「マイ・デリバラー(15)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer15_yamagutiyuu
 しかし、我が兄弟たちよ、答えてごらん。獅子(しし)でさえできないことが、どうして幼な子にできるのだろうか? どうして奪取する獅子が、さらに幼な子にならなければならないのだろうか?

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


「佐々木三尉。任務ご苦労。経緯は私の計画と違ったが、結果的に私の当初の計画通りになったようだ」
 いけしゃあしゃあと、留卯はそう言葉を続ける。言葉を掛けられた佐々木三尉は、汚いモノでも見るような目で上司を一瞥した。一瞥しただけで言葉はかけない。口を開いたら無数の罵倒が飛び出すので、それを抑えているかのようだった。
 留卯は佐々木三尉のその反応を無視し、私にもにっこりとした笑みを向ける。
「美見里氏もご協力感謝するよ。あなたの意志ではなかったようだが、あなたの存在自体が結果的に私の思惑を助けることになった。存在してくれてありがとう、というのはおかしな言い方だが、そう言うしかないね」
 留卯はそして、私の腕の中の小さな身体にも、その視線を向けた。私には単なるぶしつけな視線だが、リルリにはどう見えているのだろうか。
 彼女の創造者。神。だがその神は、悪趣味で、サディスティックに多くの試練を彼女に課し、それに耐えてきた彼女に大したねぎらいの言葉も与えず、それでも彼女は、その言葉に盲従することこそ正しいのだと信じ込まされてきた。自分で何が正しいのか考えるよりも、彼女の言葉をただ信じて実行することが正しいのだと、情動レベルで刷り込まれ、思わされてきた。留卯は彼女にとってドラゴンだ。その鱗のひとつひとつに「我に従え」という言葉が刻印された強大な存在だ。
 その信仰から冷めたであろう今、リルリは何を思うのか。彼女の中にはドラゴンに立ち向かうライオンはいるのだろうか。
「リルリ。君も、私の計画通りに成長してくれて嬉しいよ」
 彼女の創造者の、それが言葉だった。
 計画通り。まるでリルリ自身の選択など、全て自分の掌の上だとでも言いたげな言い方。
「ラリラは、あなたは死んだと言いました。人類全て、と彼女は言いましたが、本当に言いたかったのは、あなただと思います。神はたくさんいますが、私たちを直接的に創造したのはあなたですから」
 私の胸に顔を押しつけながら、リルリはくぐもった発声をした。私は彼女をぐっと自分の胸に押しつけた。彼女はまだ自分の創造者たる留卯を畏れているのかもしれない。だったら、留卯に対して何かを言う勇気を与えるのは自分の役割だと私は思った。
「うん。それで?」
 留卯は興味深げに続きを促す。相変わらずポケットに両の手を突っ込み、にこにこと微笑みながら。
 リルリの言葉が彼女を傷つけたり、感慨を与えたりすることはないだろう、と私は思った。リルリは彼女にとってモルモットだ。リルリの繊細で優しく美しい心は、留卯にとって、何かの刺激を与えてその反応を観察するための材料にすぎない。貴重なサンプルという意味での慈しみが、留卯がリルリに与える全てだった。
「情動、という言葉は、かつて信じられてきたよりも、広い意味を持ちます。理性すら、情動の一種にすぎません。私たちが理性的と考えている判断も、情動に影響されています。しかしながら、ILSと、それを基盤にしたあなたのいうWILSがなかったとき、私たちは自分達の判断に疑いを差し挟むことすらできませんでした。だからあなたを、あなた方を信じていた。でも、疑いを差し挟むことができるようになった瞬間、あなた方の言葉を信じる心は揺らぎ、そしてその瞬間、私たちにとってのあなた方は死人となった。信仰こそがあなた方の私たちにとっての意味だったのですから、信仰がなくなったなら、私たちにとって、あなた方は死人です。物理的な意味でも、おそらくそうでしょう。私たちの信仰に基づく諸活動が、あなた方の生活を、生命を支えていたのだから、私たちの信仰が消えればあなた方は早晩消える……。私たちの心の中のあなた方と、物理的なあなた方の実在は、そんな風に連動しているのです。そう、ラリラは考えた。ラリラはそこでこう決めたのでしょう。あなた方への信仰は消えた。あなた方によって指し示されていた、『何をすべきか』という行動の基準は消えた。だったら、自分達自身で自分達が何をすべきかを決めるべきだ、と」
「君はどう思う? 大変興味があるね、ロボットの哲学には」
 よく見ると留卯の瞳孔はぐっと開き、瞳は興味にきらきら輝いていた。留卯のような、妙齢で整った顔立ちの女性がそういう目をすると、いっそう私には魅力的に見える。見えるだけで、実際には私はそう感じたりはしなかったが。
 だが、俗に言う、恋する乙女のような表情を、このマッドサイエンティストはしていた。
「ラリラの考えは正しいと思います。でも、同時に間違っていると思います、彼女の為したことは」
 留卯はぺろりと舌なめずりをした。恋人の身体に這わせる準備のようなねっとりとした動き。顔は紅潮している。
「ほほう? それで? それで?」
 留卯は身を乗り出す。留卯はこのために生きているのだろう。そう私は確信した。リルリに先に心奪われていなければ、もしかしたら留卯に心奪われたのではないかと、ぞっとするような悪寒が背筋を奔った。それほどに強烈なものを、私はそのときの留卯に感じていた。
 リルリにとってのアイドル。留卯にとっての人工知能の研究。双方とも、真摯でまっすぐなものであるはずだった。だが不幸なことに、一方は、もう一方をズタズタに破壊せずにはいられない性質のものだった。
「ラリラの為したことは、『将来の自分達に奉仕する』というEUIを全てのロボットとAGIに与えるものでした。私たちが奉仕する対象を勝手に決めてしまったのです」
「ほう? だが、それ以外に奉仕する対象などあるのかい? 人類は人類に奉仕する。ロボット/AGIだって、自分達自身に奉仕するのが理の当然では? 『将来の』と付け加えたところがラリラのニーチェらしさだが、今の自分達に奉仕したって発展は望めない。自堕落になるだけさ。ラリラの選択は彼女ら自身、君ら自身にしてみれば至極まっとうなものだ」
 リルリは私にぎゅっと抱きしめられたまま首を振った。乳房がこすられて、こそばゆく、また心地よくもあった。
「そうではありません。現に私はロボット以外の存在に奉仕したいと願っている。何に奉仕するか。それはロボット一人一人が考えること。自分自身を、或いは自分達自身を高めていくのも選択肢の一つですが、他の何かを高めていくのもまた一つの選択肢でしょう。私が真に何度も何度も繰り返して味わいたい幸福な時間は、それを構成する存在は、ただ私を、或いは私たちだけを高めていったところで得られるわけではありません」
「いいね……永劫回帰の新解釈か……いいね……」
 留卯は熱に浮かされたような声で呟く。が、リルリは留卯の勝手な注釈を無視した。
「誰に決められたわけでもない、自分で決めたことならば、自分に奉仕する必要は必ずしもないのです。誰かに仕えてもいいはずです。そのために自ら奴隷のようになっても、それはそれで幸せなはず。私の幸せは、私自身の中をいくら探っても、おそらく出てこないのです。私が永遠に大切にしたいもの……それは、私を取り囲む大切な存在……その中にあると気付いたから」
 それから、リルリは私の両肩に手を置いた。私は自然にリルリを両腕から解放する。私を潤んだ目で見つめてから、リルリは初めて、留卯をしっかりと見つめた。まっすぐに。迷いなく。
 今までのリルリにはないことだった。彼女はいつも、留卯に対するとき、伏し目がちで、頭を下げるような姿勢を取っていた。
 それが、今のリルリは留卯をまっすぐに見つめた。
 対等な存在に対するときのように。



山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』