「自白」太田忠司(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:jihaku_ootatadasi

 装飾など一切ない、真っ白な部屋だった。その中央に椅子があり、トリカはそこに座らされていた。
「なぜここに呼ばれたか、わかっているね」
 トリカの前に立つ栗原専務が皺だらけの顔をさらに歪めて言った。
「わかりません」
 トリカは明確に答えた。小さな顔には不釣り合いに大きな眼鏡越しに相手を見つめる。
「では教えてあげよう。我々は君の正体を掴んだのだよ。ずばり、君はファルム製薬のスパイだね?」
「いいえ。わたしはスパイではありません」
 彼女の答えは、やはり明確だった。
「嘘をつけ!」
 栗原の隣に立つ山野部長がいきりたった。
「君がファルムの人間と接触しているのはわかっているんだぞ」
「まあまあ山野部長、落ち着いてください。密原さん、わたしたちも何もあなたを脅そうとは思っていないのよ」
 高見課長が仲立ちするように言った。
「ただ真実を教えてほしいだけ。そして我が駒崎製薬からどんな情報を盗み出したのか教えてほしいの」
「わたしは盗んでいません」
 トリカははっきりと、そう言った。感情的でもなく、うろたえてもいない。天気でも尋ねられているかのような回答のしかただ。高見課長は肩を落として、
「しかたないわね。こんなことはしたくなかったんだけど」
 そう言って、少し離れたところに立つ白衣の男に目配せした。
「是が非でも、あなたには喋ってもらうわ」
 白衣の男が手にしているのは注射器だった。
「これこそ、君が盗み出したかったものだよ」
 栗原専務が口許を歪めて笑った。
「我が社秘蔵の新製品、コードネームFU48G。これを注入されれば、どんな秘密も口に出さないではいられなくなる。究極の自白剤だ」
 白衣の男はトリカの腕を掴んだ。彼女は抵抗しない。無言で注射器を受け入れた。
「高見君、薬効はどれくらいで現れる?」
 山野部長が尋ねると、高見課長は腕時計を確認して、
「あと三十秒ほどで」
 きっかり三十秒後、高見はトリカに尋ねた。
「あなたの名前は?」
「密原トリカ」
 トリカは答えた。
「あなたはファルム製薬のスパイね?」
「そうです。わたしはファルム製薬のスパイです」
「我が社から何を盗んだの?」
「新薬開発情報と駒崎製薬の汚点となる情報です」
「新薬というと?」
「LF59D、PA18J、FU48G、KX73P」
「なんと、KX73Pもか! これは大事だぞ」
 栗原が頭を抱えた。
「落ち着いてください専務」
 そう言って山野はトリカに向き直る。
「それで、駒崎製薬の汚点となる情報というのは?」
「上層部のプライベートについての情報です」
「具体的には?」
 問われたトリカは高見に眼を向け、
「高見義久課長は、おむつをしている」
「え? 今なんて?」
「高見義久課長はおむつをしている」
 トリカは繰り返す。
 山野は高見を見る。彼の顔が蒼白になっていた。
「高見課長はおむつマニア。今も奥さんに付けてもらったおむつを着用している」
「や……やめてくれ!」
 高見が叫んだ。
「そんなこと、どうして知っているんだ?」
「調査しました」
 トリカは短く答える。高見は自分を見つめている栗原と山野に、
「い、いいじゃないですか。別におむつしてたって。それで誰かが困るわけじゃないんだから!」
「まあ、嗜好はそれぞれですからね」
 取ってつけたように山野は言い、トリカにさらに尋ねる。
「他には?」
 尋ねられ、トリカは即答した。
「山野恵美部長は三人の男性と浮気をしている」
「な……何を言うの!」
 山野は顔を真っ赤にした。
「わたし、浮気なんてそんな……してないわよ!」
「相手は総務部の立山丈二、鶴岡病院の鶴岡武雄、そして週刊暴露の高崎幸造」
「週刊暴露だと!? うちの暴露記事を書いた雑誌じゃないか」
 栗原が色をなした。
「まさか、君が情報をリークしたのか!?」
「そんな、そんなことしてません!」
 山野は必死に抗弁する。
「あのひとが週刊暴露の記者だなんて知らなくて、行きつけのバーで出会ってちょっといい感じだって思ってそれで……でもリークなんかしてません」
 トリカが付け加えた。
「山野部長が高崎に情報を洩らしたのは、クライムホテルのベッドの中です。そのときの会話も録音してい――」
「やめてっ!」
 山野がトリカの言葉を遮った。
「あなたなんてことを! そこまで下賤なことをしてたなんて! 許せない!」
「許せないのはこっちのほうだ!」
 栗原が山野を叱咤した。
「君のことは後でじっくり調べる。そんなことより――」
「栗原孝臣専務には隠し子がいる」
 トリカが言った。
「元秘書課の戸倉汀子との間にできた子で、今は戸倉がひとりで育てている。毎月二十万円の養育費が密かに支払われているが、その金は栗原が会社の資金を着服して賄っているもの」
 高見と山野は栗原を見つめる。
「……本当ですか、専務?」
「い、いや……そんな……」
 栗原はうろたえた。
「戸倉が急に退職したのは、そういう理由が……それにしても、会社の金を横領しているだなんて」
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ! そんなこと信じるな!」
 栗原は激しく首を振る。そしてひとり平静な表情のトリカに怒りの眼を向けた。
「おまえ! どうしてそんなでたらめを言うんだ!」
「でたらめではありません。真実です。戸倉汀子の証言も録音しています」
「まさか……汀子がそんなことを言うわけが……あれには養育費と引き換えに口止めを――」
「やっぱり、そうなんですね」
 山野が軽蔑の視線で上司を見た。栗原はその場に膝をつく。
「おしまいだ……こんなことが表沙汰になったら……」
「私だって、おむつなんて密かに楽しんでただけなのに……」
「わたしだって、ただの遊びのつもりだったんです」
 三人は悄然とその場に座り込んだ。
 やがて栗原が顔を上げ、トリカに言った。
「今の話、もうファルム製薬に伝えてしまったのか」
「いいえ」
 トリカは言った。
「すべての情報は、まだわたしの手許から出ていません」
 彼女はスーツのポケットからフラッシュメモリを取り出した。
「ここに全部、記録されています」
「本当か。本当にまだ洩れていないのか」
「はい。今日、これをファルム製薬に渡すつもりでした」
「それなら……それならまだ助かる! それを渡してくれ!」
 トリカは何のためらいもなくメモリを栗原に手渡した。彼はそれを握りしめ、
「よし! これで大丈夫だ」
「いえ、ちょっと待ってください」
 高見が口を挟み、トリカに尋ねた。
「他にコピーはないのか」
「それがコピーです。同じ記録をクラウドにあげてあります。これを」
 そう言って彼女はスマートフォンを取り出した。
「これを操作すると、その情報はネットに流されます」
「やめてくれ!」
 栗原は叫ぶ。
「やめません」
 トリカは拒絶する。栗原は驚いたように、
「どうして? FU48Gはまだ効いているはずなのに」
「FU48Gは自白剤です。本当のことは言います。でも行動を制御することはできません」
 山野が代わりに答え、それからトリカに、
「どうしたらクラウドの情報を消してくれる?」
「ここから出してください」
 トリカは言った。
「自由の身になったことを確認したら、皆さんにメールを送ります。そこには口座番号と金額が書かれています。その金額どおりに口座に振り込んでください」
「口止め料ってわけね。いくらなの?」
「皆さんの資産は調査済みですから、支払可能な額を提示します。それでいいですか」
 三人は顔を見合わせた。代表して栗原が答える。
「……致し方ない。条件を呑もう」
「ありがとうございます。では三十分、この部屋から出ないで誰とも連絡しないでください」
 トリカは椅子から立ち上がり、一礼する。そして三人の間を抜けて部屋を出ていった。
 少し後から白衣の男も部屋を出てきた。
「うまくいったね」
 男は先を歩くトリカに声をかけた。トリカは歩きながら言った。
「あなた、注射下手ね。ちょっと痛かった」
「ただの生理食塩水だ。少しぐらい痛いのは我慢しろよ。それで俺の取り分だけど――」
「後で連絡する」
「おい、ちょっと待てよ。俺だって危ない橋を渡って協力したんだからさあ」
 するとトリカは立ち止まり、振り返って言った。
「津田敏夫主任には窃盗の前科がある」
 その言葉に男は、びくりと体を震わせた。
「どうしてそれを……俺の経歴は抹消したはず――」
「本当なら、あなたにも口座番号と金額をメールするところだけど、協力してくれたから対象から除外する。礼金も払うわ。連絡を待ってて」
 そう言うとトリカは、茫然としている男を置いて立ち去った。



太田忠司プロフィール
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太田忠司既刊
『優しい幽霊たちの遁走曲
Kindle版』