「死滅世代」山野浩一

(紹介文PDFバージョン:simetusedaishoukai_okawadaakira
〈山野浩一未収録小説集〉
 すでに山野浩一氏が「山野浩一WORKS」(ブログ)やFacebookで発表していることですが、現在、氏は癌で闘病中です。私はここ数年、『山野浩一評論集(仮題)』を編集しており、氏の原稿の収集につとめているのですが、その過程において、これまで単行本や文庫本に収録されていない中・短編小説・ショートショートを発見してきました。
 そこで、恢復祈願を兼ね、〈山野浩一未収録小説集〉と題し、作者の許諾を得たうえで「SF Prologue Wave」にて単行本未収録の小説を紹介していきたいと思います。
 これを機に、山野浩一氏の仕事を、読み直していただけましたら幸いです。なお、作品の歴史的な意義を尊重し、明らかな誤記・誤植を除いて、初出の表現をそのまま踏襲しております。

 最初にお届けする単行本未収録小説は、「死滅世代」。これは「小説推理」(双葉社)一九七三年七月号に掲載された、四百字詰め原稿用紙換算で四十八枚ほどの作品。山野浩一氏曰く、数少ない未来宇宙小説でストーリーテラーな作品ではあるが、非常に陰鬱なトーンが貫かれているがため、単行本に収録しようとすると編集者に必ずはじかれた、とのこと。
 山野氏には、むしろ今の読者に読んでほしいとの期待があり、そのため最初の採録となりました。いま読むと、伊藤計劃『虐殺器官』のような“救いのない”作品が広く受け入れられる現代の「世界内戦」を先取りしていますし、何より「死滅世代」の翌年に発表された「殺人者の空」(初出:「SFマガジン」一九七四年二月号、『山野浩一傑作集Ⅱ 殺人者の空』創元SF文庫所収)に共通するモチーフが散見されます。いわゆるSFの保守本流たるスタイルに挑んだ「開放時間」(「宇宙塵」一九六六年四~六月号、『山野浩一傑作集Ⅱ 殺人者の空』所収)と読み比べるのも一興でしょう。
 「SF Prologue Wave」採録にあたって、「死滅世代」の文字起こしは柳剛麻澄、企画・監修は岡和田晃が担当しました。

 その他、新刊で読める山野氏の小説としては、「X電車で行こう」が『日本SF全集1 1957~1971』(出版芸術社)に、「地獄八景」が『NOVA10 書き下ろし日本SFコレクション』(河出文庫)に、「メシメリ街道」が『日本SF短編50 2』(ハヤカワ文庫JA)および『70年代日本SFベスト集成2 1972年度版』(ちくま文庫)に、「戦場からの電話」が『あしたは戦争 巨匠たちの想像力[戦時体制]』(ちくま文庫)に、「革命狂詩曲」が『暴走する正義 巨匠たちの想像力[管理社会]』(ちくま文庫)に、それぞれ収録されています。
 『山野浩一傑作選Ⅰ 鳥はいまどこを飛ぶか』、『山野浩一傑作選Ⅱ 殺人者の空』(いずれも創元SF文庫)は流通在庫のみのようですが、電子書籍では普通に入手することが可能です。(岡和田晃)




(PDFバージョン:simetusedai_yamanokouiti
 ハイスクールの卒業パーティで一人の女学生が殺された。白いテーブルクロスの上に酒瓶や料理とともに彼女の全裸の死体が並べられ、多くの生徒が次々ナイフやフォークを乳房や眼に突き刺していった。僅かな生命の名残りを思わせる鮮やかな血がテーブルクロスを赤く彩色していった。
 彼女の名はトシ子。私の恋人だった。
 私はホールの片隅でその光景を別世界の出来事のように眺めていた。なぜかその時、国連士官学校への入学試験に対する自信がわいてくるのを感じていた。
 警察では私が見ていた時以上に正確に事件を話すことができた。不思議にナイフを突き刺していった生徒たちの名まで覚えており、トシ子が私から離れてテーブルに近づいた一瞬、横山という生徒が「やろうぜ!」と叫んでナイフを突き刺し、すぐに彼を追って二人の生徒が首を締めながら衣服を脱がし始めた時までの数秒間は私の脳裏に極めて正確な映像となって残されていた。トシ子はその間、声をたてず、僅かに眼を見開いただけで驚きを表現した。生徒たちは興奮し、コップを床に投げつけたり、ナイフやフォークを何本も集めてまわったり、マリファナタバコを一気に吸い込んだりしてその事件に仲間入りしようと急いでいた。
 刑事はいった。
「なぜすぐにとめようとしなかったのかね?」
「とめるって? 彼女はもう死んでいたのです」
「いや、殺されたのは一瞬で仕方ないとしても、その後生徒たちが次々刺していくのをとめることはできただろう?」
「でも、なぜとめるんです? 死んでしまっているのに」
 私はいった。刑事は納得できないというように首を振った。だが私は刑事の気持を尊重する気持にはなれず、帰宅したいという意志を表明するために立ち上がった。
「君は彼女を愛してなかったのかね?」
 刑事は坐ったままいった。私は首を振った。肯定するつもりも否定するつもりもなく、むしろ質問に対する拒否を示したかったのだろう。刑事がどう受けとったかは判らない。
 ハイティーンのパーティに於ける殺人事件は珍しいものではない。若者たちはそれが成人儀式の一つであるかのように誰かを生贄として不在の神にささげた。そして彼らは犯罪者として世に出ていくのである。
 私は国連士官学校を受験した。そして希望通りアストロノーツ・コースに入学することができた。制服が与えられ「U・N」の帽章を輝やかせて入学式に出た日、卒業パーティ事件の公判が終って、横山らに十年以下の判決が下ったことを知った。
 士官学校での生活には規律があり、楽しく日課を過ごすことができた。だが士官学校のようなところへ望んでやってきた学生たちの中にも規律に反抗する者もかなりいた。そして、そこでも私は儀式を目撃したのである。
 生贄となったのは火星着地の英雄であり、名誉教授として士官学校に迎えられていたソ連のゴドノフ翁で、国連デーの祭典に於けるスピーチののち、十数人の学生に襲われた。私は翁の語る火星の物語を楽しんだのち、呆然として翁がひからびた屍に変っていくのを眺めていた。
 儀式を行った十数人の学生は裁判のためニューヨークの国連本部へ送られていった。手錠をはめられた主犯のベンは誇らし気にカメラマンに笑いかけて輸送機に乗り込んでいった。
 二年生になると初めてジェット機によるマッハ4の体験飛行を行なった。そして三年になるとイスラエルの鬼軍曹に一ヶ月間の猛訓練を受けた。最終週には輸送機でオーストラリアの砂漠へ運ばれて、そこでパラシュートをつけて放り出された。私たちに与えられたものは一日分の食糧とパスポートだけだった。人口過剰のこの時代でもオーストラリアの砂漠には全く人の気配はなかった。乾いた赤土は焼け跡のようにみえる。或いは核実験の跡地かも知れない。
 私は太陽で方角を見定めて北へ進んだ。最初は付近を同方向へ歩く者も多かったが、少しずつ離れていき、やがて一人になった。そして日が暮れた。どちらへ向かえば最も早く村か街へ出ることができるのかわからなかったが、大まかなオーストラリアの地図を思い浮かべると北が海へ出る最も近い方角のはずである。だが、海岸は極めて遠いことも事実で、むしろ他の方向に村や道路へ出る近道がある可能生の方が高いようにも思えた。
 そして、確かに私は失敗した。南十字星を背に一晩中歩いても、その砂漠から出ることはできなかったのである。朝日が昇ると、岩陰をみつけて眠った。
 私は三日間歩き廻り、僅かずつ喰べていった食糧を完全になくした。だが殆んど動物も植物も、水さえない砂漠であと何日間行きていけるか判らなかった。その日の夕刻、私は同胞の死体を発見した。ゆき倒れたものではなく、ナイフで首や胸を突き刺されたものであった。そしてその男の片足は切り取られており、近くには骨が転がっていた。男がどういう目に合ったのか明白である。既に死体は腐食し始めていた。
 夜になっても歩き続けると、遠くに光がみえた。ジープのヘッドライトで、私の呼び声に応じて接近してきた。それは国連士官学校の捜索車の一つであった。
 私はコーヒーを飲むと、殺害された同胞について報告した。そして、次の朝には私と同方向に歩いていた同級生の一人がつかまり、殺人をあっさり認めた。その男カーターもまた国連裁判所へ送られていった。

 四年間の通常コースを終え、正規の国連軍予備士官となった私は、アストロノーツの専門コースへ進んだ。殆んど俗世から離れてハワイの研究所内で朝から夜まで日課通りの生活を続け、オーストラリアの砂漠での体験以上に厳しい訓練を受けた。だがそうした訓練は奇妙に快いものでもあった。特に私が楽しんだのは密室に閉じ込められる時間喪失ゲームである。およそ二メートル四方の鋼鉄の中にいかなるものの所持も許されず、長時間閉じ込められる。最初は様々なことを考えて時間をつぶすが、やがて考えることにあきて、数字を大声で読み上げたり、知っている歌を順に歌い続けたり、鋼鉄の壁を隅から隅まで眺めてまわったりする。そして私の中から時間が消えていき、完全な静止の中に存在する自我を発見する。何もかも終って、もう何も始まらないような、そういう瞬間が持続し始めるのだ。私はそうした無時間の中で酔っていた。
 のちに気がつくと、私は病室で寝ており、頭がずきずき痛んでいた。頭を鉄壁にたたきつけていたそうである。
 病室を訪れた将官が私に一枚の辞令を手渡した。ニューヨーク地区停戦監視団員として現地に赴くようにとのことである。
「私は失格ですか?」
 私が尋ねると、将官は笑って答えた。
「心配することはない。みんな一度は国連軍人として勤めなければならないんだ。すぐに戻れるよ」
「ニューヨーク地区停戦監視団とは、いったい何のことです?」
「アメリカ東部では内戦が起っているんだ。ニューヨークはゲリラと政府軍とが半年間争ってきたところだ。行ってみればわかるよ。国連軍の中立は双方が認めているから危険はない」
 だが現地の状況は想像以上のものだった。マンハッタン島から人のにぎわいが消え、ビルとビルの間に銃声が響いている。タイムズスクエアには大きな爆発の跡があり、路上に穴があき、ビルが半ば崩れていた。私は四人単位の監視班の班長として国連旗と白旗を立てたジープでニューヨーク市を走り廻った。私だけが将校であったが、私だけが状況について無知で、専ら日課を他の三人に任せて何の命令も出さなかった。話によると停戦協定は全く守られていず、監視班すら銃撃されることは珍しくないようである。
 そんなニューヨーク市でも人々の日常生活は平凡に営まれていた。スーパーマーケットの自動パン販売器の前には列が生まれ、清掃車の後にはゴミを持った主婦たちの列が続く。ブルックリンのカフェにはマリファナの一服を求めて男たちが集まり、ブロードウエイでは華やかなイルミネイションが輝いていた。そして大通りを戦車が走り廻り、その戦車に鉄パイプ爆弾が投げつけられる。時には自動パン販売器の列の中に爆弾が飛び込み、ビル街の窓から街中へ無数の銃弾が放たれた。
 私たちはそうした戦闘の中に突入し、両者に銃撃を停止させ、両者の主張を聞いて書類を作成して国連本部の委員会に提出する。だが裁決には時間がかかり、常に証拠が不充分であり、明確に停戦協定違反と認められることは殆どなかった。
 全ては解決へ向かっていない。そして解決に向かおうとする意欲も誰にもなかった。私が解決を気にするのも単にもう一度ハワイの宇宙研究所へ戻りたいと思うからであり、他の人々が解決など問題にしないのも当然といえる。国連はむしろ充分それなりの役目を果たしているようだ。
 ベルモント競馬場には解放軍の黒旗が立っていた。付近の治安状態は良く、完全に解放軍の統治がいきわたっている。自動小銃を片手に兵士が馬で巡回しており、私達のジープに接近してきた。
「何の用だね。国連さん」
 馬上からその黒人兵士がいった。
「この地区の責任者に用がある」
 ジープの助手席からコンゴのクネイがいった。そして黒人の仲間として笑いかけた。だがゲリラ兵は笑わず「責任者などいないよ。誰も責任など持たないからな」といって馬でジープの周囲を歩き廻った。
「ジェド将軍に会いたいのだ。競馬場にいるだろう?」
 私はいった。
「さあね。そんな偉い人がいるのかね? 将軍なんてリーとアイゼンハワーしか知らないよ」
「通行していいかね。ごらんの通り我々は国連軍の停戦監視団だ」
「さて、俺がいいと許可するような種類のものではないし、悪いというものでもないな」
「では行くよ」
 そういった時、すでにジープは走り始めていた。競馬場通用門でもう一度同じような問答があり、ようやく門を入ってからもジープで競馬場内を走り廻って司令部を捜さねばならなかった。馬場内には数頭の馬が放たれており、スタンドには兵士たちが寝ころんでいる。そして遂に判明したことは、司令部などというものがそこにはないということだった。だが、ジェド将軍は厩舎の一つにいて、数人の幹部と会議をしていた。
 一時間ほど待ったのち、私達はその馬舎の中に通された。
「よう! おめえは!」
 いったのはオーストラリアでの事件で士官学校を追われたカーターだった。おそらくニューヨークで服役中にゲリラ軍に救出されたのだろう。
「君がゲリラに参加しているとは思わなかった」
 私がいうとカーターは笑った。
「どうしてかね。犯罪者はみんなゲリラになっているぜ。ゴドノフを殺したベンもこのニューヨークにいる」
「なるほど、殺人のプロというわけですか」
 私が皮肉をいっても彼は笑いを止めなかった。
「どういう御用でしょう」
 ジェド将軍は豊かな髭の中で口を動かしていった。
「ユークリッドアヴェニュでの戦闘で、ゲリラ側に協定違反があったのです」
 私がいうと、将軍は頷いた。
「そういう御用件で何度もここへ監視班の諸君がいらっしゃるが、まず第一にゲリラ側が違反したという証拠はない。もしあったとしてもその戦闘に参加したゲリラが我々の解放戦線に所属しているとは限らない。もし参加していても戦闘は彼等の個人的意思で行ったもので我々の組織の方針ではない。我々は停戦を守って、いかなる戦闘命令も出していない」
 将軍は一気に演説口調でいった。
「第一、我々には命令系統なんかないし、そんなもの作っても守る人間なんかいねえよ」
 カーターがいった。
「その通り、ゲリラはみんな勝手に戦争しているんです。これを戦争というならね。戦争と考えるのは国連側で、我々自身は単なる犯罪者だと思っているのです」
 将軍はつけ加えた。
「では、どうして休戦協定を結んだのですかね?」
「殺人にも形はある。いろいろね」
「例えば?」
「例えば、弱い人間より、強い人間の方が先に死ぬべきだ。死にたくない人間より、死にたい人間の方が先に死ぬべきだ。休戦協定はある程度、弱い人間や死にたくない人間を守ることができる。国連さんの努力のおかげでね」
 そういって将軍は手をさし出した。私は仕方なく握手して立ち上がった。
「もし暇があったら明日遊びにこねえか?」
 別れ際にカーターがいった。
「ベンも呼んでおくぜ」
「ありがとう。ゆっくり話したいものだ」
 私はいった。
「よし、では七時に地下鉄駅まで迎えに行こう」

 次の日、カーターは約束を守って地下鉄駅にきていた。私がクネイを連れてきたので少少不満顔だったが、歩き始めると前日のように不気味な笑いを浮かべるようになった。その時ふと、私は殺されるかもしれないと思った。そして、その考えが奇妙に私の心を楽しませた。クネイをみると、彼はガムをかみながら口笛を吹いていた。変な芸当のできる男だなと思った。
 競馬場に入ると、スタンドに向かい、エレベーターで最上階に昇って観覧室に出た。ベンがウイスキーを飲んで馬場の巨大なたき火を眺めている。
「ほう、こいつが国連士官学校を無事卒業した優等生か」
 ベンは私を眺めていった。障碍コースの真中で燃える巨大な炎は五メートルにも達し、その炎の周囲にゲリラたちは騒ぎながら集まっていた。
「面白いものをみせてやるぜ」
 カーターはいった。
「また人殺しだろう」
 私がいうと、ベンは大声で笑った。
「よくわかっているじゃねえか! こいつも人殺しが面白えんだとよ!」
 そして彼はマリファナを出した。クネイは大喜びで手を出し、私にも一本すすめた。
「私は喫(や)れないんだ」
 私はいいながら手を振った。
「へえ、こんなうまいものをね」
 クネイはそういって火をつけて喫い始めるとなぜか一瞬大声で笑い、すぐに止めた。
 馬場にはスターティングゲートが引き出され、たき火に向かって運ばれていた。ゲートの上部には数人の人間が縛りつけられ宙に下げられている。
「あれは捕虜なのか?」
 私が尋ねると、ベンはまた大声で笑った。
「捕虜なんてものが残ってると思ってるのかい? あれは全部ゲリラさ。ゲリラの裏切り者だ」
「何をしたんだ?」
「何もしねえさ。とにかく手頃なのを選んで みつくろったのさ」
 ベンはいって酒瓶から大量のウイスキーを口内に流し込んだ。
「私もマリファナをもらおう」
 私はいった。
「そうでしょう。こんなうまいものはないからね」
 クネイがいって私の口にくわえさせて火をつけた。
 確かにそれはうまかった。だが、初めての麻薬経験だけに刺激が強すぎた。馬場の炎の中で焼かれていくゲリラたちの黒い影が私の眼前で拡がり、一瞬の内に太陽の黒点の中に入っているように灼熱の世界に突入した。ゲートのゲリラたちは最初はあばれ廻っていたが、やがて静止して炎の中の陶酔に身を任せた。そして私自身も陶酔していた。大声で笑い、ベンとカーターと肩を組んでリパブリック賛歌を唄い、アメリカ国歌を唄った。そしてゲリラの一人が持ってきた、焼きたての人肉を喰った。
「うめえだろう、こいつのうまさは俺がみんなに教えてやったんだぜ。オーストラリアで覚えたんだ。おめえも知ってるだろう」
 カーターがいった。そして三人でクネイをたたき殺した。クネイは何度も何度も殴られて笑いながら死んでいった。
 そして夜が明けた。
 気がつくと、私は一人で国連本部まで戻ってきていた。
 突然後悔がこみ上げてきて、銃弾をあたり一面にまき散らしたくなったが、残念ながら手元に銃がなかった。そして、私もまた犯罪者側に加わったことに気づいて、ベンたちのところへ戻ろうと考えた。
 だが、身のまわりのものをとりに自室へ戻った時、机の上にハワイの研究所からの召還礼状を発見した。
 私はその日の内に後味の悪いニューヨークを去った。あとは野となれ山となれ、どのみちゲリラ軍の基地内で起こったことだから簡単に発覚することもないだろう。

 一ヶ月後、私は初の宇宙飛行を行なった。轟音とともに宇宙船が震えて強引に天空へ向かって押し出されていく時、私はまたもや死に接近している時の甘味な情緒に沈むことができた。そして重力圏を離れた時の解放感!
 確かに私は長い間がまんしてきただけのことはあったと思う。暗闇の虚無の中で、私は生命のない一個の浮遊物と化していた。地球は私の内部から嘔吐のように飛び出して、今更のようになつかし気に青い空気の輝きをみせている。おそらく私に操縦をまかされるようになれば、二度とあのなつかしさの中に生き返る気にはならないだろう。
 だが初飛行の私にできることは小さな雑用だけであった。他の七人の乗員は全て私以上の権限を持っており、夫々が宇宙船の運行を計算通りに進めようと努力している。一体みんなの本心はどうなのだろうか?
 宇宙船は無事ステーションに到着し、そこに貨物と人員を輸送するという仕事を果たした。そして一拍ののち、私は三人の乗組員とともに同じ宇宙船で地球へ戻った。
 私は大尉に昇進し、宇宙飛行士として特別の待遇が与えられるようになった。一日に四時間だけのトレーニング以外は自由時間が与えられ、サーフィンや水泳を楽しんだ。街へも出かけるようになり、特にマリファナを愛するようになった。マリファナを吸い続けていくうちに、珍しく興奮を生むことがあり、それはなにか忘れてしまっていた重要な感性であったような気がするのである。
 ホノルルの街の様子もニューヨークと大きな相違はない。ゲリラという種の集団はないが、毎日毎日誰かが人殺しをし、誰かが生贄となった。だが私の仲間である宇宙飛行士たちはそういった儀式にあまり参加しない。私もベルモント競馬場で加わっただけで、その後はさほどそういうものに気をとられることはない。おそらく宇宙飛行士というのはそういう人種なのだろう。或いはオーストラリアでの訓練などは、そういう宇宙飛行士向きの人間だけを選別するシステムだったのかもしれない。
 クラブでは大部分生贄ショーをみせていた。一応は芝居なのだが、興奮して本気で殺してしまう場合もあるそうだ。テレビでも殆どの時間をニュース番組にあてて、戦争や犯罪の実況中継をしている。警察はそうした犯罪を一応とり締ってはいるのだが、現行犯以外のものを深く追うことはなく、逮捕されても保釈中にゲリラに入って行方をくらますものが多い。しかし、裁判で死刑の判決が降りると次の日には処刑してしまうそうで、いずれにしろ簡単なやり方である。
 海岸の路上では裸の老人が演説していた。
「モラルを取り戻せ! 人殺しは神様がお許しにはならない。みんな忘れてしまったのか、昔の平和な良き時代を!」
 だが人々は立ちどまることもなく、無関心に老人の前を通りすぎていく。老人には連れがいた。若い女で豊かな乳房を露出したトップレス水着を着て片手にビラを持っている。女は私が一瞬二人を見つめたのを目ざとく見つけて近寄ってきた。
「読んで下さい」
 女はそういいながらビラをさし出した。私は無関心に戻って歩き始めると、駆けるように追ってきて、私の眼前に美しいカラー印刷のビラを突き出した。ビラに映っている写真はポルノグラフィで、幼児向けの性教育に使われているような種類のものだった。
「あなたは宇宙飛行士でしょう。私はとても宇宙飛行士を尊敬しています」
 女は早口でいった。すでに女の片手が私の肩にかかり、裸の胸を私の背に押しつけてきている。
「どうしてだい?」
 私は仕方なく立ちどまっていった。女は精いっぱいの笑顔を近づけた。
「だって、宇宙飛行士はモラルを持っていますわ。みんなとは違うのよ」
「いや、私が聞きたいのは、どうして尊敬などということができるのかということだ」
「人にはそれぞれ生き方があります。他人の生き方の中には教えられることも多くて、それで」
「尊敬するのか?」
 女は私の手を握りしめ、私を抱くように身をすり寄せた。
「ええ、そうです」
 私は女を払いのけて歩き始めた。女は再び追ってきた。
「あなたは宇宙飛行士でしょう。あなたは人殺しなんかなさらないでしょう。あなたは人間のあるべき姿を知っているはずよ」
「どうだっていい! 私は教会なんかへ行かないよ」
 私は大声でいった。
「教会? あなたは誤解しているわ。私たちは旧来の風習を押しつけたりするのではないのよ。私たちは人間としての本当のあり方を求めているだけなのよ」
「尊敬して、説得して」
「そうよ。そして愛するのよ!」
 女も叫んだ。私はふとハイスクールでの事件を思い出した。そういえば、あの時刑事がトシ子を愛していなかったのかといっていた。トシ子は私の恋人だった。恋人――とは何だったのだろう。一つの風習として、ハイティーンは男女のコンビを組んで恋人と名乗る。それだけ?
 私は立ちどまった。
「愛するって?」
 私はいった。
 女は私を浜辺に連れて行き、人気のない岩陰に誘い込んだ。そして再び私の肩に手をかけて、胸を押しつけながら私の衣服をまさぐった。やがて顔面を接近させると、口を半開きにして私の口に合わせた。私はすぐに身をさけて岩の上に飛び上がった。
「どうしたの? 愛し合うのじゃないの?」
 女はいった。私は岩から降りた。
「服を脱ぐのよ」
 女はいった。私は裸になり、女も水着をとった。そして女は私を砂の上に押し倒した。次に女は私の全身をなでまわし、やがて局部をつかんだ。私は全身に走る悪寒に耐え切れず、女を突き放してしまった。
「だめよ!」
 女は叫んだ。
「どうしてこんな気持の悪いことをするんだ」
 私はいった。
「気持悪くないわ。誰でも生殖本能があるのよ!」
 女はやや気落ちしたように砂の上に坐り込んでいった。確かに女はそれを気持悪く感じていないようである。そして私も小学校時代には女がいったことを真実として教えられている。だが、本当に?
「慣れないからよ。今日はここまでにしておきましょう。明日また会ってくれるわね」
 女はいった。私は首を振った。そして立ち上がり波に向かって走った。
「私も泳ぐわ」
 女はいって追いかけてきた。波が荒々しく私の全身にたたきつけられてきた。塩分の辛さが先程の悪寒を洗い流してくれるようだった。私は沖へ沖へと波に向かって泳ぎ進んだ。女は追ってきた。私とスピードは異っていたが浜辺が見えなくなるまで、ゆっくり着実についてくる。そして、急に女の悲鳴が聞えた。
 およそ五十メートル離れて女のたてる白波がうねりの間にうかがえた。私はその方向に泳いだ。女は両手で海面をたたきながら、波に飲まれていった。私は泳ぎをとめて、それを眺めていた。女はもう一度海面に現われて叫んだ。
「助けて! 足が、足が!」
 そしてもう一度海面から消えていった。とても快い風景であった。太陽は西に傾きかけており、海に白く反射している。強い人間が先に死ぬべきだと将軍はいっていた。そして女は確かに強い人間だった。
 生贄のおかげか、急速に波が静まり、私はゆっくり浜辺に向かって泳いで帰った。
 一ヶ月ののち、私は火星へ向かうよう辞令を受けた。火星南極基地に約半年間滞在し、基地の管理業務を行なうことになる。
 急に多忙となり、雑務に追われた一週間ののち乗客として宇宙船に乗り込んだ。今度は宇宙に飛び出しても大きな感動を得ることもなく、引力圏を離れるとすぐに宇宙ステーションでの用件の準備を始め、宇宙ステーションのホテルに着くとすぐに火星での到着時の用件の準備にかかった。宇宙ステーションでは何人もの学者や軍人と会い、充分に眠る間もなく火星便に乗り込み、貨物の管理、室内諸設備の点検などの仕事に追われた。
 ようやく長い旅の退屈を感じはじめた頃、地球は単に太陽に次いで大きな光を放つ星でしかなくなっており、三番目に明かるい星である火星が鮮明な光を放って二番目の座を狙っていた。
 宇宙空間には様々の星々が冷い光を私に向けている。それは死のシャワーのように快く、地球という有機性の世界での汚れを取り除いてくれた。

 火星は更に満足できる冷い世界だった。濃い紫色の空に太陽がギラギラ光り、灰色の砂が無限の停止をとどめている。その光景の中に降り立った時、私はあの密室での時間喪失ゲームを思い出していた。
 基地は地下にあり、プラスチック壁のコアが幾つも連っている。メインホールの巨大なプラスチックドームは透明で、照明を消すとプラネタリウムのように星空が浮き上がる。そこでの私の仕事は基地全体の管理で、いわば基地の村長と雑用係を兼ねたようなものである。基地の全人口は二十七人で、学術調査グループと政治的意図で集った各国の代表員とに分かれている。学術調査グループの首長はライヒ博士で、本名はローゼンバーグといったが、自ずからヴィルヘルム・ライヒの生まれ変わりと主張し、ライヒ名で通していた。むろんオルゴン・エネルギーの研究者である。私は各国代表員の顔を常にたてながら、ライヒ博士の仕事を事実上最優先して手助けしなければならない。
 私はまず、各国代表員と会見した。代表員は兼任を含めて十二ヶ国、九人である。そして九人の内六人は火星開発の利権と納付金の問題を長々と話した。残る三人、EEC、東欧共同連盟、インドの代表員は現実的なことを何も話さず、むしろこうした火星開発というようなことがいかに無意味であるか論じた。
 私自身は意見を述べる立場ではなく、また彼等の議論に参加したいとも思わないが、どちらかといえば火星開発を無意味とする三人に共感を覚える。ただ、火星開発は無意味でも、こうして火星に人間がやってくることは良いことだと思った。ともかく地球の人々と宇宙の人々とは全く異った生物のように思える。地球では人々はニヒリズムに陥っているが、宇宙の人々は何かを黙々と行なっている。そういう種類の人間ばかりが宇宙へ出てきているのだろうが、同時に行為そのものの意味も異っているように思えるのだ。宇宙はまるで二十世紀の延長のようであった。
 ライヒ博士の助手で事実上私との連絡役を務めるサトコ教授にそう話すと、彼は研究室に私を案内しながら頷いた。部屋いっぱいに並んだサンプルケースに特殊光線があてられて、血のように赤く光っている。
「宇宙には人間の生命感を奪ってしまう冷い空間がある。そこでは誰もが生命存在の重荷に苦しむ必要もない。だからのびのびと仕事ができるのだ」
 教授はサンプルの一つに投写機をあてた。赤い光が客内中央の黒いスクリーンに拡がり、スクリーンの中に活発に動きまわる細菌があらわれた。
「驚くべきことに、この細菌は今でも進化し続けている」
 そういいながら投写機を操作して、菌の群れの中から連鎖状につながってよじれているものを捜し出した。
「ここではまだオルゴン・エネルギーがこれだけの力を発揮しているのです」
 サトコ教授は彼に講議をするようにいって、スイッチを切り映像を消した。
「では、地球と地球外とではエネルギーの活力が異っているのですか?」
「いや、エネルギーの減少はこの銀河系全域にわたるものです。明らかにこれは銀河宇宙の熱死によるものです。ただ、生命の密度との相対的な関係でここではエネルギーの集中度が高いのです。少くとも地球に較べれば宇宙空間にはオルゴン・エネルギーが充ちています。それがライヒ博士をここへ呼んだ理由でもあるのです」
 私にもそういった背景はわかっていた。ヴィルヘルム・ライヒと同じく、当時はローゼンバーグ博士を名乗っていたライヒ博士が、オルゴン・エネルギーの実在を証明した時、ソ連やアメリカの学者はそれをオルゴン・エネルギーと呼ぼうとはしなかった。しかし、ローゼンバーグ博士は、このエネルギーを発見したライヒの命名通り、オルゴンと呼び、自分自身もライヒと名を変えたのである。それ以後ライヒ博士はこの全宇宙的な大変異の権威として活躍し、現在もこの博士の新しい予言を多くの人々が待ち望んでいる。果して宇宙は熱死したのか? 或いはしようとしているのか? それとも、これは単に一時的なオルゴン・エネルギーの過疎現象なのか?
 私は火星へきて、初めて地球で起こっていることに気付いたように思う。確かに、地球上の生物は死滅世代に入ったのだ。

 ライヒ博士はコンピュータールームの暗室照明の薄い光の中にいた。白髪が赤く光り、くぼんだ眼孔は虚無的な闇をたたえている。
「よくおいでになった」
 博士はいった。握手をした手は、奇妙に筋肉質で力強い。
「地球はいかがです?」
「各地で動乱と犯罪が激化しています」
「そういう現象をどうお考えですかな」
 博士は歩き始め、奥のドアを開いた。ドアの外のカーテンを出ると明るい光が、まるで太陽光線のように照りつける。
「私には、よくわかりません。少くとも抵抗を感じることはできないのです」
 博士は上衣を脱ぎ、ソファに腰を降ろした。小柄の身体つきで、肩巾のある若々しさを感じさせる人物であった。ソファから見上げるように眼を上げると、ユダヤ人らしい奇妙な疑問符を空中に浮き上がらせる。
「正直ですな。それが本当でしょう。地球の生産力が急速に落ちているので人口が減らなければ困る」
「しかし、希望も失われていきます」
「ほう」
 博士はいった。私はゆっくり博士の対面に坐った。
「失うような希望が、かつて本当にありましたかな?」
「しかし、博士は人間の性行為を礼賛されたはずです」
「その通り、私はそのオルゴン・エネルギーを希望とした。今、国連や世界各国の求めているものも、その解答だろう」
 博士はいいながら私の国連軍の制服を眺めまわした。
「ええ、私の仕事がそれを先生から引き出すことです」
「君個人としてはどうかね」
「私自身のことはわかりません。ただ博士から解答を得たいと思っています」
「確かに宇宙の熱死は証明されていない。まだ銀河系の最も外部の星々は中心部から離れ続けている。だが、それは数万年前に発せられた光の観測によるものだ。しかも銀河系拡大のスピードが落ちていることも確かだ。或いは今はもう縮小が始まっているかも知れないし、中心部では回転が逆になっているかも知れない。それにオルゴン・エネルギーが過疎化する理由は他にみつからない。だからあなたのために希望的な解答を与え得る条件は全くない」
 博士はそういって眼を伏せた。
「わかりました」
 私はいった。
「しかし、できればいつかそれをみつけ出していただきたいものです。本部がそれを待っていることは間違いありません」
 博士は眼を上げて、口許で笑った。
「やがて、待たなくなるよ。我々がここにいることすら忘れてしまうだろう」

 博士の予言は正しかった。
 私が着任してから一週間後に、東欧共同連盟が崩壊して代表員が地球へ戻っていった。次にアメリカ合衆国政府が消滅し、丁度火星の赤道地区のウラニウム鉱の国際利用について話し合っていた代表員は立ち上がって発言した。
「合衆国は壊滅しました。私は元合衆国の一員として、アポロ、マリーナに始まるアメリカの諸権利を主張してきましたが、これは私自身の本意ではありません。私はこうなることを予感していましたし、むしろこうなることを願っていました。私は許されるなら、この火星にいつまでも居住したいと思います」
 基地には充分の物質があり、アメリカ代表を養うことはできた。そしてアメリカ代表の亡命は許可された。会議は更に続いたが、すでに誰も火星開発を口にしなくなっていた。遂に地球社会全域の崩壊は疑いないものとなってしまったのである。
 日本やEECからの通信は入らなくなり、国連との連絡さえ30%程度しか通じなかった。定期便はやってこなくなり、遂に地球の全機構が機能を失ってしまった。
 私はサトコ教授と共に火星第三基地までの旅行に出た。特別の用事があるわけではなく、ただ一時の慰めのための観光旅行であった。夜の暗闇から紫色の空の下の昼間部に出ると灰色のクレイター群が一面に開けた。北方には白熱した太陽が輝き、クレイターの峰に僅かな砂塵がたち昇る。そうした透明な世界は私の心に安らぎを与え、生きていることの意味を再認識させてくれる。
「宇宙ではオルゴン・エネルギーが余っているとあなたはいったが、私には宇宙の中でも死が魅力的なものに思える。むしろこの死の風景が我々を死滅志向から救っているように思えるのです」
 私がいうと、サトコ教授はハンドルを握りしめたまま頷いた。
「確かにそういった一面もあるようです。地球上でも死に接して生きていると自殺への誘惑から逃がれることができる」
 私は宇宙飛行士として受けた訓練の快感を思い出した。あのマゾヒスティックな気持もやはり死に接近している時のものだったのだろう。
「ではマゾヒズムが人間をまだまだ生かし続けるかも知れない」
「そうです。おそらく黒ミサがこの死滅世代の宗教なら、マゾヒズムがこの世代のモラルとなるでしょう」
「そして政治は戦争と交代する」
「もう代っている。そうした状況が人間を絶滅させずに更に数万年間残すだろう。今急速に崩壊しつつある近代文明ののちに、長い中世と更に長い古代がやってくるはずだ」
「それだけのオルゴン・エネルギーは地球に蓄積されているのですね」
「そう」
 サトコ教授は頷いて笑った。彼はこうした世界をあるがままに受け入れている様子である。観測車は地上三メートルを時速二百キロで飛んでいた。観測車の噴射によって細かい砂が二メートルの高さまで舞い上がる。後方には大蛇のような砂塵の雲が連っていた。
「サトコ教授。あなたはこれからどうなさるつもりですか?」
「私はライヒ博士とともにいつまでも火星に残るつもりです」
 サトコ教授はいい切った。
「ライヒ博士自身は迷っておられるようですが」
「確かに迷っているようです。だが、地球へ帰ることが何の解決にもならないことも充分わかっています」
「火星で研究を続けても、その成果を地球へ持ち帰ることはできないし、もし持ち帰ることができても何の役にも立たないでしょう」
 私はいった。サトコ博士はもう一度笑って私をみた。
「その通りです」
 彼はいった。
 やがて第三基地と南極基地の中間点にあたる送信塔が地平線に現れ、たちまちそこに接近した。灰色のクレイター丘陵の頂きに、それだけが色を持っているように赤と白の鮮明な光を反射している。私達は送信塔に接近し、塔の下部の計器を調べて再び出発した。そして火星での半日後にようやく第三基地に着いた。
 第三基地の人口は十二人。全員が各国の軍人で、純粋な宇宙航空基地として活動している。私達の到着は歓迎されず、形式的な挨拶が済むとみんな私達から離れて自室へ戻ってしまった。それでも国連軍のカーン中佐だけは電話で食事にさそってくれた。
 食堂に入るともてなし用の食事が用意されており、カーン中佐は口許だけに笑いを作って席へ案内した。
「何かあったのですか?」
 サトコ教授は坐るとすぐに尋ねた。カーン中佐はシャンパンを注ぎながら首を振った。
「もう、ずっとこんな状態です」
「自閉症に陥っているようですが」
 サトコ教授は科学者らしく無神経に質問する。
「自閉症?」
 中佐はさすがに不快感を示した。
「症などではない。我々は完全に閉ざされてるんだ。アメリカの、いや元アメリカのジョーンズ大佐をみたかね。彼は完全に気が狂ってるよ。無理もない。自分の国もなくなり、ここにいる目的が何もないんだからね。みんなそうだ。ここは宇宙開発の前線基地なんだ。しかしもう後線はないんだ。我々はいまここで何をしているのかね?」
 サトコ教授もさすがに口を閉ざしてしまった。そして私達は味気なく食事を終えた。食後のコーヒーを飲みながらカーン中佐はいった。
「できるだけ早く南極基地へ戻った方がいい。ここの連中は君達を殺すかも知れない。特にあなたの楽天性は危険だ」
 そういってサトコ教授をみた。
「しかし」
 サトコ教授は言葉をつまらせた。
「何ですか?」
 カーン中佐が聞くと、質問の許可を得たかのようにようやく続けた。
「しかし、どうしてここにみんな留っているのです?」
 中佐は大きくため息をついた。
「私自身も、できれば抜け出したいんだが。裏切者と――」
「裏切者?」
「まあ、そういうところだろうな。つまり、ここにいる十二人は、十二人で一つの虚構を作り上げている。やがて再び地球から活発な通信が入り、火星開発が再開されるだろうという虚構だ。みんなそれを虚構だと知っているのだが、誰もそれを破壊することはできない。君達が歓迎されない理由は、その虚構を壊すかもしれないからだ。そして」
 中佐は投げつけるようにコーヒーカップを置き、鋭くサトコ教授をみつめた。中佐の眼には無限の闇の空洞があった。
「そして、この話はこれでおしまいにしたいというのが私の希望だ!」

 私達はその一時間後に第三基地を出た。再び砂漠の大蛇を南へ向けて続け、途中で紫色の空を失って計器操縦でどうにか南極基地へ戻ると、第三基地との連絡が断絶してしまったと知らされた。通信室ではインド代表員が第三基地を呼び続けていた。最後に入った通信では、カーン中佐が内密に私達と何事か話し合っていたことが原因でスパイの容疑を受け、裁判が開かれることになっていたそうである。
 私とサトコ教授は思わず顔を見合わせた。それは奇妙な当惑の応答であった。だが、それ以上に私達の交わすべき会話もなかったのである。
 数分後、第三基地からの通信の代りに地球からのメッセージが到着した。三日後に宇宙船がやってくるそうで、それが最後便となる可能性が強いので全火星在住者は帰還準備を急げとのことである。
 私とサトコ教授は、火星に残された人々の行きつくところをみてきただけに、全員に帰還するようすすめてまわった。だが、誰一人として帰還希望者が名乗り出ることはなく、様々ないいのがれをして火星残留を申し出た。やがては私もサトコ教授も説得をあきらめ、彼等の希望の論理性をも求めなくなっていった。この南極基地でも同じような虚構が生まれ始めているのだ。表面的には誰もが以前と変らずに振舞っているが、確かに全員の閉ざされた内面には頑に守り続けようとしている何かが感じられる。むしろ最終便が出発しようとしているのに、以前と変らない振舞いをしていること自体が異常ともいえるのである。
 次の日、私はライヒ博士に最後の面会を申し出た。博士は研究室でポルノグラフィ映画を観ており、私が入っても安楽椅子にもたれ込んだまま、じっとスクリーンをみつめて動かなかった。
 スクリーンでは両手を縛られた男女が一室に閉じ込められており、窓の外の庭園では多数の裸の男女が性交を行っていた。
「どうだね? 良き時代の芸術だ。君も観ていきたまえ」
 博士は振り返って私を見上げ、皮肉げにいった。私は博士の傍のストゥールに坐った。
「博士は第三基地で起こったことを御存知ですか?」
 私がいうと、博士はスクリーンから眼を離さずに答えた。
「私はこれでも精神分析医だよ。例え何が起こったか知らなくとも、何が起こる事になるかはわかっておるよ」
「では、最終便が発った後に、この基地で起こることも予想されておられるのですね?」
「そうだ。だから君に忠告したいことは、あまりみんなに地球へ帰れとすすめない方がよいということだ」
 博士はそういいながら半身を私に向け、両足を肘掛けにのせた。
「しかし、私は博士に地球へお帰りになるようすすめにきたのです」
「どうしてかね?」
 博士はまた宙空に疑問符をつくりだす視線を向けていた。
「私はそういう指令を受けました。私自身としても、博士には地球で研究を続けていただきたいと思っています」
「まあ、君がどう考えるのも勝手だが、私は地球でも火星でも研究を続ける気持はない。全てが終ったのだ。それを認めねばならんのだ。君もね!」
 博士はそういって若々しい腕を振って私を指差した。
「では博士はここで何をなさるのです?」
「こうしてポルノを観たり、酒を飲んだり、というところかな?」
「嘘でしょう」
「嘘? そうかもしれんな。どのみち今の我我は常に半ば嘘の世界に生きているのだ。私自身科学者として一方で更に研究したいと思い、新しい発見や知識や理念を求め続けながら、一方ではこの時代の人間として、それら全てを忘れたいと思っている。地球のことも忘れたいと思い、火星をも忘れたいと思う。地球が故郷だと考える気持も、火星植民を続けたい気持もないのだ。まあ、適当にみつくろって虚構を作り上げて、そこに生きていく他はないだろう。それで満足するわけでもないが、不満を持つほど満足というものを求めているわけでもない」
 博士はそういって嘆息した。そして再びスクリーンをみつめた。
 画面では、庭園の乱交を窓から眺めていた密室の男女が、縛られた手でもがきながら、口と足で互いのセックスを求め、ようやく歯で衣類をはぎとり、長い舌を出して舐め始めたところである。
「生き続けたいという気持も、死にたいという気持もなくなった。考えれば損な時代に生まれたものだ。生も死も、ともに人間の重荷なのだから!」
 博士はすでに自分自身に対して語るように呟いていた。スクリーンの鮮かな光が、博士の顔面を照らし続けている。緑の芝生の上で乱交者たちが青空に向けたオルガニズムを放射していた。密室の男女は叫び声をたててそれに加わった。性器の群とオルガニズムは同化していった。私は博士の部屋を出て、メインホールの星空を眺めた。星々の光は弱々しく、私に地球へ戻る準備を促していた。
 次の日には地球からの宇宙船がやってきて周回飛行に入った。私は誰にも会わず、一人で帰還準備を続け、時折通信室へ行って宇宙船と交信した。半日後に着陸船が降下を始め、やがて基地空港に着地した。誰も見送りに出てくることもなく、ただサトコ教授だけが、急に火星に残る決心をしたといいにきた。私はその理由を聞こうともせず、形式的な握手だけをして着陸船に乗り込んだ。みんなが虚構の中で地球への関心を失ってしまっているように、私も別の虚構の中で、ただ地球へ帰らねばならないという意志を保ち続けていた。
 三十分後に私は着陸船を操縦して第三基地へ飛んだ。第三基地は数日前と変らなかったが、人影だけが絶えてしまっていた。全員が隠れているのか、それとも死んでしまったのかわからなかったが、十分間待って私は第二基地へ向かった。第二基地では国連軍の管理担当者がやってきて全員の残留を告げた。そして第一基地も、赤道基地も同様だった。私はただ一人だけで着陸船を出発させ、火星の引力圏を出て母船に着いた。母船では三人の楽天的な宇宙飛行士がまるでピクニックを楽しむように宇宙旅行を楽しんでいた。
 さすがに私はその連中とともに騒ぎ廻る気持になれず、地球へ戻るまでの操縦を引き受けて気持をまぎらわした。宇宙飛行士たちは私の操縦を喜び、専らマリファナパーティに精を出していた。

 地球は想像以上に退廃していたが、人々の怠慢のおかげで静かであった。国連は解放されており、政治機構は崩れていたが、企業や地方行政では活動しているものもあった。国連の残務会社から金を受けとって空港へ行くと、航空会社はないが個人経営で飛行機を飛ばしている者もいるということで、私はホテルに泊まって日本行きの便を待った。
 二日後にようやく貨物便に乗ることができて、私は日本へ向かった。
 機窓から富士山を眺めながら、私は一瞬ではあるが日本を離れていた長い年月を知ったように思った。だが、東京空港に着くとそれも忘れ、自分がなぜここで飛行機を降り、これから何をしようとしているのかすら考えることができなかった。小さなスーツケースを一つだけ持って、私はタクシーで都心へ向かっていた。道路を走る自動車の数は少く、アスファルトは穴だらけであった。ビルの多くは廃墟となり、ショウウインドが壊されて空洞になった一階の暗闇で数人の老人がたき火をしているのがみえた。殆んど乗客のない山手線がニ輌連結で走っていく。
 私はどことも知らぬまま、二、三の商店が開けている街中でタクシーを降りた。運転手はとてつもない料金を要求した。
 人々は虚無的に歩き廻り、路上には汚物が積み上げられている。間もなく私に近づいてきた二人の男が、私のスーツケースを奪っていった。だが人殺しは減っているようで、死体が転がっている様子もなく、強盗すら暴力的ではなかった。むろん人命の価値が甦ったわけではない。無駄な労力を使おうとしないだけであろう。
 私はゆっくり歩き続け、やがて都心部から離れた。家屋には人が住んでいて、ビルのように荒れ果てたものはなかったが、ガラス窓の上に板を打ちつけたり、鋼鉄の扉をとりつけたりして防衛したものが多い。道の半分は畑が作られ、そこで貧しい野菜が育てられていた。
 日が暮れても殆どの家は電灯もない様子で、時たま遠くに小さな光が見えると、その方向へ歩いたが、やがて疲労と空腹で歩き続ける元気を失ってしまった。
 私は眠る場所を求めて高いコンクリートの塀を越えた。そこは学校らしく、星明かりの中にシルエットを浮き上がらせた建物には見覚えがあった。今でもそこが学校として使われているのかどうかわからない。教室から離れて小さな二階建の建物があり、そこは私にとって何か意味深いものであるかのように思えた。おそらく私はここへ来ようと思って歩き続けたのだろう。
 トシ子が殺されたのはそこだ。
 だが、果してトシ子とは誰だったのか、それが私自身と何のかかわりを持っていたのかわからない。
 建物の入口も窓も板が打ちつけられていた。私は窓の下のコンクリートに寝ころんだ。夜空に火星が赤く輝いていた。その遠方では確かに銀河系が逆転を始めていた。それともそれは眩暈というべきかもしれない。

(了)



山野浩一プロフィール


山野浩一既刊
『鳥はいまどこを飛ぶか 山野浩一傑作選 Kindle版』
『殺人者の空 山野浩一傑作選 Kindle版』