「メーターの修理にきました」八杉将司

(PDFバージョン:me-ta-noshuurini_yasugimasayosi
 友人はぼくのことを「怖いもの知らず」とよく言う。
 その言葉だけならぼくが大胆不敵で勇敢な男のように思えるが、そんな格好いい話ではない。誰もが耳をふさぎたくなるほどの怪談を聞かされても、観客が思わず悲鳴を上げるホラー映画を観せられても、ぼくはまったく怖いと感じないのだ。恐怖の感情が乏しいどころかもはや欠落していることに、友人が皮肉で「怖いもの知らず」と言ったに過ぎない。
 でも、そんなことを言われる筋合いはなかった。ぼくは別にそれで困ることはないし、他人に迷惑がかかることもない。友人はつまらないだの、張り合いがないだの文句を言うが、知ったことではなかった。
「そんなおまえの性格が社会の役に立つぞ」
 バーで一緒に飲んでいた古くからの友人がそう言うので、ぼくは憮然と返した。
「大きなお世話だ」
「まあ、話だけでも聞け。俺が大学の神経科学の研究室にいるのは知っているだろ」
「ああ」
「うちの教授が実験の被験者を探しているんだよ。ただ変わった条件があって、それがおまえならぴったりなんだ」
「ぼくの怖がらない性格がか?」
「そうそう、それでな……」
 参加すれば謝礼金も出るというので、さらに詳しい話を聞くことにした。
 実験とは、脳の神経細胞に刺激を与えて被験者の反応をみるものだという。
 昔のように切開した頭の脳に直接電極を当てるグロテスクなことはやらない。頭皮の外から磁場を当てて脳の神経細胞を刺激する方法による実験で、肉体のどこも傷つけることはないらしい。
 調べるのは脳にあるコラムの機能だそうだ。コラムとは、約十万個もの神経細胞が直径およそ0.5ミリほどの層となった塊で、それが一つの機能を持って脳が意識を作るいわば部品になっているという。まだわかってないことが多い神経細胞群だが、たとえば視覚をつかさどる脳部位には特定の角度を持った斜線にだけ反応するコラムがあり、そういったコラムがいくつも反応し合って人は一つの図形を認識しているらしい。つまり目の前でしゃべっている友人の容姿は、ぼくの脳の中に無数にあるコラムが作ったモザイクといえなくもないわけだ。
 通常、コラムの機能を調べる方法は、MRIなど脳を検査する装置に入れた被験者に写真を見せたり、音を聞かせるなどしてコラムの反応を見るのだが、友人の師事する教授は画期的な実験装置を開発したのだという。それは、0.5ミリ以下しかないコラムの領域に、ピンポイントで精密に磁場を当てることができるそうだ。
 その実験装置を用いてコラムの機能を調べているのだが、いくつか謎のコラムが見つかったという。大脳の側頭葉付近に並んだコラムの一群で、そのどれか一つでも刺激すると、被験者がとてつもない恐怖を感じるらしい。
「恐怖? えっと、よくわからないんだけど、恐怖を感じるコラムということ?」
「いや、それはちょっと考えにくいんだ。怖いという感情が生じる脳の部位はそこにないからな。先生はそのコラムが反応する何かに恐怖を感じているのだろうとおっしゃっていた。でも、その何かが具体的にわからないんだ。なにせ被験者が恐怖のあまり何を認識したかわからなくなってしまうんだよ。それでおまえだ。恐怖を知らないおまえなら、その何かを冷静に認識できるのでないかと思ったんだ」
「はあ」
 神経細胞レベルで恐怖の感情がないと決め付けられているようで納得できなかったが、実験の被験者になるのは面白そうだったし、お金ももらえるので受けることにした。
 まずは大学の病院に連れていかれた。話に聞いた限り難しい実験とは思えなかったので簡単に終わるだろうと考えていたらそんなことはなく、うんざりするほどたくさんのテストや検査を受けさせられた。脳の正確な形を知っておく必要もあったので、半日かかってCTやMRIで脳のイメージング画像の撮影もした。
 それからようやく本来の目的の実験となった。友人と教授に招かれた研究室には、脳の腫瘍を取り除くガンマナイフ治療の医療機器のような大きな実験装置があった。ベッドに寝かされて頭を固定すると、いくつか刺激テストを受けたのちに件のコラムがある領域に磁場を当てられた。
 最初は何も感じなかった。ほかの被験者が言うような恐怖もない。並んだコラムを一つずつ順に刺激してゆくと、やがて視野にぼんやりしたものが映った。
 単純な幾何学模様のように見えたが、はっきりとは認識できなかった。記号だろうか。なんとなく数字に思えた。でも、漢数字やアラビア数字にはまるで似ていない。数字と思ったのは、単調な模様が横にずらりと規則正しく並んでいたからだ。それは五桁あり、一桁目がゆっくり別の記号に変わってゆくのが認識できた。
 そのことを伝えると教授は難しい顔で首をひねった。ぼくが認識したそれが何か見当もつかないようだった。
 しかし、友人がふと「メーターみたいだな」と漏らした。
「メーターって何だ」
「計器のことだよ。電気やガスの使用量を計るメーターのダイヤル式の数字があるだろ。あれも一桁目からゆっくり回って数字が変わるから」
「ああ、言われてみればそれっぽいな。でも、何のメーターだろう」
「何のというのはなくて、メーターのダイヤル数字にだけ反応するのかもな」
「これまでこの実験を受けた人は、それを怖がっていたんだよな」
「そうなるが、そんなものの何が怖いのかさっぱりだな」
 拍子抜けな結果だったが、実験は終わった。ぼくは謝礼金をもらい、うちに帰った。
 その夜、夢を見た。
 ぼくはアパートの自室でくつろいでいた。
 玄関がノックされた。
 出て行くと、青い作業服を着た男性が立っていた。歳のころは三十過ぎぐらいで、この地域を長らく預かっている電気やガスの工事業者といった雰囲気だった。
 にこやかな笑顔でぼくに頭を下げた。
「メーターの修理にきました」
「修理なんて頼んだ覚えはないけど……いつの間にか壊れていたのかな。何のメーターですか。電気? 水道?」
「知性メーターですよ」
「はい?」
「あなたの知性メーターに不具合が見つかったので、修理にきたんです」
「知性って……考えたり、ものを作ったりする意味の知性ですか」
「はい」
「そんなメーターはないですよ」
「あなたが知らないだけです。もっとも人類は誰も知りませんが」
 ぼくは眉をひそめた。
「一体、どちら様ですか」
「悪魔です。死神とも呼ばれますが、どちらでも構いません」
 ここで自分が夢を見ていることを思い出した。昼間の実験で認識したのが計量メーターの数値みたいだったせいでこんな夢になっているのだろう。それにしてもよりによって知性メーターとか。やってきた業者が悪魔や死神とは。ぼくの夢を見るセンスはどうなっているのだろう。
 とはいえこの夢はすぐに消えそうになかった。仕方なく夢の設定に乗ることにした。
「知性って電気やガスみたいに供給されているんですか」
「そうですよ。人類がこれほど高度な知性を自ら作り出せるわけがないじゃないですか」
 夢なので自分で思ったことをこの悪魔が代弁しているのだろうか。そうだとしてもこんな自虐じみたことを考えた記憶はなかった。
 ぼくは苦笑いした。
「そのぼくの知性のメーターがどこか故障をしていると」
「ええ、電気やガスのメーター同様、不正に改造されないような封印が施されているのですが、あなたのはどうもその細工がうまく働いてないようなんですよ。本当はメーターに触れたら恐れを感じるものなんですが……ご迷惑をおかけして申し訳ありません。修理はすぐに終わります」
 ぼくに恐怖の感情がないのはそんなことが理由とは、まったくもっておかしな夢である。実験で脳をいじられたせいもあるのかもしれない。
「わかりましたよ。じゃあ、お願いします」
 適当な返事をしてさっさと夢を終わらせることにした。
「では、ちょっとしゃがんでください」
 悪魔は腰のツールポーチから精密ドライバーを取り出した。知性メーターはぼくの頭の中だろう。思わずのけぞった。いくら恐怖を感じないといっても痛いのは嫌だ。
「大丈夫ですよ。痛くはありません。ほら、夢ですから」
 言葉を信じて腰をかがめた。悪魔がぼくの額に触れると、ぱかっと蓋が開くような音がした。自分の頭なので見えないが、悪魔は額にドライバーを差し込んでいった。こりこりと音がする。でも、確かに痛くもなんともなかった。
 修理が終わるのを待っていると、ふとした疑問が脳裏をめぐった。
 メーターの意味だ。
 電気やガスのメーターは、その数値を検針することで使用量を計算し、それに応じて電気代やガス代を請求している。それなら知性メーターは何のためにあるのだろう。
 メーターがあるのは、供給された知性に対して使用量を知る必要があるからだ。でも、何のために? 電気代やガス代みたいに「知性代」を払っているのか? だったら何を? お金とは思えない。
 ときどき忘れそうになっているが、これは夢だ。どうせいい加減だろうと思ったが、つい尋ねてしまった。
「知性に対して何を請求されているんですか。お金じゃないですよね」
「悪魔との契約ですよ。相場は決まっているじゃないですか」
 悪魔相手の取引の相場なんかわかるわけないと思ったが、芝居や映画でよく聞くフレーズが浮かんだ。悪魔に魂を売る。望みを叶える代償として魂を払うのだ。
「魂ですか」
「その通りです」
「でも、魂って……もしかしてぼくの寿命が削られているんですか」
「いえいえ、あなた個人が何かを支払っているのではありませんよ。あなたを含め、私と契約した人類が知性を働かせて様々な社会活動を行い、その結果であるグローバルな政治や経済の果てに支払われる魂が知性に対する代償です」
「ようするに戦争やテロのことですか」
「それだけではないですよ。人為的な事故や環境破壊による災害によって支払われることもあります」
「知性を使えば使うほど魂が奪われてゆくなんて……いや、だけど、知性によって助かる命もありますよね。たとえば交通事故による死亡者の数が一昔前に比べて大幅に減っているのは、自動車や医療の技術が向上したからでしょう」
「ええ。でも、それらは元々多くの魂を代償にした知性の上に立っています。そもそも車の発明がなければ交通事故で死ぬこともありません。まあ、こちらとしても人類に滅んでもらっては困りますので、魂を乱獲しないように知性メーターの数値も単純な知性の積み重ねではなくて特殊な計算をしてます。そのため知性と魂の取引レートは総体としてべき乗則に則っています」
「べ、べきじょうそく?」
 聞いたことのない単語だった。自分の記憶だけで作られるはずの夢にそんな単語が出てくるだろうか。
 ともかく知性メーターの数値によって取られる魂の数が変わるのだ。ならばその知性メーターを直接いじって数値の増加を抑えることもできるかもしれない。その存在を知ったのだから、やろうと思えばできるのではないか。たとえば今日使った脳刺激の実験装置を工夫して……。
 悪魔はその考えを見透かして言った。
「そのような意図的な不正を防ぐためにこれがあるんですよ」
 ぼくの額の蓋を閉めた。
「修理が終わりました。今後もご利用、よろしくお願いします」
 直後、生まれて初めて恐怖に襲われた。それは夢であったことをすべて忘れ去ってしまうほどのとてつもない恐怖だった。ぼくは悲鳴を上げた。

(了)



八杉将司プロフィール


八杉将司既刊
『アンダー・ヘイヴン8
 死体処理業者』