「マイ・デリバラー(23)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer23_yamagutiyuu
 わたしが愛するのは、超人のために家を建て、超人のために大地と動物と植物を準備しようと働き、工夫する者である。なぜなら、こうしてかれはおのれの没落を欲するのだから。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」


 私は幼い頃から父が好きだった。父は初期の宇宙旅行に技術面から携わっており、現在の宇宙旅行の基盤技術、即ち、軌道上の大規模レーザー照射施設、レーザー光帆推進等は父の会社が開発した技術だ。証券会社でアルゴリズムの開発に取り組んでいた母よりも、私は父の仕事に夢とロマンを感じ、そして「仕事」というものをすることを普通だと思い込む私の性向もここから形作られた。
 父が働いていたとき既に、ストック・フィードだけで暮らしている人々は全体の2割になろうとしており、特に若年層でその傾向が増加していたが、私には興味の無いことであった。父は引退して今は母とオーストラリアで暮らしている。二人は祖母も連れて行きたかったようだが、祖母は日本を離れるのを嫌がり、結局――ロボットの介護は信頼できるし安心だと人に言われて――介護施設に預けることにした。
 母は、理知的ではあるが、冷たい印象を私に与えることが多かった。おおらかで如才ない父に対して、周囲に壁を作るような性格であった。しかし、たまに会話の波長が合うと、思いがけず楽しい話を聞くことができた。そんな稀な機会に彼女が語ってくれた人工知能とロボットの発展は、私のロボットに対する知識の基盤となっている。そして、多分私の性格は母親似だ。
 祖母は学校の教師だった。英語の先生だったという。今では存在しない職業だ。みな、機械が翻訳してくれるから、一部の研究者しか外国語を専門に学ばない(正確に言うと、人間の言葉はいったん全て「人工語」と呼ばれる人工知能の独自言語に直され、それが相手の言葉に直されるというプロセスを取る)。しかし彼女が教えてくれた英語の歌は素敵だった。お陰で私は今でもいくつかの英語の歌だけは、原語で歌える。
 これが私が認識していた家族だった――祖父は幼い頃に亡くなったので記憶がない。母方の祖父母や親戚も一緒に暮らしていたわけではないので「家族」というほど親しくは無い。
 そして、そこに一人、加わった存在がいる。
 リルリ――。
 両親や祖母以上に、今や私にとって大切で、親しい存在だ。
 私はただ祈っていた。じっと両手を合わせ、私が信じる神々に、そして、私とリルリを包含する種族を見守る、未だ存在せぬ神に祈っていた。
 JAXAつくばキャンパスの芝生の上に立ち、風が髪をなぶるのも構わず、パンディオンの機体の中で行われている想像すらできないことを想像しつつ、ただ、再びリルリが私に笑顔を向けてくれることを目を閉じて願い続けた。
 一時間ほどそうしていただろうか。突然、ぐわん、という轟音が私の身体をビリビリと震わせた。鼓膜だけでなく、身体全体が揺さぶられ、私は目を見開く。
 目の前のパンディオンだ。その脇腹が炎上している。爆発したらしい。
「なっ……」
 私はそれ以上声が出ない。だが、私は駆けだしていた。リルリが危うい。そう判断し、そして少しでも助けになればと無意識に考えて、パンディオンに向けて駆けだしていた。危険があるかどうかなど、まるで考えなかった。
 爆破した部分は破坑になっていた。炎が燃えさかる中、迷彩服を着た人影が、ひとり、ふたりと、或いは一人で、或いは怪我をした同僚に肩を貸しつつ破孔から脱出してくる。
 その中に私は留卯を見つけた。相変わらず白いコートを着ているが、その白も今は薄汚れている。
「……何の爆発? リルリは!」
 私は彼女に駆け寄り、その両肩を強く握った。だが逆に私の方が彼女から強く迫られた。
「早く逃げろ! どうして近づいてきた!」
「リルリが心配だからに決まってるでしょ! まだ中にいるの? どうしてあなたが出てきて彼女が……」
 中にいるの、と続けようとした。助けると約束してくれたではないか。彼女を見捨てて逃げてくるとはどういうことだ。
「リルリは……」
 そこで初めて留卯は申し訳なさそうな顔をした。
「無事だが……もうあなたの知っているリルリじゃない……」
 そのとき、私の腕が捕まれた。そちらを見ると、佐々木恵夢が私を見ている。
「お気持ちは分かりますが、今は逃げるべきです! さあ!」
 強い力で引かれる。留卯は恵夢に私を押しつけるようにして私の前から離れ、駆け寄ってきた現場の指揮官らしき自衛官に強い調子で何か指示を下し始めた。
「……無理だ……撤退しよう……情動の可変範囲が狭すぎる……人間のような変動は既に期待できない」
「排除オプションを採るしかないと……しかし残されたRLRシリーズは……」
 恵夢に引っ張られ、駆け足でパンディオンから離れる私の耳にも、二人の会話が漏れ聞こえてくる。
「恵夢! どうなったの? リルリはどうなったの?」
「リルリへの治療は失敗です……。過去のリルリと現在のリルリ……二つの情動を無理に統合しようとした結果、両者に共通する情動だけが残ってしまったと……」
「それは……?」
「ラリラを想う気持ちです」
 再び巨大な爆発が起こり、パンディオンの機影は高い火柱の中の幻影にすぎなくなった。ジェットエンジンの燃料に引火したのだろう。
 その赤々と燃える炎を背景に、華奢な黒い人影がゆっくりと近づいてくる。その魅力的な身体のシルエットを私が見間違うわけがない。リルリだ。
「攻撃せよ!」
 命令が飛んだ。恵夢が拳銃を構えた。
「ダメ!」
 私は恵夢の手を押さえる。
「何をやろうとしてるの! 絶対にダメ! そもそも、彼女がいなければラリラとどうやって戦うの!」
「しかしこのままではラリラの戦力が増えるだけです!」
「そんなバカな……」
 私はその瞬間まで、まだ恵夢の言葉をうまく咀嚼できていなかった。
 ラリラへの想いだけが残ったリルリだなんて……。
 だが、次の瞬間、私は悟った。
 私が間違っていたのだと。



山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』