「故郷への降下」伊野隆之

(PDFバージョン:kokyouhenokouka_inotakayuki
 軌道ステーションでの訓練より、よっぽどひどい状況だった。足下はぬかるんでいるし、天井の配管が水漏れを起こしたかのように、絶え間なく雨が降っている。体が冷え体力を奪われるし、見通しも悪い。それでもリーダーのレイモンドは、変異した木々が生い茂る森の中を、スピードを緩めることなく再入植基地に向かっていた。
 降下から二日が経過している。基地のビーコンから送られてくる信号は、途絶えることなく僕たちをせかしていた。
 荒廃した地球への再入植のために作られた基地は危機に瀕していた。戦争を生き延びた動物との接触があり、基地に感染症が蔓延している。抗生物質や、消毒薬、栄養補助タブレットの備蓄が想定以上の速度で減っていた。僕たちが運んでいるのは、そういった貴重な補給物資であり、僕たち自身が再入植基地への増援部隊だった。
「気をつけろ!」
 森を抜けたところで先頭を行くリーダーのレイモンドが叫んだ。僕たちの前には大量の水、川が荒々しく水しぶきをあげて流れている。事前の情報では川幅も狭く、流量も少ないはずだったのに、降り続いた雨で増水していた。
「どうするんだ?」
 副官のエドガーが尋ねた。
「渡るしかない。この川を越えないと、基地には行けない」
 どうやって川を渡ればいいのか、やり方はわかっている。向こう岸にアンカーを打ち込み、ワイヤーを渡して伝って行けばいいのだ。そのために、僕の装備の中にはワイヤーランチャーがある。
「ハルキ、できるか?」
 レイモンドが僕を見る。向こう岸まで距離があったが届かないほどではない。僕は、マシンアームでワイヤーランチャーを取り出すと、強化された視覚で向こう岸の大きな樹に狙いを定めた。
「あの樹にします」
 射出されたアンカーは、なだらかな弧を描いて向こう岸にある大きな木の幹に突き刺さった。アンカーがしっかりと食い込んでいることを確認したレイモンドは、ワイヤーのこちら側の端を近くの岩に固定する。
「流されそうになってもあわてるな。俺たちなら行ける」
 そう言うと、躊躇なく川の流れに飛び込んでいく。冷たい水にずぶ濡れになることを思うと絶望的な気分になったが、僕たちは、既にこれ以上ないほど濡れていた。

*   *   *

 遺伝子レベルまで評価される書類選考があって、難易度の高い適性テストがあって、厳しい訓練がある。合格率は高くない。選別は真剣なものだったし、その全てで合格しないと、地球への派遣部隊には選別されない。
「自信はあるんだ」
 暖かいベッドで丸まりながら、僕は兄弟のレイモンドに言った。僕たちの血統は折り紙付きだし、体も大きく、感覚も鋭い。戦争で生まれた危険な変異種を排除し、切り開いたばかりの基地を確保する任務にはうってつけのはずだ。
「自信だけあってもな」
 レイモンドはシニカルに鼻を鳴らした。体も大きく能力もあるし、自信もあるに違いないのに、いつだって慎重なのだ。
「僕たちの書類には問題なかったし、適性テストだってうまくやれた。きっと、訓練だってパスできると思うよ」
 降下地点の環境を模したフィールドでの訓練は、すでに二ヶ月ほど経過している。基本的にはチームに分かれてゴールを目指すという形式のもので、途中でいろいろとクリアしなければならない課題がある。ゴールに至るルートの選定に始まり、水や食糧の確保、危険な敵との遭遇もあれば、トラブルも発生する。どんな場面でも自分たちだけで対処しなければならない。
「遭難者の救助は必要だったのかな」
 つぶやくようにレイモンドが言った。
 僕たちが受けた前回の訓練ミッションのフィールドは、見通しの利かない深い森だった。木々は太く、高さにして二十メートルほどの天井近くまで延びている。多分、プラスチックとのハイブリッドだろう。本物なら何百年もの時間をかけないと、そこまで大きく育たない。巨木の下で日の光が遮られてはいたが、蔓性の植物が生い茂り、僕たちの行く手を遮っていた。
「見捨てるわけにはいかないよ」
 川筋のルートを提案したのはレイモンドだった。危険な生物に出会う可能性が大きくなる一方で、森を切り分けて行くよりは、はるかに早く進めそうだった。だから僕はレイモンドの提案を支持し、計画ルートの変更に同意した。
「俺たちはゴールへの到着が遅れた。急ぐようにとの指示だったのに、寄道をした」
 川にはところどころに中洲があり、その中洲のひとつに遭難者がいた。川の流れは速く、ロープを使って中州にたどり着くのに小一時間ほど、さらには、遭難者を励まし、中洲から戻るのにさらに二時間ほどかかった。時間のロスはそれだけじゃない。遭難者は足に怪我をしていて、進むのも遅くなった。携行食糧を分け与えたので、予定外の食料調達が必要になり、狩りの時間もかかった。多分、丸二日は余分に時間がかかったろう。
「でも、僕たちはやり遂げたじゃないか」
 僕たちが助けた遭難者は、別のチームのメンバーだったけれど、見過ごすわけにいかない。
「それと評価は別だ」
 助けるべきかどうか、逡巡があったのも事実だった。ミッションが与えられ、遅くなったチームが振り落とされる。部隊の派遣に使われる降下ポッドの数に比べて、訓練生の数はまだ多い。評価結果は、明日の朝にならないとわからない。レイモンドは大きくあくびをして、枕の下に頭を突っ込んだ。

 訓練の段階が進んで、僕たちは最終候補に残っていた。訓練のフィールドはさらに一階層下になり、体が重く、疲れやすくなる。
 僕たちの担当マスターは言う。ここでへばっているようじゃ、下では使いものにならないと。
 マスターが言う「下」という単語には、いつだって混乱がある。僕たちの体を押しつける重力の方向が「下」という感覚で、日常的には問題を生じない。一方で、僕たちの故郷である地球の方向もまた「下」であり、僕たちの体を基準にした「下」とは方向が一致しない。僕たちは軌道上にある三重になった円環状のステーションにいて、自転による遠心力で、疑似的に重力を作り出している。つまり、感覚的には外側に向かう方向が全て「下」なのに、地球がある方向は、僕たちのいるステーションの回転軸が指し示す方向なのだ。
 もちろん、訓練にそんなことは関係ない。生まれ育った内側の低重力階層を離れ、故郷を取り戻すための拠点となる基地に降下する準備として、外側の階層でより大きな重力に体を慣らしている。
「いつまでつづくのかな」
 つい、そんなことを口にする。訓練を終えた僕たちは、宿舎に戻ってきていたが、同じ最下層にいる限り、重力から逃れられない。
「この環境が苦にならなくなるまでだろうよ」
 レイモンドの指摘は正しい。この環境に慣れれば、準備が整ったことになる。準備ができれば、こんなところで待機している必要はない。僕たちは「下」に行って、再入植基地の先遣隊に合流する。そんなことを考えたらちょっとげんなりした。僕たちの故郷の惑星は、このステーションのような円環構造物ではないのだから、さらに「下」に行ったからといって、体がもっと重くなるというものではないのに、直感の方が勘違いしてしまう。
「早く終わるといいのに」
 ついそんなことを言った僕を、レイモンドが睨んだ。
「終わる終わらないの問題じゃない。それに、訓練が終わったら、ちゃんとした肉が喰えなくなる。それでもいいのか?」
 僕たちは貴重な肉をたらふく食べていた。たっぷりと良質の肉を食べ、筋肉に負荷をかける。そうすることによって、僕たちの体に筋肉がつき、さらに大きく、逞しくなる。訓練によって心肺機能も強化され、活動の制限も少なくなるだろうし、戦争で汚染された地上にはびこる動物とも戦えるようになる。体を大きく、強くすることも訓練の一部だった。
「地球でも狩りをすればいいんじゃないの?」
 そう言った僕に、レイモンドは鼻を鳴らした。
「そんなに簡単なものじゃない」
 レイモンドはいつだって正しい。下にも狩りの獲物はいるし、僕たちなら捕まえることができる。でも、地球の生物は危険で、狡賢い。
 僕たちは、そう教えられていた。

 最終のメディカルチェックを終え、医療インプラントを皮下注射された。つまり、僕たちは選ばれたのだ。地球に降り、居留地を確保するというミッションに、僕はちょっとした興奮を覚えている。
 戦争の原因がなんだったのか、僕たちはよく知らない。けれど、地球では戦争が起き、中立を宣言した軌道上のステーションだけが生き延びた。地球は放射性物質や化学兵器、生物兵器で汚染され、普通に生きていける環境ではなくなった。その地球を取り戻すために選ばれたと思うと、僕は誇らしさに胸がいっぱいになる。
 いつものように、レイモンドはクールだった。
「下は安全じゃないんだぞ」
 興奮気味の僕を落ち着かせようというのだ。
「大丈夫、わかってるって」
 準備を終えた僕たちは、チームごと降下ポッドに押し込まれた。体を狭苦しい緩衝ベッドに潜り込ませ、降下姿勢をとる。緊張と興奮のせいでポッドの中が汗くさくなっていた。
 全員が所定の位置に納まったところで、カウントダウンが始まる。降下ポッドはステーションの外に押し出され、懸架フックだけでつり下げられている。ステーションの自転に振り回され、僕たちの体は、さらに下へと押しつけられる。
 カウントゼロと同時に降下ポッドが放り出され、急に体が軽くなる。ステーション最外縁から接線方向に放り出された降下ポッド自体には、軌道を変えるほどの推力はなく、自由落下軌道で落ちていく。だから、姿勢制御も難しいし、降下ポイントの精度も低い。
 降下ポッドに窓はなく、十分な計測機器もなかったけど、自分たちがどういう状態かはわかっていた。大気圏に突入した降下ポッドは激しく揺すられる。安全のため胃の中は空っぽになっていたから、チームの誰も戻すことはなかったが、そのせいで空腹を意識させられた。パラシュートの展開による急な減速では、体が押しつぶされそうな気がした。着地の際の突き上げるような衝撃は、緩衝ベッドの中で安全な降下姿勢を保ってやり過ごすよりなかった。
 基地からは距離があったが、安全な降下地点として選んだ湿原に、僕たちは無事降下した。基地のビーコンからの誘導信号は確実に受信できていたし、チームの誰も怪我をしなかった。地表の状況も悪くない。地球をめちゃくちゃにした戦争でできた汚染スポットからも離れていた。
 降下ポッドを出た僕は、周囲の光景を見渡して、ちょっとしたパニックにおそわれた。周囲がどこまでも平坦なのだ。ステーションでは、周囲の全てが湾曲し、上方向にせり上がっている。それが、ここでは平坦に広げられている。
「どうした、ハルキ?」
 僕の様子を見て、レイモンドが聞いてきた。
「だって、ほら……」
 周囲を見渡す僕に、レイモンドが言う。
「ちょっとした広場恐怖症だ。なるべく足元を見ていた方がいい。そのうちに慣れる」
 訓練で教えられたはずなのに、つい、忘れてしまう。それが、リーダーに選ばれたレイモンドと僕との違いだった。
 降下ポッドの船殻に組み込んだそりを外し、荷物を積み込む間に、いつの間にか奇妙な感覚は薄れていた。僕の感覚も、地球にいることに慣れたのだろう。
 ドライミートの食事を終えた僕たちは、再入植基地に向けて意気揚々と出発する。距離にして三百キロ足らずだったし、訓練でも経験のある距離だったから、僕は何の心配もしていなかった。それに、最下層での訓練で経験した重力は、もっと強かった。

 湿原を抜けたところで、そりの荷物を分けて背負った。そのときのハーネスの締め付けが甘かったからだろう。僕たちは、川で荷物の一部を無くした。基地で必要とされている医薬品ではなかったが、僕たちが食べるための携行食料を失った。軽くかさばっていたことも、水の流れに押し流された理由だろう。水の圧力を受け、食料を入れた背嚢は、一瞬で流されていった。食料を入れた背嚢を失ったカレルはしょんぼりしていたけれど、レイモンドはカレルを慰めた。もし、背嚢ごと流されていたら、先に進むか、カレルを探すかという難しい決断を迫られたろう。
 僕は、きっとカレルを探すべきだと主張したと思う。そのときにレイモンドがどんな決断をするか、僕にはわからない。メンバーを失うことなく、ミッションをやり遂げること、それが重要だった。
 行程の三分の二を終えたところで、食料が底をつき、僕らは狩りをした。耳障りな声でなく四本足の小さな動物は、足が速く捕まえるのが難しかった。追いつめたと思っても、急に方向を変え、近くの木に駆け上ってしまう。枝の上で僕たちをバカにしたように見下ろす様子は、いかにも狡猾そうだった。
 結局、成功した狩りは、別の動物をねらったものだった。その動物は、走るのは遅そうだったが、体が大きかった。小さな群を作り、周りを警戒していたが、僕たちは、夜の間に隠れて小さな個体を捕まえるのに成功した。小さな動物は悲鳴を上げようとしたけれど、レイモンドが強い顎でとどめを刺した。
 メンバー全員で分けると、肉の量は思ったより少なく、変な臭いもしていたが、それでも新鮮な肉にありついた僕たちの志気は上がった。さもなければ、最後の難関を越えられなかったろう。
 僕たちは知っていた。ステーションで与えられたマップにもはっきりと書かれていた。でも、実際に経験してみなければ、本当のところはわからない。まるでステーションの中にいるように、進むべき先がせり上がっている。奇妙なのは、周囲が全てせり上がっているのではなく、僕たちの進行方向だけがせり上がっているのだ。
「あと少しだ」
 レイモンドがみんなに声をかける。それは、重力が大きくなり、体が重くなってきたからだろう。
 僕は少し混乱していた。ステーションでは、地面の向きと重力の向きの関係は一定していた。それが、今は違う。重力は、僕たちの体を、下だけではなく後ろへも引っ張っているような気がした。この奇妙な感覚と、地図上の表記の関係に気づいたのは、「登り」を三時間ほど続けてからだった。ステーションには斜め方向の登りはない。
 そこまで思い至って初めて僕は理解する。高重力の訓練は、この「登り」を想定していたのに違いない。僕たちは、息を喘がせながら「登り」を急ぐ。入植地では、仲間とマスターが待っている。

 僕たちはミッションに成功した。メンバーを失うこともなく、補給物資を届けることにも成功した。これで危機は乗り越えられると、僕たちを出迎えた再入植基地のマスターが言った。僕たちは疲れきっており、途中の行程で薄汚れていたけれど、マスターの言葉は、僕たちをとても誇らしい気分にさせる。
 マスターは、順番に僕たちの頭をなで、マシンアームを取り付けた首のあたりを掻いてくれる。それに応え、僕たちは、全身で喜びを表す。四つの足で大地を踏ん張り、思いっ切りしっぽを振る。それが僕たちだ。
 僕たちはマスターたちにより、知恵を与えられ、強くなった。マスターたちにはない鋭い感覚と、強い歯と、強靱な体で、戦争によって変異した動物に支配された地球を回復する。そのために、変異動物を追い立て、駆逐しなければならない。それが僕たちの、次のミッションになる。
「どうしてだと思う?」
 僕たちは、再入植基地の一角に宿舎をあてがわれていた。旅の汚れをさっぱりと洗い流したレイモンドは、くっきりと色分けされた毛並みを取り戻している。灰色に汚れていた被毛の色も、白と黒と茶色の三色に色分けされ、オリジナルのビーグル犬の特徴をはっきり残している。
「気づいてるはずだ。マスターから、動物と同じにおいがする」
 レイモンドの言葉に、僕は無言で頷いた。ほんの僅かだったが、僕たちを出迎えたマスターから、獲物にした動物と同じにおいがした。
 警戒しなければいけない。地球にはびこっている動物は危険で、狡賢い。



伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『こちら公園管理係6
 さよならガンさん』