「僕はまだ生きている。」伊野隆之

(PDFバージョン:bokuhamadaikiteiru_inotakayuki
 天井のライトを見上げながら、僕はいつからこうしているのだろうと考える。
 僕は死んでいるのだろう。動くことのない死体になって、安置された状態のまま天井を見上げているのかもしれない。だったら、僕の頭蓋骨の中の脳みそは、きっちりとぐちゃぐちゃにされているはずで、それでいてこうして考えているってことは、やっぱり霊魂がある証拠になる。だから、霊魂になった僕は、そのうちに天井に向かって上昇をはじめ、ベッドに横たわっている自分の姿を見下ろすことになるのだろう。
 ちゃんと死んでいて良かった。もし、誰かが僕を不活化していなければ、死体となった僕は、大きく口を開け、ウイルスまみれのよだれを流しながら、生の肉を求めてさまようことになっていただろう。そんなことになるより、こうして死んでいる方がよっぽどましだった。
 自分が死んでいると思うと、急に涙があふれてくる。天井のライトしか見えていない視界がぼやけてにじむ。
 僕が馬鹿だったのだ。作戦行動を終えて颯爽と帰ってくる浄化部隊に比べ、子供扱いの僕たちは、安全な管理区域の内側に押し込められていた。柵の中の窮屈な状態を我慢していれば、こんなことにはならなかったのだ。
 暫定統治委員会は、毎日のように成果を発表している。地図の上では、浄化作業を終えた領域が広がり、普段の暮らしがもうすぐ帰ってくると宣伝されている。だったら、僕たちが壁を出て、浄化済みの場所の探検に行ったっていいじゃないか。
 そう言い出したのは誰だったろう。僕か、それとも悪友のヒロキだったろうか。
 多分、トシロウがいれば、あんなことはしなかったはずだ。何かいけないことを言い出すのは、いつも僕かヒロキで、トシロウはいつも慎重だった。
 トシロウのことを思い出すと、僕はいつも悲しくなる。僕の知っていたトシロウは、もうこの世界にはいないからだ。
 死んでいる僕が死んでしまったトシロウのことで悲しむなんて、状況としては全く変だけど、自分自身が感じている気持ちを否定できない。
 家が近かった僕とヒロキ、トシロウの三人は幼稚園時代からの幼馴染みで、中学に入ってもいつも一緒だった。
 あれは、夏休みが終わろうとしていた頃だった。最初は、アメリカの大きな街で始まった。テレビで見る映像は映画みたいで、連日のニュースは毎日のレギュラー番組のようだった。
 それから、一ヶ月もかからなかった。新しい映像が放送されなくなった頃、それは日本にやってきた。最初は横浜で、次は東京港だった。船に乗ってやってきたゾンビは、一気に日本中に広がった。
 混乱が僕たちの街に押し寄せ、学校に避難するようにという防災放送が流れた。自衛隊の緊急車両が校門を塞ぎ、自動小銃を持った自衛官が配備された。
 街全体を囲むように造られた防衛線と、学校を囲む塀とで、僕たちは安全なはずだった。
 何があったのか、詳しいことはわからない。安全だったはずの街にゾンビが侵入し、僕たちは別の街に造られた避難所に移動することになった。集団で下校するみたいにいくつかの家族で班を作り、班ごとに自衛隊の車に乗せられて移動する途中で、トシロウたちの乗った車が襲われた。
 混乱の中で、トシロウは家族とはぐれた。多分、トシロウは、その時に食べられちゃったんだと思う。
 新しい避難所に移ってすぐに、ゾンビの歯が通らない特別な繊維でできた防護服が届き、浄化部隊が編成された。浄化部隊は、避難所の外に出て、取り残された人を救出し、見つけたゾンビを処理した。
 処理された中には僕たちと同じくらいの子供のゾンビもいた。額や側頭部に赤黒い穴の空いた死んだ死体がいくつも回収され、個人の特定が行われた。
 最初はトシロウの無事を信じていたトシロウのお母さんも、暫定統治委員会からの指示で遺体の確認をしたらしい。でも、回収された無数の遺体の中にトシロウはいなかった。
 僕は、それで良かったと思う。どうせ死ぬなら、ゾンビになるより、完全に死んだ方がいい。僕は、そう思う。
 僕は完全に死んで、霊魂になっている。さもなければ、こんなことを考えているはずがない。霊魂になれば、きっと天国にだって昇っていける。

 浄化が済んだ地域の偵察をしようと言い出したのはヒロキだったはずで、もちろん僕は反対しなかった。狭い管理区域にいるのは退屈だったし、毎日の避難訓練もつまらない。浄化が済んでいるのなら、安全に決まっている。だったら僕たちが探検に行ってもいいはずだ。
 もちろん、避難所から出るには、それなりの準備と計画が必要だった。でも、僕たちには計画を考えるための十分な時間があったし、計画を実行に移すだけの大胆さもあった。足りないのは慎重さとか思慮深さと言ったもので、それは僕にもヒロキにもないものだった。
 浄化部隊の車両に隠れて避難所を出た僕たちは、無人になった街を歩いていた。
 商店のショウウィンドウは打ち壊され、物資はとっくに略奪されるか、回収されている。最初は物珍しさに興奮していた僕たちも、街を歩くのに飽きはじめていた。
「ちょっと家の中に入ってみようか?」
 そう言い出したのは、確かにヒロキだった。
「どれにする?」
「あの大きい家はどうかな?」
 ヒロキが指さしたのは、立派な構えの家だった。こんな時、トシロウがいれば、勝手に人の家に入ったらいけないとか、そんなことを言い出すに決まっているのだけれど、あいにくトシロウはいなかったし、僕もヒロキも臆病だと思われるのが嫌だった。それに、このあたりの家のドアには安全確認が済んだしるしの大きな丸が書かれている。なかに入ったところで、危険があるはずがなかった。
 ドアの鍵は壊されていた。誰かに略奪されたのか、それとも、浄化部隊の調査の時に壊されたのかはわからない。僕たちは、物音を立てないように、ドアをそっと開き、家の中に入り込んだ。誰かの家に土足で上がり込むのは気が引けたけれど、廊下にはガラスの破片が散乱していた。
 家の中は薄暗かった。最初は怖かったし、緊張もしていた。それが、しばらくすると、慣れてくる。家の中は静まりかえり、物音一つしない。ゾンビがいたら怖いけど、何もいないのはつまらない。
「何もないのかな」
 ヒロキが台所の冷蔵庫の扉を開ける。何があったにせよ、電気が来ていないのだから腐っているのに違いないのに。
「そんなとこで何探してんだよ」
 戸棚を開けると食器が丁寧に並べられていた。きっと、きっちりした性格の人だったのだろう。
「これ喰うか?」
 ヒロキが投げてよこしたのは、緑色のわさびが入ったチューブだった。
「喰うわけないだろ。おまえが舐めてろよ」
 そう言って、ヒロキに投げ返す。
 引き出しを開けると包丁が並んでいた。その一本を手にとってヒロキに見せる。
「これならやつらもやっつけられるぜ」
 刃が分厚く、重たい包丁だった。
「じゃあ、やつらが来たらよろしく頼むな」
 そう言ったヒロキの言葉が、その次の瞬間に現実になる。台所の隅、多分、保存食料のストッカーを入れてあったのだろう。ヒロキが納戸のドアを開けると、その向こうから飛びだしてきた。
 僕は、ヒロキをおいて逃げ出したりしなかった。そのことは誇りに思っていいはずだ。ただ、手に持った包丁のことをすっかり忘れてしまったのは失敗だった。
 ヒロキに飛びかかってきたそれに体当たりをして、突き飛ばしたのは憶えている。その時に包丁を使えば良かったのに、慌てた僕は、貴重な武器を放りだしてしまっていた。
 最初は子供かと思った。正確には、子供のゾンビだ。けれど、ヒロキを襲ったのは、お婆さんのゾンビだった。背の低いお婆さんで、腕も細い。それで、僕は油断したのかもしれない。
 今にして思えば、お婆さんだからと言って油断してはいけなかったのだ。
 人間は、普通の生活の中で、百パーセントの力を出すことはない。筋肉が全力を出したら、骨や腱にダメージを残してしまう可能性があるから、僕たちは無意識のうちに全力を出さないようにしているらしい。
 でも、ゾンビはいつだって全力だ。走れば速いし、かみつく力はワニ並みだ。だから、赤ん坊のゾンビも危険だと、避難所の訓練で教わった。でも、教わったのは赤ん坊のゾンビのことで、お婆さんゾンビのことじゃなかった。
 僕が突き飛ばしたお婆さんゾンビは、腰が曲がっていた。それで妙に背が低かったのだ。そのお婆さんゾンビが、文字通り宙を飛んで飛びかかってくるなんて想像もしなかった。
 大きく口を開け、意外なほどきれいな歯を見せて飛びかかってきたお婆さんゾンビに対し、僕は反射的に左の腕を上げ、顔を守った。
 むき出しの歯が僕の腕に触れたとき、しまったと思った。噛まれたら、僕はゾンビになってしまう。
 腕に痛みが走ったのは一瞬だった。お婆さんゾンビに飛びかかられた僕は、そのまま仰向けに倒れ、後頭部を痛打した。

 可能性としては二つある。一つは後ろに倒れたときに当たり所が悪く、頭蓋骨が陥没するとか、首の骨を折るとかして、脳が損傷し、ゾンビ化しなかったというもの。
 もう一つの可能性は、ヒロキがゾンビをやっつけて、腕を噛まれた状態で気絶している僕を、不活性化したというもの。つまり、包丁で僕の脳みそをぶすりとやったと言うことになるが、僕には到底出来そうにないし、ヒロキにだって出来ないだろう。
 と言うことで、僕はゾンビに噛まれ、倒れたところで死んだと言うことになる。
 そこまで考えたところで、僕はもう一つの可能性に思い当たる。
 僕は生きているのだ。
 ゾンビ化は、噛まれたところからウイルスが全身に広がることでおきる。であれば、噛まれた部位を切り落とすことで、全身にウイルスが回るのを防ぐことが出来る。現に、避難所には片足を失い、松葉杖で生活している人がたくさんいる。
 だから、第三の可能性は、僕が気を失っている間に、ヒロキが僕の腕を切り落としたというものだ。でも、ヒロキは、そんなに物事に冷静に対処できるような性格ではないし、関節のところで切るにせよ、腕を切るのは簡単ではないはずだ。僕には出来るとは思えないし、ヒロキにはとても無理だ。
 だから、結局僕は死んでいる。それが、論理的な帰結になる。
 そう思うと、また涙で視界がにじむ。もう少し生きていたかったと思う。トシロウも、最期の瞬間にはそんなことを思ったのだろうか。

「信じられないくらい幸運なヤツだな」
 どこからか声が聞こえた。僕の視線はまっすぐ上を向いたままで、声の主がどこにいるかはわからない、
「まだ、身体は動かない。ウイルスが入っていて、突然ゾンビ化されても困るから、薬で動けないようにしてある。まあ、せいぜい二,三時間の我慢だ」 
 突然、白衣の男が視野に入ってきた。つまり、幸運なヤツというのは僕のことで、僕はまだ生きているということになる。でも、左腕は大丈夫なんだろうか。
「……う、うれは……」
 くぐもった声は僕の声だろうか。口や舌の感触がなく、本当に自分がしゃべっている気がしない。
「今は無理にしゃべらなくていい」
「……れ、れも……」
 僕はゾンビに噛まれた。その僕が、どうして生きているのか、僕はそれが気になった。「友達に感謝するんだな。おまえの友達は、ちゃんとばあさんゾンビを始末したし、ゾンビに噛まれたおまえを不活化しなかった。もっとも、おまえの腕に噛みついていたものを見たら、誰でも少しは考えるだろうがな」
 視野の中の男が笑った。
「おまえにも見せてやろう。おまえはこいつに噛まれたんだ」
 男の姿が視野から外れ、その代わりに。
「ほら、こいつだ。中学生には縁がないだろうが、総入れ歯ってヤツだ」
 僕の目の前には、ピンクのプラスチックの歯茎と上下全てそろったきれいな歯。
「でもな、しっかり顎についていたら危なかったぞ。入れ歯が外れかかっていたから、ゾンビもしっかり噛めなかったってことだな」
 男は僕の目のすぐ前で、入れ歯をカチカチとかみ合わせる。それを見ながら僕はまた泣いた。
 僕はまだ生きている。
 僕には、それがうれしかった。

完 



伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『こちら公園管理係6
 さよならガンさん』