。
 何があったか知らないけど、もったいないねえ。まだ若いのに。いくつ? 三十。若い若い。結婚は? してない。
 ああ、わかったよ。失恋したんでしょ?
 やっぱり。それで自棄になって。
 原因は? 相手につきあっている男がいた。若いんだから、それくらいいても……へえー、同じ会社に勤めていた三つ年下の女で、あんたの直属の上司と不倫していた。
 よくわかったじゃない。そういうことをする女は、うまく隠しとおすもんでしょうに。
 彼女から言われた。黙って結婚するのは、心苦しいから?
 ちがう。ホテルであんたが、はやく終わったら、部長さんのほうが素敵って、惚気た。
 おやまあ、それはそれは。惚気たわけじゃないんだろうけど、あんた、よっぽど下手なんじゃない? 
 ごめんごめん。仕事や結婚式の準備で疲れていたってこと。それにしてもバカな女だね。いくら物足りないからって、言っていいことと悪いことの区別くらいつくもんだ。子どもじゃあるまいし。
 できちゃった婚? なんで、それは?
 ああ、子どもができたんで結婚しようと決めた。ところが、お腹の父親はあんたじゃなくて、上司の子だったと。
 それは、自棄にもなるね。でも、ものは考えようだよ。結婚前にわかって、よかったと思えば。そういう女は、結婚した後も、必ずまたやるから。そういうもんだって。
 だからといって、あんたが死ぬのは、どうかねえ。もったいないよ。悪いこともしてないのに。むしろ、相手の女が、死んだほうがいいんじゃない。
 カッとなって、刃傷沙汰とか、思わなかった? 思った! でしょ。なら何で……?
 あんた、いい人だねえ。殺したかったけど、お腹の子どもには罪がないからって。罪があるんじゃないのかい。いちばんの罪の結晶なんじゃないのかね。まあ、いいけど、さ。
 で、これからどうするの? 死ぬ決心がついた?
 黙っているところを見ると、まだまだ生に執着があるみたいだね。もっともだ。せっかくこの世に生まれてきて、これからってときに、すんなりと、ハイ死にます、とは言えるわけがない。
 でもね。なら、どうする?
 質問の意味がわからないかい。そうか、まあ、無理もないか……。
 つまりね。死ぬ決心もつかないまま、あんたはここに来ちまった。どういう加減か、あんたにはわからないだろうけど、ここまで来ちまったってことはねえ。実はすでにあんたの運命は決まってるんだよ。
 それなら、どうするなんて質問は無意味じゃないかだって。その通り。あんた、意外と頭がいい。ほんとうにもったいないねえ。でも、仕方がない。
 あんたが言うとおり、ここに来て、私に会った時点で、あんたの運命は決まっちまった。
 どんな運命か、だって?
 それを私に訊くのかい? やめておくれよ。私にだって、思いやりくらいあるんだから。人に訊くよりも、自分の胸に手を当てて、よぉく考えてごらん。
 わかったかい? わからない。いや、わかってるはずさ。ああ、わかったわかった。騒がないでくれよ。今になって、私に当たってもしょうがないだろう。
 そうだよ。あんたはこれまでがんばってきた。人間になって、自分を人間だと思い込んで、がんばってきた。
 そりゃあ、そうだ。あんたの親父さん、お袋さんも人間社会に溶け込んでいただろうし、まして二世のあんたは、生まれたときから自分のことを人間だと思っていただろう。
 黙って、落ちついて、私の話を聞くんだ。そう叫ばないでも聞こえる。おれは人間だ、人間でないなら、何だと言うんだ、って、そんなに大声を出さないほうがいいよ。
 ここら辺りには、私以外にもいるからね。あんたの声を聞きつけてやって来られたら、こっちの商売あがったりだ。
 まだわからない。そうか、まあ、仕方がないなあ。それじゃあ教えてやろう。冥土の土産ってやつさ。
 何を不吉な、おれはもう死なない、死ぬのはやめただって。ははは、遅いよ。もう遅い。
 ここはね、人間には来られない場所なんだ。
 びっくりしたな。とつぜん大声で笑い出したりして。何がそんなにおかしいんだ?
 人間のおれが来ているじゃないか。あんただって、そうだろう……それがおかしいのか。そうか、おかしいなら笑うがいい。ただ笑いながらでいいから、それがこころの底から出ている言葉かどうか、よーく考えるんだ。
 ほら、目が泳ぎだした。こころ当たりがあるんだね。そうだろ。すなおに認めな。
 どうした、今度はしおらしく頭をさげたりして。私が、誰か、だって。そうかい、それなら私のほうから話すとするか。
 ああ、そうだ。私は人間じゃない。猟師のかっこうをしているが、化けているだけさ。ふだんは化けたりなんかしないで、いつも通りのかっこうをしている。
 けれども、ひさしぶりに獲物が来たから、あわてて化けたんだ。そうだよ、獲物って言うのは、あんたのことだ。
 この鉄砲は、あんたを撃つためにわざわざ持ってきたんだ。人殺し? 飛んでもない。人間を殺したいと思ったことは、たしかにあるけれど、そんなことをしたら、やつら総出で押しかけてきて、根こそぎやられちまう。くわばらくわばら。
 矛盾している? 人間はここに来られないってさっき言ったじゃないか、だって。たしかに人間は、来られない。が、多勢に無勢で無理やり押しつぶされちまう。
 ほら、蟻の巣に人間は入ることはできないだろうが、ブルドーザーみたいなもんを使えば、入らなくても、ぶちこわせるだろう。あれと同じ理屈さ。
 どうだい、だんだんわかってきただろう。その顔を見ると、図星だね。
 たしかにあんたは、ずっと人里で、自分を人間と思い込んで生きてきただろう。中にはそのまま人間と疑わず、一生をまっとうするものもいる。
 でも、何かにつまずいたりして、今回のあんたみたいになると、ぶらり彷徨い、ふと気がつくとここに来ている。
 わかったようだね。そうだよ、おかえり。ここはあんたの故郷だ。正式には、あんたの親父やお袋の生まれ故郷だ。
 私たち一族も、いろいろあってね。このまま山で暮らすべきか、それとも町に出るべきか。二つに意見が分かれた。
 解決がつかないまま、私らは山へ残った。そしてあんたの親父たちは町へ出た。町へ出るなら、正体は明かせない。人間になりきって、暮らすしか道はない。
 それにはそれだけの化ける技量が必要だ。よし、それならと私たちの力を与えてやることにした。その代わり、私らも見返りを求めた。
 死ぬときには、こちらにもどってきて、その身体を私たちに差し出すこと。肉は貴重な栄養源だが、せちがらい世の中、なかなか手に入らないからね。
 おや、また大笑いをはじめたね。今度は何がおかしいんだい? 話があまりに馬鹿馬鹿しくて、これが笑わずにいられるか、と言うんだね。
 それなら、なぜここへ来られたんだ。どうやって、ここまで来たか、思い出してみればいい。
 それみろ、思い出せないだろう。ただ嫌気が差して、遠くに行きたいと思った。それであんたの中にある、スイッチが入ったのさ。それで私たちが巧妙にこしらえた、次元の壁をするりと抜けて、気がついたら、ここを歩いていたってわけさ。
 次元の壁って、何だ、だって?
 いやあ、そう訊かれると恥ずかしい。ずっと人間として生活してきたあんたに、バカにされないように。そう思って、少しばかり気取って言っただけのことさ。
 つまり、これだよ。頭に木の葉をのせて、ちちんぷいぷいのぷい……とね。そう、つまりは化かしてあるのさ。だからおおぜいの人間に押しかけられたり、ブルドーザーなんかを使われたら、いちころってわけ。
 まったく人間ってやつは、桁外れの乱暴者だからね。悔しくても、そっと息の根をひそめて、あいまいに化かすしかないのさ。
 おっと、笑ったね。その笑いは、バカにした笑いだね。あんただって、同じようにして化けてるだけなんだよ。
 おっとっと、大笑いだね。腹を抱えて笑うってやつだね。ははは、いいよ、笑えば。いっそのこと、ほんとうに腹を抱えて笑ってごらんよ。
 もっと、もっと強く、腹にさわって。もっと強く腹に、もっと強く!
 はははは。驚いたかい? 私たちの特技の〈腹鼓〉さ。ああ、もう気取って私たちなんて言うのは、やめだ。おいらたちの十八番だ、ポンポンポン、それ、ポポン、が、ポン。
 あんたもいっしょにやってごらんよ。平手よりも、かるく拳をにぎったほうが、いい音がするから。こんな風に、ほら、ポンポンポン、ポポン、が、ポン。それ――。
 ああ、びっくりした。いきなり、やめろおおおおなんて、ばかでかい声で叫ぶから。鼓膜が破れたかと思ったよ。
 どうしたの? 怒った? 泣いてるの? 泣いているね。悲しいのかい? 何が悲しいんだい?
 おれは狸なんかじゃない、おれは人間だ、バカにするな……か。うんうん、前に仕留めたやつも、同じことを言っていたっけ。
 つらいんだろうな、きっと。そりゃあおいらみたいに、生まれたときから狸だってわかっていれば、別だろうけど、あんたはずっと人間だって信じてたんだから……。
 素直に結婚しておけば、よかったんじゃないのかな。結局、おいらたちだって人を化かしてるわけだし。
 人間の化かし合いだって、黙って見過ごしてやってれば、あんたもまだまだ、ここに帰ってくることはなかった。一生、自分は人間だって信じたまま、死ねたかもしれない。もっとも死んだ後、死骸となってここにもどってくるんだけどね。
 そうだよ。あんた、これからおいらに食われるのさ。この鉄砲は、本物だ。ずいぶんと古いけど、おいらの爺さんが、本物の猟師と取り引きして、もらったんだ。おいらの家の家宝ってわけさ。
 撃てるよ。撃ち方も教わった。殺せるよ。現にさっき言った、あんたの前に来たヤツなんか、土手っ腹に一発ズドンとやってやった。
 でも、腹はよくないな。うん、よくない。どうしてかって? 苦しむんだよ。どばどば血を流して、痛い痛いって苦しがって、しまいには、自分で腸を引っかきだして……。
 あんたは、頭を撃つよ。だいじょうぶ、外すもんか。そうすれば、あんな痛い思いはしなくても、すむからね。
 でも、おとなしくじっとしていてくれよ。逃げたり、動いたりしたら、別のところに当たって、苦しむだけだから。
 さてと、それじゃあ、はじめるとしようか。さっきあんたが何度も大声を出したから、悪いんだ。立ちの悪い連中が、嗅ぎつけてやってくる前に、終わらせなくちゃならない。
 ああ、泣きなよ。ああ、やめてくれよ。助けてくれって言われても、それだけはできない。もう決まってることなんだ。人殺し? だからそうじゃないって、腹を叩いてわかっただろうに。
 やめてくれ。大声を出すのは。だめだよ、ここからは逃げられない。かえって苦しむだけだ。おとなしくジッとしていれば、一発で頭を撃ち抜いてやるから。
 困ったな。おいらが見逃しても、あんたは絶対に助からないんだって。実はね。あんたを仕留める最初の権利は、おいらが持ってる。
 もしおいらが失敗しても、失敗しないけど、必ず仕留めるけど、たとえばの話、失敗したとしても、次に権利を持っているヤツが現れて、あんたを狙う。
 そいつが失敗しても、三番目。そいつが失敗しても、四番目。そいつが失敗しても……え、何番目までいるかって? ええ、たしか七、八、九、十、十一……ああ、とにかくいっぱいいる。
 自慢じゃないけど、おいらが一番やさしいよ。あんた、おいらでツイてるよ。ほかの連中なんか、問答無用でズドンだったり、わざと太腿とか撃って、動けなくしてから、石で叩いたり、包丁で削ったりするヤツもいるんだから。
 まあ、気持ちはわかる。それだけ、人間になったあんたらに恨みつらみがあるんだ。狸の本分を忘れて、好き勝手やりやがって。狸としての本分を守っているのは、山に残ったおいらたちだからね。
 だから、その代償として、あんたたちはここに来たら逃げられない。おとなしく撃たれなくちゃならないんだ。
 さあ、日が傾いてきた。そろそろタイムアップ。へへへ、すごいだろ。実はおいら、こっそり村の中学校へ忍び込んで、勉強してるんだから。
 苦しみたくなかったら、動くなよ。一発でしとめてやるからな。
 えっ、何だって? 撃ち殺して、その後、どうするつもりかだって?
 ははは、それは人間だったあんたのほうがよく知ってるんじゃないのかい。何のためにおいらが、こんなかっこうをしてると思うんだい。
 そう、猟師だ。猟師のかっこうをして、あんたと出会ったとき、おいら、訊いただろう。そうか、それじゃあ、言い直してやる。
 あんた、どこさ?
 東京、どこさ?
 百人町、どこさ?
 ここは、せんばさ。
 せんば山には狸がおってさ。それを猟師が鉄砲で撃ってさ。
 ズドーン。ほら、一発で脳天をぶち抜いただろ。痛くなかっただろ。さっそく火を起こして、お湯を沸かして。
 煮てさ。焼いてさ。食ってさ。

「ああ、うめえ。やっぱり肉は狸にかぎる」
 がつがつと骨まで噛み砕かんばかりに、喰らった後、
「ごめん。嘘ついちまった。おいらは狸じゃねえんだ。あまりに狸がうまいから、ここにいた連中、全部、喰っちまった。でも、ま、いいだろ。あんたら喰われるのは、避けられない運命ってやつなのさ」
 残骸を、木の葉で隠していく。
「それを木の葉で、ちょいとかぶせ」
〈それ〉は、いずことも知れず消えていった。

(了)



飯野文彦プロフィール


飯野文彦既刊
『飯野文彦劇場 揉みほぐされる脳』