「横溝正史をあるく」関 竜司(作・写真)

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 岡山県倉敷市の北部に真備町(まびちょう)という地区がある。岡山県在住の筆者は、探偵小説家・横溝正史の足跡をたずねて真備町岡田周辺を散策した。田園風景の広がるのどかな町だ。
 昭和二十年三月、疎開先の真備に向かっていた横溝正史は、青酸カリを持参していた。当時、探偵小説は都会のもので、疎開のため都会から離れた自分は死ぬしかないと思っていたからだ。
 ところが真備についた横溝一家は、思わぬ歓待を受ける。神戸に生まれ東京で育った都会人の横溝は、最初これには何か裏があるのではないかと疑っていた。しかしそれが偽りのない真心によるものだと気づくと、真備の人々と積極的に交流をもつようになった。特に加藤一(ひとし)、藤田医師、石川淳一氏との交流は、その後の横溝の人生に大きな影響を与えることになる。
 加藤、藤田、石川氏は、夜な夜な横溝宅を訪れ、横溝と怪談話に華を咲かせていた。都会育ちの横溝は三氏の話を聞きながら、田舎の習俗やしきたり、人間関係を学んだ。『八つ墓村』に代表される日本の田舎を舞台にした探偵小説は、まさに真備の人々との交流から生まれたものだったのだ。
 戦後『宝石』の創刊号に原稿を依頼された横溝は、『本陣殺人事件』を書く。岡山県の旧本陣「一柳家」を舞台にした猟奇殺人事件だが、この小説も真備郡岡田村の庄屋・柳本家で起こった変死事件がモデルになっている。また『獄門島』の場面設定も、真鍋島(笠岡市)で教師をしていた加藤氏からの示唆が大きく、金田一が船に乗って獄門島に入っていくシーンは、まさに真鍋島に船で入る様子と重なる。『蝶々殺人事件』のコントラバスのケースに死体を詰め込むというアイデアも、音楽教師だった石川氏の示唆によるものだ。(初めはピアノの中に隠す予定だったが、それだと狭すぎるのでコントラバスのケースに変えられた)
 さらに『八つ墓村』も、岡山県津山市であった大量殺人事件(津山三十人殺し・昭和十三年)の話を三人から聞き、その後、事件を担当した警部に取材して執筆をはじめている。
 もちろん横溝正史は三人から聞いた話をそのまま原稿にした訳ではないが、加藤、藤田、石川氏との交流は、その後の横溝作品に深い影響を及ぼしている。横溝自身、真備に来なくてもトリックなどは思いついたろうが、真備での生活抜きに私の作品は生まれなかったと断言している。
 横溝は、原稿や資料をつめこんだ中二階の納屋で、夜、聞いた話を題材に小説の構想を練り続けた。頭の中で構想が完全に出来上がった段階で、一気に原稿を書き上げるのが横溝のスタイルだからだ。そして構想や原稿執筆に疲れると、よく真備の町内を散歩した。ボサボサ頭で着物の帯を引きずって歩く姿は、まさに金田一耕助そのものだったという。
 疎開先から東京に帰るとき、横溝はなぜこの心温まる人たちと別れて、殺伐とした東京に帰らなければならないのかと涙を流した。現在、真備ふるさと歴史館には生前、横溝正史が愛用した机が展示されているが、これも横溝とともに疎開した夫人の御好意によって寄贈されたものだ。横溝と真備の人たちの交流は本物だったのだ。
 横溝正史の小説は、現在、台湾でテレビドラマ化され流行している。その影響を受けて、台湾からも横溝の疎開先に訪れる観光客は多く、みな家のあちこちを指差しながら感心して帰っていくそうだ。疎開先には
「コナン・ドイルにはおよびもしないが、せめてなりたやクリスティー」
 の色紙が飾られていた。
 横溝正史の推理は、世界に羽ばたこうとしている。

(2017年6月5日)


(横溝疎開宅から真備の町を望む)



関竜司プロフィール


関竜司 参加作品
『しずおかの文化新書9
しずおかSF 異次元への扉
~SF作品に見る魅惑の静岡県~』